ハイドン(Franz Joseph Haydn)、古典派という名の革命。およびスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)
ハイドン(Franz Joseph Haydn)、古典派という名の革命。
およびスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)
Franz Joseph Haydn
(1732-1809)
Stevie Wonder, Stevland Hardaway Judkins
(1950-)
むかし、中学生のころ、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder, Stevland Hardaway Judkins, 1950-)のアルバム《キー・オブ・ライフ Songs in the Key of Life, 1976》を聴いて、がっかりしたことがある。
Stevie Wonder
Isn’t she lovely
というのも、プリンスや、マイケル・ジャクソンや、エリックB&ラキムや、パブリック・エナミーや、とにかくそんな黒人たちの音楽にのめりこんだ時期。
いろいろな音楽本(当時、インターネットはまだ黎明期でした笑)で読んだときに書いてある、スティーヴィーは70年代の最高の天才で、もっとも偉大なイノヴェーターである、という表現に惹かれて彼の音楽を聴いたにもかかわらず…
いや、普通のアーバン・ソウルじゃん。
感想はそれだけ。
結局、どこがイノヴェーティヴなのか、さっぱりわからない。
確かにクオリティは高いし、洗練されてるし、すごい才能だとは想うけど、でも、それだけの人でしょ?と。
スティーヴィーに代表されるような、洗練されたポップなソウルの中で、一番ハイ・クオリティの音楽というに過ぎず、革新的であるとはいえない。
そう想った私は、結局、スティーヴィーを聴くことをやめて、スライ・ストーンを聴いて喜ぶことにした。
スティーヴィーの革新性に気付いたのは、もっと、ブルースからリズム・アンド・ブルースを経てソウルだのファンクだのなんだの、ヒップ・ホップの元ネタ収集を兼ねた音源集めをするようになってからである。
高校生のころだったろうか。目からうろこが落ちたのは。
スティーヴィーの音楽は、異常なくらいに革新的だ。そう、気付いた。
つまり、スティーヴィ以後にはスティーヴィーみたいな音楽は大量にあふれているが、スティーヴィー以前には、スティーヴィー風の音響など、この地上には存在していない、と言うことに気付いたのである。
スティーヴィーの革新性とは、そう言うことなのだ。
いわゆるアーバン・ソウルというか、若干スイートで洗練されたソウル・ミュージックと言うのは、あのやわらかくしなやかなグルーヴ感含めて、スティーヴィーがたった一人で作り上げたものなのである。だが、あまりにもそれが影響力を持ちすぎたために…つまり、ある音楽スタイルの基本原理にすらなってしまったために、80年代末期には、スティーヴィーの音楽からは、その革新性など感じられなくなっていたのである。
さすがに、その超絶レヴェルのクオリティだけは認知できるとしても。
真に影響力のある革命家と言うのは、結局、自分が構築した世界の中に埋もれてしまう人のことなのだ。
これは、例えばマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye, 1939-1984)の《セクシュアル・ヒーリングSexual Healing, 1982》にも、同じ事が言える。
Marvin Gaye
Sexual Healing
この曲なんかも、すでに80年代後半には、単にありふれた普通の今風の黒人音楽=ブラック・コンテンポラリー(…これ、もはや差別用語だと想うんですが、当時はそう呼ばれていました。)に過ぎなかった。
今で言うと、例えばプリンス(Prince, Prince Rogers Nelson, 1958-2016)がもろにそうだと想う。
例えば、今、1987年や1988年の当時、文字通り革命的音楽で、最初聴いたときはどうも耳障りが悪かったが、何回か聴くとそのよさに開眼する、というめんどくさい修行を経なければならなかったアルバム《サイン・オブ・ザ・タイムス(Sign o' the Times)》や《ラヴセクシー(Lovesexy)》を聴いて、その衝撃をあの当時のままに共有してしまう人は、基本的にいないはずだ。
普通の音楽。そして、クオリティだけは高い音楽。
実際、プリンスの音楽は、それ以降のR&Bの基本になっているから、むしろ古色蒼然とした、かつ、教科書的なハイ・クオリティ音楽に過ぎないに違いない。
これは、実体験による。
ミレニアム以降のどこかで出会った、あるシンガー志望の男の子がいて、90年代とか80年代のアメリカの黒人たちの音楽についての話しになったときに、彼は、昔の人ではプリンスが好きだと言う。
目をキラキラさせて。
しかし、彼は、どれだけそのシンガーとしての力量がすごいかを語りはしても、その音楽の革新性など全く語り始めない。
僕たちのような、例えば、74年生まれの世代では、ありえないことだ。よく考えてみればシンガーとしてすさまじいクオリティを確保していた人だと言うことに、僕たち世代はそうとう遅れて気付くのだが(…たとえば、90年代末期、アルバム《Rave Un2 the Joy Fantastic, 1999》を聴いて、僕はやっとその事実に気付いた。)、僕たちにとって、まずは、プリンスと言えば革命家である。
その、プリンスが革命家であると言うことが、彼には一切理解できない。
僕が、むかし、スティーヴィーが革命家であるという事実を理解できなかったのと、全く同じように。
そして、同じ事が、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732-1809)にも言える。
Franz Joseph Haydn
Hob Ⅲ: 44
Strings Quartet op.50 no.1
1. Allegro
2. Adagio non lento
3. Menuetto: Poco allegretto
4. Finale: Vivace
今日、ハイドンと言えば、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの古典派御三家のなかで、一番地味で、当たり障りのない、そして保守的な人、というイメージだ。
モーツァルトはもっとも天衣無縫、戦慄的なまでに美しい、繊細。
ベートーヴェンは頭でっかち、うるさい。
僕は、これらの一般的なイメージも、修正されなければならない、と想っている。よく聴くと、彼らの音楽の実態を、全く捉えていない。
ハイドンに関して言われる、クオリティは高いが、古典派マナーの教科書どおりの人、という言い草は、実は、おかしい。
ちょうど、スティーヴィーの音楽に関して、クオリティは高いが、70年代アーバン・ソウルの教科書どおりの人、というに等しい。
彼らの音楽が、《教科書どおり》なのは、考えてみれば当たり前だ。彼らが、その教科書を書いたのだから。より正確に言えば、彼らのエピゴーネンたちに、頼んでもいないのに書かれてしまったのである。
彼らの音楽を理論的に、あるいはマナーとして解剖することによって、古典派、あるいはアーバン・ソウルという音楽の教科書は作られたのだ。
だから、単純に、逆なのだ。彼らが教科書どおりに書いたのではない。教科書が、彼らの音楽どおりに書かれているのである。
だから、ハイドンの音楽は古典派マナーに対して、全くブレがない、すっきりとしたいかにもな古典派音楽であって、面白みがない、という倒錯した意見さえ発生してしまう。
むしろそれ以外のエピゴーネンたちのほうが、その古典派マナーに若干の齟齬感を持っている点に関して、そこに彼ら固有の個性を認知されるのだが、ハイドンに関しては、上記の理由で、そんな事態が発生しえるはずもない。
ハイドンは没個性的な安全運転の作曲どころか、誰よりも革命的だったが故に、必然としてそうなってしまっただけなのである。
ハイドン以前に、古典派流儀と言うのは、基本的には存在しない。もちろん、ハイドンにだって、先行する作曲家の影響は感じられるが、たとえば J.S. バッハの、C.P.E. バッハの、ヴィヴァルディの音楽とハイドンの音楽は、まるで別のものである。
音楽の本を読むと、いろいろと難しく書いてあるのだが、単純にバロックとハイドン=古典派の違いを言うと、一つにはリズムの単純化、ということがいえる。
バロックのようにリズム自体を、現実に鳴っている音として細分化・複雑化すれば、音楽の、旋律あるいはモティーフ展開の可能性は縮小せざるを得ない。柔軟性が欠けることになる。
故に、古典派においては、むしろ、リズムは極端に単純化させる。たとえば、メヌエットと言う、バロック・リズムに比べてればお子ちゃま音楽状態の単純なものに。
そして、その基本の単純さが切り開くことになる膨大な潜在的可能性、…サッカー風に言えば、がら空きの広大なスペースに、自由な展開をすればいい。
リズムは現実的に刻まれるのではなく、むしろ暗示されるようになり、和声は踊り、モティーフは複雑な展開を見せながら掻き乱れる。
いわば、基本バスドラ四つ打ちのハウスの方法論と一緒、である。
基本的に、どんなに複雑なビートでも、ハウスのビートに乗っけようと思えば、不可能ではない。
例えば、サンバ。
聴きようによっては、あれはオカズが膨大なだけの単なるハウス・ミュージックである。
そんな、すさまじい革命家のすぐ下の世代だったのが、モーツァルトだ。あからさまなハイドン=古典派の影響を受けざるを得ず、そして、ハイドン=古典派の枠を超えなければ、彼は彼自身の個性を獲得することは出来ない。
作曲家だって人気商売だ。人気商品とは、まず、他の類似商品との差異化がきちんと出来ている商品のことだ。つまり、モーツァルトは売れるために自己差異化を図らなければならないのだ。
だから、モーツァルトの音楽は、ハイドンの音楽の可能性の極端にデフォルメされたいびつな音楽になるほかなくなる。
モーツァルトの音楽にある、古典派流儀を超えた、逸脱や、展開、やんちゃな表情は、彼の個性だったと言うよりも、むしろ時代的な必然でさえあったはずである。
ハイドンがモーツァルトのよき理解者たりえたのも、彼が新しい音楽に対して開かれた感性を持っていたから、ではないだろう。
モーツァルトの音楽は、いわば、ハイドンの音楽様式の可能性を展開させたに過ぎないのだから、ハイドンに理解できないわけがないのだ。
モーツァルトは言っている。パパ・ハイドン、と。
それは、古きよき時代の優しいお父さん的存在、庇護者ハイドンへの親愛の表明ではなくて、むしろ、俺こそがかのハイドン王の嫡子に他ならない、という、矜持に満ちた表明だったのではないか?
我こそは帝王ハイドンの一人息子なり、と。
ベートーヴェン時代になると、古典派流儀は完全に教科書的に解析されえている。故に、彼としては、古典派流儀を常識としてそのままを運用しながら、自由にそれを使って、今鳴らしたい新しい音響の構築に走ればよかったのである。
ベートーヴェンによる古典派語法の運用は、モーツァルトのそれと違って、もっと、あっけらかんとしている。
いずれにしても、ハイドンこそは、革命的存在だった、と言えるのではないか。
クラシックがすき、と言う人に限って、このハイドンをまともに聞こうとしない。
聴いても、後期、例えばロンドン時代の作品ばかりである。そして言うのだ。…渋いね、と。
しかし、むしろ、エステルハージ家時代、特に、初期の作品になればなるほど、その革命的書法の形成過程はリアルなのであって、もう一度、しっかり評価され直されてしかるべきだと想う。
2018.07.03
Seno-Le Ma
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