グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)、ある救済の風景。…ハンス・ロットとマーラー。
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)、ある救済の風景。
…ハンス・ロットとマーラー。
Gustav Mahler
(1860-1911)
未だに妙に鮮明に残っている記憶がある。
それは、一枚の広告に過ぎない。新聞の下部の広告欄全部を使った、結構大きな広告だった記憶がある。
もちろん、白黒の、こすれば手につく印刷で、マーラーという聴きなれない作曲家の「復活」という交響曲の演奏会が近日行われることが告知されていた。
当時、僕はまだ十二歳とかそのくらい。中学校に上がる前だった記憶がある。インターネット黎明期で、私はパソコンと言うものに触ったことも、見たことさえも、なかった。
まだ、どこの家庭もかならず新聞を取っていて、子どもでも新聞を手にしていた時代である。
どこかの日本の交響楽団と日本人の指揮者がその演奏会を行うらしい。
広告の文句がふるっていた。
《狂気の天才!世紀末の鬼才マーラーの最高傑作!!》とか何とか、そんな、今で言うと差別用語以外の何ものでもない煽り文句とともに、派手に広告されている。
いずれにしても、ちょっとまえ復活して叩かれることになった《ホモオダ・ホモオ》の全盛期。のどかな80年代後半である。
そして、めがねを掛けた神経質そうな男の横顔と、オーケストラの写真が掲載されていて、《交響曲第二番 「復活」》と、筆書きのフォント、というか、活字、というか、レタリング文字が、でかでかと書いてあった。
子供心に、その鬼才だの世紀末だの狂気だのなんだのという只事ではない文字に、そして、「復活」という、かっこいい言葉に心が踊った。
さらに、隅の方に、《やがて私の時代が来る!…グスタフ・マーラー》と、例の有名な言葉が引用されていた。
この作曲家は、生前理解されなかったが、いまや、理解はされ始めた。そして彼が生前に言ったというのが、その、《やがて私の時代がくるだろう》という言葉だったというのである。
それまでにも、クラシックもジャズも、一応聴いたことがあった。
早世してしまった音楽好きの叔父のコレクションが、母親の実家に行けば残っていて、単なる興味で、ジョン・コルトレーンやベートーヴェンを聴いてはいたから。
その演奏会を聴きに行く事はなかったが、中学生になったときにも覚えていて、中学に上がったばかりのときに、なんとなく、クラシックCDというものを、買ってみたのである。
最初、マーラーの「復活」というのを探したが、なかった。あったのかも知れないが、見つからなかった。で、買ったのが、ベートーベンの「運命」と第8番とエグモント序曲のカラヤンの60年代録音だった。
それが、自分が買ったはじめてのクラシックCDである。
マーラーは、その時に、注文して取り寄せてもらった。当時、岡山と広島の県境の田舎のCD屋では、マーラーなんて、そんなものだった。
だいたい、80年代の後半に入ったばかりくらいのころだったと想う。
まだ、マイケルの《BAD》が発売されるとかしないとか、そんなころだった。
以上は、個人的述懐に過ぎない。なぜ、いきなりこんな、他人にとってはどうでもいい事からはじめるのかと言うと、実際問題として、生まれて初めて好きになった、クラシックの作曲家なので、どうしても、個人的な記憶というものが、色あせずに付きまとってしまうのである。
マーラーが好きだったのは、実際には、大人たちが理解を示さないから、というのも、強い。
音楽の先生でも、音楽好きの人でも、当時すでに名前くらいは知ってはいたが、最近話題になっている、わけのわからない、むしろ危険な雰囲気のある芸術家先生で、毒にはなってもクスリにはならない、と、一様にそういうイメージだった。
反抗期に差し掛かった子どもにとっては、これほどおいしい芸術家はいない。
実際、続けて聴いた交響曲《巨人》も、第6番、5番、4番も、なんだかよくわからなかったが、わかったことにしていた。
もっとも、《復活》は、単純に好きだった。とはいえ、第一楽章と《原光》楽章と最後の合唱部分だけである。(今は、ほとんど第二楽章と第三楽章しか聴かない。)
あと、第五番の第一、四楽章、それから第二楽章の第一主題。好きなのは、実際は、それだけ。
なかでも、一番苦手だったのは、《巨人》の愛称がついた、第一番の特に第四楽章だった。
Gustav Mahler
Symphony No. 1 in D major(1884-89, 1893)
1. Langsam. Schleppend.
2. Kräftig bewegt, doch nicht zu schnell
3. Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen
4. Stürmisch bewegt
第一楽章は、あまりにも突発的に歓喜が爆発して、ほとんど正気の沙汰ではない結尾に至るし、第三楽章も、美しいといえば美しく、とはいえグロテスクに違いなく、単純に、音楽に浸らせてくれない。
自虐的と言うか、嗜虐的というか、そういう、いわば猟奇的な気配が強い。…いい曲だね、とあるラジオのDJが紹介したが、私はセンスを疑った。
それらはともかく、まだしも風変わりな音楽と言うに過ぎない。
いたたまれないのは最終楽章である。
いきなり悲鳴のような、怒号のような、絶叫のような、しかし、たいして部厚い響きでもない、薄っぺらい金管の最強音から始まるこれは、とてもまともな音楽とは想えなかった。
かならずしも僕が保守的だったとは言えない。普通に考えて、あれは心地よい音楽か?
荒れ狂う音楽にしても、他の音楽はちゃんと荒れ狂った音楽としての音楽的な美しさと言うものがある。
まともな音楽なら、どんなに音圧がでかくても、ちゃんと音楽として聴こえるものだ。ところが、それはそうじゃない。
そして、音楽は不意に沈静化し、また、不意に爆発し、沈静化し、それをでたらめに繰り返すうちに、なんとなく勝利の凱歌風のファンファーレに至ってしまうのである。
苦悩から歓喜へ?闘争から勝利へ?
違うだろう。でたらめにわめき散らしたり、鬱に引きこもったりしているだけじゃないか。
まともな音楽ではない。…私は、そう想った。
とは言え、我慢しながら、マーラーを聴いていたのだった。
要するに、自分でも理解できないもの、他人が理解できないものへの興味に突き動かされていた、と言うことなのかもしれない。
ともあれ、ルキノ・ヴィスコンティの《ヴェニスに死す》で使われて有名になった交響曲第5番の第四楽章、誰でも知っている《アダージェット》は、聴いてすぐ好きになった。
これは、マーラーのファム・ファタルにして奥さん、アルマと言う女性に向けた、濃厚なラブレターなのだ、と、CDのライナーノートや本には書いてあった。
Gustav Mahler
Symphony No. 5 in C sharp minor(1901-02)
4. Adagietto. Sehr langsam
もっとも、私はちょっと、それは理解できなかった。
ラブソングと言うよりはもっと、どこかで悲劇的でさえある、痛ましい響きが、特にその中間部に、色濃い。
愛している、と、そうつぶやくときに、そこまで悲劇的な色彩を孕みこむものなんだろうか?
あるいは、マーラーにとっての《愛》と言うものが、そこまで両義的な概念に他ならないのなら、この作曲家がいた風景とは、どんなものなのだろうか?
それがちょっと、気になった。
まず、この作曲家の簡単なアウトラインをまとめておこう。
今現在、マーラーと言えば大規模な交響曲の作曲として有名なのだが、たぶん、もっとも深い意味で、歌曲の作曲家だった。
まずは、歌曲ありきであって、ある歌曲集によって、その世界観を獲得した後で、その世界観の中で、それらの認識の数々を自由に展開させていく、そういう過程を、この作曲家は明らかに取っている。
もちろん、あくまでも音楽的な世界観である。
いずれにしても、まずは、歌曲が先行する。
例えば交響曲第一番には歌曲集《若き日の歌》が先行し、交響曲第2番から第4番には歌曲集《子どもの魔法の角笛》が先行する。
大まかに、作品順に見ていこう。
習作的作品として、
ピアノ四重奏曲イ短調の習作というのが、現存している。
Gustav Mahler
Quartet for Piano in A minor
イ短調。…そう聴けば、後の交響曲群をよく知る人は、妙にときめく。マーラーにおける、もっとも深刻な悲劇の調性だからである。
作曲年代は1876年。まだ学生時代である。
そして、マーラーはハンス・ロットという青年作曲と出会って、極端な影響を受けることになる。この、若くして精神疾患に苦しみ、若くして死んでしまった作曲家の交響曲( Symphony No.1 E-major, 1878)は、のちのマーラーの交響曲第一番《巨人》(Symphony No. 1 D-major, 1884-89, 1893)はそっくりだと、よく言われる。調性も同じニ長調だ。ちなみに、最後の第九番も、くしくも(あるいは意図的に、)ニ長調である。
この、交響曲第1番には、《若き日の歌》という歌曲集が先行する。
歌曲集《若き日の歌Lieder eines fahrenden Gesellen》
これは、マーラー自身の作詞による、ピアノ伴奏の連作歌曲集である。
最初の作曲年代は、1884年~1885年にかけて。さらに、1891年から1895年にかけて改訂。
そのうえで、1890年代に、オーケストラ伴奏バージョンが作られたようだ。
この歌曲を、まるごとオーケストラ・インスト用に編曲したのが、《巨人》である。
そして、この《巨人》には直接的な続編がある。交響曲第二番ハ短調《復活》(1888-1894)である。
立て続けに、…というか、殆どかぶって作曲されているし、この曲を説明するときに、マーラーはこんな物語を叙述している。
《巨人》はある《英雄》の物語なのだ、と。マーラーは語る。《英雄》は、ある青春の闘争の物語である、そして、次の第二番の第一楽章《葬礼》で、この英雄を私は葬った。第二番はこの《英雄》の回想、そして、彼の復活へといたる物語なのである、と。
大意で、そんな事を言っている。
曲は、壮大な合唱で終る。
O glaube, Mein Herz, o glaube:
Es geht dir nichts verloren!
Dein ist, ja dein, was du gesehnt!
Dein, was du geliebt, was du gestritten!
O glaube: Du wardst nicht umsonst geboren!
Hast nicht umsonst gelebt, gelitten!
おお、信じるのだ、わが心よ、信じるのだ、
何ものもおまえから失われはしない!
おまえが憧れたものはおまえのものだ、
おまえが愛したもの、争ったものはおまえのものだ!
おお、信じよ、おまえは空しく生まれたのではない!
空しく生き、苦しんだのではない!
Mit Flügeln, die ich mir errungen,
werde ich entschweben!
Sterben werd' ich, um zu leben!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
Mein Herz, in einem Nu!
Was du geschlagen,
zu Gott wird es dich tragen!
私が勝ち取った翼で
私は飛び去っていこう!
私は生きるために死のう!
よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
わが心よ、今、まさに!
おまえが鼓動してきたものが
神のもとへとおまえを運んでいくだろう!
ところで、《巨人》交響曲に決定的な影響を与えたらしいハンス・ロットと言う友人、この…いや、マーラー若き日の唯一無二の親友だった、ハンス・ロットについて、少し考えてみよう。
Hans Rott (1858-1884)
Symphony in E major(1880)
1. Alla Breve
2. Adagio - Sehr Langsam
3. Frisch und lebhaft
4. Sehr langsam – Belebt
ハンス・ロットのこの曲は、いま、あくまでもマーラーとの絡みにおいてのみ云々されるに過ぎないものになっているのだが、そんな扱いをしておくのがもったいない、すぐれた音楽である。
どちらかと言うと、ブルックナーが前衛音楽だった時代の空気を吸い込んだ、美しい音楽だと想う。
マーラーよりもはるかに、素直にブルックナーの影響を受けているように、僕は想う。
そして、ついでに言っておけば、マーラーの第一番とは、そんな言うほど似てはいない。
そもそも、曲が存在している音楽的な世界観があまりに違いすぎる。だいたい、始まり方からして違うのだし、結末も違う。
《巨人》第一楽章や第二楽章との類似が指摘される《ロット交響曲》第三楽章も、確かにマーラーによる直接的な引用の元ネタではあるのだが、作品としては完全に別物だ。
もっとも、《巨人》においてだけではなく、マーラーは、さまざまな交響曲のさまざまなところに、《ロット交響曲》を引用している。
《復活》における、《ロット交響曲》第四楽章の直接的な引用などである。
だが、くりかえすが、《巨人》や《復活》と《ロット交響曲》とはやはり全く別の音楽である。
曲トータルとしての響きが違いすぎる。
初期マーラーに色濃い意図的な粗暴さや奇妙な滑稽さが、《ロット交響曲》には始めから存在しない。むしろ、明らかにエレガントで洗練された音楽なのである。
当時としては奇矯な部分があるには違いなくとも、である。
いずれにしてもハンス・ロットのこの曲はこの曲として、マーラーとは外して、素直に単独で聴いてあげるべきだと思う。
マーラーはこのロットの交響曲を手を変え品を変え引用し続け、《ロット交響曲》とは全く異なる世界観を描き出したのだが、それはロットにはあずかり知らぬことである。
ハンス・ロットは女優・歌手マリーア・ロザリナ・ルッツ(1840-1872)と、俳優カール・マティアス・ロット(1807-1876)の間の私生児として、1958年、ウィーンに生まれた。
母親は父親の浮気相手だったのだ。
公式の奥さんが亡くなった1862年以降、公式の私生児として育てられる。母親は14歳のときに亡くなる。その2年後には、舞台での事故により父親は障害者となり、さらにその2年後には死去。18歳のときだ。
師はブルックナー。
ワーグナーとブルックナーの影響を受けたという。もっとも、ワグナーの影響は、私にはあまり感じられない。
ブラームスを初め、ブルックナー以外の教師たちには評価を得られなかった。そのあたりが引き金になったらしく、22歳のとき、なんらかの精神疾患を発病する。一応、鬱病らしい。もっとも、ジークムント・フロイト以前のカルテである。《ブラームスが爆弾を爆発させた》と口走ったとかなんとかという話が合って、ブラームスのせいにされることが多い。
何度か、自殺未遂を図っている。
その後、結核により死亡。
ところで、マーラーとしては、初期作品における再三の引用は、ロットとの友情がもっと重要で深刻な青春期の体験だったが故の、ある不可避的な引用だったのかも知れない。
露骨な引用が行われるのは、例えば《ロット交響曲》の第三楽章から、《巨人》第一楽章と、第二楽章への引用。この二つの楽章は、《巨人》において、文字通り、春の目覚め~思春期の躍動を意味する部分であって、マーラーの青春の記念碑的な、そういう部分である。
更に、歌曲《魚に説教するパドヴァの聖アントニウス》、およびそのオーケストラ・インスト版である、《復活》第三楽章への引用がある。
これは聖者がありがたい説教を魚の群れに与えるのだが、愚かな魚は聴き取りさえもせずに、聖者の説教は徒労に終る、という詩に曲をつけたものである。その歌曲をインストにして、そのまま《復活》に流用しているのだ。
ちなみに、《復活》は、第一楽章の副題が《葬礼》、ある人物の葛藤と死。第二楽章はその人物の回想。追憶。第三楽章が、これ。第四楽章《原光》という短い歌曲で復活が暗示され、アルト・ソプラノ独唱に混声合唱つきの最終楽章で、《復活》が歌われる。
最終楽章の歌詞は、クロプシュトックの賛歌にもとづく、ほど自作詩である。
そして、ロット交響曲第四楽章は《復活》最終楽章の、復活のコーラスが始まる直前、静まりかえった夜の鳥たちの鳴き声にも引用される。
もう、これだけ書けばマーラーの言いたいことがわかりかけてくるのではないか。
《復活》交響曲において、《ハンス、お前は滅びたのではない。復活するのだ》と、そう呟いているのだ。
あるいは、そもそもが、《巨人》~《復活》の物語…ある《英雄》の青春の目覚め、その躍動、そして敗北と奇妙な葬送(第三楽章)からの、不意の力の爆発(第四楽章)というのは、文字通りロットの人生を描いた、一つの「小説」だったのではないか。親友ハンス・ロットの魂の物語を描写した、音による「小説」である。
一般によく言われるマーラー自身の「私小説」ではなくして。
そう考えれば、第四楽章で爆発する突発的な暴力的な響き…歓喜の歌とも、闘争の歌とも、激怒の歌とも、歓喜の歌とも、うまく説明がつかないあの奇妙な響きは、まさに、ロットの《発狂》…狂気の色彩だったようにも想える。
そして、《巨人》で描かれた「英雄」の死から復活への物語は、自分自身の運命でも、人間存在の真実としてでも、なんでもなくて、ただ、ロットをめぐる思考の産物だったのではないか。
ある、傷付き果てた青年との共生がもたらした、むき出しの痛みの物語である。
あれは、人類をめぐる哲学でも、マーラーの個人的な死への恐怖の産物でもなくて、ロットを狂気の果てに失ってしまうという、個人的な痛みが、生み出した、ロットのための救済の物語なのではないか。
Gustav Mahler
Symphony No. 2 “Resurrection” (1888-1894)
1.Allegro maestoso.
2.Andante moderato.
3.In ruhig fließender
4.Urlicht.
5.Im Tempo des Scherzos (In the tempo of the scherzo)
ロットはいかにして救われ得るのか?
ロットを救い得るなにかは存在しないのか?
傷付き果て、壊れてしまった魂の救済のすべは、全く存在しないと言うのか?
《復活》第一楽章は、聴けば聴くほど、どうにもこうにも人類の、と言うよりは、ある個人の人類全体には還元不能な特異的な葛藤を思わせる、個人的な色彩が強い。
人類の悲惨と苦悩の描写と言うよりは、あくまでも、ある個人の苦痛に満ちた独白としてしか、聴こえてこないのである。
たとえば、バーンスタインに代表される指揮者がどんなタクトを振ろうが、である。
第三楽章の魚に説教するパドヴァの聖アントニウス、日本風に言えば、「馬の耳に念仏」の徒労を繰り返すパドヴァの聖アントニウスの姿とは、まさに音楽院での無理解に曝されたロットの姿なのではないか。
原光(Urlicht)
O Roschen rot!
Der Mensch liegt in groster Not!
Der Mensch liegt in groster Pein!
Je lieber mocht' ich im Himmel sein!
Da kam ich auf einen breiten Weg;
da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen!
Ach nein! Ich lies mich nicht abweisen:
Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!
Der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben,
Wird leuchten mir bis in das ewig selig Leben!
おお、赤い小さな薔薇よ!
人間はこの上ない苦悩の内にある!
人間はこの上ない苦痛の内にある!
しかし、むしろ私は天国にいたい!
私は一本の広い道へとやってきた
すると一人の天使が来て、私を追い返そうとした
いや、私は追い返されるままにはならなかった!
私は神のもとから来て、また神のもとへ帰るのだ!
神様は一筋の光を私にお与えになって
永遠にして至福の生命に至る道まで照らされるだろう!
これは、復活の第五楽章が始まる直前の、ほんの短い第四楽章《原光》の歌詞だが、これだけ読めば、なぜこの詩が救済の契機を開くのかイマイチよくわからないのではないか。
すくなくとも、私にはぴんと来なかった。
けれども、ロットの物語を念頭に入れれば、なんとなく腑に落ちるはずだ。
例えば音楽院で、一度は排斥され、辱められた魂を、にも拘らず音楽の至高の神は見捨てはしないはずだと、それを信じようとする歌として。
…つまり、やがて、僕たちが勝利する時代が来る、と。
ちなみに、後の交響曲第9番の第四楽章でかき鳴らされる《救済のアダージョ》、あの主題の原型がはじめて現れるのは、この《原光》においてである。
よく聴けば、その旋律が、一瞬、しかし、はっきりと聴こえてくる。
いずれにしても、奥さんのアルマが記述する、マーラーが言ったとか言う言葉、《やがて私の時代が来る》。
この女性も、さまざまな毀誉褒貶の多い人なので、本当に言ったのかどうかは知らない。が、すくなくとも、ロットのためになら、《巨人》および《復活》作曲中に、何度も呟いたのではないか。
安心していろ、やがて僕たちの時代が来るから、と。
もっとも、マーラーの時代は来た。
しかし、いまだにロットの時代が来たとは言えない。来るとも想えない。もしも魂が…あるいは来世と言うものがあったとするならば、マーラーは今、何を思っているのだろうか?
…ちなみに、めずらしく演奏論的なことをかくと、個人的には第一番《巨人》の演奏は、レヴァインの若い頃の演奏が好きである。
こんなことを書くと、一気に原稿の信憑性とセンスが疑われるには違いないのだが(笑)。
名演といわれるのは多いが、一番素直に鳴らしているし、単純にきびきびしている。時代が最近の演奏になればなるほど、いかにも名曲として演奏されすぎていて、それはちょっと違うと想う。これはあくまで、奇妙な、いびつな音楽なのだ。
地位もなにもなく、ただ、心にやわらかい傷だけを抱えた若い作曲家が、たたきつけ若書きの音楽なのである。少々の破綻をそのまま演奏しきらずに、なにが演奏なのだろう?
第二番《復活》は、個人的に気に入る演奏と言うのにいまだに会ったことがない。
クレンペラーとフィルハーモニアの演奏が一番嫌いではない演奏である。
2018.07.23
Seno-Le Ma
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