金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)——ダイヤモンドに如く智慧、…彼方なる叡智を說くスートラ。原文、書き下し文。5
漢文原文は據大正大藏インターネット版
書き下し文及訓は據國譯大藏經經部第三卷國民文庫刊行會發行
奧書云、
大正七年四月廿八日印刷同月三十日發行
大正八年一月廿八日再版發行
昭和二年五月廿五日三版發行
昭和十年十二月廿八日四版發行
譯者山上曹源識の署名あり。
但し一部の文章を改めた。訓は底本儘。
〇23
淨心行善分第二十三
「復次須菩提
是法平等無有高下
是名阿耨多羅三藐三菩提
以無我無人無衆生無壽者
修一切善法
則得阿耨多羅三藐三菩提
須菩提
所言善法者如來說即非善法
是名善法
淨心〔じやうしん〕行善〔ぎやうぜん〕分第二十三
「また次に須菩提。
此の法平等なりて高下〔かうげ[高低]〕まさになし。
此れ阿耨多羅三藐三菩提と名づく。
無我、無人、無衆生、無壽者なりて一切が善法を修じ、則ち阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
須菩提。言せる善法は、…如來說は即かん、善法にあらずと。
此れ善法と名づく。
〇24
福智無比分第二十四
「須菩提
若三千大千世界中
所有諸須彌山王
如是等七寶聚
有人持用布施
若人以此般若波羅蜜經乃至四句偈等受持讀誦爲他人說
於前福德百分不及一
百千萬億分
乃至算數譬喻所不能及
福智〔ふくち〕無比〔むひ〕分第二十四
「須菩提。
あるひは三千大千世界が中にあらゆる諸の須彌山王ら、かかる者ら七寶の聚もて、人をして此れもて、布施せり。
あるひは人、此の般若波羅蜜の經、ないし四句偈等を受持し讀誦し他人に說きゝ。
前の福德、百分が一にも、または百千萬億分、ないし算し數へ譬喩〔ひゆ〕すにも及ばず。
〇25
化無所化分第二十五
「須菩提
於意云何
汝等勿謂如來作是念
我當度衆生
須菩提
莫作是念
何以故
實無有衆生如來度者
若有衆生如來度者
如來則有我人衆生壽者
須菩提
如來說
有我者則非有我
而凡夫之人以爲有我
須菩提
凡夫者如來說則非凡夫
是名凡夫
化無〔けむ〕所化〔しよげ〕分第二十五
「須菩提。
意に如何ん。汝ら謂[思]ふ勿れ、——如來かくに思ひき、我まさに衆生を度さん、と。
須菩提。
此の念ひなす勿れ。
何の故に。
實には衆生、如來が度する者はなし。
あるひは衆生ありて如來が度したれば、如來すなはち我、人、衆生、壽者ありき。
須菩提。
如來說きゝ、我あればすなはち我あるにあらず。
凡夫なる人こそ我はありとす、と。
須菩提。
凡夫とは、…如來は說かん、すなはち凡夫にあらず。
此れ凡夫と名づく。
〇26
法身非相分第二十六
「須菩提
於意云何
可以三十二相觀如來不
須菩提言
「如是如是
以三十二相觀如來
佛言
「須菩提
若以三十二相觀如來者轉輪聖王則是如來
須菩提白佛言
「世尊
如我解佛所說義
不應以三十二相觀如來
爾時世尊而說偈言
若以色見我 以音聲求我 是人行邪道 不能見如來
法身〔ほつしん〕非相〔ひさう〕分第二十六
「須菩提。
意に如何ん。
三十二相もて如來を觀ずべきや。
須菩提言さく
「かくなり。かくなり。
三十二相もて如來を觀ず。
佛言さく
「須菩提。
もし三十二相もて如來を觀ぜば、轉輪聖王〔てんりんじやうわう〕すなはち此れ如來ならん。
須菩提白して佛に言さく
「世尊。われ佛が說ける義を解すに、まさに三十二相もて如來を觀ずべからず。
その時、世尊、說きて偈に言さく
もし色もれ我を見ば
音聲〔おんじやう〕もて我を求めば
此の人、邪の道に行ず
如來をは見得じ
〇27
無斷無滅分第二十七
「須菩提
汝若作是念
如來不以具足相故得阿耨多羅三藐三菩提
須菩提
莫作是念
如來不以具足相故得阿耨多羅三藐三菩提
須菩提
汝若作是念發阿耨多羅三藐三菩提心者說諸法斷滅
莫作是念
何以故
發阿耨多羅三藐三菩提心者於法不說斷滅相
無斷〔むだん〕無滅〔むめつ〕分第二十七
「須菩提。
汝もしかくに思ふ、——如來は具足せる相もて阿耨多羅三藐三菩提を得たるにあらず、と。
須菩提。
かかる念ひなす勿れ、——如來は具足せる相もて阿耨多羅三藐三菩提を得たるにあらず、と。
須菩提。
汝もしかくに思はば、阿耨多羅三藐三菩提の心發す者ら、諸法は斷たれ滅びきと說かん。
かくに思っふ勿れ。
何の故に。
阿耨多羅三藐三菩提の心を發す者ら、法に於て斷滅の相をは說かず。
〇28
不受不貪分第二十八
「須菩提
若菩薩以滿恒河沙等世界七寶持用布施
若復有人知一切法無我得成於忍
此菩薩勝前菩薩所得功德
何以故
須菩提
以諸菩薩不受福德故
須菩提白佛言
「世尊
云何菩薩不受福德
「須菩提
菩薩所作福德不應貪著
是故說不受福德
不受〔ふじゆ〕不貪〔ふとん〕分第二十八
「須菩提。
あるひは菩薩、恒河沙に等しき世界に滿ちたる七寶もて布施せり。
あるひは復た人あり、一切が法は無我なりと知りき。
かくて忍〔にん〕を成ずを得ば、此の菩薩、前の菩薩が得たる功德に勝らん。
何に故に。
須菩提。
諸の菩薩、福德を受けざるが故に。
須菩提白して佛に言さく
「世尊。
如何にて菩薩、福德を受けざるや。
「須菩提。
菩薩がなせる福德、まさに貪著すべからず。
かかりて說きゝ、福德をは受けずと。
〇29
威儀寂靜分第二十九
「須菩提
若有人言
如來若來若去若坐若臥
是人不解我所說義
何以故
如來者無所從來亦無所去
故名如來
威儀〔ゐぎ〕寂靜〔じやくじやう〕分第二十九
「須菩提。
あるひは人ありて言さく、
如來はもしく來たりもしくは去る。もしくは坐しもしくは臥す、と。
此の人我が說ける義を解さず。
何に故に。
如來、そこより來たれる何處もなく,また去る所もなし。
故に如來と名づく。
〇30
一合理相分第三十
「須菩提!若善男子、善女人,以三千大千世界碎為微塵,於意云何?是微塵眾寧為多不?」
須菩提言「甚多,世尊!何以故?若是微塵眾實有者,佛則不說是微塵眾。所以者何? 佛說微塵眾,則非微塵眾,是名微塵眾。」
「世尊!如來所說三千大千世界,則非世界,是名世界。何以故? 若世界實有者,則是一合相。如來說一合相,則非一合相,是名一合相。」
「須菩提!一合相者,則是不可說;但凡夫之人貪著其事。」
一合〔いちがふ〕理相〔りさう〕分第三十
「須菩提。
あるひは善男子、善女人あり、三千大千世界もて碎き微塵とせり。
意に如何ん。
此れ微塵なるもろもろ、ひたぶるに多きや。
須菩提言さく
「ははなはだ多し。世尊。
何の故に。
もし此の微塵衆、實にあらば、佛すなはち此の微塵衆とは說かじ。
ゆゑんは如何ん。
佛說きたる微塵衆、すなはち微塵衆にあらず。
此れ微塵衆と名づく。
世尊。
如來說ける三千大千世界、すなはち世界にあらず。
此れ世界と名づく。
何の故に。
もし世界、實にあらばすなはち此れ一合相ならん。
如來說ける一合相、すなはち一合相にあらず。
此れ一合相と名づく。
「須菩提。
一合相は、すなはち此れ說くべからず。
ただ凡夫なる人のみそれに貪著す。
〇31
知見不生分第三十一
「須菩提
若人言
佛說我見人見衆生見壽者見
須菩提
於意云何
是人解我所說義不
「不也世尊
是人不解如來所說義
何以故
世尊說我見人見衆生見壽者見
即非我見人見衆生見壽者見
是名我見人見衆生見壽者見
「須菩提
發阿耨多羅三藐三菩提心者
於一切法應如是知如是見如是信解不生法相
須菩提
所言法相者如來說即非法相是名法相
知見〔ちけん〕不生〔ふしやう〕分第三十一
「須菩提。
もし人、言さく——佛は說きゝ、我見〔がけん〕、人見、衆生見、壽者見を、と。
須菩提。
意に如何ん。
此の人我が說ける義を解きゝや
「否あり。世尊。
此の人、如來が說ける義を解かず。
何の故に。
世尊が說ける我見、人見、衆生見、壽者見、即ち我見、人見、衆生見、壽者見にあらず。
此れ我見、人見、衆生見、壽者見と名づく。
須菩提。
阿耨多羅三藐三菩提の心を發せる者ら、一切が法にまさにかくに知り、かくに見、かくに信解し、法相を生ぜず。
須菩提。
言せる法相を、…如來は說かん。即ち法相にあらず、此れ法相と名づく、と。
〇
應化非眞分第三十二
「須菩提
若有人以滿無量阿僧祇世界七寶
持用布施
若有善男子善女人發菩提心者
持於此經乃至四句偈等受持讀誦爲人演說
其福勝彼
云何爲人演說不取於相如如不動
何以故
一切有爲法 如夢幻泡影 如露亦如電 應作如是觀
佛說是經已
長老須菩提及諸比丘比丘尼
優婆塞優婆夷
一切世間天人阿修羅
聞佛所說皆大歡喜信受奉行
應化〔おうげ〕非眞〔ひしん〕分第三十二
「須菩提。
あるひは人あり、無量・阿僧祇の世界に滿てる七寶もて施せり。
あるひは善男子、善女人、…菩提の心を發せるあり、此の經持ち、ないし四句偈等を受持し讀誦し人に演[ひろ[廣]]め說かば、その福かれに勝れり。
如何に人に演[ひろ]め說かん。
相を取らざればかくてかくにかくなりてまさに不動なり。
何の故に。
一切の有爲〔うゐ〕の法
夢幻泡影が如く
露が如く、また電が如く
まさにかかる觀をなせ
佛かくに此の經を說きをはりて長老須菩提および諸の比丘ら、
比丘尼ら、
優婆塞ら、
優婆夷ら、
一切が世間の天、人、阿修羅ら佛が說けるを聞きみな大歡喜し信受し奉行〔ぶぎやう〕せり。
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