源實朝『金槐和歌集』及春ノ部②ここのへの雲井に春ぞ立ちぬらし/朝霞たてるを見ればみづのえの/かきくらし猶ふる雪の寒ければ/春立たば若菜つまむとしめおきし
金槐和歌集
源實朝鎌倉右大臣家集所謂『金槐和歌集』復刻ス。底本ハ三種。
〇『校註金槐和歌集』改訂版。是株式會社明治書院刊行。昭和二年一月一日發行。昭和六年五月一日改訂第五版發行。著者佐佐木信綱]
〇『金塊集評釋』厚生閣書店刊行。昭和二年五月二十二日發行。著者小林好日]
〇アララギ叢書第廿六編『金槐集鈔』春陽堂刊行。大正十五年五月一日發行。著者齋藤茂吉著]
各首配列ハ『校註金槐和歌集』改訂版ニ準拠。是諸流儀在リ。夫々ノ注釈乃至解説附ス。以下[※ ]内ハ復刻者私註。是註者ノ意見ヲ述ニ非ズ。総テ何等乎ノ引用ニシテ引用等ハ凡テインターネット情報ニ拠ル。故ニ正当性及ビ明証性一切無シ。是意図的ナ施策也。亦如何ル書物如何ル註釈ニモ時代毎ノ批判無ク仕テ読ムニ耐獲ル程ノ永遠性等在リ獲無事今更云フ迄モ無シ。歌ノ配列ハ上記『校註金槐和歌集』佐佐木信綱版ニ準拠ス。
二。
立春のこころをよめる
ここのへの雲井に春ぞ立ちぬらし大内山に霞たなびく
[※原書頭註。
〇ここのへの—天に九門
ありといふに擬して禁中
の別稱とす。〇雲井、大
内山—ともに内裏の別稱
なり。]
[※是『校註金槐和歌集』改訂版]
[※註。
〇九門きゅうもんハ≪[「九」は九重の意]宮城の門。≫是≪大辞林第三版≫引用ス。
〇禁中きんちゅうハ≪[名]禁闕(きんけつ)の中。天皇の御所。禁裏。宮中。皇居。禁内(きんだい)。≫是≪精選版日本国語大辞典≫引用ス。]
九重の雲井にはるぞ立ちぬらし大内山に霞たなびく(立春の心をよめる)
春が來たと云ふ意識が人々のこゝろに蘇つた。そして人々はなにかしらよい新しい運命がひらけてくる樣な幸福感にみたされた。
——けふはその立春の日である。
大内山のあたりにたなびく霞は千代の瑞兆を示すかのやうに、人々の心をあかるくさせる。空中にも春が來た! 春が來た! 人々の心にも春が來た。
[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]
[※註。
〇瑞兆ずいちょうハ≪[名] めでたいしるし。めでたい前兆。吉兆。瑞祥。/※真愚稿(1422頃か)人日「一年占二瑞兆一、七日喜二新晴一」/※夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部「世の中が大きく変る時には、このくらゐの瑞兆があってもいいなんて」≫是≪精選版 日本国語大辞典≫引用ス。]
三。
故鄕立春
朝霞たてるを見ればみづのえの吉野の宮に春は來にけり
[※原書頭註。
〇朝霞—續後撰集に入れ
り。眞淵云、「後世みづの
えの吉野の宮とよめるは
何にもなき事なり此公も
さる誤か傳へてよみ給ひ
しにや」]
[※是『校註金槐和歌集』改訂版]
[※註。
〇續後撰集ハ≪『続後撰和歌集』(しょくごせんわかしゅう)は、後嵯峨上皇の命により宝治二年(1248)七月二十五日[※寶治2年ハ第89代後深草天皇。鎌倉征夷大将軍将軍藤原頼嗣是第5代。執権北條時頼]、奉勅。建長三年(1251)十月二十七日[※翌1251年建長5年鎌倉征夷大将軍ハ宗尊親王むねたかしんのう即チ後嵯峨天皇第一皇子。第6代。至1266年(文永3年)。]、奏覧された10番目の勅撰和歌集。撰者は藤原為家。20巻。歌人は藤原定家、藤原俊成、後鳥羽上皇、後嵯峨上皇などでおよそ1400首を納める。≫以上≪フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』≫引用ス。]
朝かすみ立てるを見ればみづのえの吉野の宮に春は來にけり(故鄕立春)
みかたはすべて前二首とおなじである。みづのえは吉野の枕詞。
故鄕は舊都、出生地、又はかつて寓居せしところ。ここでは舊都の意。
[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]
四。及五。
春のはじめに雪のふるをよめる
かきくらし猶ふる雪の寒ければ春とも知らぬたにの鶯
春立たば若菜つまむとしめおきし野邉とも見えず雪のふれれば
[※原書頭注。
〇春たたば—新千載集に
入れり。初句春はまづ五
句雪はふりつつとせり]
[※是『校註金槐和歌集』改訂版]
[※註。
〇新千載集ハ≪『新千載和歌集』(しんせんざいわかしゅう)は、勅撰和歌集。20巻。二条為定撰。二十一代集の18番目。足利尊氏の執奏により、延文元年(1356年)6月、後光厳天皇から綸旨がくだり、延文4年(1359年)撰進。序はない。歌数約2360首。部立は、春上下、夏、秋上下、冬、離別、羇旅、神祇、恋一二三四五、雑上中下、哀傷、慶賀。『千載和歌集』、『続千載和歌集』の形式にならった。持明院統は『玉葉和歌集』、『風雅和歌集』の編纂を行った経緯からもわかるように京極派の歌風を重んじてきたが、後光厳天皇は二条派の歌風を取り入れていくことを決めたとされ、『新千載和歌集』は二条家の人々の歌が多く、平明な歌風である。≫以上≪フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』≫引用ス。]
かきくらしなほふる雪のさむければ春とも知らぬ谷の鶯(春のはじめに雪のふれるをよめる)
もう春である。木には芽もふきでゝゐる。風はまだ寒くとも、春のよそほひは野山をつゝんでゐる。春がきたのだ。
それだのにけふは雪が降りそめてしきりなしに降る。雪は春の淡雪である。やがてあとなく溶けて流れるであらうものを、谷間の鶯はそれとも知らず巢籠り[※すごもり]ばかりしてゐる。
註。かきくらしは空がかき曇ること。
春立たば若菜つまむと占めおきし野べとも見えず雪のふれゝば
まだ冬のうちからさへ人はかう思ふのである。——春になつたらば、野にでゝ若菜をつまう。あそこらあたりの菜はやはらかく新鮮だらう、あそこらを摘まう、春になつたら、春が早く來ればいいなあ。さう人はたえずおもひつゞける。そのうちに春が來たのである。
人は微笑して菜摘みをおもひ立つたのであるが、折ふし降出した雪にすつかり興ざめてしまふ。
註。雪のふれれば。雪のふりてあればの意。降るの繼續態。
[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]
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