紀貫之の和歌。貫之集3


紀貫之家集

已下據『歌仙歌集三』刊行年出版社校訂者等不明。

解題云如已下自撰の集ありしこと後拾遺集大鏡などにみえたれど今のは少なくとももとのまゝにはあらざるべし



貫之集第三

  延喜御時内裏御屏風のうた二十六首

   元日うくひすなく所

あたらしくあることしをもゝもとせのはるのはしめとうくひすそなく

   ひとのうめのはなをみるところ

わかやとにありとみなからうめのはなあはれとおもふにあくこともなし

   山へちかくにすむをんなとものゝへにとほくあそひはなれていへのかたを見やりたる

野へなるをひともなしとてわかやとにみねのしら雲おりやゐるらん

たちねとやいひにやらまししらくものとふこともなくやとにゐるらん

   ふるさとのはなを見る

ふる里をけふきてみれはあたなれと花の色のみむかしなりけり

   はるのくれ

いつとなく[いつこのみイ]櫻さけ[くイ]とかをしめともとまらて春のそらにゆくらん

   松にさけるふちのはな

藤のはなあたにちりなはときはなるまつにたくへるかひやなからん

散りぬともあたにしも見しふちのはなゆくさきとほくまつにさけれは

   大みわのまつりにまうてたる

いにしへのことならすして三輪のやまこゆるしるしはすきにそありける

   さうふとれる所又かさせるもあり

あやめ草ねなかきとれはさは水のふかきこゝろはしりぬへらなり

ほとゝきすこゑきゝしよりあやめくさかさすさつきとしりにしものを[新勅撰]

   をんなとものほとゝきすまつ所

なくさめてひといたにねんつき影に山ほとゝきすなきてゆかなん

   七月七日

よをうみてわかゝす絲はたなはたのなみたの玉のをとやなるらん

   よるのうた

まことかとみれともみえぬたなはたはそらになき名をたてるなるへし

   八月十五夜うみのほとりなりいへにをとこをんないてゐて月のいるをみたる

なにはかたしほみちくれはやまのはにいつるつきさへみちにけるかな

   やまたのなかにこたかゝりしたるところ

あきの田とよのなかをさへわかことくかりにもひとは思ふへらなり

   かはのほとりにつるのむれたるところ

むれゐつゝかはへのたつも君かため我おもふことを思ふへらなり

   はきみたるところ

とめきつゝなかすもあるかな我やとのはきはしかにもしられさりけり[るへしイ]

   女のきのはなみたる所

おく霜のそめまかはせるきくの花いつれをもとの色とかはみん

   もみちのいたくちりたるやまをこえたるところ

ひねもすにこえもやられすあしひきのやまのもみちをみつゝまとへは

   かはにもみちのなかるゝをみたるところ

もみちはのなかるゝときはたつた川みなとよりこそ秋はゆくらめ

   ひとの家のたけおほくおひたる

竹をしもおほくうゑたる宿なれは千とせを[はイ]ほかのものとやはみる

   おほたかゝりしたるところ

おほつかないまとしなれはおほあらきのもりのした草ひとも[そイ]かりけり[るイ]

しもかれになりにし野へとしらねはやかひなくひとのかりにきつらん

   やまさとに神まつる

かみまつるときにしなれはさかき葉のときはのかけはかはらさりけり

   やま里にすみひとのゆきのふれるを見る

雪のみやふりぬとは思ふ山さとに我もおほくそ[のイ]としは[そイ]へにける[新古今]

  延長六年[延喜十一年イ]中[東イ]宮の御屏風のうた四首右近權[衞イ]中將うけ給りて

あれひきにひきつれてこそ千はやふるかものかは波う[たイ]ちわたりけれ

ほとゝきすなくなる聲をさなへとるてまうちおきて[やすみイ]あはれとそきく

たきつせのものにそありけるしら玉はくるたひことにみぬときそなき

よにかくれきつるかひなく紅葉ゝもつきにあかくそてりまさりける

  京極の權中納言の御屏風のてうの哥二十首

はるかすみたちぬるときのけふみれはやとのうめさへめつらしき哉

我宿にさけるうめなれととしことにことしあきぬとおもほえぬかな

のへなるをひとやみるとてわかなつむわれをかすみのたちかくすらん

あめとのみ風吹松はきこゆれとこゑにはひともぬれすそありける

やまふかきやとにしあれはとしことに花のこゝろはあさくそありける

いたるまにちりもそはつるいかにしてはなのこゝろにゆくとしられん

ゆかりともきこえぬものを山吹のかはつかこゑににほひける哉

ゆくつき日おもほえねとも藤の花見れはくれぬるはるそしらるゝ

さつきくるみちもしらねとほとゝきすなく聲のみそしるへなりける

ひとゝせをまちつることもあるものをけふのくるるそ久しかりける

たなはたはいまやわかるゝ天の川かは霧たちて千とりなくなり[新古今]

ふりしけるゆきかとみゆるつきなれとぬれてさえたるころもてそなき

てる月をひるかとみれはあかつきにはねかくしき[鴫]もあらしとそ思ふ

うゑし袖またもひなくに秋の田を鴈かねさへそ鳴わたるなる

かりなきてふくかせさむしから衣きみまちかてにうたぬよそなき[新古今]

やまとほきやとならなくにあきはきをしからむしかのなきもこぬかな

もみちははてりてみゆれとあしひきのやまはくもりてしくれこそふれ

紅葉ゝのなかるゝときはしらなみのたちにしなこそかはるへらなれ

しらゆきにふりかくされてうめのはなひとしれすこそにほふへらなれ

ひとゝせにふたゝひにほふうめのはな春のこゝろにあかぬなるへし

  延喜十[七イ]年十月十四日女八宮やうせい院の一のみこの四十賀つかうまつる時の屏風てうせさせたまふおほせにてつかうまつる

久しくもにほはんとてや梅の花はるをかねてやさきそめにけん

いとをのみたえすよりつる[いたすイ]靑柳のとしのをなかきしるしとそ思ふ

櫻よりまさる花なき春なれはあたらしさをは-ものとやはみる

藤の花さきぬるをみてほとゝきすまたなかぬからまたるへらなり[またれける哉イ]

足引のやまもとしけきなつ草のふかくもきみを思ふころ哉

とこなつの花をしみれはうちはへてすくすつき日のかすもしられす

こふるものなくてみるへく我宿の萩のもとにも鹿はなかなん

かりにのみひとのみゆれはをみなへしはなのたもとそつゆけかりける

こゝろとてちらむたにこそをしからめなとか紅葉に風のふくらん[拾遺]

もみちするくさ木にもにぬ竹のみそかはらぬものゝためしなりける

松か枝にふりしく雪をあしたつの千よのゆかりにふるかとそみる

   延喜のすゑよりこなた延長七年よりあなたうちうちのおほせにてたてまつれる御屏風のうた二十七首

   春

春立てかせやふきとくけふみれは瀧のみをよりたまそちりける

わかなつむはるのたよりにとしふれはおいつむみこそわひしかりけれ

久しさ[きイ]をねかふみなれは春霞たなひく松をいかて[かイ]とそみる[思ふイ]

春每にたえせぬものはあをやきの[としをへてイ]かせにみたるゝいとにそありける[靑柳の絲イ]

みしひとも[はイ]こぬやとなれは[とイ]櫻花いろもかはらすはなそ散りける

ひともみな我もまちこしさくら花ひとひとたち[てイ]てみれとあかなくに

いまゝてにのこれるきしのふち波ははるのみなとのとまりなりけり

あひたなくよするかはなみたちかへりいのりてもなほあかすそありける

   夏

おほそらをわれもなかめてひこほしのつまゝつよさへひとりかもねん[新古今]

女郎花にほひを袖にうつしてはあやなくわれをひとや[ひとや我を]とかめん

行水のこゝろはきよきものなれとまことゝ思はぬつきそみえける

ひとえたの菊をるほとにあらたまの千とせをたゝにへぬへかりけり

足引の山のかひよりなにとてかしひゆくひとを[ゆくひとをのみ]たちかくすらん

ちることもいろさへともに紅葉ゝはもゝとせふれとかひなかりけり

   七日ゆふへをとこあまたゐてあまのかはら見たる

おほ空はかひもなけれとたなはたを思ひやりてもなかめつるかな

   こまひき

みやこまてなつけてひくは小笠原へみのみまきの駒にそありける

   うまくるまにのりてひとおほくのにいてたりさまさまのはなさきましりたり

たちぬとははるはきけともやまさとはまちとほにこそはなはさきけれ

ふたつこぬはるとおもへとかけみれはみなそこにさへはなそちりける

うくひすの來ゐつゝなけははるさめにこのめさへこそぬれて見えけれ

かはへなるはなをしをれはみなそこのかけもともしくなりぬへらなり

さくらはな千とせみるともうくひすもわれもあくときあらしとそ思ふ

ちりかたのはなみるときはふゆならぬわかころも手にゆきそふりける

はるのためあたしこゝろのたれなれは松か枝にしもかゝるふち波

   こひ

つき影にみちまとはして我やとに久しくみえぬひともみえなん

こぬひとをつきになさはやぬは玉の夜ことに我はかけをたにみん[たのまんイ]

あめふらむ夜そおもほゆるひさかたのつきにたに來ぬひとのこゝろを

やま里につくれる宿はちかけれと雲ゐとのみそなりぬへらなる

   冬

おく霜のこゝろやわけるきくのはなうつろふいろのおのかしゝなる

たきつ瀨もうきことあれやわかそてのなみたににつゝおつるしら玉

よとゝもにとりのあみはるやとなれはみはかゝらむとくるひともなし

空にのみ見れとも[るたにイ]あかぬつき影のみなそこにさへまたもあるかな

うきてゆくもみちのいろのこきからにかはさへふかくみえわたる哉

雪ふれはうときものなく草も木もひとつゆかりになりぬへらなり

いかてひと名つけそめけん降雪は花とのみこそ散りまかひけれ

みえねともわすれしものをうめのはなけさはゆきのみふりかゝりつゝ

くれなゐのしくれなれはやいそのかみふるたひことに野へのそむらん

白雲のたなひきわたるあしひきのやまのたなはし我もわたらん[ふみゝんイ]

  承平五年九月東三條のみこの淸和の七のみこのみやす所の八十賀せらるゝ御屏風のうた

   わかなつめるところ

千早振神たちませよ君かためつむかすかのゝわかななりけり

   みちゆくひと櫻のはなをみてうまをとゝむ

ゆくすゑもしつかに見へきはななれとえしもみすきぬさくらなりけり

   旅ひとのはやしのほとりにやすみて郭公きく

ほとゝきすきつゝこたかく鳴聲は千よのさつきのしるへなりけり

   九月九日おいたるをんなの菊しておもてのこひたる

けふ[いまイ]まてに我を思へはきくのうへのつゆはちとせの玉にさりける

   竹にゆきのふりかゝれる

しらゆきはふりかくせともちよまてに[ちとせまてイ]たけのみとりはかはらさりけり[拾遺]

  承平五年十二月内裏御屏風の哥おほせによりてたてまつる

   をんなすのもと[すのこイ]にゐたるにをとこものいふ櫻のはなさけり

よそにては花のたよりとみえなからこゝろのうちにこゝろあるものを

   子日してくるまのわかるゝところにうまにのれるひとまつをくるまにおくる

このまつのなをまねはれは玉ほこのみちわかるともわれはたのまん

   うまにのりたるをとこともふるさとゝおほしきところにうちよりてさくらををる

ふるさとにさけるものからさくらはないろはすこしもあれすそありける

   をとこあまたいけのほとりのふちをみる

まつかえにさきてかゝれるふちなみをいまはまつやまこすかとそみる

   をんなとも神のやしろにまうつ

うちむれてこゝろさしつゝゆくみちのおもふおもひをかみやしるらん

   うまにのれるをんなたひよりくる所

いへちにはいつかゆかんとおもひしを日ころしふれはちかつきにけり

   月夜にをんなのいへにをとこいたりてゐたり

やまのはにいりなむとおもふつきみつゝわれはとなからあらんとやする

   をんなかへし

久かたのつきのたよりにくるひとはいたらぬところあらしとそおもふ

   あしろにもみちのちりいりてなかるゝところにひとおほかり

ふたゝひやもみちはゝちるけふみれはあしろにこそは[あしろみつにこそイ]はおちはてにけれ

  承平六年春左[右イ]大臣殿の御おやこおなしところにすみ給ひける

へたてのさうしにまつとたけとをかゝせ給ひて上給ふ

おなしいろの松とたけとはたらちねのおやこひさしきためしなりけり

   鶴むれたるところ

つるのおほくよをへてみゆる濱へこそ千とせつもれるところなりけれ

  おなし二年左大臣殿の五らうの侍從の屏風のゑ

   いなりまうて

春霞立ましりつゝいなり山こゆるおもひ[こゝろイ]のひとしれぬかな

   いやしきひとの神まつれる

さかき葉のいろかはりせぬもゝとせのけふことにこそまつりまつらめ

   十一月りんしのまつり

ゆふたすきかけてもひとをおもはねとうつきもけふもまたあかぬ哉

   十二月晦のゆき

我宿にふるしらゆきをはるにまたとしこえぬまの花かとそみる[とこそみれイ]

  おなしとし春左衞門督殿屏風の哥ふゆ

おもひかねいもかりゆけはふゆのよのかはかせさむみ千とりなくなり

  おなし八年[年の夏イ]八條の右大將本院の北方七十賀せらるゝときの御屏風

   ひとの家のまつ

かはらすも見ゆるまつかなうへしこそひさしきことのためしなりけれ

   ふちのはな

なこりをはまつにかけつゝ[つけてもイ]もゝとせの春のみなとにさける藤波

   山さと

くさも木もしけきやまへはくるひとのたちよるかけのたより[しるへイ]なりけり

   ひとのいへに花たちはなあるところ

としことにきつゝこゑするほとゝきすはなたちはなやつまとなるらん

   たき

しらくものなかるゝとのみ見えつるはおちくるたきのつねにそありける

   のゝはな

あきののゝ千くさのはなはをみなへしましりておれるにしきなりけり

   山のつき

くさもきもみなもみちすれともてるつきのやまのはゝよにかはらさりけり

   水邊菊

きくのはなひちてなかるゝみつにさへなみのしわなきやとにさりける

   かはへにつるむれたる

川の瀨になひくあしたつおのかよを波とゝもにやきみによすらん

   人のいへの竹

千よもたるたけのおひたるやとなれはちくさの花はものならなくに

  おなし年[承平七年イ]正月たいりのおほせにて

としたては花うゝ[こふイ]へくもあらなくにはるいまさらにゆきのふるらん

くれぬとてなかすなりぬるうくひすのこゑのうちにやはるのへぬらん

あきはきにみたるゝ玉はなくしかのこゑよりおつるなみたなりけり

  おなし七年左大臣殿屏風の哥

   うめ花わかなあるところをんなすのまへにいてゝみる

のへみれはわかなつみけりうへしこそかきねのくさもはるめきにけれ

   子日

春立てねのひになれはうちむれていつれのひとかのへにこさらん

   こうはいのもとにをんなともおりて見る

ゆきとのみあやしまれしをうめのはなくれなゐにさへかよひけるかな

   ひとのいへにさくらの花おほかり

こと里もみなはるなれと我宿のさくらにまさるはなやなからん

   女ともかはのほとりにあそふ

我身またあらしとおもへと[おもふをイ]みなそこにおほつかなきはかけにやはあらぬ

   うまくるまにのりてひとおほくさまさまの花もさきみちたり

我來れははたおるむしのあるなへにからにしきにも見ゆるのへ哉[拾遺]

   山里のひとのいへにつりとのあり木の葉おちてなかる

やまちかきところならすはゆくみつももみちせりとそおとろかれまし

   ひとのいへのすたれのもとにをんないてゐたるにかきのもとにをとこたちて物いひたるかきのつらにすゝきおひたり

いてゝとふひとのなきかなはなすゝきわれをはかるとまねくなりけり

   人家にをとこをんなにはのきく見る

うゑてみるきくといふきくは千よまてにひとのす[ゆイ]くへきしるしなりけり

   りんしのまつり

足ひきのやまあゐにすれるころもをは神につかふるしるしとそみる[思ふイ][拾遺]

   ひとのいへにをんなすたれのもとにたちいてゝゆきのきにふりかゝれるをみる

くさきにも[くさもきもイ]花さきにけり降雪やはるたつ[よりイ]さきに[のイ]はなとなるらん

松か枝につるかとみ見るしら雪は

   つもれるとしの

      しるしなりけり








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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