金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)——ダイヤモンドに如く智慧、…彼方なる叡智を說くスートラ。原文、書き下し文。2
漢文原文は據大正大藏インターネット版
書き下し文及訓は據國譯大藏經經部第三卷國民文庫刊行會發行
奧書云、
大正七年四月廿八日印刷同月三十日發行
大正八年一月廿八日再版發行
昭和二年五月廿五日三版發行
昭和十年十二月廿八日四版發行
譯者山上曹源識の署名あり。
但し一部の文章を改めた。訓は底本儘。
〇7
無得無說分第七
「須菩提於意云何如來得阿耨多羅三藐三菩提耶如來有所說法耶
須菩提言
「如我解佛所說義無有定法名阿耨多羅三藐三菩提亦無有定法如來可說
何以故如來所說法皆不可取不可說非法非非法
所以者何一切賢聖皆以無爲法而有差別
無得〔むとく〕無說〔むせつ〕分第七
[佛言さく]
「須菩提。
意に如何ん。
如來、阿耨多羅三藐三菩提を得きや。
如來に說く法はありや。
須菩提言さく
「われ佛の說ける義を解かば、定まれる法、名を阿耨多羅三藐三菩提と言す、此れまさになし。
また定法〔ぢやうほふ〕たる如來の說くべきも、此れまさになし。
何の故に。
如來が說ける法、此れみな取るべからずして說くべからず。
法にあらずして非法にもあらず。
ゆゑんは如何ん。
一切の賢聖〔けんじやう〕、みな無爲が法もてしかも差別〔しやべつ〕あり。
〇8
依法出生分第八
「須菩提於意云何
若人滿三千大千世界七寶以用布施是人所得福德寧爲多不
須菩提言
「甚多世尊
何以故是福德即非福德性是故如來說福德多
「若復有人於此經中受持乃至四句偈等爲他人說其福勝彼
何以故須菩提一切諸佛及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法皆從此經出
須菩提所謂佛法者即非佛法
〇8
依法〔えほふ〕出生〔しゆつしやう〕分第八
「須菩提。
意に如何ん。
もし人、滿つる三千大千世界が七寶もて布施せば、此の人の得る福德、むしろ多きや否や。
須菩提言さく
「はなはだ多き。
世尊。
何の故に。
此の福德即ち福德の性〔しやう〕にあらず。
かかりて如來、福德多しと說きゝ。
「もし復た人り、此の經中に受持しないし四句の偈等に受持し他人が爲に說く。
その福かれにも勝れり。
何の故に。
須菩提。
一切が諸佛、及び諸佛が阿耨多羅三藐三菩提の法、みな此の經より出づ。
須菩提。
いはゆる佛法、即ち此れ佛法にあらず。
〇9
一相無相分第九
「須菩提於意云何須陀洹能作是念我得須陀洹果不
須菩提言
「不也世尊
何以故須陀洹名爲入流而無所入不入色聲香味觸法是名須陀洹
「須菩提於意云何斯陀含能作是念我得斯陀含果不
須菩提言
「不也世尊
何以故斯陀含名一往來而實無往來是名斯陀含
「須菩提於意云何阿那含能作是念我得阿那含果不
須菩提言
「不也世尊何以故
那含名爲不來而實無‘不來是故名阿那含[大正大藏不來二字作來一字、註云來字前明本有不字、今改據文意
「須菩提於意云何阿羅漢能作是念我得阿羅漢道不
須菩提言
「不也世尊何以故
實無有法名阿羅漢世尊若阿羅漢作是念我得阿羅漢道即爲著我人衆生壽者
世尊佛說我得無諍三昧人中最爲第一是第一離欲阿羅漢
我不作是念我是離欲阿羅漢
世尊我若作是念我得阿羅漢道世尊則不說須菩提是樂阿蘭那行者
以須菩提實無所行而名須菩提是‘樂阿蘭那行[樂阿蘭那行者六字、Araṇāvihārin
一相〔いつさう〕無相〔むさう〕分第九
「須菩提。
意に如何ん。
須陀洹〔しゆだをん〕[にある者ら、]よくかくに思ふ。
われ須陀洹の果〔くわ〕を得きや否や、と。[須陀洹、srotaāpanna、流れに入りしもの。修行の初段にあるもの]
須菩提言さく
「否なり。世尊。
何の故に。
須陀洹を名づけ流れに入るとなし、しかも入るところなく、色、聲、香、味、觸、法に入らず。
これをこそ須陀洹と名づく。
「須菩提。
意に如何ん。
斯陀含〔しだごん〕[にある者ら、]よくかくに思ふ。
われ斯陀含の果を得きや否や、と。[斯陀含、sakṛdāgāmin、地に再び生まれ覺るもの]
須菩提言さく
「否なり。世尊。
何の故に。
斯陀含を名づけ一たび往きて一たび來たるとなし、實には往來なし。
これをこそ斯陀含と名づく。
「須菩提。
意に如何ん。
阿那含〔あなごん〕[にある者ら、]よくかくに思ふ。
われ阿那含の果を得きや否や、と。[阿那含、anāgāmin、還らざり來たらざるもの]
須菩提言さく
「否なり。世尊。
何の故に。
阿那含を名づけ來たらざるとし、實には來たらざるも無し。
此れ故に阿那含と名づく。
「須菩提。
意に如何ん。
阿羅漢〔あらかん〕[にある者ら、]よくかくに思ふ。
われ阿羅漢の道を得きや否や、と。[阿羅漢、arhat、最も覺りたるもの]
須菩提言さく
「否なり。世尊。
何の故に。
實には法の名に阿羅漢と名づくはまさに此れなし。
世尊。
もし阿羅漢かくに思さく、われ阿羅漢の道を得き、と。
それ即ち我、人、衆生、壽者に著す。
世尊。
佛は說きゝ、
われ無諍〔むじやう〕三昧〔さんまい〕得て人中に最も第一なり。
此れ第一の離欲の阿羅漢なり、と。
我かくには思はず、われ離欲の阿羅漢なり、とは。
世尊。
我もしかくに、われ阿羅漢の道を得きと思はば、…世尊よ。
世尊はすなはち須菩提は此れ阿蘭那〔あらんな〕の行を樂[願]ふ者とは說かじ。
須菩提、實に行ずるところなきもて、須菩提、此れ阿蘭那の行を樂[願]へりと名づく。[阿蘭那、araṇya、靜處、閑處]
〇10
莊嚴淨土分第十
佛告須菩提
「於意云何如來昔在‘然燈佛所於法有所得‘不〔不字下三本宮本有不也二字[然字中國語版諸本作燃字今從大正本及國譯本下同
「不也世尊如來在然燈佛所於法實無所得
「須菩提於意云何菩薩莊嚴佛土不
「不也世尊何以故莊嚴佛土者‘則非莊嚴是名莊嚴〔則字明本作即字以下附`同字同
「是故須菩提諸菩薩摩訶薩應如是生淸淨心不應住色生心不應住聲香味觸法生心應無所住而生其心
「須菩提譬如有人身如須彌山王於意云何是身爲大不
須菩提言
「甚大世尊何以故佛說非身是名大身
莊嚴〔しやうごん〕淨土〔じやうど〕分第十
佛、告げて須菩提に言さく
「意に如何ん。
如來むかし然燈佛〔ねんとうぶつ〕が所にありき。[然燈佛、Dipankara、予言者。授記者。釋迦に予言す、汝最上尊とならん、と。]
法に得るところありや。
「否なり。世尊。
如來、燃燈佛が所にありて法に實に得るところなし。
「須菩提。
意に如何ん。
菩薩、佛土を莊嚴するや。
「否なり。世尊。
何の故に。
佛土を莊嚴し、即ち莊嚴にあらず。
これを莊嚴と名づく。
「かかりて須菩提。
諸の菩薩摩訶薩まさにかくなる淸淨〔しやうじやう〕の心、生ざせよ。
まさに色に住し心生ざすなかれ。
まさに聲、香、味、觸、法に住して心、生ざすなかれ。
まさに住すところなくてその心、生ざせよ。
須菩提。
譬〔たと〕へて人あり。
身は須彌山〔しゆみせん〕王〔わう〕に如く。
意に如何ん。
この身、大なりや。
須菩提言さく
「はなはだ大なり。世尊。
何の故に。
佛、說ける非身、これこそ大身と名づく。
〇11
無爲福勝分第十一
「須菩提如恒河中所有沙數如是沙等恒河於意云何是諸恒河沙寧爲多不
須菩提言
「甚多世尊但諸恒河尚多無數何况其沙
「須菩提我今實言告汝若有善男子善女人以七寶滿爾所恒河沙數三千大千世界以用布施得福多不
須菩提言
「甚多世尊
佛告須菩提
「若善男子善女人於此經中乃至受持四句偈等爲他人說而此福德勝前福德
無爲〔むゐ〕福勝〔ふくしよう〕分第十一
「須菩提。
恒河〔ごうが[ガンジス川]〕が中にあらゆる沙の數、かかる沙にも等しく恒河ありとす。
意に如何ん。
此の諸の恒河沙〔ごうがしや〕、むしろ多きや否や。
須菩提言さく
「はなはだ多し。世尊。
ただ諸の恒河だに多くして無數なり。
なにを况んやその沙を。
「須菩提。
われ今まさに言して汝に告ぐ。
もし善男子、善女人あり、七寶もて滿その恒河沙なる數の三千大千世界にも滿たして布施す。
その得たる福、多きや。
須菩提言さく
「はなはだ多し。世尊。
佛、告げて須菩提に言さく
「もし善男子、善女人、此の經が中、ないし四句偈等に受持し他人が爲に說けば此の福德、前〔さき〕の福德にも勝らん。
〇12
尊重正敎分第十二
「復次須菩提隨說是經乃至四句偈等當知此處一切世間天人阿修羅皆應供養如佛塔廟
何况有人盡能受持讀誦
須菩提當知是人成就最上第一希有之法若是經典所在之處即爲有佛若尊重弟子
尊重〔そんじゆう〕正敎〔しやうけう〕分第十二
「また次に須菩提。
この經に、乃至四句偈等に隨ひて說かば、…まさに知れ。
まさに此處、一切が世間の天、人、阿修羅ら皆まさに供養し、佛が塔廟〔たふめう〕の如からんを。
なにを况んや、人あり、よく受持し讀誦し盡すを。
須菩提。
まさに知れ、此の人、最上・第一なる希有の法成就せん。
もし此の經典がある處、即ち佛もしくは尊重の弟子らあることを知れ。
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