小説《ラルゴのスケルツォ》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅲ…世界の果ての恋愛小説①/オイディプス
連作《イ短調のプレリュード》の第三篇です。
現在と過去をかなり激しく横断していきます。内容も、非常に辛辣です。
物語は、要約しようも無いのですが…。
タイトルの「ラルゴのスケルツォ」と言うのは、「アダージョのアレグロ」というくらいに、そんなもの存在しないよ、ということであって、非常に風変わりで、いかがわしく、そして奇妙な、とか、そういったニュアンスです。
結局、連作自体はもう書き終わって、今、長編版というのを、書いています。
これって、ジャンルとしてどういうの?と言うくらいに、夢とか転生とかエロティックな部分とか乱れ飛んだ、非常に風変わりなものになろうとしています。
最初は、《underworld is rainy》という、思いつき一発の短い短編だったはずなのですが、書くうちに勝手にそうなって仕舞ったのでした。…
でも、たぶん、おもしろいと想います。
よんでいただければ、ありがたいです。
2018.09.02. Seno-Le Ma
ラルゴのスケルツォ
Scherzo; Largo
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅲ
Prelude in A mainor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
Οἰδίπους ἐπὶ Κολωνῷ
不意に。
あくまでも不意に、思い出したように口付けと抱擁を耐え難いほどにせがみ始めた理沙の、言葉もないままのその真意は知りもしないままに。
…光。
眼差しが捉えた日差しのその、やがて彼女が飛び降りて仕舞う午後の深い時間には、光。
見上げられた眼差しが
その、窓越しの午後の温度を持ったそれが斜めに当るのは、
捉えたもの
ただまばゆいばかりにさえ想われて、例えば母はあの、美紗子という名の、あるいは私が十二歳だったときには三十七歳だったはずの彼女が、結局はなにか報われたことなどあったのだろうか?…と。私は、ただの一度であっても。…惑う。彼女に求められつづけていた私の、…ほら。
ね
その時に、私の十二歳の眼差しが向こうに捉えた美紗子は、あなたが欲しがったもの。
これ?
微笑み、美紗子。ときには憎悪に顔をゆがめて。
彼女の指先に
あるいはもはや正確には、本人にさえ記憶されてはいないはずの言葉の群れをを吐き出しさえして、
ふれられたもの
あるいはうつむき、
初めて、吐き出された
あるいは見あげ、
その
あるいは息遣い、
…欲しかったの?
それら、その、散乱。無数の、…もはや。ただ散乱するしかない記憶らしきものの。散らかって、散らばり、整理さえつかない、ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃな、収拾の付かない、
あなたが
単なる断片。何らの明確な集合でさえあり獲ない彼女の無数の。
欲しかったものは
姿の。
…それ?
その、みもふたもない散乱。はたして彼女は報われたことなどあったのだろうか?それに想い惑うというほどでさえなくて、理沙のかみの毛の顔に覆いかぶさるにまかせた私はその匂いを吸い込み、フエ。…hoa …花。百合の。彼女が私の妻になったその日の、ベトナムでの結婚式。ベトナム人の彼女の親族だけを集めた、ベトナム風に派手で、雑で、雑多で、雑然として、ざわつくばかりの祝いの声が群れを成して鳴り響き渡りもした結婚式に、…7月。それら、夏の日差し。音声の塊の中で、…昼間の。やがて二人だけになった控え室で不意に爪先立ったフエは。
何も言わないままに
微笑んだ。
眼差しに、表情をだけ、ただ
しずかに、むしろ私に、彼女を愛することのその許可を今、この瞬間に与えたのだといいたげに。
曝して
喜び。フエの眼差しが曝したそれは、私が手にした幸福に対する祝福にほかならなかった。
おめでとうございます
あなたは、終に、永遠の幸福を手にしたのよ、と。
おめじぇとごじゃいまっ
自分に対する、無数の月並みな祝福の只中で。そのとき、すでに失われていたのは言葉。
むしろ私の、そして、私は言葉を失った。
その眼差しを目の前にして。
あるいは、目の前のその微笑を破壊して、彼女そのものを壊して仕舞いたいと、その、不意に襲ったしずかな衝動に、私はおびえた。
血まみれで、涙さえ流せずに、表情さえ失ったままに、
…ねぇ。
Anh à…
生まれてきたことそれ自体を後悔しているに違いない
いとしい人(…笑う。)
Vui không ?
フエの表情が、目の前の、
幸せですか?
Anh yêu à…
その微笑にかぶるしかなかった。
やがて何度目かに、なんども振り向かれた彼女のその眼差しにあった私は微笑んでいて、彼女が確認した私の微笑み。笑まれたフエの眼差しの中に。額に彼女のキスをもらったときに、愛してる?
…誰を?
わたしを、と。
Là ai ?
あなたは、わたしを愛しています、と、その、フエの気配はそれが確信されてあることをだけ曝す。その、薄く浮かべられた、そして、はにかむような微笑みは、私に見つめられていた。手も施しようもない事実として、私たちは幸せだったに違いなく、指先が這い始める瞬間のその触感をは、私は覚えてはいないままに、執拗に。
忘れることだけはできはしなかったのだった。それを。
母の。美紗子の、その。私はそれを覚えているとは言獲ない。正しくは、何度も想起された記憶の中で、作り変えられて、記憶されなおして、ならば、想起するということと、記憶が存在するということそのものを、留保もなき差異が引き裂くしかないのだという事実の留保なき存在の前に、結局のところそれらの想起に一体、なんの意味があったというのだろう?そう訝る隙さえ与えはしない記憶の、想起された乱れるしかない散乱のなかで。這う。美紗子の指先が、私の腹部から這って上がってまだ子供の胸のやわらかい、やせた、平坦な、にも拘らずかろうじて生き物らしい曲線を維持してはいたその。ためらいがちいに。
不意に、撫ぜ上がっていく指先は喉もとのくびれの唐突な複雑さにさらわれそうになって、想いなおされた指先は私の顎を、惑いながらも上昇していくそのときには、…くすぐったいって、と、不意に言って仕舞った私の、「…やめて。」
立てられた笑い声のように。
彼女の微笑に「くすぐったいって。…」無視されるに過ぎない言葉の(…音声の。)「…ん。」響きは(単なる、)空間の中、(音声の。…)あの、白いクロスが白く埋め尽くした白いだけの私の部屋だった部屋の空間。薄暗い、夜の。
もはや、その白さをも、曝しはしない。響きながら、声。…ん?と、鼻先でだけささやくような息を美紗子も立てた。
その瞬間に。不意打ちのように。
例えば、声を立てて笑って仕舞った私のその些細な仕草が、彼女を傷つけて仕舞ったことなどあったのだろうか?…一度でも。
一度たりとも
微笑まれた、目の前のフエに口付けて遣れば、フエは得意げに、鼻を突き出してみせて、あの結婚式の日に、
疑われはしない。将来の
もっとよ、というその無言の仕草を、…ここにも。眼差しを、…ここにも。気配を…ね?
破綻の予感?
くれるが、その結婚式には、日本から来たものは誰もいなかった。まだ女のそれのようにやわらかかった唇に
そんなものは
到達した指先はやっと、不意の口付け。その自分の指先にむしろ口付けしようとしたかのように、美紗子の、
時にあわてて新郎が、掻き消す以外には
唐突に、あのとき美紗子の唇は私の唇に覆いかぶさって、仰向けの皮膚の全面に感じられていたのは美沙子の皮膚の、肥満しかかった
彼の頭の名から。
豊満な触感でしかない。かすかに、鮮明に汗ばんで、発熱した、それ。息遣い、丸みを帯びた指先は口付け合う唇と唇の間でもみくちゃにされながら、
…好き?
なぶられるように。
舌は触れた。挟み込まれた指先に。なんども、私の、美紗子の、その。
愛してる?
肉付きのいい指に。憎しみをさえ感じられなかったのは何故なのか。そんな事はわからない。いずれにしても、
どこが、
美紗子は私を傷つけたのだろうか?あるいは、他に女を作ったわけでもないくせに、殆ど家に寄り付かなくなかったあの
…好き?
無能そのものに想えた父親、清武という名の彼とともに、傷つけることなど出来たのだろうか?(彼を、)私を。(犯していたのは)ときには涙をさえ流させたのは(アルコール。)もちろんだとしても、(垂れ流されるほどに)大声で、(浴びるほどの)泣き叫びさえもしながらも、(大量の)傷付いていたのだろうか?私は、そして、
無能な男たち
清武が顧みなくなったのが先だったのか、それとも美紗子が私にふれたのが
望んだわけでさえなくて
先だったのか。知ってはいたはずだった。存命だった祖母、最終的には養老院で娘方の孫に看取られながら、もはや
壊すことしかしらない
まともな記憶さえもなく朽ちるように死んでいったらしいあの、(月並みな、)それは5年前の(老衰と言う)死。あるいは、
…無能な
その(死因。)娘、(だれでもがそう、)清武の妹さえも?(無造作に判断するに違いない、その)花。理沙が活けて見せたそれは、…花。
知っていることと気付いたこととは差異するとばかりに私たちは放置されて、美紗子の。花。はな。匂いたち、…美紗子の抱擁。匂って。夜と、朝の。花々は。繰り返される、毎日の。生き生きとした、とはいえ断ち切られている以上はもはや花は、
それらの
明らかに、そしてもはや私の部屋のベッドでしか眠りにつけなくなった美沙子の、匂う。
匂い。咲き誇る
花は。死に絶えているはずの、いまだに、花。その固有の生存を生きつづけているその、断ち切られた花々の
活けられた
生の倒錯。水を吸い込めるだけ吸い込みながら。匂った。美沙子の、かみの毛の、そして
花の
その匂いにだけは、人体に於いてはいかなる固有性も、特異性も、差異性もなく、完全に、かみの毛は必ず同じ匂いをだけたてる。理沙に活けられた花を、振り向いて私にも見せようとしたとき、服くらい着ればよかったのに。理沙は。その私の、不意の想いには気付かずに、理沙が崩れるように声を立てて笑った。
見て。
…いっぱいに、その、褐色の肌にいっぱいに、
綺麗?
雪の日の冷気のせいで、何も身につけていないが故に
どう?
鳥肌を立てて仕舞うのならば。かすかな震えさえ、ときに
感じる?
曝して仕舞って。見たのは、雪の色彩だった。そうとでも、色彩、
息吹を
そうとでも。…と、でも、言うほかない、理沙と花の向こうに、大きく開かれた窓の
花々の色彩の
ガラスの向こうには、昼日中にもかかわらず降り止まない雪の大粒の、
…この
寒い。凍えそうなほどに、外は。だから、と、その気もなく私は、こっちに来て、そして、抱きしめて。想い、そう、つぶやきもしないままに、…来て。眼差しのうちに、
ほら
抱きしめて…理沙が微笑む。…あげる。君を。
…ね?
唐突な想い付きのせいで、服さえ着ないままに花を活けはじめた、理沙。自分の皮膚の全面に鳥肌立てて、意味さえもはやなく褐色の肌と花の白の色彩を曝してみせる、気まぐれな理沙を。
聴こえたのは
私の眼差しのうちに見出された君を、と、好きにすればいいと、あげる。だから、
息遣い
あなたの好きにすればいいと、そう想ったわけでもなく、私は美紗子にすべてを
君の
くれてやるのだった。あなたに、…と。まばたく。あげよう。光に。何の抵抗もないままに、朝の。すべてを?いつも、結局は一人っ子だった私を腕に抱きかかえて眠る癖がいつのまにか美紗子に付いたのは、ほとんど日常の容赦もない慣性のなせる業に過ぎなかったのかもしれない。私が自分の部屋の必要を主張したときに見せた、その眼差しの中に捉えられて、見つめられた美沙子の見出す留保ない何かの崩壊と破綻のまったき息吹きの存在に、いたたまれなさ。
さらされた、おびえ、のような表情に対する。
私は目をそらして、うつむき、逆に恥じらいをさえ感じさせられたのは十一歳の頃だった。
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