小説 op.5-(intermezzo)《brown suger》②…君に、無限の幸福を。
この小説は、単純に言ってしまうと、少年たちの犯罪小説なのですが、
途中から、寧ろ叙情的な小説になって行きます。…残酷さと、叙情の同居、というか。
このピリオドでは、まだそんな気配はありませんが。
スタートなので、作品全体がダークサイドをさまよいます。
叙情性というのは、最初から狙ったわけではなくて、そうなってしまったんですね。
そういう部分、日本的な感性だな、と、自分では思います。
震災とかがあるたびに思うのですが、日本というのは、世界一災害の多いところだし、
実際、地質学的に言って、そうならざるを得ないわけですが、
にもかかわらず、美しい、と。その、凶暴な自然そのものが。
春でも夏でも秋でも冬でも何でもいいですが、叙情的でさえある美しさがありますよね。
その美しさと、世界でもっとも凶暴な暴力性の同居。
そして、どこかでそれが当たり前のことだと、日本で生活する人は考えている。
あるいは、ときにそれこそが自然の大きさ、
卑小な人間には計り知れないこの世界そのものの大きさなのだと、
悔し紛れに肯定してみせさえしながら。
日本的感性というものの、大半はその自然環境に根拠を持つ気がします。
ときに、外国人から聞かれます。
日本はどんなところ?
僕はこう答えようとします。
無慈悲なまでに凶暴で、叙情的な自然に囲まれたところだ、と。
しかし、理解されないと想うので、単純に、いいところだよ、と言ってお茶を濁してしますのですが。
ともあれ、呼んでくださる方、くださった方の、ご無事と、ご安全を、お祈りしております。
2018.06.10 Seno-Le Ma
brown suger
#1
その少女に会ったのは、彼らと働き始めて、半年近くたった、
初めて
9月だった。
人間を見たような
18歳だと言った。一目見ただけで、
表情を曝した。その
一度も人間種の女を見たことがない存在以外、
少女は。
嘘だとわかる。…子ども。
Thanh や、Duy たちを
自分と同じくらいに違いない、と、Thanh は
見たときに。その、少女は
想った。美しいといえば美しく、けばけばしいといえばけばけばしいその褐色の肌を曝した顔立ちを、Thanh はまばたきながら見、マリアはフィリピン人だった。
まるでその、化粧で書かれたような
もとをただせば、
その、眼の前に曝された
日本人のマフィアが、連れてきた少女だった。男の娘だった。パスポートには
顔
日本語の名前が書いてあった。
日本人だ、とマリアは言った。わざと澄ました顔をして、私はあなたたちとは人種が違う、と、だから物欲しそうな目で見るのはやめたほうがいい、そう言ったマリアのことを、Duy は通訳されて、声を立てて笑った。
人種的には完全にフィリピン人だった。日本で生まれ、
穢い手で
日本で育った。日本語以外の言語は
触らないでください。潤んだ眼差しが
話せなかった。彼女は
震える
日本では体を売っていた。ある意味に於いて。そして
Thanh は、それを見る
ベトナムでは覚醒剤を育てようとしていた。それは父親が与えた仕事だった。あの、丸太のような、巨大な日本人男。
覚醒剤をベトナムに根付かせ、作成し、販売し、日本に輸出する。
強くなれる、と男は言った。その
密輸、とも言う。華奢な女だった。
日本から来たマフィア。色の白い
マリアの父親は
背の低いベトナム人の女よりも小柄なマリアを、Thanh は好きになれなかった。あるいは、自分と同じくらいの身長のマリアには、コンプレックスを素手で触って刺激する、直接的な不快感が、Thanh にとってはあった。
振り向きざまに Duy のほっぺたをひっぱたいたのは、Duy が
穢い手で
不用意に
触らないでください
尻を触ったからだ。ドラゴン・ブリッジ。ダナン市のど真ん中の、ハン川を流れる川に掛かった橋は、
…龍?
毎週末火を噴くイベントを披露したが、その橋の下、
胴長の仔豚ちゃんじゃなくて?
無数に並んだ露店で Bánh tráng nướng バン・チャン を買っていたときに、わざとらしい嬌声を上げながら、Duy が尻をつかんだのだった。Duy は気に食わなかっただけだ。目の前に居た白い肌の イケメン đẹp tái が、...デップ・チャイ。一瞬、目を細めながらマリアに流し目をくれたのが。
マリアは何も気付かなかった。むしろ、目の前で炭焼きにされる Bánh tráng をめずらしがっていたのだから。
俺の女だ。Duy は、そう言ったのだった。マリアの尻をつかんで、でぶの尻がたぷたぷしてる、と、囃し立てたときに。お前は俺が守ってやる。
…だろ?
何をするかわからない、あの色白の、
たとえ、お前が単なる
たぶんお金持ちの息子で、
淫売だったとしても
ちゃんと学校に通っているには違いない、目の前のならず者から。
そのデップ・チャイには、この世界の最低限の美しさすら知らないに違いない、穴倉に住んでいる人間特有の、あからさまにひ弱な気配があった。
日陰の花のような。
振り向きざまにひっぱたいたマリアの平手よりも、むしも、その眼差しが Duy の心をへし折った。
マリアは無言で、泣きそうなほどの怒りを、その顔中に明示し、
泣かないで
かみしめた奥歯が下唇を震わせていた。
My love
ひとことも言わなくなった Duy を、当然の報いを受けた人間を見るように Thanh は、見上げられたドラゴン・ブリッジが火を噴く。
何度も。
繰り返し、何度も。
そのたびに、車両を禁止したその橋の上に、そしてその下に群がった、何千人もの観光客たちが歓声を上げた。見飽きたよ、と Thanh は想い、一瞬、スマホで動画を取るマリアに、視線を流す。
美しい、のだろうか。少なくとも、フィリピン人が見たら、美しいには違いない。その根拠を共有できなかったが、そんな感性が、あの、近くといえば近くの、海の向うの遠い国にあるに違いない事が、その顔立ちは感じさせる。明晰に。
見る。僕は
…美しさ。
けばけばしいと言えば、まさにけばけばしく、綺麗、と言えば、まさに綺麗だった。
美しさ。君の
それは、何なのか?一体、美しさ、とは。
その
美の基準を共有しないにもかかわらず、なぜ、それが美しいことを理解する事ができるのだろう。
炎の匂いの中でさえ
たとえ、フィリピン人のように、体験することは出来なかったとしても。
退屈さが極まって、やがては Cảnh のアパートメントに引きこもって、マリアの体の上に乗っかり始める Duy たちの声の群れに Thanh は耳を貸しながら、パソコンでマイケル・ジャクソンのパフォーマンスを見る。
その神話的ダンス。
マリアはいつでも、
口パクだったにしても
仲間たちには体を許した。彼らが求めさえすれば。画面の中で、一人の痩せぎすの男が、スポットライトをめいっぱい浴びながら、口元を隠し続け、そのか細い身体をくの字にへし曲げる。歓声が包む。彼らが聴いたこともない、歌うような声を上げてマリアは男たちを鼓舞した。彼らの腰がマリアを叩きつけて、彼女の小さな体を揺り動かすたびに。その男は生きている事が苦痛で仕方ないとばかりに、うつむき、目線さえあわそうとせずに、重力を脱したステップを刻む。日本風なんだよ、と Duy が言った。いつだったか、彼女のその、あの時の声は。…あの娘の子どもは僕の子どもではありません。怒号のような歓声が男を包むが、そんなものがこの孤独な男に聴こえているはずがない。あいつ、日本人だから、と、フィリピン人そのものの、褐色のマリア。孤独な男は挙句の果てには地団太を踏み、天を見上げて、今ここに存在していることそれ自体を呪う。だれも避妊しないことに、最早疑問さえいだかなかった。あの日本から来た指のない男がためさせて以来、覚醒剤はスプーンの上で溶かされて、…声。その、美しいその男の声が、それら、幾重にもかさなって、その、空間を支配する。いま、溶ける。この。身体の中で溶け続けるその液体が、背骨をさえ溶かして仕舞ったのを、Thanh は感じていた。苦痛にのた打ち回る男は、何度もひきつった叫び声を短く、吐いた。シャウト。僕の、…
僕の子どもなんかじゃないんだ
誰の子?マリアの声を聴く。僕は、誰の子?あえぎ、歌うように、声。あ、…あ、ついに、苦痛に耐えられなくなった男が、初めて彼を取り囲んだ観客の、一握りの少数を凝視して、無意味な長い長い叫び声を挙げる。あー、…知ったことか。Thanh は今、ここに生きていた。あの、皆殺しにされた両親たちが、かならずしも彼の両親であった必然性などどこにもない。舞台は暗転する。
すべては終わり、何事もなかったかのように、孤独な男はくの字に身をよじったまま静止した。
マリアとの間に、共通言語はない。
マリアは英語さえまともに話せず、そして Thanh は英語など Samsung と Honda と Yamaha 以外、全く知らない。
昼ごはんを食べに連れて行ったとき、その Bánh Xeo の食べ方を教えるのには苦労しなかった。自分がやって見せればよかったから。
うすらべったい卵の焼きが細切れの海鮮と野菜を包んで、焼き上がり、Bánh Tráng にフレッシュの野菜ごと包んで、タレにつける。
マリアは殆どのベトナム料理が食べられなかった。
彼女にとっては、それらは、辛すぎるか、臭みが強すぎるか、香草が入りすぎているか、もはや人間にとって安全な食べ物だとはどうしても思えないことに、Thanh は、当たり前のように気付かない Thanh は、マリアの不機嫌に、気付かない振りをした。
タレをつけた Bánh xeo を、その唇が咬んだ瞬間に、マリアは、軽蔑と憎悪と、世界中の苦痛を一身に背負って仕舞った存在論的な苦痛の、それらが混合した表情を浮かべた。
声を立てて笑う Thanh をなじる言葉をマリアは探し、日本語しか見つけられない彼女は結局、タレに突っ込んで汚した指で、
いま、君は
Thanh の鼻先をなすった。
笑った
しかめっ面のままで
マリアを少し離れた交差点に留めたバイクの上に待たせたまま、忍び込む。
川が海に流れ込むそのどん詰まり。風に潮の匂いがした。巨大な橋が向うにアーチを作って、昼下がりの空はその背景として、無根拠に
一瞬だけ見上げて
青い巨体を
Thanh は目を
曝す。
光、それそのものとして。
逸らす。その
再開発のための、
光から
売却が飛び飛びに進行した更地だらけのその一角の、飛び飛びにしか存在しない家屋の一つに忍び込む。
なかに誰が居るのか、そんな確認などする必要もない。
正午を一時間ほど回った時間、家の中には年寄りか子どもが昼寝をしているに決まっていた。
開けっ放しの一階から入って、
…聴く
奥を物色する。キッチン。誰もいない。一階の個室、
かすかな
一応ついているドアは開けっ放しにされて、
音の群れ
黒地にオレンジのプロペラの扇風機が回っている。
耳を澄ましさえせずに
女。眠っていた。年老いた、その。
無意味な唇のふるえと、大袈裟な胸の上下が、彼女が生きていることを教えた。
Duy はそこを
さようなら、…ねぇ
Thanh にまかせて、上に上がる、
永遠に
御影石の階段。それは
少なくとも、この世界には
思い切り格好をつけて、手すりもないままに、空間の中央に螺旋を描いていた。
日差しが、窓越しに
Thanh は、豪奢な木製のベッドの下から、
斜めに差した
古びた携帯用金庫を見つけた。
鍵さえ掛けられず、そこには、数百万ドンの紙幣と、銀行のカード、IDカードが、無造作にぶち込まれている。
もはや息をしていない老婆は、向うのほうに首の骨格それ自体を向けて、その、身体は無慈悲なまでの沈黙を曝す。
振り向き見た Thanh には、首から上と、首から下で、
その頭部がかつて
明らかに空間がずれてしまっているように感じられ、
記憶していたもの
想わず、
最早存在しない
声を立てて笑いそうになる。
その
たぶん、この家自体には、それほど大きな金銭など眠ってはいない。
そんな事は、Thanh の経験が教える。明晰に。
嗅いだ
銀行屋の事務的で、厳重な匂いがする。
残存する
階段を上って、その二階の、
生活の匂い
誰もいないいくつかの部屋をのぞき見たあとで、
彼らの
その女の口を塞いで強姦している Duy を見つけた瞬間に、Thanh は我を忘れた。
Duy は、Thanh を一瞬振り向き見ても、そして、すぐに、その行為に没頭する。ふたたび。口を押さえた手を外したところで、女は声一つ立てないに違いなかった。明らかに、失心と覚醒のあわいを、女の意識は激しくさまよっていることは察せられた。
それは隠しようもなく明示されていた。
瞳孔をゆるく開閉させ続ける、その眼差しそのものが。
匂う
年増の女だった。二十歳くらい。あきらかに、
彼らの
地上の人間の女特有の、生物的な匂いを持っていた。
たしかに、
生活の匂い
Duy にとっては、お似合いだったかも知れない。すこしだけ年上だったとしても。
Duy と同じように柔らかく膨らんだ、そのたるんだ腹部と、女に固有の、申し訳程度に贅肉をつけた乳房らしきものが、馬乗りになった Duy の全身の動きに合わせてそれでも懸命に、揺れていた。
子どものような
それでもマリアよりは、
…体。まだ
よほど女らしい身体、には違いない。
子どものような
子どものマリアよりは。
Thanh に T シャツの襟首を後から引っつかまれて、床に投げ出されたときに、**********を曝しながら、Duy は Thanh を見上げるしかなかった。
何をしてるんだ?
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