後撰和歌集。卷第十七。雑歌三。原文。
後撰和歌集。原文。
後撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。
又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照。
後撰和歌集卷第十七
雜歌三
いそのかみといふ寺にまうてゝ日のくれにけれは夜あけてまかりかへらむとてとゝまりて此寺に遍昭侍り[るイ]と人のつけ侍けれは物いひ心みんとていひ侍ける
小町
いはのうへに旅ねをすれはいとさむしこけのころもをわれにかさなん
かへし
遍昭
世をそむく[遍昭集には山ふしの云々]こけの衣はたゝひとへかさねはうとしいさふたりねん
法皇かへり見給ひけるをのち〱は時をとろへてありしやうにもあらすなりにけれは里にのみ侍てたてまつらせける
せかゐのきみ
あふことの年きりしぬ[けイ]るなけきには身のかすならぬものにそ有ける
女のもとよりあたに聞ゆる叓なといひて侍けれは
左大臣
あた人もなきにはあらすありなからわか身にはまたきゝも[そイ]ならはぬ
たいしらす
よみひとも
みや人とならまほしきををみなへしのへよりきりのたち出てそくる
かしこまる叓侍て里に侍けるを忍ひてさうしにまいれりけるをおほいまうちきみのなとかをともせぬなと恨けれは[なと恨侍りけれはイ]
大輔
わか身にもあらぬ我身の悲しきは[にイ]こゝろもことになりやしにけん
人のむすめに名たち侍て
よみ人しらす
世の中をしらすなからも津の國のなにはたちぬる物にそ有ける
なき名たち侍けるころ
よとゝもにわかぬれきぬとなる物はわふるなみたのきするなりけり
前坊おはしまさすなりての比五節の師のもとにつかはしける
大輔
うけれともかなしき物をひたふるにわれをやひとのおもひすつらん
かへし
よみ人しらす
かなしきもうきもしりにしひとつ名をたれをわくとかおもひすつへき
大輔かさうしにあつたゝの朝臣のものへつかはしける文をもてたかへたりけれはつかはしける
大輔
道しらぬ物ならなくにあしひきの山ふみまよ[とイ]ふ人もありけり
かへし
敦忠朝臣
しらかしの雪もきえにしあしひきのやまちをたれかふみまよふへき
いひちきりてのちこと人につきぬときゝて
よみ人しらす
いふことのたかはぬものにあらませはのちうき叓も[はイ]きこえさらまし
たいしらす
伊勢
おもかけをあひみしかすになすときはこゝろのみこそしつめられけれ
かしらのしろかりける女を見て
ぬきとめぬかみのすちもてあやしくもへにけるとしのかすをしるかな
題しらす
よみ人も
なみかすにあらぬ身なれは住よしのきしにもよらすなりやはてなん
つきもせすうきことのはのおほかるをはやくあらしのかせもふかなん
いと忍ひてかたらひける女のもとにつかはしける文を心にもあらておとしたりけるを見つけてつかはしける
しまかくれありそにかよふあしたつのふみおくあとは波もけたなん
むかしおなし所に宮つかへしける人としころいかにそなととひおこせ侍けれはつかはしける
伊勢
身ははやくなき物のことなりにしをきえせぬものはこゝろなりけり
はらからの中にいかなる叓か有けんつねならぬさまに見え侍り[イナシ]けれは
よみ人しらす
むつましきいもせの山の中にさへへたつる雲のはれすもある哉
女のいとくらへかたく侍けるを相はなれにけるかこと人にむかへられぬときゝておとこのつかはしける
わかためにをきにくかりしはしたかの人の手にありときくはまことか
くちなしある所にこひにつかはしたりけ[二字イナシ]るに色のいとあしかりけれは
こゑにたてゝいはねとしるし口なしのいろはわかためうすきなりけり
たいしらす
たきつせのはやからぬをそうらみつるみすともをとにきかんとおもへは
人のもとに文つかはしけるおとこ人に見せけりときゝてつかはしける
みな人にふみ見せけりなみなせ川そのわたりこそまつはあさけれ
つくしのしら河といふ所にすみ侍けるにまへより[四字イナシ]大貮藤原興範[ヲキノリ]朝臣のまかりわたるつゐてに水たへんとてうちよりてこひ侍けれは水をもて出てよみ侍ける
ひかきの嫗[ヲウナ]
年ふれはわかくろかみもしら川のみつはくむまて老にける哉
[大和物語うは玉のわかくろかみも、家集老果てかしらの髮も]
かしこに名たかくことこのむ女になん侍ける
しそくに侍ける女の男に名立てかゝることなんある人にいひさはけといひ侍けれは
つらゆき
かさすともたちとたちなんう[なイ]き名をはことなし草のかひやなからん
たいしらす
かへりくる道にそけさはまと[よイ]ふらんこれになすらふ花なきものを
女のもとに文つかはしけるを返事もせすしてのち〱は文を見もせてとりなんをくと人のつけゝれは
よみ人しらす
おほそらにゆきかふ鳥の雲路をそ人のふみ見ぬものといふなる
きのすけに侍けるおとこのまかりかよはすなりにけれはかの男のあねのもとにうれへをこせて侍けれはいと心うき叓かなといひつかはしたりける返事に
きのくにのなくさのはまは君なれやことのいふかひありときゝつる
すみ侍りける女宮つかへし侍けるを友たちなりける女おなし車にてつらゆきか家にまうてきたりけり貫之かめ[本妻也]まらうとにあるしせんとてまかりおりて侍けるほとにかの女をおもひかけて侍けれは忍ひて車に云入侍ける
つらゆき
波にのみぬれつる物をふく風のたよりうれしきあまのつり舟
おとこの物にまかりて二とせはかりありてまうてきたりけるをほとへてのちにことなしひにこと人になたつときゝしはまこと也といへりけれは
よみ人しらす
みとりなるまつほとすきはいかてかはした葉はかりも紅葉せさらん
故女四のみこの後のわさせんとてほたいしのすゝ[菩提子珠數也]をなん右大臣[師範公]もとめ侍るときゝて此すゝ[をイ]をくるとてくはへ侍ける
眞延法師
おもひ出のけふりやまさんなき人のほとけになれるこのみ見はきみ
かへし
右大臣
道なれるこのみたつねて心さしありと見るにそねをはましける
さためたるめも侍らすひとりふしをのみすと女ともたちのもとよりたはふれて侍けれは
よみ人しらす
いつこにも身をははなれぬかけしあれはふす床ことにひとりやはぬる
前栽のなかにすろ[棕櫚]の木おひて侍ときゝてゆきあきらのみこのもとより一木こひにつかはしたりけれは[しけれはイ]くはへてつかはしける
眞延法師
風霜にいろもこゝろもかはらねはあるしににたるうへ木なりけり
かへし
行明のみこ
山ふかみあるしににたるうへ木をは見えぬいろとそいふへかりける
大井なる所にて人々酒たうへけるつゐてに
なりひらの朝臣
大井河うかへる舟のかゝり火にをくらのやまも名のみなりけり
たいしらす
よみ人も
あすか川我身ひとつのふちせゆへなへての世をもうらみつるかな
思ふ叓侍ける比志賀にまうてゝ
世の中をいとひかてらにこしかともうき身なからの山にそ有ける
ちゝはゝ侍ける人のむすめにしのひてかよひ侍けるをきゝつけてかうしせられ侍けるを月日へてかくれわたりけれと雨ふりてえまかりいて侍らてこもりゐて侍けるを父母きゝつけていかゝはせんする[そイ]とてゆるすよしいひて侍けれは
したにのみはひわたりつる[にしイ]あしのねのうれしき雨にあらはれにけり[るゝかな]
人の家にまかりたりけるにやり水に瀧いと面白かりけれはかへりてつかはしける
たきつせにたれしら玉をみたりけんひろふとせしに袖そひちにき
法皇よしのゝ瀧御らんしける御供にて
源昇[ノホル]朝臣
いつのまにふりつもるらんみよしのゝやまのかひよりくつれおつる雪
法皇御製
みやの瀧むへも名におひて聞えけりおつるしらあわの玉とひゝけは
山ふみしはしめける時
僧正遍昭
いまさらに我はかへらし瀧見つゝよへときかすととはゝこたへよ
題しらす
よみ人も
たきつせのうつまきことにとめくれと[はイ]なをたつねくるよのうきめかな
はしめてかしらおろし侍ける時物にかき付侍ける
遍昭
たらちめはかゝれとてしもうはたまのわかくろかみをなてすや有けん
みちのくにのかみにまかりくたり[れりイ]けるにたけくまの松のかれて侍りけるを見て小松をうへつかせて任[ニン]はてゝのち又おなしくにゝまかりなりてさきの任にうゑへし松を見て
藤原もとよしの朝臣
うへしときちきりやしけんたけくまの松をふたゝひあひ見つるかな
ふしみといふ所にてその心をこれかれよみけるに[大和菅原伏見也天札大明神有云々]
よみ人しらす
すかはらやふしみの暮に見わたせはかすみにまかふをはつせのやま
たいしらす
ことのはもなくて過ぬる[へにけるイ]年月に此はるたにも花はさかなん
身のうれへ侍けるとき津のくにゝまかりてすみはしめ侍けるに[伊物]
なりひらの朝臣
なには津をけふ[けさ]こそみつの浦ことにこれやこのよをうみわたるふね
時にあはすして身を恨みて籠り侍ける時
文屋康秀
しら雲のきやとる峯のこ松はらえたしけゝれや日のひかり見ぬ
心にもあらぬ叓をいふ比男の扇に書付侍ける
土左
身にさむくあらぬ物から佗しきは人のこゝろのあらしなりけり
なからへは人の心も見るへきに[をイ]露のいのちそかなしかりける
人のもとよりひさしう心ちわつらひてほと〱しぬへくなんありつるといひて侍けれは
閑院大君
もろともにいさとはいはてしての山いかてかひとりこえんとはせし
月夜にかれこれして
かんつけのみねを
をしなへてみねもたいらになりなゝん山のはなくは月もかくれし
0コメント