修羅ら沙羅さら。——小説。18
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
蘭陵王第二
寝室に見つけ出したレ・ハンに、思わず壬生は聲を立てて笑った。邪気も無く、そしてレ・ハンはただ、嘲弄するような不遜な眼差しの傲慢を、殊更に作って見せ、…あなたは。
と。
あなたの肌はいやらしく匂う。
わたしのせいで?
思い、独り語散るように喉の奥にだけさゝやき、そしてその眼差しに壬生を息をひそめながら(——渇いた?)見つめた。(——飢えた?)射す様に。ただ(——渇いた?)純粋に彼を(——渇きゝった?)侮辱しながら。壬生は(——まさに沙漠があふれ出た滂沱の涙さえ一瞬にして飲み干すように)その目の前にだけ、そのすがたを曝していた。かくて偈を以て頌して曰く
ハンの褐色の肌が汗を知る——かさなりあう
ざわめきたつのを知るだろう
それをリーは見ていたのだった——聞き取られ得る音さえもなく
肌はすでに
笑みながら——肌の上に。さらされた
肌それみずからのざわめきのざわめくおとが
時には笑い聲を立ててしまいそうになりながらも——その色彩の上に
ざわめきたつのを知るだろう
ハンが戯れて乳首を咬む——さまざまなヴィルスの生息
のどのおくに、肺さえもすでの
わたしのそれを——さまざまな命の群がり
いきづかう、いきのさまざまの
リーはベッドの端に腰かけ——群がる
さまざまにもその
蚊帳のさがった向こうに見ていた——かさなりあいながら、それら
ざわめきたったざわきめのおんどが
白い、時にゆらぎのある翳りの中に——いのちの群れが
ざわめきたつのを知るだろう
からむふたつの異なる褐色の色の戯れ——溶かし合いながら?
ふれあうものと、ふれあうものの
そのかたちの戯れを——お互いを
ふれあいのうちに
ハンはわざと聲を立てる——溶かし合いながら?
ざわめきたった、それら
いつもと違って、いままさに——それら、さまざまな
ざわめきの、おもさのある気配。その
女は男に抱かれて歓喜する——無際限なまでの
息吹きを
まさにそんな聲にリーを見て——群がる。命の
ざわめきたつのを知るだろう
見捨てた——群れの群がり、例えば
女はひらいた眼の中にも
軽蔑さえも匂わせながら——咀嚼し合いながら
かくに聞きゝレ・ハン一時廻る比には歸りきひとりみヅからのバイクに乘りて歸りタるなり是れユエン嘗て使ひタるを貸シ與へたルものナりき壬生リーを案じレ・ダン・リーをサがせりかくて探シて見當らズひとり知らレざルうちに歸りタるやらん迦久邇壬生思ひきタオ佛間が床に宇津布世天伏シき卧シて時に叫きゝチャンが持て來たルやらん食器喰ひをはらぬを東方の庭に捨て投げられタるを壬生は見きタオ四肢をすデに死にタるにも擬態させテ脱力させテありき宇津伏セなれば髪そノ顏と叫び聲をだに顏は覆ひきユエン歸りテ騒ぎ壬生にはしゃぐ迦邇母見ゑて言さく市場に感染者発見さレたり云々かクてユエンかの女のスマートホンに市場テープに封鎖さレたる写真見せりこノ市場日常に頻繁に通ふ市場なりき週末にもユエンと俱なりテ行きゝ子供ジみて案じタるを壬生あやスにも似てなだめてわざとに案じわざとに古度母じみて案じタるゆゑになだめ得ずシて壬生のち寝室にユエンを抱きゝいつもに變はらずユエン壬生の最後をは知らズ軈而腕に眠りき明けテ朝早くユエンめ覺メき未だ六時も回らず起こスともなくに壬生に戯れじゃれ弄びするに壬生メ醒メてユエンを抱くユエンこの時はじめて壬生のをはりたるを知りきユエンひとり素直に歓喜しきかくてシーツを触れて笑へり壬生恠しみて又ユエンが爲に笑みきかくて頌して
あなたに話そう。
まさにあなたの爲に話そう。
会社のスタッフも病院に行ったとユエンは云った。
義父の熱が下がらないから。
そして同じ通りの家に、感染者が出たことを知っていたから。
ユエンはそう云った。
——心配?
問うわたしにユエンは応えた。
勿論だ、と。英語で。
そして大聲をさえ上げた。
最悪よ!と。ベトナム語で。
なじるようにささやいた。
Troi oiと、…まったく、…なんてこと!、…やばい、…すごい!、…まじか!、…うそでしょ?、…ちょっとちょっと、…
Oh my god、と。日本語で。
思う。…あなたは、あなたを心配しているのだろうか?
あなたと、あなたのわたしと、あなたのあなたたちを。
その未来を。
行く末を。
あなたは、病院に行った同僚を心配しているのだろうか。
その家族を。
あるいは残されるかもしれない家族を。
その未来を。
行く末を。
コイが部屋を出てきた。
冷蔵庫に自分でひと口に捌いたスイカの切り身のタッパーを取りに。
そしてわたしたちのはす向かいに座った。
わたしが昔かった黒いテーブルの向こうに。
わたしが昔かった四脚の白い椅子にすわって。
あまりにもそれはいびつな趣味だった。
淡いグリーンのペンキを剥げかけさせた、その家に似合いはしないことは知っていた。
コイにもタンにも似合わないことは知っていた。
わたしにも、あるいはユエンにも、それなりのカフェでなければ似合わないことはしっていた。
スイカをすするように食べるコイの上半身裸の肉のたるみには、まさにあまりに不似合いだった。
笑うまでも無く、ないし哀れみに心が痛むまでに。
耳にコイの唇のすすり上げる音を聞いた。
歯と口蓋の咀嚼の音を聞いた。
テレビにユエンはニュースを流して居た。
コイは殊更に自分の意見をまくし立てた。
誰も答えなかった。
わたしたちはニュースの音声を聞いてた。
コイは殊更に自分の感想をのべた。
誰も答えなかった。
コイは罵倒した。コイは嘲笑した。コイは罵った。コイは憐れんだ。コイは軽蔑した。
日本に関するニュースにだけコイは深い同情と、又笑い聲を以てした。
私に気を使ったのだった。
それ以上に意味はない。
コイの眼をぬすんでユエンは口づけた。
私の額に。二度。
鼻の頭に。
一度。
タンがめずらしく帰ってきて、そしてユエンは罵るようにその日の結果を報告した。
タンに、今日のベトナム各地の新型コロナの惨状を。
かならずしも未だ悲惨には遠くいたらない、その。
アメリカに比べれば。イタリアに比べれば。スペインに、ブラジルに比べれば。そして日本に比べれば。
いつか中国は姿を消した。
二月の比をいまや、まさに單なる思い出の淡い影にしおおせて。
タンは喚くように騒いだ。
ユエンは叫ぶように騒いだ。
壁の向こうの、おそらく庭でタオが一人で月にでも吠えた。
號ばれた聲の狭間に、テレビの音声とコイのしゃぶりあげる音を、私は耳にだけ聞いた。
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