私本雜阿含經——漢文原文および書き下し文および現代語訳附語釈等若干2
雜阿含經(五十卷)〔ぞうあごんきょう、[梵]Saṃyukta Āgama、(相應部[巴]Saṃyutta Nikāya)〕
據大正大藏本No.99
雜阿含經卷第一
宋天竺三藏求那跋陀羅譯
〇2
如是我聞
一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園
爾時世尊告諸比丘
「於色當正思惟‘觀色無常如實知〔觀色二字大正作色一字、註云色字前三本俱有觀字、今從三本據後文
所以者何比丘
於色正思惟觀‘色無常如實‘知者於色欲貪斷〔色字及知字宋本无
欲貪斷者說心解脫
「如是受想行識當正思惟觀識無常如實知
所以者何
於識正思惟觀識無常者則於識欲貪斷
欲貪斷者說心解脫
「如是心解脫者若欲自證則能自證
我生已盡 梵行已立 所作已作 自知不受後有
如是正思惟無常苦空非我亦復如是
時諸比丘聞佛所說歡喜奉行
かく聞きゝ
一時、佛、舍衞國、祇樹給孤獨園にありき。
その時、世尊、告げて諸比丘らに言さく
「色に於てまさに正しく思惟し、色を觀てその無常をまこと[實]なるが如く知れ。
ゆゑんは如何に?…比丘らよ。
色に於て正しく思惟し、色を觀てその無常をまこと[實]なるが如く知りて、
かくて色に欲し貪るを斷つべし。
かくて欲貪を斷たば心は解脫を說かん。
「かくに受、想、行、識に於てまさに正しく思惟し、識を觀てその無常をまこと[實]なるが如く知れ。
ゆゑんは如何に?
識に於て正しく思惟し、識に無常を觀ればすなはち識に欲貪を斷たん。
欲貪を斷たば心は解脫を說かん。
「かくに心、解脫せばあるひは自ら證しせんとし、すなはちよく自ら證しせん
我が生はすでに盡きゝ
梵行すでに立ちき
なさるべきはすでになされき
自ら知れり。…後の有をは受けず、と。
かくなり。
かくに正しく無常を思惟せば、苦、空、非我また復たかくなり。
時に諸比丘ら、佛が說けるを聞き歡喜し奉行せり。
かく我聞きゝ。
その頃、佛は舍衞國にいた。
かの祇樹給孤獨園に。
それは棄てられた孤独者らに施しをした須達多が佛に捧げた祇陀の森の寺である。
かくて、世尊はもろもろの比丘らに告げて言った。
「色について、あなたはまさに正しく思惟しなければならない
色を觀て、その色の色なる色に無常の色々を
あなたは眞實の儘に知らなければならない。
どうして?…比丘らよ。
色に於て、あなたが正しく思惟し
色を觀て、その色の色なる色に無常をの色々を
あなたが眞實の儘に知るならば
かくて色に色の色づくまま欲し
かくて色に色の色どるまま貪るのは斷ち切るられるだろう
かくて欲貪を斷ち切ればあなたの心はささやきはじめる
色さわぐ色の色からの解脫を、——
「かくに受、想、行、識に於てまさに正しく思惟し
識を觀てその無常を眞實の儘に知れ
…どうして?
識に於て正しく思惟し、識を觀てその無常を
常なることのない識の常ならざるむなしさを知れば
あなたはその識に識する限りの欲貪を斷つだろう
欲貪を斷ち切れば心は解脫をだけささやく
「かくに心が解脫すれば、或は心は自らそれを證明しようとし
まさに心は自ら證明し切り證しを得るだろう、かくに…
わたしのイノチはすでに盡きた
われらの叡智はすでに竆わまった
なさるべきもの、それはすでになされ果て
自ら知った。…もはや後には何も存在し得ない、と
かくに正しく無常を思惟すれば、苦しみ、空しさ、非我、それらもまた同じきと知る
かくて、もろもろの比丘らは佛が說くのを聞き、歡喜し、修行した。
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