小説 op.5-02《シュニトケ、その色彩》中(三帖) ③…地の果てで、君と。
シュニトケ、その色彩
中
三帖
銃口を自分の左のこめかみに当てて、…左利き? 私を
見た愛が、左利きだったの? 引き金を引く
まねさえせずに、いつから? ばーん、そう
言ったとき、背後で皇紀が
笑った。声を立てて。皇紀は窓越しに、上空の
離れたところを飛び交うヘリの、数台の群れを
見ているに違いなかった。私の
眼差しは、愛の背後の、壁の脳漿の
穢れを見詰めたまま、…おいで。
あなたはいつ棄てますか?わたしを、まーはいちゅすてまっかいつ、と、いつすてまっかときに、いつも、不意に思い出したように言ったときのいつか、掻きあげられたばかりの、耳に掛かった左の髪の毛が雪崩を起こす。
「こっちに。」…ね。悔恨の
涙?愛の両の目を流れ出す涙が、「…おいで」
許せなかった。抱きしめて「…ね。
いい子だから」あげるから。チキンどもが、…泣いては
いけない。騒いでるよ。君は、
と、皇紀は叫ぶように言って、手招く私に
すがるように それは、愛が
抱きついたとき 誰に言ったのか。彼女の
足元に 轟音が鳴る。取り落とされたヘリコプターの、
その。銃は
暴発する。
音響、その。
聴いた。そして、弾丸が
壁かなにかにぶつかって、跳ね返ったようだった。
見えはしない。
その、弾道など。
皇紀たちは許さなかった。逃げ惑う
議事堂の中で、議員に向けて乱射される、その弾道など。
彼らが逃げおおせてしまう
誰にも見えはしなかった。
ことなど。決して。徹底的な掃射がすべてを
無数の跳ね返り。聴く。音。
破壊する、
それらの。
衆院の破壊は Nhgĩa-義人たち、第二班の担当だった。
皇紀たち第一班は衆院を担当した。まず
手当たり次第に投げ込まれたのは、手流弾だった。護衛官など
無力に過ぎない。ためらいのない留保無き暴力の前には。
叫び声と怒号と、あるいは悲鳴のようなもの。息遣う。
音響の群れ。
逃げ惑った。彼ら、国会議員たち。4トン・トラックで、国会議事堂に突っ込んだとき、Nhgĩa-義人は口笛を吹いた。私の向うの誰かに目配せした。ミャンマー人か、台湾人か、誰か。
一瞬だけ。
ひき殺した警備員は一人だけだった。怒号。トラックを飛び降りた皇紀が、叫び声さえあげずに駆ける。沈黙のままに。二十人の、桜桃会が、皇紀に続いた。機関銃を乱射し乍ら。
憎しみも何もないくせに、殺意だけが渦巻いた。その、トラックに揺られている間から、温度を持った感情。ずっと、発熱した、もう、その、すでに。焦燥に似た殺意。もっと。
まだ、一発の発砲さえしていないくせに、私は、もっと、と。焦がれた。もっと、大きな殺戮に。ねじ伏せ、叩き壊すような破壊に。飢えるしかない。
渇く。
魂が、燃え上がって、存在それ自体が渇く。
私の、この。
惨めで、むごたらしいほどに
ちいさな
轟音、…それが鳴り響いたことに気付いたのは、嘘のように建築途中のビルの躯体が倒壊した事実を、
議員の割れためがねが足元に
転がる
意識のどこかで確認した、その、数秒もたった後だった。
数年前に、テレビで討論をしていたのを見たことが
在る、名前など最初から覚えてもいなかった
議員が、罵るような声を上げてつっかかってきた。
まだ、若い。三十代の前半か、なにか。
女がなじるような、そんな微細な痙攣を、彼の
眉は曝し続けた。
「撃ってみろ」…撃てるものなら、と、彼は
言ったのだった。その前に。確かに、まだ、
私が彼を振り向き見る前に、背後で。
引き金を引いたとき、それが、私の初めての
発砲だったことに気づいた。無意味に、愛が
身をまげて、床に唾を吐いた。
弾は外れた。それた弾道が、向うで
一人の女性議員のわき腹を血に染めた。
愛が、喉を鳴らす。
女性議員が、無言のままに、びっくりした顔を
静止させて、私を通り過ぎた向うを、その
眼差しは見詰め続けた。
愛が、顔をしかめた。
喉に、魚の骨でもささったかのように。
何が、…と。
その轟音に 地面が 振り返った裂けたような、私は、それ。見る。地面さえ、揺れた。地震とは違う、かすかで、細やかな振動。何が?と。
あらかた殺戮を終えた皇紀は、中央玄関上部のベランダに
降り立って、旋回するヘリの群れを眺めやり、
「…どう?」言った。「心地よくない」快活に笑う。
倒壊したビルが、真っ白い砂煙の向うに、姿を隠す。その至近距離に、Trang もいたはずだった。子どもを抱いて。砂埃りの、巻き上がった白い粒子の無数の散乱が、どこに?
どこに?
視界の中に、見えるはずのない Trang を探し、大通りの向うの、建築途中だった、その、いまや崩れ去ったそれ。膨大な砂煙だけを舞わせたなにもない空間が、コンクリートと鉄筋を剥き出しで曝していた躯体が隠していた、見えるはずのない向うの風景を、恥ずかしげもなく曝しめる。
ヌック・ミア。大通りを渡った向うに見えた、サトウキビのフレッシュ・ジュースは、まだ私の手に渡っていなかった。サトウキビを搾りかけたまま、無骨な搾り機のローラーは回り続け、店員さえ自分の仕事を忘れていた。誰もが、いま、自分がしていることの継続を断ち切られ、見詰められたのは、ただ、その砂埃の穢らしい白さだった。
それは、明らかに空間を、穢していた。
大気を。
息が、出来るのだろうか?私は案じていた。あの、土ぼこりの下で。あんな、汚染された大気の下で。Trang と、ハナエ・ホアは。
あの子、ハナエ・ホアは。
はたして?
まばたく。
陽光、私の背後の頭の上から差す陽の光が、照らす。
何を?
惨状を?
何の?
コンクリートと、もつれ合った鉄筋の残骸の?
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