小説 op.5-02《シュニトケ、その色彩》中(三帖) ①…地の果てで、君と。
《シュニトケ、その色彩》主部である《中》の最期のパートです。
いきなり、国会議事堂占拠から始まります。
これに関しては、読んでみてください、としか言えません。
2018.07.09 Seno-Le Ma
シュニトケ、その色彩
中
三帖
息が吐かれた。その音に気付いて、振り返ったとき、皇紀の頭が吹っ飛ぶ。逆光、色彩が飛び散る。眼差しが捉えたその、一瞬くらんだ空間を。赤。…それが、赤だということには気付いていた。
色彩の名前は、赤。匂った。脳漿の匂い、あるいは空気を焦がした銃弾。腐った湿気と、灼けた匂いが同時に嗅がれた。バリケードを張られた壁の向こうに、怒り狂った、ささやき声の群れがあふれていた。彼らは、確実に私を殺そうとしていた。未だに信じられなかった。想い出す。私が、皇紀が吐いた息遣いに振り向いたというのは、嘘に違いない。明らかに。そんなものはもはや聴こえなかった。…怒号。私は振り向いたのだった。聴こえない。銃弾がガラスを突き破ったその音響に。怒号さえもが。人殺しの皇紀を、そして私を狙って。聴こえない。私に、まだ人権はあるのだろうか?
なぜ?
怒号さえ立てずに、自衛隊の精鋭部隊が、国会議事堂、その控え室のドア一枚隔てた向うでささやきあう。怒り狂っているに違いなかった。少女殺しのわたしたちを。
立てこもった国会議事堂の、二階のバリケードはすでに破られていた。彼女は堕ちて行った。Lê Thị Nhgĩa、レ・ティ・ニア、あの純白の肌を持った Lê Thị Nhgĩa 義人も、国会議事堂の、中央玄関上部のベランダから。すでに殺されてしまったに違いない。身を投げるように。それとも彼女は 確保されたのだろうか? 最後に、何か言った。
彼らいわく、最後に、生き恥を曝して。振り向いて、皇紀がもしも、撃て、と、合図したその 拘束されてひざまづく Nhgĩa-義人を うなずきの 見たなら、かすかな 速やかに その 自決を命じたに 瞬間に。違いない。…何を?日本人として、恥を曝すな、と。
泣く、と言うのとは違う、叫ぶ、に似た、…悲しみ?…やわらかい無際限な痛みが、ささやき声になって、無言のままに、私の頭の中を満たしたのだった。
こいつら、まじ、豚。言ったのは皇紀だった。
衆院議会場に乱射される機関銃が、議員の
群れを吹き飛ばしていった。
こんなもん?…革命って。
後頭部を打ち抜かれた皇紀が、四肢を痙攣させ乍ら、
こんなもん?国家って。
いかにも穢らしい死にざまを曝していた。
なぜ?
女声議員に銃口を咥えさせて、泣きもしないで涙だけ垂れ流す
彼女の頭部を吹き飛ばす。笑う。
…くそだね。皇紀は言った。
なぜ、彼らはもう一発打たないのだろう。
吐き捨てるように。
割れたガラスの向うに、空中に静止したヘリコプターが横面を向けているのを、私は眺める。
発砲してくるのが当たり前のはずだった。彼らは、この期に及んで、未だに投降を呼びかけていた。もう、テロリストたちなど十人以上も殺してしまっていたに違いないのに。
おそらくは、私がその最後の一人だったかもしれないのに。
藤井加奈子は笑うだろうか?
あるいは、自衛隊の男たちを導きいれて、彼女の股を広げて見せるだろうか?
突っ込んで見せなさい、と。あなたたちの血に穢れた銃弾を。愛は、微笑んだように見えた。あの、少女は。ヘリコプターを見詰めた。それは、彼女が微笑んでいたことをは、中は見えなかった。かならずしも 聴こえた。意味しない。確かに、聞こえ続けていた。時は、声。いまだ、と。投降を呼びかける、あなたが… 声。引き金を引くべき時は、彼らの。いまをおいてほかにないのだと、撃てばいい。鈍い私を 私も。諭すためだけに、いますぐに。最後のうなずきの瞬間に、両手をひろげてみせるのだった。微笑みながら。作られただけの、私は。微笑みの残骸に 彼らに。過ぎなかったかもしれない。何を見てる?
悲しみ。それに、いまだに、満たされる。引き金さえ引かないで。悲しみ、の、ような、その、吐きそうになる、あの、茫然としているわけじゃない。…苛む。むしろ、かきむしる。殺意に、ひっかく。焼け付くような殺意に さかなでる。苛まれてさえい乍ら 突き刺さる。なぜ、ささやきあい、無数に。そして、いくつも。見詰めているのか? 瞬間、私を。…引き金を引いた瞬間、私を。その時には、聴こえる。すでに、騒音。私を満たしていた そのヘリコプターの 感情が、三台の、まばたく。旋回する、わたしは、その、瞬き、ヘリコプターの、そして。羽根の。
愛が、ささやいた。
聞き取れなかった私が、「何?」
その言葉が終わる前にはすでに、この
十二歳の少女は噴き出してしまう。
その、幼いながらも、あるいは
幼く、かつ美しいものだけが持つ、どこかで決定的に
鋭利な美しさを
無残なほどに、その笑い顔が崩壊させて、「…なに?」
どうしたの?言った私に、彼女が
答えるはずもない。この
生体の機能を失った少女は。
9月。まだ、大気の夏の温度が巣食う。急速に
あと数日で、目覚めた
朝に、そんな温度など
もはやどこにも存在しないことに気付いて、夏の
終焉に私たちは気付くに
違いないのだが、
9月の正午。雨は
降ってはいない。
晴れているとはいえない、その
Trang チャン を、愛していたのかも知れなかった。あるいは、私は。彼女の、無残な、四肢の原形をとどめない死体を見たときに、私は、
光。…陽光。窓越しの、
それ。
想わず、意識が遠のくのに気付きながら、見る。泣いたほうがいいだろうか? 私は、それとも 彼女の 泣かないほうが? そのままのかたちで、Trang は泣いた。すこしのかすり傷だけで僕が、現存していた、両親の死を知った その、瞬間に、頭部を。想わず涙を …あ、こぼしたときに、と、泣いてはいけない、その、と、
なかないじぇくじゃさい。
どっちがいい?泣いて欲しい?泣かないでほしい?
Trang の口は、「…あ、」のかたちに開かれたままだった。ベトナムの病院の中で、もちろん、Trang はすでに生きてはいない。どこかのならず者が仕掛けた爆弾が吹き飛ばして、倒壊したビルが押しつぶした彼女の首から下は、もはや、単なる筋肉と皮膚の残存を、千切れないように、そこにつなげていただけに過ぎない。…しっかりして。
しっかりしてください。
聴く。しかるぃってくださぃ、声。しっかりしてください、と、それ。
髪の毛の匂いは?
無意味なほどに、無様なほどに生え茂った、あの、真っ黒い、美しい髪の毛は?うっとおしいほどに匂いたった、あの、その、あれ。
匂いは?
なかったことには気付いている。その匂いさえもが、あるいは、それ以外の匂いが、…例えば、血。腐りかけの。半日以上たって、すでに。あるいは、肉。
肉片。腐りかけの。半日以上たって、すでに。あるいは、髪の毛。
あの、うざったいほどに匂った、あの髪の匂いは、その、髪の毛に顔をうずめさえすれば、未だに、うざったいほどに、匂うのだろうか?例えそれが、干からびた血と肉片に穢されていたとしても。
未だに、と、「…しっかりしてください」その声が、しかるぃってくださぃ 義人が背後からつぶやいたものだということに、そして、Nhgĩa-義人は私の肩を抱き、激しくゆすり乍ら叫んでいたのだった。「…しっかりしてください、しっかり、して、しっかり、して、ください」
私が振り向いたのを Nhgĩa-義人は確認した。怒り狂ったような眼差しを、Nhgĩa-義人が曝して、私に叫んでいた。私は、自分が立ったまま気絶していたことに気付いた。
その死体が安置された病室の中で。
病室を出て、病院を出て、そして、Nhgĩa-義人は死体を自宅に運搬する手配に終われ、病院の前の、雑多な通りを、一本入った、さらに雑多な通りで、光。
差し込んでいた。
まばたく。
人ふたりがすれ違えるかどうかしかない、その
そうするしかないから。
狭苦しい通り、壁、住居の圧迫感、にも拘らず、ときに
私はまばたいて
とおるバイクのうざったい、そして
拭ってみる。
光。なにかの
汗。…顔の。
反射光が青いペンキを塗られた壁に
「忘れられましたか?」皇紀が顔を上げて言った。Nhgĩa-義人が私をつれて入った路地の喫茶店の中に、「…奥さん、…だっけ?」皇紀は、別れたときそのままの姿勢で、じっと座っていた。スマホが、病院に入るために席を立った私が、「…じゃ、あとで。」そう、声をかけたときのままに、そこに放置されたまま、安っぽい、木のテーブルを、氷だけ溶かしたコーヒーが、グラスの肌を汗だくにし乍ら、濡らした。
水溜りのようなものをさえ作って。
「がんばって」言った皇紀は、私を見上げて、微笑んだものだった。なにを、私は、頑張ってほしいの? 微笑むしかなく、なにを? Nhgĩa-義人が、どこかに連行するように、私の腕をつかんで、連れて行く。
お前だろう?私は想っていた。あの
病院へ、その後姿を、皇紀は
ビルに爆弾を仕掛けたのは。
見ていたに違いない。
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