源實朝『金槐和歌集』春ノ部⑤若菜つむ衣手ぬれてかた岡の/梅が枝にこほれる霜やとけぬらむ/梅の花色はそれともわかぬまで/我が宿の梅のはつ花咲きにけり
金槐和歌集
源實朝鎌倉右大臣家集所謂『金槐和歌集』復刻ス。底本ハ三種。
〇『校註金槐和歌集』改訂版。是株式會社明治書院刊行。昭和二年一月一日發行。昭和六年五月一日改訂第五版發行。著者佐佐木信綱]
〇『金塊集評釋』厚生閣書店刊行。昭和二年五月二十二日發行。著者小林好日]
〇アララギ叢書第廿六編『金槐集鈔』春陽堂刊行。大正十五年五月一日發行。著者齋藤茂吉著]
各首配列ハ『校註金槐和歌集』改訂版ニ準拠。是諸流儀在リ。夫々ノ注釈乃至解説附ス。以下[※ ]内ハ復刻者私註。是註者ノ意見ヲ述ニ非ズ。総テ何等乎ノ引用ニシテ引用等ハ凡テインターネット情報ニ拠ル。故ニ正当性及ビ明証性一切無シ。是意図的ナ施策也。亦如何ル書物如何ル註釈ニモ時代毎ノ批判無ク仕テ読ムニ耐獲ル程ノ永遠性等在リ獲無事今更云フ迄モ無シ。歌ノ配列ハ上記『校註金槐和歌集』佐佐木信綱版ニ準拠ス。
十。
雪中若菜といふことを
若菜つむ衣手ぬれてかた岡のあしたの原にあわ雪ぞふる
[※是『校註金槐和歌集』改訂版]
[※註。
〇衣手ハ≪[1][名]
①((着物の手の意から)衣服の袖。たもと。古くから、多く和歌に用いる。/※万葉(8C後)一七・三九六二「はしきよし 妻の命(みこと)も 明け来れば 門に寄り立ち 己呂母泥(コロモデ)を 折り反しつつ」
② (転じて)着物全体をいう。/※曾丹集(11C初か)「よはをわけはるくれ夏はきにけらしとおもふまなくかはるころもて」
③ 僧尼の法衣。また、法衣を着ている人。僧侶。/※俳諧・談林十百韻(1675)上「奉加すすむる荻の上風〈志計〉 衣手が耳にはさみし筆津虫〈卜尺〉」
④ 香木の名。分類は伽羅(きゃら)。源実朝の歌「梅が香は我が衣手に匂ひ来ぬ花より過る春の初風」を証歌として、後水尾天皇が命名したという。
[2]枕
① 着物の袖を濡らすところから、濡らす意の「ひたす」と同音を含む「常陸(ひたち)」にかかる。/※常陸風土記(717‐724頃)総記「国俗(くにぶり)の諺に、筑波岳に黒雲かかり、衣袖(ころもで)漬(ひたち)の国といふは是なり」
② 「葦毛(あしげ)」にかかる。かかり方未詳。一説に、衣手の色の「葦毛」色という意でかかるという。/※万葉(8C後)一三・三三二八「衣袖(ころもで)葦毛(あしげ)の馬の嘶(いな)く声情(こころ)あれかも常ゆ異(け)に鳴く」≫以上≪精選版日本国語大辞典≫引用ス。
かた岡のあしたの原ハ≪奈良県北西部、北葛城郡王寺町から香芝町にかけての丘陵。「片岡の朝の原」と続けて詠まれた歌が多い。[歌枕]/「明日からは若菜つまむと片岡の―は今日ぞ焼くめる」〈拾遺・春〉≫歌枕是≪和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡。/和歌に詠み込まれる特殊な語や句。名所・枕詞・序詞など。/歌を詠むのに典拠とすべき枕詞・名所などを記した書物。「能因歌枕」など。≫以上≪デジタル大辞泉≫引用ス。]
若菜つむ衣手ぬれて片岡のあしたの原にあわ雪ぞふる(雪中の若菜といふことを)
少女はきつと美しい長い汗衫を着てゐたであらう。きやしやな指先が器用にはたらいて、それにつれて袖やたもともあざやかに飜へる[※ひるがへる。翻ル]。少女は小鳥のやうに野に出ては若菜を摘むのであるが、折から降りいでたあわ雪は袖となくたもとともなく、しつとりと濡らすのであつた。
註。片岡のあしたの原、大和葛下郡にある地名。
[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]
[※註。
〇汗衫ハかざみ是≪1衣類に汗がにじむのを防ぐために着た単(ひとえ)の下着。あせとり。/「山吹の絹の―よくさらされたる着たるが」〈宇治拾遺・一一〉
2平安時代以降、後宮に奉仕する童女が表着(うわぎ)の上に着た正装用の服。脇が明き、裾を長く引く。この服装のとき、濃(こき)の袴(はかま)に表袴(うえのはかま)を重ねてはく。/「―着たる人、いと若う清げなる、十余人ばかり物語して」〈落窪・二〉≫是≪デジタル大辞泉≫引用ス。]
十一。
梅の花をよめる
梅が枝にこほれる霜やとけぬらむほしあへぬ露の花にこぼるる
[※註。
〇ほしあう/ほしあふ/干敢/乾敢ハ≪[他ハ下二]干して残らず水分を除く。すっかりかわかす。/※貫之集(945頃)四「道すがら時雨にあひていとどしくほしあへぬ袖のぬれにけるかな」≫以上≪精選版日本国語大辞典≫引用ス。]
[※是『校註金槐和歌集』改訂版]
梅が枝に氷れる霜やとけぬらむほしあへぬ露の花にこぼるゝ(梅の花をよめる)
けさはとりわけ霜が深く、咲きそめた梅の枝もまつしろになつてゐる。日はまだあがらない。寒さは身を刺すやうに激しいのである。——夜がすつかりと明けはなれて、うらゝかな日差が梅の木のあたりにもさしわたつてくるやうになる……日の光は次第につよくなる、かうして時が過ぎてゆくと霜も解けはじめる、梅の枝に氷りついたやうになつてゐた霜から、ぽたぽたしづくが落ち じめて[※是原書儘]、霜がキラリと光る。霜をうけた梅の花もキラリと光る……。
註。乾しあへぬ露。まだ日に乾ききれぬ露。
[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]
十二。
屏風に梅の木に雪ふりかかれる
梅の花色はそれともわかぬまで風にみだれて雪は降りつつ
[※原書頭註。
〇梅の花—續後撰集に入
れり。]
[※是『校註金槐和歌集』改訂版]
梅の花色はそれとも分かぬまで風にみだれて雪はふりつゝ(屏風に梅の木に雪ふりかゝる所)
みやびやかな歌だ。しかしその美しさは言葉の表面だけにはたらく美しさに過ぎない。なぜならば、それは槪念にとらはれた美しさであるからだ。
梅の花は咲き亂れてゐる。梅の花はまつしろであり、梅の上に降る雪もまつしろである。いづれが梅かいづれが雪かみわけもつかない。そして雪は風に散り亂れて降りつゞくのである。
[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]
十三。
梅の花さける所をよめる
我が宿の梅のはつ花咲きにけり待つ鶯はなどか來なかぬ
[※註。
〇などかハ≪副詞
①[多く下に打消の語を伴って]どうして…か。なぜ…か。▽疑問の意を表す。
[出典]大和物語 一七三/「などかものも宣(のたま)はぬ」/[訳]どうしてものもおっしゃらないのですか。
②[多く下に打消の語を伴って]どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。
[出典]平家物語 一一・能登殿最期/「たとひ十丈の鬼なりとも、などか従へざるべき」/[訳] たとえ(背丈が)十丈の鬼でも、どうして従えられないことがあろうか、いや、従えられないことはない。◆副詞「など」に係助詞「か」が付いて一語化したもの。
[語法]「などか」は疑問の副詞であり、係助詞「か」を含むため、文末の活用語は連体形で結ぶ。≫以上≪学研全訳古語辞典≫引用ス。]
[※是『校註金槐和歌集』改訂版]
わが宿の梅のはつ花咲きにけりまつ鶯はなどか來なかぬ(梅の花さける處をよめる)
一首の意味は平明で容易に解し得ることと思ふ。私の庭の梅はことしも花がさきはじめたといふのに、鶯はなぜきて鳴かぬのだらう。鶯よ、梅はこのやうにお前のやどりに装をこらして待つてゐるといふのに、ここのあるじもこのやうに待ちこがれてゐるといふのに。
[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]
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