風雅和歌集。卷第十七雜哥下。原文。


風雅和歌集

風雅倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年八月二十五日印刷。同三十日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。



風雅和謌集卷第十七

 雜歌下

  題しらす

  伏見院御歌

天津空てる日のしたに有なからくもる心のくまをもためや

  雜歌の中に

  太上天皇

てりくもりさむきあつきも時として民に心のやすむ間もなし

  百首歌奉し時

  權大納言資明

誰もみな心をみかけ人をしる君かかゝみの曇なき世に

  述懷の歌の中に

  左兵衞督直義

靜なる夜半のね覺に世中の人のうれへを思ふくるしさ

  光明峯寺入道前攝政左大臣

神代より道ある國につかへける契りもたえぬ關の藤川

  前大納言經顯

今まては代々へてすみし白河のこらし水の心はかりは

  雜御歌の中に

  後伏見院御歌

あふき見て我身ををとへは天の原すめるみとりのいふ事もなし

  前大僧正道玄

さりともとあふきて空を賴むかな月日のいまたおちぬ世なれは

  深心院關白前左大臣

行末の道はまよはし春日山いつる朝日の影にまかせて

  文保百首歌に

  芬陀利花院前關白内大臣

くもらしと思ふ心をみかさ山いつる朝日も空にしるらん

  雜御歌とて

  後醍醐院御歌

おさまれる跡をそしたふをしなへてたかむかしとは思ひわかねと

  百首歌の中に

  太上天皇

おさまらぬ世のためのみそうれはしき身のための世はさもあらはあれ

  嘉禎二年十二月四位の從上に叙して慶を奏しけるに雪のいみしくふり侍けれは

  從三位爲繼

位山かさなる雪に跡とめてまよはぬ道はなをそかしこき

  山を

  藤原秀經

道しらは今もまよはて位山むかしの跡に名をのこさはや

  百首歌奉し時

  前大納言實敎

老の身にいま一坂のくらゐ山のほらにし[・て(イ)]もくるしかりけり

  雜御歌の中に

  伏見院御歌

愁へなくたのしみもなし我心いとまぬ世はあるにまかせて

  藤原爲守女

なきにのみ身をなしはてし心よりあるにまかする世こそやすけれ

  法印顯範

いにしへは歎きし事もなけかれす憂いならひて年のへぬれは

  藤原重能

人はしらしかた山陰の埋水こゝろのそこはいかにすむとも

  百首歌奉しに

  藤原爲明朝臣

憂なからあるにまかする我身こそかくてもすつる此世なりけれ

  雜歌に

  徽安門院

身こそあらめ心を塵の外になしてうき世の色にそましとそ思ふ

  皇慶贈法印慈應の諡號を申給はりてよみ侍ける

  入道二品親王尊圓

谷川の水の水上代々をへて今そかしこき名をなかすらん

  題しらす

  大江廣秀

水上のすめるをうけて行水の末にもにこる名をはなかさし

  百首歌奉し時

  左兵衞督直義

髙き山深き河にもまさるらし我身にうくる君かめくみは

  中納言に拜任の時よみ侍ける

  前中納言爲相

のほる瀨のありけるものを引人のなきにもよらぬ淀の河舟

  文保百首歌に

  芬陀利花院前關白内大臣

しつむ身と何歎きけんさほ河のふかきめくみのかゝりける世に

  よをのかれてこもり居侍けるに建武の比又世にましらへ侍とてよめる

  藤原時藤

おなしくはおとろへさりしもとの身を今にかへして世につかへはや

  題しらす

  源致雄

命をはかろきになして武士の道よりをもき道あるめやは

  百首歌奉し時入道二品親王尊圓

百敷やみきりの竹のふして思ひおきて祈るも我君のため

  雜歌に

  西園寺前内大臣女

すみ佗る我こそ常にいそかるれ月は何ゆへ山にいるらん

  なやむ事侍ける比雨のふりけるに衣笠前内大臣といひて侍けれはよみてつかはしける

  慶政上人

何事を思ひつゝくとなけれとも雨の寢覺は物そかなしき

  西山に住侍けるに京へ出ける時草庵の障子に書つけゝる

  前大僧正道玄

いるたひに又は出しと思ふ身の名にゆへいそくみやこなるらん

  述懷歌の中に

  彈正尹邦省親王

身のうさを心ひとつになくさめて我あらましを待そはかなき

  前大僧正守譽

いつまてと思ふはかりそめあたし世のうきになくさむ賴みなりける

  權律師有淳

世中は憂はうれしき物そともいつすてはてゝ思ひあはせん

  如圓法師

なれぬれはおもひもわかぬ身のうさを忘ぬ物は淚なりけり

  源宗滿

歎くへきことをあまたの身のうさにまつは淚の何におつらん

  皇太后宮大夫俊成千載集えらひ侍ける時申つかはしける

  前左兵衞督惟方

もしは草かきあつめたる和歌浦のその人數に思ひ出すや

  返し

  皇太后宮大夫俊成

今もなをなれし昔は忘れぬをかけさらめやは和歌の浦波

  題しらす

  平久時

かひつもるもくつのみしてあるかひもなきさによする和歌のうら波

  大江宗秀

和歌の浦に心をよせて年ふれともくつうつもる玉はひろはす

  賀茂重保か堂の障子に時の歌よみとものかたを書て各よみたる歌を色紙かたにかくへき由申侍れは我も入たるらんと尋侍けるに位髙き人はおそれありてかゝぬよし申たりけれはしきしかた書てつかはすとて

  後德大寺左大臣

和歌の浦の波のかすにはもれにけりかくかひもなきもしほ草かな

  皇太后宮大夫俊成打聞せんとて忠盛朝臣歌をこひけるにつかはすとてよめる

  前參議經盛

家の風吹とも見えぬ木の本にかきをくことの葉をちらすかな

  百首歌奉し時

  左兵衞督直義

ことのはの六くさのうちにさま〱の心そ見ゆるしきしまの道

  基俊に古今集をかりて侍けるをかへしつかはすとて

  皇太后宮大夫俊成

君なくはいかにしてかははるけまし古今のおほつかなさを

  返し

  基俊

かきたむる古今のことはをのこさす君につたへつるかな

  西行みもすその歌合とて前中納言定家に判すへきよし申けるを若かりける比にていなひ申をあなかちに申侍けれは判してつかはすとて山水のふか〱れともかきやらす君に契りを結ふはかりそと申侍ける返事に

  西行法師

結ひなす末を心にたくふれはふかく見ゆるを山川の水

  建保三年内裏にめされける名所百首歌の中に辰市

  前中納言定家

敷嶋の道に我名はたつの市やいさまたしらぬやまとことのは

  寶治百首歌奉りける時浦舟を

  前大納言爲家

和歌の浦に身そうき波のあまを舟さすかかさなる跡な忘れそ

  從三位賴政正下五位に叙して侍ける時其悦いひつかはすとて

  藤原隆信朝臣

和歌浦に立のほるなる波の音はこさる[・るゝ(イ)]も身にうれしとそ聞

  返し

  從三位賴政

いかにして立のほるらんこゆへしと思ひもよらぬ和歌の浦浪

  おなし人髙倉院の殿上人の還昇を[・イニナシ]ゆるされて侍けるに申つかはしける

  淸輔朝臣

立歸る雲井のたつにことつてんひとりさはへに鳴とつけなん

  橘爲仲朝臣藏人おりて又の日澤水におりゐたるたつは年ふともなれし雲井そ戀しかるへきと申侍ける返事に

  大貮三位

蘆原にはねやすむめるあしたつはもとの雲井に歸らさらめや

  二條院御時御かしこまりにてこもり居侍けるにゆるされて後殿上をはいまたゆりさりける比そうせよとおほしくて藏人尹明に申つかはしける

  太宰大貮重家

このうちをいつとしならはあしたつのなれし雲ゐになとやかへらぬ

  岩淸水臨時祭の舞人にて立やとりける家のあるし又こん春も待へきよしいひけれは思ふ心や有けん

  藤原定良

又もこん春とはえこそいはし水立まふこともありかたき世に

  六條院位におはしましける時臨時祭四位陪從にもよほされてまいりけるに思ふ事やありけん檜扇のつまに書て中宮御方の女房の中にさしをかせける

  淸輔朝臣

昔見し雲のかけ橋かはらぬと我身ひとつのとたえ成けり

  世をのかれて後大納言三位にひはのふをかへすとて

  欣子内親王

くもれかしなかはの月の面影もとめてみるへき袂ならねは

  文保三年百首歌めされける時

  民部卿爲定

今更にのほりそやらぬ位山くるしかるへき代々の跡かは

  白糸を人の心にたとへたる事をよめる

  髙辨上人

むかしたれ人の心をしら糸のそむれはそまる色になきけん

  世をのかれて木曾路といふ所を過るとて

  兼好法師

思ひたつその麻きぬ淺くのみ染てやめへき袖の色かは

  題しらす

  藤原惟規

なにとなく花や紅葉をみる程に春と秋とはいくめくりしつ

  西行法師

花ちらて月はくもらぬ世なりせは物を思はぬ我身ならまし

  權少將都光覺竪義請のそみ侍ける時

  基俊

九つの澤に鳴なるあしたつの子を思ふ聲は空に聞ゆや

  返し

  法性寺入道前關白太政大臣

よそに子を思ふたつの鳴聲を哀と人のきかさらめやは

  ある人の久しく對面せさりけるかをとつれ侍けれは

  髙辨上人

なからへてとはるへしとは思ひきや人のなさけも命なりけり

  雜歌に

  祝子内親王

うしとてもいく程の世と思ふ〱猶そのうちも物そわひしき

  前中納言爲相

うしとてもうからすとてもよしやたゝ五十の後のいく程の世は

  百首歌奉し時

  前大納言實敎

思ひ出もなくて過こし年月のかすにまさるは淚なりけり

  雜歌に

  法印延全

七十のとしなみこえて今は身の何をか末の待ことにせん

  前中納言爲相女

朝夕の心のうちの物うさをさてもある身と人やしるらん

  百首歌奉しに

  徽安門院小宰相

思ひしらはそむきもすへき身をゝきてたか名にたてし憂世成らん

  題しらす

  前大僧正道玄

今さらにうしといふこそをろかなれかゝるへき世の末としらすや

  宣光門院新右衞門督

捨かぬる心も我身そのうへにたかおもはせていとはしき世そ

  儀子内親王

思ふ事なく[・ら(イ)]はいつまてすまんとてたゝめのまへの世を歎らん

  百首歌奉し時

  前中納言雅孝

はかなしと思ひなからもあらましに身をなくさめて年をふる哉

  世中さはかしかりける比東坂本におはしましける程の御歌ともを後に見て奉りける

  權大納言公䕃

さこそはと思ひやられしその折の旅のあはれをさなからそみる

  御返し

  院御歌

ことの葉に色はなけれと思ひやる心をそへて哀とや見る

  文保の比つかさとけてこもり居て侍ける比山里にて

  藤原爲基朝臣

心とは住はてられぬおく山にわか跡あつめやへのしら雲

  述懷歌の中に

  新宰相

行末を賴みと人やおもふらん心にもあらて世をすくす身を

  藤原秀能

うき世とは思ひなからに捨てやらてあらましにのみ過しつるかな

  源仲敎

憂世とはなへていふなることはりを我身ひとつになしてこそ思へ

  權少僧都淨道

うき事を思はしとてもいかゝせんさすか心のなき身ならねは

  從二位宣子

折々の身のあらましもかはりけり我心さへさためなの世や

  文永比西山へいるよし申つかはして侍けれは出京いつ比そと申て侍ける人の返事に

  前大僧正道玄

世のうさに思ひたちぬる山里はいさいつまてと程も定めす

  閑居述懷といふ事を

  西園寺前内大臣女

哀にそ蓬か庭のあともなき本よりたれを待身ならねは

  雨を

  俊賴朝臣

つく〱と思へはかなし數ならぬ身をしる雨よをやみたにせよ

  大峯のふる屋のとまりにて

  前大僧正道昭

淚のみふるやの軒の板ひさしもりくる月そ袖にくもれる

  題しらす

  藤原宗秀

山深く身をかくしても世中をのかれ果ぬは心なりけり

  山田法師

かくはかりとりあつめたる身のうさに心つよくもなかき命か

  讀人しらす

身はかくてのかれはてぬる世中を人のうへまて猶いとふかな

  權僧正忠性

世をうしと思ひたつとも我山の外にはいかゝすみそめの袖

  前大僧正公什

世をうみの網のうけ繩一すちに引へき人もなき身也けり

  雜御歌の中に

  崇德院御歌

我心たれにかいはん伊勢のあまのつりのうけ引人しなけれは

  前大僧正道意

いかにせんそむかはとこそ思ひしに捨てもうきは此世なりけり

  前左兵衞督惟方使の別當になりて侍ける比歎事ありけるをとふらはす侍けれは申つかはしける

  讀人しらす

なけきをもとはぬつらさはつらけれとうれしき事はうれしとそきく

  かへし

  前左兵衞督惟方

いふよりもいはて思ふはまさるとてとはぬもとふにをとりやはせし

  題しらす

  從二位爲子

心たにわか思ふにもかなはぬに人をうらみんことはりそなき

  康永二年歌合に雜心を

  儀子内親王

物ことに心をとめは何にかはうき世の中のしられさるへき

  百首歌の中に

  安嘉門院四條

心こそ身の關守となりにけれやすく出へき此世なれとも

  雜歌中に

  徽安門院

世中のうき度ことになくさむるよしいく程のなからましかは

  壽成門院

あらましの心のまゝに見る夢を思ひあはするうつゝともかな

  百首歌奉し時

  徽安門院小宰相

哀にもうつゝに思ふあらましのたゝそのまゝに見つる夢哉

  夢中述懷を

  後京極攝政前太政大臣

うたゝねのはかなき夢のうちにたに千々の思ひの有ける物を

  夢中歡樂又紛然といふ事を

  大江千里

夢にてもうれしきことの見えつるはたゝにうれふる身にはまされり

  雜御歌の中に

  後鳥羽院御歌

大かたのうつゝは夢になしはてつぬるかうちには何をかもみん

  權僧正永緣

長き夜の夢のうちにてみる夢はいつれうつゝといかゝさためん

  前大僧正慈鎭

夢そかし思ふまゝなる身成ともうれしかるへき此世とやみる

  嘉元百首歌に夢を

  後山本前左大臣

いつかたに思ひさためん夢といひて思ふも見えす思はぬもみゆ

  おなし心を

  前左大臣

あたし世にねても覺ても見ることはいつれを夢と心にかわく

  百首御歌に

  院御歌

もとよりのさなから夢とみるうへはよしやかならすさめもさめすも

  正慶二年藤原爲基朝臣世をそむきぬと聞て申つかはしける

  永陽門院左京大夫

おとろくもさこそとかなしうき夢のさめぬまよひに世をや捨てけん

  返し

  藤原爲基朝臣

さめやらぬうき世の夢のなこりこそ捨ぬる身にも猶殘りけれ

  雜歌の中に

  右大臣室

あかつきの鐘は枕に音すれと憂世の夢はさめんともせす

  從二位爲子

長き夜にまよふやみちのいつさめて夢を夢とも思ひあはせん

  藤原爲基朝臣

ぬるかうちに見るより外のうつゝさへいやはかなゝる夢に成ぬる

  前中納言爲相女

おとろかぬ昨日の夢の世をしらて又あらましのあすもはかなし

  圓光院入道關白太政大臣

見し人も殘すくなき老か世にたれと昔をかたりあはせん

  源賴貞

哀とて我ね覺とふ人もかな思ふ心をいひもつくさん

  永福門院

今になりむかしにかへり思ふまに寢覺の鐘も聲つきぬ也

  建禮門院大原におはしましける比尋まいりたるに夢の心ちのみして侍けれは思ひつゝけ侍ける

  右京大夫

今や夢むかしや夢とたとられていかに思へとうつゝとそなき

  水無瀨に住侍ける比後鳥羽院下野たれともなくてみなせ川哀むかしと思ふより淚のふちをわたりかねつゝとかきてさしをかせ侍けるにおひてつかはしける

  前參議信成

君もさはわたりかねける淚河我身ひとつの淵と思ふに

  懷舊の心を

  藤原隆信朝臣

二たひとかへる方なきむかしにも夢路はかよふ物にそ有ける

  院に三十首歌めされし時夜懷舊を

  彈正尹忠房朝臣

むは玉のよるの衣をいにしへにかへすたのみの夢もはかなし

  雜歌の中に

  儀子内親王

さめて後くやしき物は又もこぬ昔をみつる夢にそ有ける

  前關白左大臣[通]※左一字小字

つく〱と過にし方を思ひねの夢そむかしの名殘なりける

  式部卿恒明親王

歸りこぬ昔にかよふ夢路をはしはしもいかてさまさてをみん

  藤原宗親

思ひねの夢より外は賴まれすさらてはかへる昔ならねは

  李夫人を

  前内大臣[冬]※

見ても猶思ひそまさる花の跡中々つらき形見なりけり

  配所より歸りて後淸輔朝臣もとより鳥の子のありしにもにぬふるすには歸るにつけて音をや鳴らんと申ける返しに

  民部卿成範

かた〱に鳴てわかれしむら鳥のふるすにたにも歸りやはする

  雜歌の中に

  右兵衞督基氏

いにしへの今みるはかりおほゆるはわか老らくのね覺なりけり

  髙階宗成朝臣

いにしへになせはこそあれ思ひ出る心は今の物にそありける

  如願法師

しつたまき數にもあらぬ身なれともつかへし道は忘れしもせす

  後宇多院宰相典侍

こしかたの忘れかたきも又人にかたるはかりの思ひいてはなし

  藤原賴氏

ことに出て哀むかしといはるゝも更に身のうき時にそ有ける

  三善遠衡朝臣

おり〱にむかしを忍ふ淚こそ苔のたもとに今もかはかね

  藤原爲嗣朝臣

うつゝにて今見る事はまきるれと昔の夢そ忘れさりける

  後宇多院宰相典侍

老ぬれはかつみる事は忘られて遠きむかしの忍はるゝかな

  從三位爲繼

思出のなき身なれともいにしへをこふるは老をいとふなりけり

  前關白左大臣[基]※

へたゝらぬ我身の程のいにしへも過にしかたは猶そ戀しき

  よみ人しらす

過ぬれは今日を昨日といひなして遠さかるこそ昔なりけれ

  文保三年後宇多院に奉りける百首歌の中に

  權中納言公雄

あやにくにしのはるゝ身の昔かな物忘れする老のこゝろに

  述懷歌に

  藤原範秀

みし友っはあるかすくなき同し世に老の命のなに殘るらん

  雜歌の中に

  從二位爲子

そむかはやよしや世中とはかりのあらましにてやつゐに過なん

  藤原資隆朝臣

あさことに哀をいとゝます鏡しらぬおきなをいつまてかみん

  もろともに世をそむきなん契りける人に心ならすなからふるよしをいひて

  讀人しらす

はかなさはけふともしらぬ世中にさりともとのみいつを待らん

  返し

  寂然法師

思ひしる心とならはいたつらにあたら此世をすくささらなん

  我若未忘世雖関[※左一字門ニ禾]亦將[・忙(イ)]世若未忘我雖退身難藏といふことを

  中務卿宗尊親王

そむくとも猶や心の殘らまし世に忘られぬわか身なりせは

  出家の後述懷歌の中に

  前中納言有忠

子をおもふやみにそまよふ桑の門うき世にかへる道はとちても

御くしおろさせ給て秋のはしめつかた永福門院に奉らせ給ける

  後伏見院御歌

秋をまた思ひ立にしこけ衣今より露をいかてほさまし

  御返し

  永福門院

思ひやる苔の衣の露かけてもとの淚の袖やくちなむ

  應長元年八月竹林院前左大臣かさりおろして侍けるを聞て申つかはしける

  前大納言爲兼

かた〱におしむへき世を思ひ捨てまことの道に入そかしこき

  返し

  竹林院入道前左大臣

消ぬへき露の命をおしむとて捨てかたき世をけふそむきぬる

  年比めしつかひけるものゝ出家し侍けれは

  民部卿成範

なからへて我も住へき宿ならはしはしと人をいはまし物を

  雜歌の中に

  藤原爲守女

あらましはさなからかはる身のはてにそむくはかりそ末とをりける

  内侍都の外に住侍けるに御心ち例ならさりける比つかはされける

  永福門院

忘られぬむかし語もをしこめてつゐにさてやのそれそかなしき

  御返し

  同院内侍

はるけすてさてやと思ふうらみのみ深きなけきにそへてかなしき

哀そのうきはてきかて時のまも君にさきたつ命ともかな

  述懷の心をよめる

  寂然法師

何事をまつことにてはすくさましうき世をそむく途なかりせは

  雜夕を

  從三位盛親

今はわれうき世をよそにすみ染めの夕の色の哀なるかな

  夕暮に雲のたゝよふを見てよめる

  待賢門院堀川

それとなき夕の雲にましりなは哀たれかはわきてなかめん

  題しらす

  寂然法師

稲妻の光の程か秋の田のなひく末葉の露の命は

  俊惠法師

後の世といへははるかに聞ゆるを出入いきのたゆるまつほと

  前大僧正しい慈鎭

いへはうししぬる別れののかれぬを思ひもいれぬ世のならひこそ

  五月五日爲道朝臣身まかりて後みとせめくりぬるおなし日數も哀にて前大納言爲世につかはさせ給ける

  後二條院御歌

けふといへは別れし人の名殘よりあやめもつらき物をこそ思へ

  御返し

  前大納言爲世

今日はなをあやめの草のうきねにもいとゝ三とせの露そかはかね

  雜歌の中に

  三条入道前太政大臣

あはれいつかそれは昔になりにきとはかなき數に人にいはれん

  はかなき事のみ聞えける比よみ侍ける

  院冷泉

いとへとも身はあやにくにつれなくてよその哀をきゝつもるかな

  心ち例ならさりける比讀侍ける

  郁芳門院宣旨

露の身は消はてぬともことのはにかけても誰か思ひいつへき

  昔法金剛院の梅をめてける人の年へて後いかゝなりぬらんといふに折てつかはすとてよねる

  上西門院兵衞

何事もむかし語になり行は花も見し世の色やかはれる

  かへし

  二條院皇太后宮堀川

かくはかりうつり行世の花なれとさく宿からは色もかはらす

  後深草院かくれ給ての又のとしの春伏見院へ梅花を折て奉らせ給とて

  遊義門院

故鄕の軒端に匂ふ花たにも物うき色に咲すさひつゝ

  御返し

  伏見院御歌

花はなを春をもわくや時しらぬ身のうき物うき比のなかめを

  文永九年二月十七日後嵯峨院かくれ給ぬと聞ていそきまいる道にて思ひつゝけ侍ける

  中務卿宗尊親王

かなしさはわかまたしらぬ別にて心もまとふしのゝめのみち

  中臣祐春墓にさくらをおりてたつるとて

  中臣祐任

をのつから苔のしたにも見るやとて心をとめし花を折つる

  前大僧正行玄身まかりて後何事も引かへてなけかしくおほえ侍けるに又の年の春ひえの山にのほりて花のおもしろく咲たりけるを見てよみ侍ける

  前大僧正全玄

けふみれは深山の花は咲にけりなけきそ春もかはらさりける

  後深草院かくれ給て又のとしの二月はかり雨ふりけるに覺助法親王のもとに給はせける

  伏見院御歌

露けさは昨日のまゝの淚にて秋をかけたる袖の春雨

  御返し

  二品法親王覺助

かきくれし秋の淚のそのまゝに猶袖しほるけふの春雨

  雜歌の中に

  西園寺前右大臣女

露きえんいつの夕もたれかしるらん問人なしの蓬生の庭

  後一條入道關白身まかりて後八月末つかた袖の露も折しも思ひやらるゝよし申たる人の返事に

  後二位隆博

思へかしさらてももろき袖の上に露をきあまる秋の心を

  深心院關白身まかりける時よみてつかはしける

  藤原光俊朝臣

誠ともおほえぬ程のはかなさは夢かとたにもとはれやはする

  返し

  髙階宗成朝臣

今も猶夢かと思ふかなしさをたか誠とておとろかすらん

  太宰帥世良親王の一めくりに臨川寺へと思立て

  欣子内親王

常ならぬうき世のさなかのゝへの露消にし跡を尋てそとふ

  二條院かくれ給て又の年の春南殿の花を折て人の許へつかはしける

  前大納言實國

九重に見し世の春は思ひいつかはらぬ花の色につけても

  父なくなりて後ときはの山里に侍ける比三月許に源仲正かもとにつかはしける

  寂然法師

春きてもとはれさりける山里を花さきなはと何思ひけん

  返し

  源仲正

もろともに見し人もなき山里の花さへうくてとはぬとをしれ

  顯親門院御いみの比奉りける

  永福門院内侍

今年しもあらぬかたにやしたひまさるつらき別れの花鳥の春

  御返し

  院御歌

花のちり春のくるらん行衞たにしらぬ歎きの本そ悲しき

  後京極攝政身まかりて後世四五日ありて從二位家隆許よりふしてこひおきてもまとふ春の夢いつか思ひのさめん とすらんと申て侍ける返事に

  前中納言定家

夢ならてあふよも今はしら露のをくとはわかれぬとはまたれて

  病かきりに侍ける時書をきける

  藤原爲守

六十あまり四とせの冬の長きよにうき世の夢を見はてつる哉

  雜歌の中に

  從二位爲子

人の世は久しといふも一時の夢のうちにてさも程もなき

  百首歌奉し時

  永福門院右衞門督

けふ暮ぬあすありとてもいく程のあたなる世にそうきも慰む

  無常の心を

  僧正慈快

聞たひによその哀と思ふこそなき人よりもはかなかりけれ

秋のはしめつかたに近くさふらひたる人の身まかりけれは

  伏見院御歌

ひこ星のあふてふ秋はうたてわれ人に別るゝ時にそ有ける

  前中納言爲相七年の遠忌に藤原爲秀朝臣一品經供養しけるついてに秋懷舊といふ事を

  久良親王

忘られぬ淚はおなし袂にてはや七とせの秋も來にけり

  近衞院の御事に土左内侍さまかへて籠り居て侍けるもとへ又の年七月七日よみてつかはしける

  備前

天の川ほしあひの空はかはらねとなれし雲井の秋そ戀しき

  月催無常といふ事を

  正三位季經

すむとても賴なき世と思へとや雲かくれぬる有明の月

  平貞時朝臣身まかりて後四十九日過て彼跡にいひつかはしける

  前中納言爲相

跡したふかたみの日數それたにも昨日の夢に又うつりぬる

  かへし

  藤原賴氏

そのきはゝたゝ夢とのみまとはれてさむる日數にそふ名殘かな

  正和五年九月佛國禪師鎌倉より下野那須にくたり侍ける時春はかならすくたりて彼山の花をも見るへきよしなと契けるにその年の十月に入滅し侍にけれは佛應禪師もとへつかは[・申]しける

  前中納言爲相

咲花の春を契りしはかなさよ風のこの葉のとゝまらぬ世に

  從三位守古なくなりてける比

  院御歌

めにちかき人のあはれにおとろけは世のことはりそ更にかなしき

  題しらす

  中務卿宗尊親王

見し人の機能の煙けふの雲立もとまらぬ世にこそ有けれ

  朔平門院かくれ給て後よみ侍ける

  永陽門院左京大夫

殘り居て思ふもかなし哀なともえし煙に立をくれけん

  安嘉門院四十九日の法事過て人々出けるに前權正敎範もとより身にかへて思ひし程はなけれともけふも別はかなしかりけりと申つかはし侍ける返事に

  從三位爲信

遠さかる名殘こそ猶悲しけれうさはへたゝる日數ならねは

  權大納言行成女にすみ侍けるを身まかりて歎きける比よみ侍ける

  權大納言長家

戀しさにしなはやとさへ思ふかなわたり川にもあふせ有やと

  前大僧正尊信身まかりて後思ひつゝけ侍ける

  前大僧正範憲

遠さかる日數につけてかなしきは又もかへらぬ別なりけり

  後西園寺入道前太政大臣身まかりて又のとし服ぬき侍とて

  前大僧正道意

うかりつる藤の衣のかたみさへわかるとなれは又そかなしき

  相空法師身まかりて侍けるを西行法師とはす侍けれはあまたよみてつかはしける歌の中に

  寂然法師

いかゝせん跡の哀はとはすとも別れし人の行衞たつねよ

  返し

  西行法師

なき人を忍ふ思ひのなくさまは跡をも千度とひこそはせめ

めなくなりての比秋になりて物かなしく覺けれはよみ侍ける

  祝部成仲

秋風の身にしむはかりかなしきは妻なき床のね覺也けり

  後伏見院かくれ給て後仙骨を從三位守子墓所にならへてをき奉るへきよし御遣誡に任せておさめ奉るとて

  淸空上人

をく露もひとつ蓮にむすへとや煙もおなし野へにきゆらん

  左近中將維盛熊野浦にて失にけるよし聞て讀侍ける

  建禮門院右京大夫

かなしくもかゝるうきめをみくま野の浦はの波に身を沈めける

  おなし比右近中將資盛西國に侍けるにたよりにつけて申つかはしける

おなし世と猶思ふこそかなしけれあるかあるにもあらぬ此世を

  世中さはかしかりける比西國のかたにまかりて程へて都にかへりて侍けれはしりたる人は皆なく成てよろつ心ほそく哀なりけれは

  全性法師

さもこそはあらす成ぬる世にしあらめ都も旅の心ちさへする

  後醍醐院かくれ給て後人の夢にをのつからまほろしにもやかよふらんわかすむ山の面影にたつと見え給けれは此歌の一句をゝきて經の料紙のためによみ侍ける歌の中に

  前左大臣

別こし人もこゝろやかよふらん夢のたゝちはいまもへたてす

  後光明峯寺攝政第三年佛事の比源邦長朝臣にをくり侍ける

  正二位隆敎

いかに忍ひいかにか歎くうしと見し夢は三とせのけふの名殘を

  返し

  源邦長朝臣

さめかたきおなしつらさの夢なから三とせのけふも猶そおとろく

  近衞院かくれ給て後土左内侍さまかへて大原にて經供養しけるに火舎に煙立たるを書たる扇をさゝけ物にして侍けるに書つけてつかはしける

  法印隆憲

これやさはかさねし袖のうつりかをくゆる思ひの煙なるらん

  前左大臣母の十三年の佛事し侍けるに彼文のうらに壽量品をかかせて給てつゝみ紙に書付させ給ける

  後宇多院御歌

はかなくて消にし秋の淚をも玉とそみかくはちす葉の露

  御返し

  前左大臣

みかきなす光もうれし蓮葉のにこりにしまぬ露の白玉

  前大納言爲家身まかりて後百景歌よみ侍けるに

  安嘉門院四條

夢にさへ立もはなれす露消し草の陰よりかよふ面かけ

くやしそさらぬ別にさき立てしはしも人に遠さかりける

  題しらす

  讀人不知

ますかゝみ手にとりもちてみれとあかぬ君にをくれていけりともなし

  むすめのなくなりて侍ける服きるとてよめる

  赤染衞門

我ためにきよと思ひし藤衣身にかへてこそかなしかりけれ

かたらひ侍ける人のおやなくなりぬと聞ていひつかはしける

  能宣朝臣

我ためにうすかりしかと墨染の色をはふかく哀とそ思ふ

  道濟筑前守にてくたり侍けるか國にてなく成ぬと聞てまかり申にまうて來たりけることを思ひ出て

  赤染衞門

歸へき程と賴めし別こそ今はかきりのたひには有けれ

  後一條院かくれ給ての比月を見て

  上東門院五莭

さやかなる月も涙にくもりつゝむかし見しよの心ちやはする

  父なくなりて後日數も殘すくなく成て侍ける比

  寂然法師

君にわかをくるゝ道のかなしきは過る月日もはやきなりけり

  前中納言定家母の思ひに侍ける比ひえの山の中堂にこもり侍に雪のいみしうふりけるつとめておほつかなさなと書て奧に

  皇太后宮大夫俊成

子を思ふ心や雪にまよふらん山のおくのみ夢に見えつゝ

  返し

  前中納言定家

うちもねす嵐のうへの旅枕みやこの夢にわたるこゝろは

  雪のふる日母のはかにまかりて

  頓阿法師

思ひやる苔のしたたにかなしきにふかくも雪の猶うつむ哉

  待賢門院の御いみの比

  上西門院兵衞

木の本を昔のかけと賴めとも淚の雨にぬれぬまそなき

  後西園寺入道前關白太政大臣なくなりて後北山家に御幸せありて題をさくりて人々歌よみ侍けるに山家水を

  後伏見院御歌

山里のなき影したふ池水にむなしき舟そさして物うき

  後深草院七月にかくれ給ての又の年の九月龜山院失給にけれは

  伏見院御歌

きえつゝきをくれぬ秋の哀しさはさきたつ苔の下や露けき

  遊義門院かくれ給にける秋雁の鳴をきかせ給て

をくれてもかついつまてと身をそ思ふつらにわかるゝ秋の雁金

  室町院かくれ給て後持明院に御幸ありて紅葉を御覧してよませ給ける

心とめしかたみの色も哀なり人はふりにし宿の紅葉は

  後深草院かくれ給ての年神無月のはしめつかた圓光院入道前關白もとより文を奉るとて冬にも程なく成ぬることに思ひとかめらるゝよし申侍ける御返事のついてに

思へたゝ露の秋よりしほれきて時雨にかゝる袖のなみたを

  御返し

  圓光院入道前關白太政大臣

思ひやる老の淚のおちそひて露も時雨もほす隙そなき

  つきの年龜山院かくれ給けるに前大納言爲兼二とせの秋の哀はふか草やさか野の露も亦消ぬなりと申侍けるに

  從二位爲子

ふか草の露にかさねてしほれそふ憂世のさかの秋そかなしき

  おなし比よませ給ける

  伏見院御歌

あたし色に心はそめし山風におつる紅葉の程もなき世に

  後醍醐院かくれ給ける十月に女御榮子さまかへ侍ける戒師にてその哀なと申とて讀侍ける

  二品法親王慈道

思ひやれふかき淚の一しほも色に出たるすみ染の袖

  返し

  入道二品親王尊圓

色かはる袖の淚のかきくらしよそもしくるゝ神無月かな

  永福門院御いみの比過てかた〱にちる哀なと宣光門院新右衞門督もとへ申けるついてに

  右衞門督

別れにしそのちり〱の木の本に殘る一葉も嵐吹なり

  伏見院九月三日かくれ給ける後

  顯親門院

うらみても今はかたみの秋の空淚にくれし三か月の影

  文學上人遠忌の日よみ侍ける

  髙辨上人

こゝのめくり春は昔にかはりきて面影かすむけふのゆふくれ








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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