金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)——ダイヤモンドに如く智慧、…彼方なる叡智を說くスートラ。原文、書き下し文。3
漢文原文は據大正大藏インターネット版
書き下し文及訓は據國譯大藏經經部第三卷國民文庫刊行會發行
奧書云、
大正七年四月廿八日印刷同月三十日發行
大正八年一月廿八日再版發行
昭和二年五月廿五日三版發行
昭和十年十二月廿八日四版發行
譯者山上曹源識の署名あり。
但し一部の文章を改めた。訓は底本儘。
〇13
如法受持分第十三
爾時須菩提白佛言
「世尊當何名此經我等云何奉持
佛告須菩提
「是經名爲金剛般若波羅蜜以是名字汝當奉持
所以者何須菩提佛說般若波羅蜜即非般若波羅蜜是名般若波羅蜜
須菩提於意云何如來有所說法不
須菩提白佛言
「世尊如來無所說
「須菩提於意云何三千大千世界所有微塵是爲多不
須菩提言
「甚多世尊
「須菩提諸微塵如來說非微塵是名微塵
如來說世界非世界是名世界
須菩提於意云何可以三十二相見如來不
「不也世尊不可以三十二相得見如來
何以故如來說三十二相即是非相是名三十二相
「須菩提若有善男子善女人以恒河沙等身命布施
若復有人於此經中乃至受持四句偈等爲他人說其福甚多
如法〔によほふ〕受持〔じゆぢ〕分第十三
その時、須菩提白して佛に言さく
「世尊。
まさに如何に此の經を名づけ、我ら如何に奉持すべきや。
佛告げて須菩提に言さく
「此の經が名、金剛[ダイヤモンドの…]般若[智慧]波羅蜜[彼方の智慧…]、と、かくに名づけ汝まさに奉持せよ。
ゆゑんは如何ん。
須菩提。
佛が說ける般若波羅蜜[彼方の叡智]、即ち般若波羅蜜にあらず。
此れを般若波羅蜜と名づく。
須菩提。
意に如何。
如來に說ける法はありや。
須菩提白して佛に言さく
「世尊。如來が說けるはなし。
「須菩提。
意に如何ん。
三千大千世界にあらゆる微塵、此れ多きや。
須菩提言さく
「はなはだ多し。世尊。
「須菩提。
もろもろの微塵、如來は說かん、此れ微塵にあらず。微塵と名づく、と。
如來は說かん、世界、非世界、此れ世界と名づく。
須菩提。
意に如何ん。
三十二相もて如來を見べきや。
「否なり。世尊。
三十二相もて如來を見得べからず。
何の故に。
如來說きゝ、三十二相、即ちこれ相にあらず。
此れ三十二相と名づく。
「須菩提。
あるひは善男子、善女人あり、恒河沙に等しく身命もて布施せり。
あるひは復た人あり、此の經が中ないし四句偈等に受持し他人が爲に說きゝ。
その福はなはだ多し。
〇14
離相寂滅分第十四
爾時須菩提聞說是經深解義趣涕淚悲泣而白佛言
「希有世尊佛說如是甚深經典我從昔來所得慧眼未曾得聞如是之經
世尊若復有人得聞是經信心淸淨則生實相當知是人成就第一希有功德
世尊是實相者則是非相是故如來說名實相
世尊我今得聞如是經典信解受持不足爲難
若當來世後五百歲其有衆生得聞是經信解受持是人則為第一希有
何以故此人無我相人相衆生相壽者相
所以者何我相即是非相人相衆生相壽者相即是非相
何以故離一切諸相則名諸佛
佛告須菩提
「如是如是若復有人得聞是經不驚不怖不畏當知是人甚爲希有
何以故須菩提如來說第一波羅蜜‘即非第一波羅蜜是名第一波羅蜜
[即非二字大正大藏本作非一字又註云非字前明本有即字今從國譯本
須菩提忍辱波羅蜜如來說非忍辱波羅蜜是名忍辱波羅密
何以故須菩提如我昔爲歌利王割截身體我於爾時無我相無人相無衆生相無壽者相
何以故我於往昔節節支解時若有我相人相衆生相壽者相應生瞋恨
須菩提又念過去於五百世作忍辱仙人於爾所世無我相無人相無衆生相無壽者相
是故須菩提菩薩應離一切相發阿耨多羅三藐三菩提心
不應住色生心不應住聲香味觸法生心應生無所住心若心有住則爲非住
是故佛說菩薩心不應住色布施
須菩提菩薩爲利益一切衆生應如是布施
如來說一切諸相即是非相又說一切衆生即非衆生
須菩提如來是眞語者實語者如語者不誑語者不異語者
須菩提如來所得法此法無實無虛
須菩提若菩薩心住於法而行布施如人入闇則無所見
若菩薩心不住法而行布施如人有目日光明照見種種色
須菩提當來之世若有善男子善女人能於此經受持讀誦
則爲如來以佛智慧悉知是人悉見是人皆得成就無量無邊功德
離相〔りさう〕寂滅〔じやくめつ〕分第十四
その時、須菩提、說ける此の經聞き深く義趣〔ぎしゆ〕を解し、涕淚〔ているゐ〕悲泣〔ひきふ〕し白して佛に言さく
「希有なる世尊よ。
佛說けるかかる甚深〔じんじん〕たる經典、…われ昔より此の方得たる慧眼〔ゑげん〕に未だかつてかかる經を聞き得ざりき。
世尊。
もし復た人あり、此の經を聞き得ば、信心し淸淨たりてすなはち實相を生ぜん。
まさに知つべし、此の人、第一・希有なる功德を成就せん。
世尊。
此の實相、すなはち此れ相にあらず。
かかりて如來は說きゝ、實相と名づくと。
世尊。
われ今かかる經典を聞き得、信解〔しんげ〕し受持せば難からず。
もしまさに來世、後の五百歲にそれ衆生あり、此の經を聞き得、信解し受持せば此の人すなはち第一にして希有ならん。
何の故に。
此の人、我相、人相、衆生相、壽者相なし。
ゆゑんは如何ん。
我相、即ち此れ相にあらず。
人相、衆生相、壽者相、すなはち此れ相にあらず。
何の故に。
一切が諸相を離る、すなはち名づけて此れを諸佛とす。
佛告げて須菩提に言さく
「かくなり。かくなり。
もし復た人あり、此の經を聞き得、不驚、不怖、不畏なればまさに知れ。
此の人はなはだ希有なり、と。
何の故に。
須菩提。
如來は說きゝ、第一波羅蜜、即ち第一波羅蜜にあらず。
此れ第一波羅蜜と名づく。
須菩提。
忍辱〔にんにく〕波羅蜜、…如來は說きゝ、忍辱波羅蜜にあらず。
此れ忍辱波羅密と名づく。
何の故に。
須菩提。
我むかし歌利王〔かりわう〕に身體を割截〔かつせつ[割る‐斬る]〕せられき。
かかる時など我その時に無我相なりて、無人相なりて、無衆生相なりて、無壽者相なりき。
何の故に。
我むかしありて節〔せつ〕節に支解〔しげ[四肢を切斷す]〕時、もし我相、人相、衆生相、壽者相あらばまさに瞋恨〔しんごん[怒‐恨]〕生じたらん。
須菩提。
また過去を思ふに五百世に、忍辱仙人となりてその世に無我相、無人相、無衆生相、無壽者相なりき。
かかりて須菩提。
菩薩まさに一切が相を離れ阿耨多羅三藐三菩提の心を發せ。
まさに色に住せず心を生ざしまさに聲、香、味、觸、法に住せずて心を生ぜよ。
まさに住せざる心を生ぜよ。
もし心に住すあらばすなはち住さざらしめよ。
かかりて佛は說かん。
菩薩が心、まさに色に住し布施すべからず、と。
須菩提。
菩薩、一切が衆生を利益しまさにかくに布施す。
如來は說けり、一切が諸相、即ち此れ相にあらず。
又說きゝ、一切が衆生、即ち衆生にあらず。
須菩提。
如來、此れ眞に語る者、實に語る者、如語〔によご[如實に語る]〕者、誑語〔わうご〕ならざる者、不異語なる者なり。
須菩提。
如來が得たる法、此の法まさに無實にして無虛なり。
須菩提。
もし菩薩、心に法を住さして布施せばそれ人の闇に入るが如く、すなはち何をも見えじ。
もし菩薩、心に法を住さしめず布施せばそれ人の目あるに如き、日光明照し見て種種の色を見ん。
須菩提。
まさに來たる世に、もし善男子、善女人あり、よく此の經を受持し讀誦せば、
すなはちその爲に如來、佛智慧もてことごとく此の人を知り、ことごとく此の人を見、みな無量・無邊の功德の成就を得ん。
〇15
持經功德分第十五
「須菩提若有善男子善女人初日分以恒河沙等身布施
中日‘分復以恒河沙等身布施〔分字宮本作亦字
後日分亦以恆河沙等身布施
如是無量百千萬億劫以身布施
若復有人聞此經典信心不逆其福勝彼何况書寫受持讀誦爲人解說
須菩提以要言之
是經有不可思議不可稱量無邊功德如來爲‘發大乘者說爲‘發最上乘者說
〔‘發大乘者四字、Agrayāna saṃprasthita、發最上乘者.Sresṭayāna saṃprasthita
若有人能受持讀誦廣爲人說如來悉知是人悉見是人皆成就不可量不可稱無有邊不可思議功德
如是人等則爲荷擔如來阿耨多羅三藐三菩提
何以故須菩提若‘樂小法者著我見人見衆生見壽者見則於此經不能聽受讀誦爲人解說。〔‘樂小法者、Hĩnãdhimuktika.
須菩提在在處處若有此經一切世間天人阿修羅所應供養
當知此處則爲是塔皆應恭敬作禮圍遶以諸華香而散其處
持經〔ぢきやう〕功德〔くどく〕分第十五
「須菩提。
もし善男子、善女人あり、初めての日に恒河沙に等しく身もて布施し、中の日に復た恒河沙に等しく身もて布施し、後の日に亦た恒河沙に等しく身もて布施せり。
かくにかかる無量・百千萬億劫〔こふ〕、身もて布施せり。
もし復た人あり此の經典を聞き信心し不逆にせばその福、かれに勝らん。
なにを况んや書寫し、受持し、讀誦し、人が爲に解き說かんを。
須菩提。
要もて此れ言す。
此の經、不可思議、不可稱量、無邊の功德あり。
如來、大乘を發す者が爲に說き、最上乘を發す者が爲に說きゝ。
もし人あり、よく受持し讀誦し、ひろく人に說かば、如來ことごとく此の人を知り、ことごとく此の人を見、みな不可量、不可稱、邊[岸邊]だにもなき、不可思議の功德こそ成就せん。
かかる人ら、すなはち如來が阿耨多羅三藐三菩提を荷擔〔かたん[荷担]〕すとす。
何の故に。
須菩提。
もし小法を樂[願]へば我見、人見、衆生見、壽者見に著す。
すなはち此の經を聽き受け、讀誦し、人に解き說くあたはず。
須菩提。
在りあれる處どころにもし此の經あり、一切が世間の天、人、阿修羅らまさに供養せば、…まさに知れ。
此處すなはち此れ塔となし、皆まさに恭敬〔くぎやう〕し、作禮〔されい〕し、圍遶〔ゐねう〕し、かくてもろもろの華香〔けかう〕もて散り散らされん。
〇16
能淨業障分第十六
「復次須菩提善男子善女人受持讀誦此經
若爲人輕賤是人先世罪業應墮惡道以今世人輕賤故先世罪業則為消滅
當得阿耨多羅三藐三菩提
須菩提我念過去無量阿僧祇劫於然燈佛前得値八百四千萬億那由他諸佛悉皆供養承事無空過者
若復有人於後末世能受持讀誦此經所得功德於我所供養諸佛功德百分不及一千萬億分乃至算數譬喩所不能及
須菩提若善男子善女人於後末世有受持讀誦此經所得功德我若具說者或有人聞心則狂亂狐疑不信
須菩提當知是經義不可思議果報亦不可思議
能淨〔のうじやう〕業障〔ごつしやう〕分第十六
「また次に須菩提。
善男子、善女人、此の經を受持し讀誦しもし人に輕んじられ賤しめられんに、…此れ此の人、先世の罪業もてまさに惡道に墮すべくも、今の世に人、輕んじ賤しむが故に先世が罪業すなはち消滅し、かくてまさに阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
「須菩提。
われ過ぎ去りし無量・阿僧祇〔あそうぎ〕の劫を思ふに、然燈佛が前に値ひ八百四千萬億の那由他〔なゆた[數量單位]〕の諸佛ら、ことごとに皆、供養し承事〔しようじ〕し空しく過ぐる者なし。
もし復た人あり、後の末世によく此の經を受持し讀誦し得たる功德、
それ我が供養せる諸の佛の功德だにも百分の一にも及かず、千萬億分、ないし算ふる數また譬ふることばもそれに及かず。
「須菩提。
もし善男子、善女人、後の末世に此の經を受持し讀誦すありて得たる功德、我もしつぶさに說かば、或は人ありて聞き心すなはち狂亂し狐疑し不信ならん。
須菩提。まさに知れ。
此の經が義、不可思議なりて果報また不可思議なり。
〇17
究竟無我分第十七
爾時須菩提白佛言
「世尊善男子善女人發阿耨多羅三藐三菩提心云何應住云何降伏其心
佛告須菩提
「善男子善女人發阿耨多羅三藐三菩提‘心者當生如是心〔大正大藏本作心字无註云提下三本俱有心字今從國譯本
我應滅度一切衆生滅度一切衆生已而無有一眾生實滅度者
何以故須菩提若菩薩有我相人相衆生相壽者相則非菩薩
所以者何須菩提實無有法發阿耨多羅三藐三菩提‘心者〔大正本心无註云提下三本宮本俱有心字
須菩提於意云何如來於然燈佛所有法得阿耨多羅三藐三菩提不
「不也世尊如我解佛所說義佛於然燈佛所無有法得阿耨多羅三藐三菩提
佛言
「如是如是須菩提實無有法如來得阿耨多羅三藐三菩提
須菩提若有法如來得阿耨多羅三藐三菩提者然燈佛則不與我‘授記〔‘授字大正本作受字註云受字明本作授下附`同字同今從流布諸本
汝於來世當得作佛號釋迦牟尼
以實無有法得阿耨多羅三藐三菩提是故然燈佛與我`授記作是言
汝於來世當得作佛號釋迦牟尼
何以故如來者即諸法如義
若有人言如來得阿耨多羅三藐三菩提
須菩提實無有法佛得阿耨多羅三藐三菩提
須菩提如來所得阿耨多羅三藐三菩提於是中無實無虛
是故如來說一切法皆是佛法須菩提所言一切法者即非一切法是故名一切法
須菩提譬如人身長大
須菩提言
「世尊如來說人身長大則爲非大身是名大身
「須菩提菩薩亦如是
若作是言我當滅度無量衆生則不名菩薩
何以故須菩提實無有法名爲菩薩是故佛說一切法無我無人無衆生無壽者
須菩提若菩薩作是言我當莊嚴佛土是不名菩薩
何以故如來說莊嚴佛土者即非莊嚴是名莊嚴
須菩提若菩薩通達無我法者如來說名眞是菩薩
究竟〔きぎやう〕無我〔むが〕分第十七
その時、須菩提白して佛に言さく
「世尊。
善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を發し、如何にまさに住すべきや。
如何にその心、降伏すべきや。
佛、告げて須菩提に言さく
「善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を發さばまさにかくなる心を生ぜん、——我まさに一切が衆生を滅度せん、一切が衆生を滅度しをはりて一つの衆生の實に滅度すなし、と。
何の故に。
須菩提。
もし菩薩、我相、人相、衆生相、壽者相あらばすなはち菩薩にあらず。
ゆゑんは如何ん。
須菩提。
實には法ありて阿耨多羅三藐三菩提の心を發する者はなし。
須菩提。
意に如何ん。
如來、然燈佛が所に法ありて阿耨多羅三藐三菩提を得きや。
「否なり。世尊。
われ佛が說きたる義を解くに、佛、然燈佛が所に法まさになくして阿耨多羅三藐三菩提を得き。
佛言さく
「かくなり。かくなり。
須菩提。
實に法だになくて如來、阿耨多羅三藐三菩提を得き。
須菩提。
もし法ありて如來、阿耨多羅三藐三菩提を得ば、然燈佛すなはち我にかくの授記、——汝、來世にまさに佛となり得、かくて號して釋迦牟尼〔しやかむに〕と曰すと、かの授記を與ふるはなかりき。
實に法まさになくして阿耨多羅三藐三菩提を得き。かかりて然燈佛、我に授記してかくに言さく、——汝、來世にまさに佛となり得、號して釋迦牟尼と曰す、と、かの授記を與へき。
何の故に。
如來、即ち諸法の義に如く。
もし人ありて言さく、如來は阿耨多羅三藐三菩提を得き、と。
須菩提。
實には法まさになくて佛、阿耨多羅三藐三菩提を得き。
須菩提。
如來が得たる阿耨多羅三藐三菩提、此の限りに於きて無實なりて無虛なり。
かかりて如來は說きゝ、一切が法みな此れ佛法なり、と。
須菩提。
言せる一切の法は即ち一切の法にあらず。
かかりて一切の法と名づく。
須菩提。譬へば人の身の長大なるが如し。
須菩提言さく
「世尊。
如來は說きゝ、人身長大すなはち大身にあらずとす、此れ大身と名づく、と。
「須菩提。
菩薩またかくなり。
あるひはかくに言さく、——我まさに無量の衆生を滅度しすなはち菩薩と名づけず。
何の故に。
須菩提。
實には法に名づけ菩薩となすはまさになし。
かかりて佛は說きゝ、一切の法、それ無我にして、無人にして、無衆生にして、無壽者なり、と。
須菩提。
あるひは菩薩かくに言さく、——我まさに佛土を莊嚴す、と。
此れ菩薩と名づけず。
何の故に。
如來は說きゝ、佛土を莊嚴するは即ち莊嚴にあらず、此れ莊嚴と名づく、と。
須菩提。
あるひは菩薩、無我の法に通達するを如來は說きて眞に此れ菩薩と名づく。
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