後撰和歌集。卷第十五。雑歌一。原文。
後撰和歌集。原文。
後撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。
又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照。
後撰和歌集卷第十五
雜歌一
仁和のみかとさかの御時の例にてせり川に行幸し給ける日[仁和三年四月十三日致仕]
在原行平朝臣
さかの山みゆきたえにしせり川のちよのふるみちあとはありけり
おなし日たかゝひにてかりきぬにつるの[のたもとにつるのイ]かたをぬひて書付たりける
おきなさひ人なとかめそかりころもけふはかりとそたつもなくなる
行幸の又の日なん致仕の表奉りける
きのとものりまたつかさ給はらさりける時ことのつゐて侍て年はいくらはかりにか成ぬるととひ侍けれは四十餘[ヨソチアマリ]になんなりぬると申けれは
贈太政大臣
いまゝてになとかは花のさかすしてよそとせあまりとしきりはする
返し
とものり
はる〱のかすはわすれす有なから花さかぬ木をなにゝうへけん
外吏[ゲリ]にしは〱まかりありきて殿上おりて侍ける時兼輔朝臣のもとに送り[つかはしイ]侍ける
平なかき[中興][大和物語に近江介云々]
よとゝもに岑へふもとへおりのほりゆく雲の身はわれにそありける
またきさきになり給はさりける時かたはらの女御たちそねみ給ふけしきなりけるときみかと御さうしに忍ひて立より給へりけるに御たいめんはなくて奉り給ひける
嵯峨后
ことしけししはしはたてれよひのまにをけ[くイ]らん露はいててはらはん
家に行平朝臣まうてきたりけるに月の面白かりける夜さけらなとたうへてまかりたゝんとしけるほとに
河原左大臣
てる月を正木のつなによりかけてあかすわかるゝ人をつなかん
かへし
行平朝臣
かきりなきおもひのつなのなくはこそ正木のかつらよりもなやまめ
世中をおもひうして侍けるころ
業平朝臣
すみわひぬいまはかきりとやまさとにつま木こるへきやともとめてん
我をしりかほにないひそと女のいひて[てイナシ]侍ける返事に
みつね
あしひきの山におひたるしらかしのしらしな人をくち木なりとも
はちすのはいをとりて[一本には此歌次の瀧の絲なみの下にあり]
よみ人しらす
はちすはのはいにそ人はおもふらん世にはこひちの中におひつゝ
すかたあやしと人のわらひけれは
伊せのうみのつりのうけなるさまなれとふかきこゝろはそこにしつめり
おほきおほいまうちきみの白河の家にまかりわたりて侍けるに人のさうしにこもりて
中務
しら川の瀧のいと見まほしけれとみたりに人はよせしものを[とイ]や
かへし
おほきおほいまうちきみ
白河のたきのいとなみみたれつゝよるをそ人はまつといふなる
相坂の關に庵室をつくりてすみ侍けるにゆきかふ人を見て
蟬丸
これやこのゆくも帰るも別れつゝ[イては]しるもしらぬもあふさかのせき
さためたる男もなくて物思ひけるころ
小野小町
あまのすむうらこくふねのかちをなみ世をうみわたる我そかなしき
あひしりて侍ける女心にもいれぬさまに侍けれはこと人の心さしあるにつき侍[にイ]けるをなをしもあらす物いはむと申つかはしたりけれと返事もせす侍けれは
よみ人しらす
はまちとりかひなかりけりつれもなき人のあたりはなきわたれとも
法皇寺めくりし給ける道にて楓の枝をおりて
素性法師
このみゆきちとせかへても見てしかな[見まくほしイ]かゝる山ふしときにあふへく[集にはあらせなん]
西院のきさきおほんくしおろさせ給ておこなはせ給ひける時かの院の中嶋の松をけつりてかき付侍ける
をとにきく松かうら嶋けふそ見るむへもこゝろあるあまの[はイ]すみけり
齊院のみそきの垣下[エンカ]に殿上の人々まかりてあかつきにかへりてむまかもとに遣しける
右衞門
我のみはたちもかへらぬあかつきにわきてもをける袖のつゆかな
しほなき年たゝみあへてと侍けれは
たゝみね[ねイナシ]
しほといへはなくてもからき世中にいかて[にイ]あへたるたゝみなるらん
ひたゝれこひにつかはしけ[たイ]るにうらなんなきそれはきしとやいかゝといひたれは
藤原元輔
すみよしのきしともいはしおきつ波なをうちかけようらはなくとも
法皇はしめておほんくしおろし給て山ふみし給ふあいた[宇多帝昌泰二年十月十四日於仁和寺御出家卅三]きさきをはしめ奉りて女御更衣猶ひとつ院にさふらひ給ひける三年といふになんみかとかへりおはしましたりけるむかしのことおなし所にておほんくしおろし給けるついてに
七條のきさき
ことの葉にたえせぬ露はをくらんやむかしおほゆるまとゐしたれは
御返し
伊勢
うみとのみまとゐの中はなりぬめりそなからあらぬかけの見ゆれは
志賀のからさきにてはらへしける人のしもつかへにみるといふ侍けり大伴のくるぬしそこにまてきてかのみるに心をつけていひたはふれけりはらへはてゝくるまよりくろぬしに物かつけける其ものこしにかきつけてみるにをくり侍ける
くろぬし
なにせんにへたのみるめを思ひけんおきつたまもをかつく身にして
月のおもしろかりけるを見て
みつね
ひるなれや見そまかへつる月影をけふとやいはんきのふとやいはん
五節のまひ姬にてもしめしとゝめらるゝことやあると思ひ侍けるをさもあらさりけれは
藤原しけかぬ[滋包]むすめ
くやしくそあまつをとめと成にける雲ちたつぬる人もなきよに
太政大臣の左大將にてすまひのかへりあるしし侍ける日中將にてまかりて叓をはりてこれかれまかりあかれけるにやんことなき人二三人とゝめて[はかりとゝめてイ]まらうとあるしさけあまたゝひのゝちゑひにのりて子とものうへなと申ける次てに
兼輔朝臣
人のおやの心はやみにあらねとも子をおもふみちにまとひぬる哉
女ともたちのもとにつくしよりさしくしを心さすとて
大江玉淵朝臣のむすめ
なにはかたなにゝもあらすみをつくしふかきこゝろのしるしはかりそ
元長のみこの住侍ける時てまさくりに何いれて侍ける箱にか有けん下おひしてゆひて又こん時にあけんとてものゝかみにさしをきて出侍にけるのちつねあきらのみこにとりかくされて月日久しく侍てありし家に歸りて此箱を元長のみこにをくるとて
中務
あけてたになにゝかはせんみつの江のうらしまのこをおもひやりつゝ
忠房朝臣津のかみにて新司はるかたかまうけに屏風てうしてかの國の名ある所々ゑにかゝせてさひ江といふところにかけりける
たゝみね
年をへてにこりたにせぬさひ江にはたまもかへりていまそすむへき
兼輔朝臣宰相中將より中納言になりて又の年のり弓のかへりたちのあるしにまかりてこれかれ思ひのふるつゐてに
兼輔朝臣
ふるさとのみかさの山はとをけれとこゑはむかしのうとからぬかな
あはちのまつりことひとの任はてゝのほりまうてきてのころかねすけの朝臣のあはたのいへにて
みつね
ひきてうへし人はむへこそ老にけれ松のこたかくなりにけるかな
人のむすめに源かねきかすみ侍けるを女の母聞侍ていみしうせいし侍けれは忍ひたるかたにてかたらひけるあひたに母しらすしてにはかにいきけれはかねきかにけてまかりにけれはつかはしける
女のはゝ
小山田のおとろかしにもこさりしをいとひたふるににけしきみかな
三條右大臣身まかりて[定方公承平二年八月四日薨去]あくる年の春大臣めしありときゝて齊宮のみこに遣しける
むすめの女御
いかてかの[大和物語いかてかく]としきりもせぬたねもかなあれたるやとにうへて見るへく[大和物語庭のかけとたのまん]
かの女御左のおほいまうちきみ[小野宮實賴公忠平公男]にあひにけりときゝてつかはしける
斎宮のみこ
春ことにゆきてのみ見ん[大和物語花さかり春はみにこん]年きりもせすといふたねはおひぬとかきく
庶明朝臣中納言になり侍ける時[天曆二月任(二)權中納言(一)叙(二)從三位(一)]うへのきぬ遣すとて
右大臣
おもひきやきみかころもをぬきかへてこきむらさきのいろをきんとは
かへし
もろあきらの朝臣
いにしへもちきりてけりなうちはふきとひたちぬへき[しイ]あまのはころも
まさたゝかとのゐものを取たかへて大輔かもとへもてきたりけれは
大輔
ふるさとのならのみやこのはしめよりなれにけりとも見ゆるころもか
返し
まさたゝ[雅正]
ふりぬとて思ひもすてしから衣よそへてあやなうらみもそする
世の中の心にかなはぬなと申けれは行さきたのもしき身にてかゝる事あるましと人[イ人の]申けれは[はへりけれはイ]
大江千里
なかれての世をは[もイ]たのます水の上のあはにきえぬるうき身とおもへは
藤原さねきかくらうとよりかうふりたまはりてあす殿上おりんと[イまかりおりなんと]しける夜酒たうへけるつゐてに
兼輔朝臣
うはたまのこよひはかりそ[やイ]あけころもあけなはきみ[ひとイ]をよそにこそ見め
法皇御くしおろし給ひてのころ
七條后
人わたすことたになきをなにしかもなからの橋と身のなり[ふりイ]ぬらん
御かへし
いせ
ふるゝ身はなみたのなかに見ゆれはやなからのはしにあやまたるらん
京極のみやす所あまになりて戒うけんとて仁和寺にわたりて侍けれは
あつみのみこ
[敦實入道式部卿/寛平第八/天曆四年出家]
ひとりのみなかめて年をふる鄕のあれたるさまをいかに見るらん
女のあたなりといひけれは
あさつなの朝臣
まめなれとあたなはたちぬたはれしまよるしらなみをぬれきぬにきて
あひかたらひける人の家の松の梢の紅葉たりけれは[るを見てイ]
よみ人しらす
としをへてたのむかひなしときはなる松のこすゑの[もイ]いろかはりゆく
男の女の文をかくしけるをみてもとのめの書付侍ける
四條御息所のむすめ
へたてけ[つイ]る人の心のうきはしをあやうきまてもふみ見つるかな
小野好古朝臣にしの國のうての使にまかりて二年[フタトセ]といふ年四位にはかならすまかりなるへかりけるをさもあらすなりにけれはかゝることにしもさゝれにけることのやすからぬよしをうれへおくりて侍ける文の返事のうらにかきつけてつかはしける
源公忠朝臣
たまくしけふたとせあはぬきみか身をあけなからやはあら[はイ]んと思ひし
かへし
小野好古朝臣
あけなからとしふることは玉くしけ身のいたつらになれはなりけり
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