新勅撰和歌集。撰者藤原定家。卷第五秋歌下。原文。
新勅撰和歌集
新勅撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年五月十三日印刷。同十六日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
新勅撰和歌集卷第五
秋哥下
寛平御時きさいの宮の哥合うた
よみ人しらす
秋の夜のあまてる月のひかりにはをくしらつゆを玉とこそ見れ
九月十三夜の月をひとりなかめておもひいて侍ける
能因法師
さらしなやをはすてやまに旅ねしてこよひの月をむかし見し哉
題しらす
小野小町
秋の月いかなるものそわかこゝろなにともなきにいねかてにする
九月つきあかき夜よみ侍ける
選子内親王家宰相
あきの夜のつゆをきまさるくさむらに影うつりゆく山のはの月
くまなき月をなかめあかしてよみ侍ける
道信朝臣
いつとなくなかめはすれと秋の夜のこのあかつきはことにも有かな
對月惜秋といへる心をよみ侍ける
菅原在良朝臣
月ゆへになかき夜すからなかむれとあかすもおしき秋の空哉
秋哥よみ侍けるに
侍從具定母
うき世をもあきのすゑ葉のつゆの身にをきところなき袖の月かけ
按察使兼宗
ありあけの月のひかりのさやけきはやとす草葉のつゆやをきそふ
左近中將伊平
みむろやましたくさかけてをく露に木の間の月の影そうつろふ
百首哥中に
後京極攝政前太政大臣
眞木のとのさゝて有明になりゆくをいくよの月とゝふ人もなし
建保二年秋哥奉りけるに
參議雅經
身を秋の我よやいたくふけぬらん月をのみやはまつとなけれと
正三位家隆
かきりあれは明なんとする鐘の音に猶なかき夜の月そ殘れる
入道二品親王家にて秋月哥よみ侍けるに
權大僧都有果
かせさむみ月はひかりそまさりけるよもの草木の秋の暮かた
後京極攝政百首哥よませ侍けるに
小侍從
いくめくり過行秋にあひぬらんかはらぬ月のかけをなかめて
八條院六條
あきの夜はものおもふことのまさりつゝいとゝつゆけきかたしきの袖
秋の夜[人ゝイ]もろともにおき居て物かたりし侍けるに
京極前關白家肥後
秋の夜をあかしかねては曉のつゆとをきゐてぬるゝ袖かな
うへのをのことも秋十首哥つかうまつりけるに
右衞門督爲家
かたをかのもりのこの葉もいろつきぬわさ田のをしね今やからまし
寛平御時きさいの宮の哥合のうた
よみ人しらす
から衣ほせとたもとの露けきはわか身のあきになれはなりけり
題しらす
人麿
秋田もるひたのいほりにしくれふりわか袖ぬれぬほすひともなし
躬恒
あきふかきもみちのいろのくれなゐにふりいてて[つゝイ]なく鹿の聲哉
兵部卿もとよしのみこしかの山こえの方に時ゝかよひすみ侍ける家を見にまかりてかき付侍ける
とし子
かりにのみくる君まつとふりいてて[つゝイ]鳴しか山は秋そかなしき
題しらす
中納言家持
秋萩のうつろふおしとなくしかのこゑきく山は紅葉しにけり
鎌倉右大臣
雲のゐる木すゑはるかに霧こめてたかしの山に鹿そ鳴なる
前大僧正慈圓
むへしこそ此比物はあはれなれ秋はかりきくさをしかのこゑ
哥合し侍けるに鹿をよみ侍ける
前參議經盛
峰になくしかのねちかく聞ゆなりもみち吹おろす夜はのあらしに
建保六年内裏哥合秋哥
八條院髙倉
わかいほはをくらの山のちかけれはうき世をしかとなかぬ日そなき
鹿哥とてよみ侍ける
權中納言實守
大江山はるかにをくるしかのねはいく野をこえて妻をこふらん
建保五年四月庚申五首秋朝
六條入道前太政大臣
おほかたの秋をあはれとなく鹿のなみたなるらしのへのあさつゆ
澗庭鹿といふ心をよみ侍ける
正三位知家
さをしかのあさゆく谷の埋れ水かけたにみえぬつまをこふらん
題しらす
如願法師
棹鹿のなくねもいたく更けにけりあらしの後のやまのはの月
後冷泉院みこの宮と申ける時なしつほのおまへの菊おもしろかりけるを月あかき夜いかゝとおほせられけれは
大貮三位
いつれをかわきておるへき月かけに色みえまかふしら菊の花
あしたにまいりて侍けるに此哥の返しつかうまつるへきよしおほせられけれはよみ侍ける
權大納言長家
月影におりまとはるゝ白菊はうつろふいろやくもるなるらん
康保三年内裏菊合に
天曆御製
かけ見えてみきはにたてるしら菊はおられぬ波の花かとそみる
崇德院月照菊花といへる心をよませ給うけるに
右兵衞督公行
月影にいろもわかれぬしらきくはこゝろあてにそおるへかりける
按察使公通
月かけにかほるはかりをしるしにて色はまかひぬしらきくの花
月前菊といへる心をよみ侍ける
鎌倉右大臣
ぬれておる袖の月かけふけにけり籬の菊のはなのうへのつゆ
たいしらす
入道二品親王道助
わかやとの菊のあさつゆいろもおしこほさてにほへ庭の秋風
秋哥よみ侍けるに
權中納言忠信
なくなくもゆきてはきぬるはつ鴈の淚のいろをしる人そなき
鎌倉右大臣
わたの原やへの汐路にとふ鴈のつはさのなみにあきかせそ吹
如願法師
月になく雁の羽風のさゆる夜に霜をかさねてうつ衣哉
眞眼法師
あらしふくとをやまかつのあさ衣ころも夜さむの月にうつ也
擣衣の心をよみ侍ける
曾禰好忠
ころもうつきぬたの音をきくなへに霧たつそらにかりそ鳴なる
貫之
唐衣うつこゑきけは月きよみまたねぬ人を空にしるかな
久安百首哥奉りける秋哥
皇太后宮大夫俊成
ころもうつひゝきは月のなになれやさえゆくまゝにすみのほるらん
百首哥奉りける秋哥
入道前太政大臣
風さむき夜はのね覺のとことはになれてもさひし衣うつ聲
前大納言隆房
いまこんとたのめし人やいかならん月になくなく衣うつなり
題しらす
承明門院小宰相
月の色もさえゆく空の秋かせに我身ひとつと衣うつなり
月五十首哥よみ侍けるに
後京極攝政前太政大臣
ひとりねの夜さむになれる月みれは時しもあれやころもうつなり
秋哥よみ侍けるに
權大納言家良
白妙の月のひかりにをくしもをいく夜かさねて衣うつらん
正三位家隆
しろたへのゆふつけ鳥もおもひわひなくやたつたの山の初霜
建保六年内裏哥合秋哥
たむけ山もみちの錦ぬさはあれと猶月かけのかくるしらゆふ
百首哥中に秋哥
前關白
をきまよふしのゝ葉くさの霜のうへによをへて月のさえわたる哉
千五百番哥合に
正三位家隆
あきのあらし吹にけらしなと山なるしはの下草いろかはるまて
題しらす
藤原信實朝臣
日をへてはあき風さむみさをしかのたちのゝまゆみ紅葉しにけり
百首哥奉りける秋哥
入道前太政大臣
あきのいろのうつろひゆくをかきりとて袖にしくれのふらぬ日はなし
參議雅經
あきのゆく野山の淺ちうらかれて峰にわかるゝくもそしくるゝ
題しらす
鎌倉右大臣
鴈なきてさむきあさけのつゆ霜にやのゝ神山いろつきにけり
西行法師
やまさとは秋のすゑにそおもひしるかなしかりけり木からしの風
かきりあれはいかゝは色のまさるへきあかすしくるゝをくら山かな
藤原伊光
くれなゐのやしほの岡のも紅葉ゝをいかにそめよと猶しくるらん
建保二年秋哥奉りけるに
内大臣
みなせかは秋行水のいろそこきのこるやまなくしくれふるらし
參議雅經
あしひきのやまとにはあらぬ唐錦たつたのしくれいかてそむらん
僧正行意
我宿はかつちるやまのもみち葉にあさゆく鹿の跡たにもなし
後法性寺入道前關白家哥合に紅葉をよみ侍ける
皇太后宮大夫俊成
しくれゆく空たにあるをもみちはのあきはくれぬと色に見すらん
百首哥の中に
式子内親王
秋こそあれ人はたつねぬ松のとをいくへもとちよつたのもみちは
關白左大臣家百首哥よみ侍けるに
權中納言定家
しくれつゝ袖たにほさぬ秋の日にさこそみむろの山はそむらめ
從三位範宗
つゆ時雨そめはてゝけりをくら山けふやちしほのみねの紅葉は
中宮但馬
いくとせかふるの神杉しくれつゝよもの紅葉に殘りそめけん
うへのをのことも秋十首哥つかうまつりけるに
權中納言隆親
しくれけん程こそみゆれ神なひのみむろのやまの峰の紅葉は
題しらす
法印覺寛
そめ殘すこすゑもあらしむら時雨猶あかなくの山めくり哉
建保四年右大臣家哥合故鄕紅葉をよめる
正三位家隆
ふるさとのみかきか唐のはしもみみこゝろとちらせ秋の木からし
文治六年女御入内屏風に
後法性寺入道前關白太政大臣
すそのより峰のこすゑにうつりきてさかりひさしき秋のいろかな
德大寺左大臣
このもとに又ふきかへせ[すイ]からにしきおほみや人に見まししかせん
左京大夫顯輔哥合し侍けるに紅葉を讀てつかはしける
權中納言經忠
嵐ふくふなきのやまの紅葉はゝしくれのあめにいろそこかるゝ
家に百首哥よませ侍けるに紅葉の哥
關白左大臣
たつた河みむろのやまのちかけれは紅葉を波にそめぬ日そなき
後京極攝政百首哥よませ侍けるに
小侍從
をきてゆく秋のかたみやこれならん見るもあたなるつゆの白玉
秋の暮の哥
禎子内親王家攝津
ゆくあきの手向のやまのもみちはゝかたみはかりやちり殘るらん
權中納言實有
木枯のさそひはてたる紅葉ゝをかはせの秋とたれなかむらん
參議雅經
秋はけふくれなゐくゝるたつた川ゆくせの波も色かはるらん
九月盡によみ侍ける
入道前太政大臣
あすよりのなこりを何にかこたましあひもおもはぬ秋のわかれち
八條院髙倉
過はてぬいつら長月名のみしてみしかゝりける秋のほと哉
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