修羅ら沙羅さら。——小説。37


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。


修羅ら沙羅さら

一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部

蘭陵王第二



ゴック・アインはそしてさゝやいた。いまだ目をひらかない儘に壬生を眼の前に、曇りの日のたゞやわらかにしかならない日差しの横殴りの中に立たせて、そして、(目を、)あなたは自分でするんだよ。そう(目を閉じたまゝで、)さゝやき、彼は、自分で。…と、例えば俺に愛された、あくまでも自分を(——じぶんだけを、)思いながら。あえて、(——かんがえないで)俺のからだなど、俺のことなど、そもそも(あなたのにくたいいがいには、)俺がこの世界の中にあなたを愛して、そして(——かんがえないで)あなたに愛されて存在してまさに、今まさに(——じぶんだけを、)あなたをだけ(——…ね?)見つめて生きていることをなど(——もう、それいがいには)忘れて、と「…できないよ。」壬生は云った。すでにゴック・アインの言葉のやさしい色に微笑みさえしながら自分で、彼の目の前に彼の言ったとおりに從いながら。飽く迄も、(——聞いて。)心の内にまでも。そして壬生は聞いた。それ(——なにが聞こえる?)その時に、ゴック・アインがさゝやいた言葉。彼が(なにが)壬生を彼の眼の前だけに、曇りの日の潤いのうちにも乾き(なにを聞いた?)渇きの内にも潤った遠い水浸しの気配をだけさらしたその日差しの(嘘をつかないで)横殴りの中に放置して、そして、あなたは軽蔑しなければならない。そうさゝき、彼は(ぼくを感じないで)自分を。まさにあなたは穢い家畜以下の存在に過ぎないから。まさに(——ぼくを感じないで)他の誰もとおなじように。あなたが軽蔑し、愚弄する、その(——ぼくに気づかないで)目に映ったすべてのことごくと同じく、まさにあなたは(——ぼくはふれた)下等な家畜以下の家畜だから。あなたは(——ゆびさきで)軽蔑し、あざやかに(——ゆびさきだけで)軽蔑し、自分のことごとくを(——感じないで)軽蔑しなければならない。感じる?(ぼくを感じないで)見えた?(——ぼくを、)その目を閉じたまゝの眼差しの中に、あざやかに(——ふれた)見える?あなたは(——ぼくのゆびさきは)穢い。その鼻こそは。わたしの(そのみぞおちに)体の匂いを貪る家畜の鼻は。あまりにも穢く、そして(——みぞおちのくぼみに)吐き気さえしない。見える?(——ふれた)あなたは穢い。その唇こそは。わたしの(息をしないで)肌をしゃぶりつくそうとしている、飢えた(——ね、)家畜の唇は。あまりにも穢く、吐き気さえしない。見える?あなたは(——もう、)穢い。その(もうこきゅうさえしなくていいよ。)齒こそは。わたしを咬みつこうとしているみだらな(——感じないで)家畜の齒は。あまりにも(ぼくを)穢く、吐き気さえしない。見える?(ぼくだけを)あなたは穢い。その(——ぼくだけは感じないで)舌こそは。わたしに餓えた、飢える事しか知らない貪婪の(——ふれた)家畜の舌は。あまりにも(——そのいきづいた)穢く、吐き気さえしない。見える?(——ふっきんのすじに、)あなたは穢い。その(——ふれる)肌こそは。わたしを思ってしたゝらせた汗も、その(——かすかで、あきらかな)匂いも、それら(…彎曲。)家畜の息吹きは。あまりにも穢く、吐き気さえしない。見える?あなたは(——ふれた)穢い。その鼻こそは。わたしを求めたその(——くぼむ。)骨格の、愚かしい化け物じみた(いきなりのくぼみ。)奇怪な異形の不細工ぶりを(感じる?)あなたは(——ね?)知らないのか?その家畜の(その、あからさまな)骨格は。あまりにも(おへそのかんぼつ。)穢く、吐き気さえしない。見える?あなたは穢い。その(しってる?)筋肉も脂肪も。わたしのそれらをすゝり上げたいんだろう?餓えるしかない家畜の貪婪は。死んで(ぼくを感じないで)腐敗してさえ穢く、生きて(ぼくを、)生き生きとしてまさにあまりにも(——ぼくを感じないで)穢く、吐き気さえしない。見える?あなたは(——しってた?)穢い。その生殖器こそは。わたしを本能のまゝに(——宇都ク斯伊)貪りそこにお前だけの魂の(——しってた?)高貴を(——ね、)擬態する。知ってるか?あなたのそれの(——麻沙爾宇都久シ伊)かたちは、そしてそもそもの繁殖の(——感じた?)仕組みのことごく自体が(——しってた?)家畜以下の莫迦げた愚昧以外の無いものでもない。あまりにも(——わかった?)穢く、吐き気さえしない。見える?(——ばれた?)あなたは(——阿那タ波)穢い。その(——宇都ク志伊。麻沙爾)神経こそは。わたしを感じる爲だけに鋭敏になった冴えて張りつめた家畜の神経は。いつでも(——麻沙爾阿那多ハ宇都久斯い)お前自身をだけ感じて(——しってる?)お前に噎せ返った。お前が愛したあるいは(——しってた?)ふれ或いは感じたすべてのものの爲に命を以て(——僕等波)償え。償い得る価値もない命で、(——僕良波麻サ爾)百千憶の百千憶乘の百千憶倍までも。そして(——麻サ爾宇都久志久那ケ禮バ那良那い)その、あなたの腦そのものさえも、あまりにも(——しってた?)穢く、吐き気さえしない。見えた?あなたは穢い。その目こそは。あまりにも(——僕ら者狂暴故)穢く、吐き気さえしない。だから(——故是)まさに、と。壬生は(——媺シ久姚シ久美シ久麗シ久那計禮波)聞いた。ゴック・アインが、そしてひと際甲高く笑ってそしてその聲に邪気はなくそしてあどけないほどに何の影さえなかったのを壬生はひとり聞きそしてかくて偈を以て頌して曰く

   ぼくは、見てあげる

    …家畜

   息さえひそめないで

    …穢い家畜

   それでもぼくは見てあげる

    …糞まみれの穢い家畜、——と

   ゴックアインはそう云った

    俺の目の前で四つん這いになって

   ささやくように

    ひっくり返って

   つぶやくように

    目閉じた儘無理やりひっくり返って

   ぼくは、いま、見てあげてるよ、と

    そして仰向けに四つん這いになれ

   かすかに、わすてしまいそうなほどに、彼はひとりであざらわうように

    …家畜

   かすかに、きおくさえできないくらいに、彼はひとりでいつくしむように

    …俺の家畜

   ぼくは、ずっと、見てあげてるよ、と

    …俺を愛する爲だけ生まれた穢い家畜

   なげくように

    背骨ののけぞった

   わたしの爲だけに歎き

    背筋を伸ばし切った

   ぼくは、…ね?見てあげてるよ、と

    痙攣の四つん這いの仰向けの家畜は

   なげくように

    そのまま右足だけ上にあげて

   じぶんの爲だけに歎き

    腹につくほどに

   ぼくは、しってる?見てあげてるよ、と

    その汗まみれの震える腹につくまでに

   なげくように

    まっすぐに曲げないで挙げて

   わたしとわたしには他人に過ぎなかったじぶんの爲だけに歎き

    そして隱しようのないものすべてを曝しながら

   ぼくは、いまも見てあげてるよ、と

    …家畜

   なげくように

    …穢い家畜

   他人の、すべての爲だけに歎き

    今君はのけぞったままで

   ぼくは、ひとりで見てあげてるよ、と

    その儘首だけ胸に着けなければならない

   なげくように

    崩れないように

   じぶんの見た他人のすべての爲だけに歎き

    崩れたら俺はあなたを捨てる

   ぼくは、まばたきさえしないで、けなげなほどに見てあげてるよ、と

    あなたが罵倒されたいなら讃えよう

   なげくように

    あなたが賛美を求めるなら屈辱を

   他人の知るじぶん、それら眼差しの見た彼のすべての爲だけに歎き

    どちらでもよければあなたを完全に忘れよう

   ぼくは、見てあげてるよ、見ている事さえわすれて、と

    口だけを開けろ

   なげくように

    出来るだけななめに

   すべての、彼が感じ彼が見たすべての爲だけに歎き

    できる以上に斜めに、そして

   ぼくは、そして見つづけてあげてるよ、と

    突き出した舌で自分の鼻を嘗め続ければいい

   なげくように

    …家畜

   すべての、彼が感じ彼が見たすべての爲だけに歎き

    …永遠に穢い

   ぼくは、身動きさえしない儘に見てあげてるよ、と

    …うまれる前から

   なげくように

    …うまれる可能性のあった前から

   すべての、彼が感じ彼が見る軈てのすべての爲だけに歎き

    …すでに穢かった家畜

   ぼくは、…聞こえる?僕の、——聞かないで、僕は、見てあげてるよ、と

    あなたは左腕を上げて

   なげくように

    そして背中にまっすぐにのばさなければならない

   すべての、彼が感じ彼が見なかったすべての爲だけに歎き

    そのもはや全身で痙攣する筋肉の

   ぼくは、あなたは知ってる、僕はまさに、ぼくは見てあげてるよ、と

    絶望的な悲鳴じみた発熱だけを感じて

   なげくように

    尻の先にまでまっすぐのばし

   すべての、彼が感じ彼が見ていたすべての爲だけに歎き

    なににも触れない儘で

   ぼくは、と

    あなたは突き刺した自分の指に感じればいい

   なげくように

    まさにその内側の温度を

   すべての、彼が感じ彼が見ているすべての爲だけに歎き

    わたしのそれをだけ妄想しなががら

   あなたは?

    垂れおちる涎を必死にすすり上げながら

かくに聞キゝかクて壬生目を開け開キたる眼差シにみづからのすでに覺めてあることに気付きゝ壬生床の上に横たわりてうツぶせにその全裸を曝シ壬生いまや気付きゝ肌にまさに床にふれたる肌の肌ゝそのさまざまに床の堅み又壬生気付きゝその冷みたる温度ありきかくて壬生の目に目の前に脱ぎて捨てられたるみづからの着衣さマざまにかさなりて捨てられまたかさなるようにゴック・アインが衣服脱ぎすてらレて散乱しをりき壬生恠しみてその觀じたる恠しみをまさに恠しむ即ち何ぞ我れ恠しむるやと迦久也故に壬生身を起こさんとして四肢に伸びたる筋の痛ミの拡がるに息を止メかクて彼うヅくマるマゝに痛みを觀ジ感じて壬生觀ジをはるともなくに気付きて即ち壬生ゴック・アインが姿見あたらざりきことに壬生ハ気付キゝ壬生立ち上がりテ寝室にゴック・アインを探シき寝台にシーツ掻かレたルかに寢みだれたる気配名殘らタるのミなりてかの人はあらざりき又窓そとに外彌雨降らさんとしてその翳り濃くシたダ暗く昏く昬がりて冥き壬生ひとり思ひて是まさに雨降らなんと心に想ヒて壬生寝室出づルに居間にもゴック・アインがすがた気配さえなくてそレ三面窓の明るきに最早明るさ兆シさえもせずにすでに日の暮れて過ぎたるかにも感ジらるがまでに外彌雨降らさんとシてその翳り濃くし于時ただ暗く昏く昬がりて冥き思いあぐねたる壬生思わずに目を伏せふたゝビ目を擧げテ目に窓の外ノ暗き森林の翳りのミ見キ故に壬生思わずにふたタび目を伏せミたび目を挙げて目に窓の外ノ暗き森林の翳りのみ見て覩る中に于時ゴック・アインの裸形の庭の隅に一人立ちて上をのミ見上げて首のミ見上げ擧ゲテ身じろぎもせぬを見きかくて壬生ひそかにひとり心に歓喜シ笑ミてかクて頌シて

   あなたに話そう。

    覺えていた、わたしは

   まさにあなたの爲に話そう。

    その雨

   明け開かれた儘のドアから出ようとするときには、すでに聞いた。

    その降りしきった豪雨のなかでも

   すでに、わたしの耳は湿気が地の表面の平板に、隠されたどこからかからか一気に盛り上がって、わたしをも

    ——いたい?

   わたしをも含めたすべてを丸ごと飲み込んでしまった、と。

    と、わたしの肉体をまさに苦しめ

   そう思った須臾も無い刹那に、わたしの耳は聞いていた。すでに

    まさに肉体をだけ苦しめ

   空間の総てが轟音に満たされたのを、まるで、まさに

    傷め、なぶり、いためつけて

   空の行きどまりの表面から崩壊した破綻の音の集合の塊りのようにして

    わたしには手もふれずに

   下からも

    わたしを痛みの無数の

   上からも

    無際限のうちに

   堕ちてわたしをも含めたすべてを丸ごと飲み込んでしまった、と。

    失神させたときに

   そう思った雨の轟音を。大粒の叩きつける雨粒のあまりにちいさな巨大の巨大すぎる集合の無際限は最早

    覺えていた

   外に出た瞬間の私の素肌をずぶ濡れにしてしまう前にはまさに私を

    その雨

   海に遠く離れた田園地帯の先の森林地帯の真ん中で溺れさせ

    豪雨の中にあってさえ

   窒息の内にも溺死させようともくろむに思えて、たしかにそれは、

    肉体を捻じ曲げたわたしは

   風も無くまっすぐに落ちてくる豪雨は明らかに暴力の無慈悲な奔流に他ならず、ゆゑに

    指先の感じた温度の穢さを心から

   わたしは聲をさえ立てられ無い儘に、ゆゑに

    事実として他人のそれとして厭い

   わたしは息をさえ水浸しになりながらかろうじて吸い込み、ゆゑに

    軽蔑し、まさに

   わたしは振るえる唇と唇の中に震えた齒と齒ゝに咬みつかれた舌に痛みを、そして舌を震わせながら吐き、息を、ゆゑに

    吐き気さえする汚穢として

   わたしは明けられないないし明けきれない瞼をかすかにだけ開き、あえて何かのかたちの残像だけは見たと擬態し、ゆゑに

    ささやく、彼は

   わたしは四方に手をのばして何かにせめてさわろうとし、ゆゑに

    みみもとで、ききとれないほどの

   わたしは四維に手をのばして何かのかたちをせめて確認しようとし、ゆゑに

    微弱な、やさしい

   わたしはよろめきながら、つまづきながら、あきらかに、鮮明に肉体が肉体の危機に瀕したことを知った、ゆゑに

    ——こわれて

   わたしはころびかけながら、身を雨の中にひとりで折りまげながら、無様に、まさに無惨にも無様に、ゆゑに

    ——じぶんで。誰の手もかりずに

   わたしは知った、たしかに私と私の肉体は、——精神は?まさに危機を咬んでいた。そのゆゑに

    ——自分で。あなただけで自分の体を

   わたしは知った、おそらく此の儘私は死んで仕舞うのに違いないと、そんな在り得ない妄想を事実に感じて、ゆゑに

    ——そして心まで

   わたしは知った、この期に及んでなおも私は確信してはいなかった。自分がいま、まさに死んで仕舞うと等は、ゆゑに

    ——壊れて。そして

   わたしは知った、危機に瀕した肉体は、その機能は、だからまさに生きて居たのだった、ゆゑに

    ——見せて。僕にだけ、あなたが

   わたしはゆびさきが誰かの肌に触れた時に、それを知ったわたしは

    ——自分でだけ壊れるのを

   思った、するどく

    知っていた。すでに

   すどく叫ぶような一瞬として、ゆびさきが誰かのずぶ濡れの肌に触れた時に、それを知ったわたしは

    肉体は、肉体に苦痛のある肉体の存在を。知っていた、

   思った、するどく

    肉体は、肉体に咬みついた苦痛に咬み、噛みつき

   するどく叫ぶような一瞬として、ゆびさきが誰かの肌に散り玉散り散る飛沫に触れた時に、それを知ったわたしは

    咀嚼し合う貪婪の苦痛の肉体に感じられた肉体の苦痛を、知っていた

   思った、するどく

    ささやくのを、彼が、耳もとで

   するどく叫ぶような一瞬として、ゆびさきが誰かのやわらかな肌のつめたい硬直に触れた時に、それを知ったわたしは

    やさしくついた嘘のようなあどけなさで、そっと

   思った、するどく

    ——死んで。むしろ

   するどく叫ぶような一瞬として、ゆびさきが誰かの肌の縱の洪水の中の筋肉の震えに触れた時に、それを知ったわたしは

    ——生きた儘そこで、いま

   思った、するどく

    ——いちばん屈辱的にひとりで

   するどく叫ぶような一瞬として、それはまさにゴック・アインだと思った時にはすでに

    ——だれよりも悲惨に、自分で

   わたしは抱いていた。彼に抱きしめられながら、私は彼を

    ——死んで。生きながら、そこで

   抱き、羽交い絞めするようなその腕の中に抱きしめられた私はうでに

    ——我慢しないでいいよ。その

   抱き、羽交い絞めにして肉体を

    ——耐えられずに溢れようとするものを

   その骨格ごと打ちのめそうとした私は、かれの、その猛る高揚の、体温さえない雨の

    ——引き攣け、ただ痙攣する肉体に

   雨の中の冷酷な殴打の中に、吸われて、貪るように、彼はすでに、殴り付けるように私は彼の唇を

    ——漏れだそうとするものさえも

   奪い、何もかもが、まさに雨に

    ——失禁の匂いの中で

   轟音に

    ——こわれて。ひとりで

   縱の洪水に

    ——じぶんで、あなたは

   濁流の色彩ない色のない瀑布の中に

    ——いま、こわれて

   感じったそれら、まさに

    ——咬み切っちゃえ、その

   私たちの生きた肉体の抱きしめ合った貪婪を、そして

    ——食み出した内臓じみた舌さえも

   すでに醒めた、冴えた意識の目覚め続けて事実の内に

    ——飲み込んじゃえ

   私は私の、ゴック・アインをも含めた愚劣さをはすでに知っていた。

    ——噛み千切って、そしてひとりで

所詮終日降り続く雨ではなかった。いわば通り雨、乃至叢がる周圍の茂った樹木にとっては一秒にも盈たない悪戯じみた大気の変動はすぐに盡きた。泥だらけの足を壬生は泥だらけの地の泥水に洗った。笑い、聲を立てて笑ったゴック・アインに、その素肌をさらした肉体の、ぬれて玉散る肌に戯れながら壬生は入り口近くのホースで水を浴びせた。ゴック・アインに、そしてみずから飛沫を、水流をあび、頭から水浸しになりながら見上げるともなくに垣間見た一瞬の上空に、ゴック・アインは知った。空は、——その曇る雲のぶ厚い上空の白濁は、いまだに切れ目に墜とした光さえも見ない、と。慥かに、と、見ない、白濁はその身のかたわらにすり抜ける光の直線を、と、見ない、白濁の遠い、とてつもなく遠い背後にじかに横溢したその光の氾濫をは、と、見ない、そのうつむいた地上への眼差しの中には、と、壬生はまさに、濡れて匂いった土の臭気のなかに巻き込まれてそしてなおも濡れて匂うゴック・アインの肌の悪臭を嗅いだ。かくて偈を以て頌して曰く

   たぶん、と

    もっと匂わせて

   わたしは、彼に

    あなたの匂いを

   たぶん、ここに、と

    その悪臭を

   彼に、居間で私の体をタオルに拭う

    おそろしいほど無様な

   ここに、俺、來よ、と

    その悪臭を

   彼に、まるで打ち明けるように

    罪もない鼻さえもが自分の存在に

   來るよ、明日、ここに…と

    恥じらいむしろ

   ささやく

    自分をこそ哀れむほどの

   ——謂ってたね

    鼻が自分で自分を噛み千切って

   上目遣いの彼が

    咀嚼してなきものに

   ——さっきも

    滅ぼして仕舞おうとしたほどに

   ひとりでわたしに

    明らかに臭い

   ——來るの?

    あなたの悪臭を

   そうささやくのをわたしは

    まさに、私に

   ——ここへ、…逃げて?

    わたしの鼻孔に縛り付けて

   聞いた

    そして張り付けて

   ——なにから逃げて來るの?

    流し込んでしまえばいい

   なにも、と

    無慈悲なまでに

   からだを拭う、彼の

    入りきらないほどに

   逃げるべき、なにも、と

    あなたの悪臭で満たし

   愛撫のような手つきに

    噎せ返る

   なにもなかった、もう、と

    悪臭のなかで鼻に

   ただ蠱惑的な、秘密めかした目つきに

    自分の有ること自体を屈辱として

   たぶん、と

    自覚させてしまえばいい

   いつでも何かを擬態せずにはられない、彼の

    穢い匂い

   俺にはもとから、逃げ出すべき、と

    肉の腐ったより穢いあなた自身の悪臭に

   表情のない黒目の色に

    あなたはすでに

   なにも、と

    凌辱されていたのだった

   そのものを翳らせた白濁に

    その時もすでに






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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