新勅撰和歌集。撰者藤原定家。卷第十七雜歌二。原文。
新勅撰和歌集
新勅撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年五月十三日印刷。同十六日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
新勅撰和歌集卷第十七
雜哥二
題不知
業平朝臣
わかそてはくさのいほりにあらねともくるれはつゆのやとりなりけり
おもふこといはてそたゝにやみぬへきわれとひとしきひとしなけれは
よみ人しらす
あさなけによのうきことをしのふとてなけきせしまに年そへにける
和泉式部
さらにまたものをそおもふさならてもなけかぬ時のある身とも[なしイ]かな[ともなくイ]
いかにせんあめのしたこそ住うけれふれは袖のみまなくぬれつゝ
さかみ
あさち原野わきにあへるつゆよりも猶ありかたき身をいかにせん
こふれともゆきもかへらぬいにしへにいまはいかてかあはむとすらん
俊賴朝臣
戀しともいはてそおもふ玉きはるたちかへるへきむかしならねは
堀河院に百首哥たてまつりける時
基俊
いにしへをおもひいつるのかなしきはなけともそらにしる人そなき
成尋宋朝にわたり侍けるを歎きてよみ侍ける
成尋法師母
なけきつゝわか身はなきになりはてぬいまはこのよをわすれにしかな
述懷の心をよみ侍ける
鎌倉右大臣
思ひ出てよるはすからにねをそなくありしむかしのよゝのふること
世にふれはうきことの葉のかすことにたえす淚のつゆそをきける
百首哥中に述懷
惟明親王
なへて世のならひとひとやおもふらんうしといひてもあまるなみたを
題しらす
前大納言忠良
かすか山いまひとたひとたつねきて道みえぬまてふる淚かな
皇太后宮大夫俊成
春日山いかになかれしたにみつのすゑを氷のとちはてつらん
よもの海をすゝりのみつにつくすともわかおもふこと[はイ入]かきもやられし
源師光
ゆくすゑにかゝらん身ともしらすして我たらちねのおほしたてけん
年わかく侍ける時初て百首哥よみ侍ける述懷哥
前大僧正慈圓
さしはなれみかさのやまをいてしより身をしる雨にぬれぬ日そなき
題しらす
大僧正行尊
かはかりと思ひいて[はてイ]にし世中に何ゆへとまるこゝろなるらん
僧正行意
いたつらに四十[よそち]の坂はこえにけりむかし[みやこイ]もしらぬなかめせしまに
如願法師
淚もてたれかをりけむからころもたちてもゐてもぬるゝ袖哉
藤原光俊朝臣
しのふるもわかことはりといひなからさてもむかしとゝふひとそなき
壽永の比ほひ思ふゆへや侍けんひとにつかはしける
後德大寺左大臣
あらき風ふきやをやむと待ほとにもとのこゝろのとくこほりぬる
右大臣に侍ける時百首哥よみ侍ける[にイ入]述懷[哥イ入]
後法性寺入道前關白太政大臣
いにしへの戀しきたひにおもふかなさらぬわかれはけにうかりけり
述懷のこゝろをよみ侍ける
左近中將公衡
身のはてよいかにかならん人しれぬこゝろにはつる心ならすは
題しらす
後京極攝政前太政大臣
さてもさはすまはすむへき世中に人のこゝろのにこりはてぬる
寂蓮法師
さても又いく世かはへん世間にうき身ひとつのをきところなき
文集天可渡の心をよみ侍ける
藤原行能[朝臣イ]
わたつうみの鹽干にたてるみをつくし人のこゝろそしるしたになき
しはし世をのかれて大原山いなむろの谷なとにすみわたり侍ける比熊野御幸の御經供養の導師のかれかたきもよほし侍て都に出侍けるに時雨のし侍けれはよ河の木陰に立よりてよみ侍ける
法印聖覺
もろともに山へをめくるむらしくれさてもうきよにふるそかなしき
題しらす
平泰時
世中にあさは跡なくなりにけりこゝろのまゝのよもきのみして
髙倉院御時つたへ奏せさすること侍けるにかきそへて侍ける
西行法師
跡とめてふるきをしたふ世ならなんいまもありへはむかしなるへし
たのもしなきみ〱にます時にあひてこゝろのいろを筆にそめつる
醍醐の山にのほりて延喜の御願寺をみて[おかみてイ]よみ侍ける
中原師季
なをとむる世ゝの[はイ]むかしにたえねともすくれし跡そみるもかしこき
内大臣に侍ける時家百首哥に述懷の心を
前關白
河波をいかゝはからん舟ひとのとわたるかちのあとはたえねと
をのことも述懷哥つかうまつりけるついてに
御製
くりかへししつのをたまきいくたひもとをきむかしをこひぬ日そなき
述懷のこゝろを讀侍ける
内大臣
いかさまに契をきてしみかさ山かけなひくまて月を見るらん
定家少將になり侍て月あかき夜悦申侍けるを見侍てあしたにつかはしける
權中納言定家母
みかさ山みちふみそめし月かけにいまそこゝろのやみははれぬる
千五百番哥合に
二條院讚岐
かけたけてくやしかるへき秋の月やみちちかくもなりやしぬらん
のちの世の身をしる雨のかきくもり苔の袂にふらぬ日そなき
源爲相一臈藏人にてかうふりの程ちかく成侍けるに讀侍ける
道信朝臣
雲のうへの鶴の毛ころもぬきすてゝさはにとしへむほとそ[のイ]久しき[さイ]
頭中將に侍ける宰相になりて内よりいて侍て内侍のかみのもとにつかはしける
謙德公
おりきつるくものうへのみこひしくてあまつそらなるこゝちこそすれ
藏人にてかうふり給ていかゝ思ふと仰こと侍けれは
藤原相如
としへぬる雲ゐはなれてあしたつのいかなる澤にすまむとすらん
きこしめして仰られ侍ける
圓融院御製
あしたつの雲のうへにしなれぬれは澤にすむともかへらさらめや
行幸にまいりて大將にて年久[ひさしく]なり[侍イ入]ぬることを心のうちに思ひつゝけ侍ける
内大臣
わすれめや使のさをさきたてゝわたるみはしにゝほふたち花
老の後久しくしつみ侍てはからさる外に官[つかさ]給りて外記のまつりことにまいりて出侍けるに
權中納言定家
おさまれる民のつかさの御調物[みつきもの]ふたゝひきくも命なりけり
關白左大臣家百首哥よみ侍ける眺望哥
もゝしきのとのへをいつるよひ〱はまたぬにむかふ山のはの月
建保四年百首哥奉りけるに
參議雅經
うれしさもつゝみなれにし袖に又はてはあまりの身をそ恨る
日吉社にて述懐懷の心をよみ侍ける
從三位知家
あふ坂のゆふつけ鳥も我ことやこえゆくひとのあとになくらん
曉哥とてよみ侍ける
前中納言匡房
まとろまてものおもふ宿のなかき夜は鳥のねはかりうれしきはなし
按察使隆衡
鐘のをとをなにとてむかし恨けんいまはこゝろもあけかたのそら
參議雅經
身のうへにふりゆく霜のかねのをとをきゝおとろかぬ曉そなき
藤原宗經朝臣
あかつきの鐘そあはれをうちそふるうき世のゆめのさむるまくらに〇
遠鐘幽といへる心を
入道二品親王助道
はつせ山あらしの道のとをけれはいたりいたらぬ鐘のをと哉
曉述懷の心をよみ侍ける
正三位家隆
おもふことまたつきはてぬなかき夜のね覺にまくる鐘の音哉
法印覺寛
身のうさをおもひつゝけぬあかつきにをくらんつゆのほとをしらはや
題しらす
俊賴朝臣
なにとなく朽木の杣の山くたしくたす日くれはねそなかれける
寂然法師
つく〱とむなしき空をなかめつゝいりあひのかねにぬるゝ袖哉
法橋行賢
つく/\とくるゝ空こそかなしけれあすもきくへき鐘のをとかは
前參議俊憲
あすもありとおもふこゝろにはかられてけふをむなしくゝらしつるかな
源光行
あすもあらはけふをもかくや思ひいてむきのふの暮そ昔なりける
家五十首哥閑中燈
入道二品親王道助
これのみとともなふかけもさよ夜更てひかりそうすき窓のともしひ
從三位範宗
長き夜の夢路たえゆく窓のうちに猶のこりける秋のともしひ
述懷哥のなかによみ侍ける
侍從具定
あつめこしほたるもゆきもとしふれと身をはてらさぬひかり也けり
方磐をうち侍けるか老の後すたれておほえ侍らさり[イ左三字ナシ]けれはよめる
上西門院武藏
ふけにける我よのほとのかなしきは鐘のこゑさへうちわすれつゝ
題しらす
相摸
月かけをこゝろのうちに待ほとはうはの空なるなかめをそする
霜こほるふゆのかはせにゐるをし[鴛]のうへしたものをおもはすもかな
俊賴朝臣
なにはかたあしまのこほりけぬかうへに雪ふりかさぬおもしろの身や
なかれ蘆のうきことをのみみしま江に跡とゝむへき心ちこそせね
僧正圓玄病にしつみて久しく侍ける時よみ侍ける
權大僧都經圓
法[のり]のみちをしへし山は霧こめてふみみしあとに猶やまよ[とイ]はん
文治の比ほひちゝの千載集えらひ侍し時定家かもとに[哥イ入]つかはすとてよみ侍ける
尊圓法師
わかふかく苔のしたまておもひをくうつもれぬ名は君や殘さん
同し時よみ侍ける
荒木田成長
かきつむる神路の山のことの葉のむなしく朽む跡そかなしき
壽永二年大かたの世しつかならす侍し比讀置て侍ける哥を定家かもとにつかはすとてつゝみ紙に書付て侍し
平行盛
なかれての名たにもとまれゆく水のあはれはかなき身はきえぬとも
題しらす
法眼宗圓
わかの浦にしられぬあまのもしほ草すさひはかりにくちやはてなん
行念法師
もしほ草かきをく跡やいかならむわか身によらぬわかのうら波
西行法師自哥を哥合につかひ侍て判の詞あつらへ侍けるに書そへてつかはしける
皇太后宮大夫俊成
ちきりをきしちきりのうへにそへをかんわかのうら路のあまのもしほ木
返し
西行法師
わかの浦に鹽木かさぬるちきりをはかけるたくもの跡にてそみる
源氏の物語をかきて奧に書付られて侍ける
從一位麗子
はかもなき鳥のあとゝはおもふともわかすゑ/\はあはれともみよ〇
題しらす
和泉式部
春やくる花やさくともしらさりき谷のそこなるむ[う]もれ木の身は
貫之
春やいにし秋やはくらんおほつかなかけのくち木と世を過す身は
歎叓侍[なけくことはへり]ける時述懷哥
後京極攝政前太政大臣
かすならは春をしらましみやま木のふかくや苔[谷イ]にむ[う]もれはてなん
くもりなき星のひかりをあふきてもあやまたぬ身を猶そうたかふ
ひとり思ひをのへ侍けるうた
鎌倉右大臣
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふたこゝろわかあらめやも
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