新勅撰和歌集。撰者藤原定家。卷第十釋敎歌。原文。


新勅撰和歌集

新勅撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年五月十三日印刷。同十六日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。



新勅撰和歌集卷第十

 釋敎哥

  土佐國室戶といふ所にて

  弘法大師

法性のむろとゝいへとわかすめはうゐのなみ風よせぬ日そなき

  はちすの露をよみ侍ける

  空也上人

有漏の身は草葉にかゝるつゆなるをやかてはちすにやとらさり劔

  伊駒の山のふもとにてをはりとり侍けるに

  大僧正行基

のりの月ひさしくもかなとおもへともさ夜ふけにけりひかりかくしつ

  題しらす

  千觀法師

法身の月はわか身をてらせとも無明のくもの見せぬなりけり

  尼の戒うけ侍けるに

  大僧正觀修

ねんころにとをのいましめうけつれはいつゝのさはりあらしとそ思ふ

  大僧正明尊山しなてら供養の導師にて草木成佛のよし說侍けるを聞てあしたにつかはしける

  大僧都深觀

草木まて佛のたねと聞つれはこのみのならんこともたのもし

  返し

  大僧正明尊

たれもみなほとけのたねそをこなはゝこの身なからもならさらめやは

  錫杖の心をよみ侍ける

むつのわをはなれてみ世のほとけにはたゝこのつえにかゝりてそなる

  法成寺入道前攝政家に法華經廿八品哥よませ侍けるに序品

  權大納言行成

むかし見し花のいろ〱ちりかふはけふのみのりのためし成らん

  五百弟子品

  法成寺入道前攝政太政大臣

きてつくる人なかりせはころもてにかくる玉をもしらすや[そイ]あらまし

  廿八品哥よみ侍けるに同品

  少僧都源信

袖のうへのたまを淚とおもひしはかけゝんきみにそはぬなりけり

  依釋迦遺敎念彌陀といふ心をよみ侍ける

  京極前關白家肥後

をしへをきて入にし月のなかりせは西にこゝろをいかてかけまし

  堤婆品の心を讀侍ける

  膽西上人

法のためになふたきゝにことよせてやかて此よをこりそはてぬる

  觀音院に御封よせさせ給ける時の御哥

  冷泉院太皇太后宮

けふたつる民のけふりのたえさらはきえてはかなきあとをとはなん

  發心和哥集の哥般若心經

  選子内親王

世ゝをへてときくるのりはおほかれとこれそまことの心なりける

  普賢十願請佛住世

みな人のひかりをあふくそらのことのとかにてらせ雲かくれせて

  藥王品盡是女身

まれらなる法をきゝつるみちしあれはうきをかきりとおもひぬる哉

  百首哥中に大悲代受苦の心を

  式子内親王

けちかたき人のおもひに身をかへてほのほにさへや立ましるらん

  待賢門院中納言人ゝすゝめて法華經廿八品の哥よませ侍けるに譬喩品其中衆生悉是吾子の心をよめる

  皇太后宮大夫俊成

みなし子となになけきけん世の中にかゝるみのりのありけるものを

  隨喜功德品

谷かはのなかれのすゑをくむ人もきくはいかゝはしるしありける

  美福門院極樂六時讚を繪にかゝせられ侍てかくへき哥つかうまつりけるに虛空界をとひすきて歡喜國をさしてゆかん

手折つるはなのつゆたにまたひぬに雲のいくへをすきてきぬらん

  白銀ひかりさかりにて普賢大士來至す

しろたへに月か雪かと見えつるはにしをさしけるひかりなりけり

  舎利報恩講といふを行ひ侍けるに

  前大僧正慈圓

けふの法は鷲のたかねにいてし日のかくれてのちのひかりなりけり

さとりゆく雲はたかねにはれにけりのとかにてらせ秋の夜の月

  金剛界の五部をよみ侍ける佛部

いまはうへにひかりもあらしもち月とかきるになれはひときはの空

  塵點本の心をよみ侍ける

ゐるちりのつもりてたかくなる山のおくよりいてし月を見る哉

  家に百首哥よませ侍ける時五智の大圓鏡智の心を

  後法性寺入道前關白太政大臣

くもりなくみかきあらはすさとりこそまとかにすめる鏡なりけれ

  阿含經

  藤原隆信朝臣

ありとやは風まつほとをたのむへきをしか鳴野にをけるしら露

  安樂行品

  藤原盛方朝臣

山ふかみまことのみちにいる人はのりのはなをやしほりにはする

  法華經提婆品の心を

  法印慶忠

法のため身をしたかへしやま人にかへりて道のしるへをそする

  紫式部ためとて結緣經供養し侍ける所に藥草喩品を送り侍とて

  權大納言藤原宗家

法の雨に我もやぬれんむつましきわかむらさきのくさのゆかりに

  廿八品哥よみ侍けるに壽量品

  八條院髙倉

身をすてゝ戀ぬこゝろそうかりけるいはにもおふるまつはある世に

  陀羅尼品

天津空くものかよひちそれならぬをとめのすかたいつか待見ん

  勸發品受持佛語作禮而去

  寂然法師

ちり〱に鷲のたかねをおりそ行みのりのはなを家つとにして

  薩埵王子の心をよみ侍ける

  殷富門院大輔

身をすつるころもかけゝる竹の葉のそよいかはかりかなしかりけん

  百首哥よみ侍けるに十界哥人界

  後京極攝政前太政大臣

夢の世に月日はかなくあけくれてまたはえかたき身をいかにせん

  菩薩

秋の月もちはひとよのへたてにてかつ〱影そのこるくまなき

  十二光佛の心をよみ侍けるに不斷光佛

  源季広

月かけはいる山の葉もつらかりきたえぬひかりを見るよしもかな

  如來無邊誓願仕の心をよめる

  鑁也法師

かすしらぬちゝのはちすにすむ月をこゝろの水にうつしてそみる

  中道觀の心をよみ侍ける

  信生法師

なかむれはこゝろのそらにくもきえてむなしきあとにのこる月影

  悲鳴呦咽痛戀本群といへる心をよめる

  寂然法師

たちはなれこはきか原になく鹿はみちふみまとふ友やこひしき

  自惟馴露のこゝろを

  寂超法師

とことはにたのむかけなきねをそなく鶴のはやしのそらをこひつゝ

  十戒哥よみ侍けるに不殺生戒

  法眼宗圓

けふよりはかりにもいつなきゝすなくかたのゝみのはしもむすふなり

  不偸盗戒

こえしたゝおなしかさしの名もつらしたつたのやまの夜半のしらなみ

  不慳貧戒

こけのしたにくちせぬ名こそかなしけれとまれはそれもおしむならひに

  經敎如鏡の心をよめる

  蓮生法師

後の世をてらすかゝみのかけを見よしらぬおきなはあふかひもなし

  十如是の心をよみ侍ける本來究竟等

  寂然法師

をさゝ原あるかなきかのひとふしにもともすゑ葉もかはらさりけり

  後法性寺入道前關白舎利講のついて人ゝに十如是哥よませ侍けるに如是體の心を

  後京極攝政前太政大臣

はるの夜のけふりにきえし月かけの殘るすかたも世をてらしける

  如是性

  二條院讚岐

すむとてもおもひもしらぬ身のうちにしたひてのこる有明の月

  大輔人ゝに十首哥すゝめて天王寺にまうてけるによみ侍ける

  殷富門院新中納言

とゝめけるかたみを見てもいとゝしくむかし戀しきのりのあと哉

  天王寺の西門にてよみ侍ける

  郁芳門院安藝

さはりなくいる日を見てもおもふ哉これこそ西のかとてなりけれ

  おひのゝち天王寺にこもりゐて侍ける時物に書つけて侍ける

  後白河院京極

西の海いり日をしたふかとてしてきみのみやこにとをさかりぬる

  なき人の手に物かきてと申ける人に光明眞言をかきてをくり侍とて

  髙辨上人

かきつくるあとにひかりのかゝやけはくらきみちにもやみはゝるらん

  なにことかと申たりける人の返ことにつかはしける

きよ瀧や瀨ゝのいはなみたかをやまひともあらしのかせそ身にしむ

ゆめの世のうつゝなりせはいかゝせんさめゆくほとをまてはこそあれ

  住房の西の谷にいはほあり定心石となつく松あり縄床樹と名つくもとふた枝にして坐するにたよりあり正月雪ふる日すこしひまある程坐禪するに松の嵐はけしく吹て墨染の袖にあられのふりつもりて侍けるをつゝみて石のうへをたつとて衣裏明珠のたとひを思ひいてゝよみ侍ける

まつのしたいはねのこけにすみそめのそてのあられやかけしゝら玉







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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