ハイドン(Franz Joseph Haydn)、バリトンのための作品集。…留保なく美しい音楽。
ハイドン(Franz Joseph Haydn)、バリトンのための作品集。
…留保なく美しい音楽。
Franz Joseph Haydn
(1732-1809)
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンと言えば、まず交響曲、次に弦楽四重奏曲。あとは、ピアノ・ソナタとピアノ・トリオ。…というのが常識だ。そして、それ以外の曲は基本、省みられない。
…と言っても、交響曲が104曲以上(108曲くらい)、弦楽四重奏曲が83曲くらい、ピアノ・ソナタが65曲くらいと、ピアノ・トリオが45曲くらいある。
もっとも、そのうち演奏されるのは、たぶん、30曲に満たないくらいなのではないか。
逆に演奏機会が多いのは、弦楽四重奏曲かもしれない。
いずれにしても、ハイドンと言えば、交響曲、弦楽四重奏曲、そしてトリオ含むピアノ曲、である。
…が、これが、ハイドン・マニアとしては、ちょっとおかしいんじゃないの?と想ってしまう。
ハイドンと言って、真っ先に聞かれるべきは何か?
まず、一連のバリトンのための音楽の群れ。そしてカンタータやオラトリオ、そしてミサ曲。次にディヴェルティメント、である。
オペラもあるらしいのだが、私は聴いたことがない。ぜひ、聴いてみたいのだが、…まぁ、その機会はないのではないか。
ディヴェルティメントは、例えば弦楽四重奏協曲やピアノ・トリオの、いかにも革命家然とした毅然とした雰囲気を離れて、純粋にポップで楽しい音楽を書こうとしているので、本当にいい音楽だなと聴きほれてしまう。
カンタータやオラトリオは、さまざまな技術的な実験を集約させて、完成形として提示してあるので、クオリティがすごい。
ちなみに、晩年の、ソロ・ヴォーカルのための歌曲と言うのも、珠玉と言うか、ソナタ形式で極め尽くした実験の成果が素直に披露されていて、非常に美しい。
Franz Joseph Haydn
An Iris
この歌曲、《12のクラヴィーア伴奏つき歌曲集》第1集と第2集(それぞれ12曲ずつ収録)、《6つの独奏的なカンツォネッタ曲集》第1集と第2集(それぞれ6曲ずつ収録)に収められている曲の中の一つなのだが、これらの曲集、本当に、すばらしい。
これらの曲集が無視されていることに、殺意を覚えるほどだ。
端整かつシンプルかつ行き渡った洗練美。そして、匂い立つ音楽的香気。…これ以上、なにをか望むや、と想ってしまう。
ちなみに、ベートーヴェンも歌曲と言うのを大量に残しているが、あれは、はっきりいって、どうでもいい(笑)。
とにかく、本当にクラシックの奴らはハイドンに冷たい。インディー・レーベル興隆の現在、昔とは比べ物にならないくらい、埋もれていた名曲や、作曲家が発掘されているが、ハイドンはその名前だけが有名すぎる作曲家であるために、発掘されずに埋もれきったままだ。
僕としては許せない。…で、こんな記事を書いているのである。
もしも、これを読んでくださった方が、ちょっと興味を引かれて、ハイドンでも聞いてみようかな、と想っていただけたなら。
真っ先におすすめするのは、例えば作品33、モーツァルトに戦慄を与えた弦楽四重奏曲集の6曲である。
ストイックで、クリスタルな前衛美の塊りのような音楽だ。そして、この曲を体験することによって、モーツァルトは自分の音楽を研ぎ澄ますすべを知ることになる。
無意味に才能を濫費していた天才は、音楽語法をしっかりとつかむことによって、自分の才能に表現としての強度を獲得したのである。
次に、聴くべきなのは、まちがいなくバリトン曲集だ。…自由で、自在な音楽美の結晶。ハイドンの音楽の美しさのすべてが詰まっていると言っていい。
Franz Joseph Haydn
XI: 2
Trio for Baryton, Viola & Cello in A major
1. Allegretto con variazioni
2. Arioso: Adagio
3. Finale: Tempo di minuetto
バリトン(英: Baryton、独: Viola di bordone、伊: Viola di bardone)というのは、ヴィオール族の弦楽器。
…と、言われても、そのヴィオールって何?と言うのがあるのだが、例えば、ヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da gamba)に代表される楽器の一群を言う。
これらを駆使した作曲家としては、
サント=コロンブ(Monsieur de Sainte-Colombe, 1630~40? – 1690~1700?)
マラン・マレ(Marin Marais, 1656-1728)
アントワーヌ・フォルクレ(Antoine Forqueray, 1671? - 1745)
…が、有名。いずれも、当時の人気のヴィオール奏者だった。特に、マラン・マレの曲は、ときにうざったくなるほど香気にあふれた音楽。
彼らはフランス系の作曲家だが、当時のフランスの貴族の女たちと男たちの、香水と体臭が濃厚に、一夜の情事のあとの、豪奢を極めた部屋を染める朝焼けの光の倦怠感さえ伴って漂ってきそうな、そんな音楽である。
もっとも、おなかにもたれる瞬間も、ある(笑)。
この楽器、フランス人たちに愛された。
もう一つ、ヴィオラ・ダ・モーレ(viola d'amore)という楽器のためには、ヴィヴァルディも曲を書いている。もっとも、ヴィヴァルディはやっぱり、ヴァイオリンやらチェロやらの楽器のほうが、しっくりくる。どちらかというと、ヴィオールとヴァイオリンの中間に位置する、相の子的な楽器のようだ。
現代の奏者としては、カタルーニャ出身のジョルディ・サバール(Jordi Savall i Bernadet, 1941)。この人は、指揮者としても、モンテヴェルディの《オルフェオ》や、バッハの《音楽の捧げもの》、そして《モンセラートの赤い本》の演奏だとか、忘れ難い仕事がいっぱいある。
そして、ヴィーラント・クイケン(Wieland Kuijken, 1938-)など。
で、そんな楽器の仲間に分類されるのが、バリトンという楽器。
ヴィオラ・ダ・ガンバは、ヴァイオリンが隆盛を極める前はメジャーな楽器だったが、バリトンの方は、当時からかなりマイナーな楽器だったようだ。
なぜか?
たぶん、演奏が難しすぎたからだ。
…いろいろな情報を集めてはみるものの、ようするにどうやって弾く楽器なのかよくわからないくらいに、なんか、難しい。
表に6~7本弦が張られている。
そして、裏面にも9~24本の共鳴弦が張られている。
で、基本、弓で表の弦を弾くのだが、なんか、裏の共鳴弦も、親指ではじきながら演奏する、らしい。
だいたい、共鳴弦の9~24本と言う、このすさまじくいい加減な本数が、あやしい。
たぶん、調弦によっていろいろ本数があるってことなのかな?
すさまじくマイナーな楽器なので、僕は実物を見た事がない。なので、正直、よくわからからない。
ネットで調べても、英文や仏文を読んでるわけではない日本語の、別に悪文と言うわけでもない普通の文章なのに、はっきりいって読解不能なものばかりだ。
そして、ハイドンはこの楽器のために、トリオを126曲くらい残している。他にも、ソナタだの何だのあったらしいが、その大半が紛失されたようだ。
これらは、作曲当時、未出版の作品群である。故に、基本的には出版番号であるop. 1とか2とかの、作品番号はついていない。ハイドンが仕えていたエステルハージ公爵のために、プラーヴェートで作曲されていたものものなのである。
なぜ、そんなものが126曲も残っているかと言うと、必要に応じて書き散らした交響曲や弦楽四重奏曲と違って、ハイドン自身がずっと大切に保存していたからである。
音楽好きだったエステルハージ公(エステルハージ・ミクローシュ・ヨージェフEszterházy Miklós József, 1714- 1790)は、自分でも楽器を演奏したが、彼の偏愛した楽器が、この、バリトンだった。
実際問題として、バリトンの、美しいが反響の多すぎる音は、はっきりいってハイドン美学には合わない。
だから、これらの一連の曲では、ハイドン語法をかなり自粛して、この楽器を美しく響かせるためだけに、プロフェッショナルとしての仕事に徹している。
だからこそ、これらのひたすら美しい音楽が生まれたのだ、と想う。
聴いてほしい。
これほど、素直に、あー…音楽っていいな…と、単純に思わせてくれる音楽は、…実は、あまりない。
ハイドンの音楽でも、ディヴェルティメントでさえ、ここまでではない。
最初、反響が多い楽器の響きが聴きなれないかもしれないが、すぐになれるし、なれると、ほかの、例えばヴァイオリンやチェロのシンプルすぎる響きに飽き足りなくさえなるはずである。
別に癒しのヒーリング・ミュージックとしてでもなんでもいいから、もっと、もっと、聴かれてしまるべきだ、と想うのだ。
2018.07.01
Seno-Le Ma
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