ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)が廻したターン・テーブル…戦前ブルースと90年代ヒップ・ホップ(Hip Hop)








ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)が廻したターン・テーブル

…戦前ブルースと90年代ヒップ・ホップ(Hip Hop)








Robert Leroy Johnson

1911.05.08-1938.08.16



The Fugees

1992-1997? Wyclef Jean, Lauryn Hill, Pras








戦前ブルースと、90年代ヒップ・ホップが好きだ、と言うと、なにそれ?と言われるのだが。

でも、僕には、同じノリを持った音楽に聴こえる。







戦前ブルースとは何か?


いわゆるアメリカ合衆国のデルタ地帯で勃興していた、早い話がレイス・ミュージック(奴隷たちの音楽)である。


聴くのはもちろん黒人たちばかり。あくまで黒人たちが、黒人たちのためだけに、アコースティック・ギターをかき鳴らしながら歌った弾き語りブルースだ。


もっとも、当時のSP盤(シュラック盤)にかなりの音源が残っている。

ジュークボックス用および、物好きな白人収集家のフィールド・レコーディングそして、コレクションである。


戦前ブルースと言うと、ブルースに詳しい人たちに限って、黒人と言う枠をとにかくはめ込みたがるが、明らかに白人層にも…というか、遠く海を隔てたヨーロッパの白人層に至るまで、興味を持つ人たちはいた。…はずだ。

単純に、その当時の花形作曲家、モーリス・ラヴェルまでもが、ブルースと名をうった曲(あるいは楽章)を書いているからである。

いま、想像する以上に、白人層にも客はいたはずだ。…でなければ、ロバート・ジョンソンやチャーリー・パットンの戦前録音のSP盤が、あんなにも大量に残っているわけがない。


いま、大量に、と言ったが、それは当時のレイス・レコードという性格を考えれば、という意味に於いて、である。

…だって、当時、政府公認の差別対象だった、貧しい奴隷たちの音楽だよ?


ついでに言っておくが、これらの差別的な言表は、歴史的事実の単なる記述であって、今現在の黒人音楽をレイス・ミュージックと呼んでいるわけではなく、さらに、僕自身が戦前ブルースを含めて、それらをレイス・ミュージックだと想っていることなど、一切ない。念のため。


しかも、SP盤というのは、割れやすい。


大量に売れて、支配階級の白人たちが愛聴していた、たとえば指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの同時代のSP盤だって、わずかしか残ってはいないのだ。


では、どんな音楽なのか?


免疫もなくいきなり聴いていただいても、何じゃこりゃ?で終ってしまうはずなので、60年代になって録音された、洗練されたフォーク・ブルースから。




Skip James

Hard Time Killin' Floor Blues





もっとも、スキップ・ジェイムスは、非常に個性的なシンガーとして有名なので、この人のブルースをもって、ブルースそのものを代表させるわけには行かないのだが、しかし、この、凍りついたように透明な声に、やられてしまう人は多いのではないか。


わたしも、そのくちだ。

ときどき、無性に、この人の声を聴きたくなる。


ルネッサンス絵画御三家、というのがある。言うまでもなく、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエルロ。

古典派御三家、というのがある。言うまでもなく、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン。

同じように、戦前ブルース御三家、というのがある。

チャーリー・パットン(Charley/ Charlie Patton, 1891-1934)、サンハウス(Son House, 1902-1988.10.19)、ロバート・ジョンソン(Robert Leroy Johnson,1911.05.08-1938.08.16)である。


…もっとも、これは僕が勝手にそう呼んでいるだけだが(笑)。


チャーリー・パットンは、本当に音楽の器の大きい人。ブルースの神様だ。ちなみに、この人はインディアンと、白人の血を引く母親と、黒人の父親から生まれた。

フォークナーの《八月の光》を地で行った人である。


サンハウスの音楽は、とにかく、パッショネイトだ。ゴスペル・シンガーから、ブルース・シンガーに転身した。元祖サム・クック的な軌跡をもつ。どこか宗教的で、存在の根拠に触れたような暗さを持つ、情熱的な歌い方をする。ギターを、まるで打楽器のようにバンバン叩き散らしながら。


そして、ロバート・ジョンソン。この人が、少なくとも日本では一番有名だが、実は、一番わかりにくい音楽をやる。


たぶん、何のかんの言って、怒りだの破壊欲だの含めたもろもろの《情緒》に流れがちなロック・ミュージックの愛好家よりも、音楽理論がちがちの、クラシック系の《現代音楽》の愛好家に聴かせたほうが、実は、すぐに理解してしまうのではないか。


絶対零度、真空空間でパルスが震えたみたいな、そんな、空恐ろしくさえなってくる、血も涙もない音楽をやる。


一般的には、十字路で悪魔に魂を売っただの何だのというオカルティックな伝説で有名だが、オカルトどころか、凄まじく抽象的過ぎて、人間的感情のすべてを嘲笑った笑い声さえ聞こえてきそうな、…なんと言えばいいのだろう?《芸術》、としか言いえない音楽そのものが、この人の魅力だ。




Robert Johnson

Traveling Riverside Blues





If your man get personal want you to have your fun

If your man get personal want you to have your fun

Just come on back to Friars Point, mama, and barrelhouse all night long


もしも彼氏が好きにしちまえって言ったなら

もしも彼氏が好きにしちまえって言ったなら

フレイアーズ・ポイントに帰って来いよ、


I got womens in Vicksburg clean on into Tennessee

I got womens in Vicksburg clean on into Tennessee

But my Friars Point rider, now hops all over me


女だったら数知れず、ヴィックスバーグからテネシーまで

女だったら数知れず、ヴィックスバーグからテネシーまで

でも、俺のフレイアーズ・ポイントの女は今、俺の上で踊ってる


I ain't gon' to state no color, but her front teeth crowned with gold

I ain't gon' to state no color, but her front teeth is crowned with gold

She got a mortgage on my body, now, and a lien on my soul


色についてとやかく言いたくないが、こいつの歯は金色

色についてとやかく言いたくないが、こいつの歯は金色

俺の体を抵当にして、俺の魂を担保にしちまう


Lord, I'm goin' to Rosedale, gon' take my rider by my side

Lord, I'm goin' to Rosedale, gon' take my rider by my side

We can still barrelhouse, baby, 'cause it's on the river side


まったく、女を乗っけてローズデイルに行ってくるぜ

まったく、女を乗っけてローズデイルに行ってくるぜ

バレルハウスで楽しめるって事だよ、リヴァーサイドだからな


Now, you can squeeze my lemon 'til the juice run down my...

spoken: Til the juice run down my leg,

baby, you know what I'm talkin' 'bout.

You can squeeze my lemon 'til the juice run down my leg

spoken: That's what I'm talkin' 'bout, now.

But I'm goin' back to Friars Point, if I be rockin' to my head


俺のレモンをジュースが垂れるまで絞ってくれよ

…わかるだろ?俺の足に滴るまでさ

俺のレモンをジュースが垂れるまで絞ってくれよ

…わかるだろ?

でも俺はまた帰ってくるさ、フライアーズ・ポイントへ

頭の中が壊れちまったらな


彼らの、音楽…いわゆる戦前ブルースにほぼ共通するのは、縦のライン、横のラインの十字に渡っていきわたっている、自在なズレ・ブレ・揺れ、である。


彼らの音楽はクラッシック風に言うと、だいたい三声部に分かれる。

もちろん、本当はもっと複雑であって、あくまで便宜上、簡単かつ大雑把に言ってしまうと、ということだ。


1.ヴォーカル・ライン

2.ヴォーカルに入る合いの手的なギター伴奏音型

3.リズム・ライン

および、ベース・ライン的声部など。


繰返すが、これらはむちゃくちゃな言い方であって、ヴォーカルライン以外の器楽部分は、とにかくそれらの要素が微妙に入り組み、絡み合い、もつれあって、その自在さが魅力なのだが、それはともかく。


これらの声部が、お互いに微妙に縦に於いても横においてもズレて、ブレて、揺らぐことによって、彼らの、前に進んでいるのか後退しているのよくわからない、たとえばポリフォニックとか、ポリリズムとか言いたくもなってくる独特のグルーヴが形成される。

彼らの音楽自体は、本質的にはシンプルなリズムの、シンプルなギター伴奏つき歌曲であるにすぎない。

ゆえに、ポリリズムとは言えない。

この微妙な、理数的に割り切れないぐじゃっとしたノリは、《黒人音楽》として、アフリカでもアメリカでも何でもかんでも一緒くたにして人種的要因にくくられてしまう事が(日本では)多いのだが、そんな事はない。


たとえばフェラ・クティのアフロ・ビートは、いかにポリリズミカルであろうとも、きちっと割り切れている。


マディ・ウォータースでも、デューク・エリントンでも、ジェイムズ・ブラウンでも、ジェイムズ・カーでも、ファンカデリックでも何でもかんでも基本的にそうである。


そもそも細分化されたリズムとか、ポリリズムとか、そういうのは理数的な問題であって、そもそも、本質的に割り切れているものなのだ。


ついでに言っておけば、古典派クラシックにだって、バロック音楽にだって、もっと前の中世音楽にも、さらにはベトナムの、日本の民族音楽にだって割り切れるポリリズムはあふれている。


しかし、戦前ブルースのような、割り切れないぐしゃっとしたグルーヴ、というのは、突発的にしか出現しない、ほぼ奇形的な現象だ。

こんなグルーヴをその特質とする音楽ジャンルが現れたのは、この戦前ブルースと、そして、80年代後半から90年代初頭の、ごく初期のヒップ・ホップしか想いつかない。




A Tribe Called Quest

(1988-1998, Q-Tip, Phife Dawg, Ali Shaheed Muhammad, Jarobi White)

The Low End Theory(album;1991)





このグルーヴ、間違ってもポリリズムとは言えないだろう。むしろ、シンプルなリズムである。が、なんとも割り切れない、重層的なグルーヴが、支配する。


理由は簡単で、単純にサンプリング音源を MPC2000 でつぎはぎして作っただけだから、単純にズレて、ブレているのだ。


サンプリングというのは要するに、ヴァイナル(アナログ・レコード)から、気に入った部分だけサンプラーに録音して、リズムトラックに被せて鳴らすことである。

サンプルAとサンプルBは同じ曲の別の部分あるいは別のレコードからとって、リズムも拍子もテンポも違うそれらのパーツを、適当に速度調整して、決定的にずれないようにしただけ。


だから、当たり前だが、微妙にずれる。


微妙にぶれる。


もちろん、きっちりあわせようとすれば、それも可能だ。実際そういうトラックもいっぱいある。

西海岸のヒップホップは、基本、一致している。


しかし、このころの、ニューヨークの流行は、意図的に微妙にずらしてノリを作ることだった。

DJプレミアもQティップも、意図的に割り切れないグルーブを量産している。

これが、その当時の東海岸系ヒップホップ固有の魅力だった。


そして、この割り切れないずれたノリ、グルーヴに対する基本的な感性は戦前ブルースと同じだ、と、想いませんか?


いきなり音を抜いたり、いきなりスクラッチ入れたりする、あの揺さぶりって、微妙なところでスライドでギターをうならせたかと思えばカッティングで落としてみたりする、あの揺さぶりの感覚に近いんじゃないか。


だいたい、リリック的にも、結構かぶると想うんですけどね。


ゴスペルに対する悪魔の音楽=ブルースの図式って、当時のボビー・ブラウンとかアレクサンダー・オニールとか良い子の黒人アイドル歌手に対する悪魔の音楽=ヒップ・ホップという図式に被せることも、可能ではない、…気がする。




The Fugees(1992-1997? Wyclef Jean, Lauryn Hill, Pras)

Fu-gee-la(1996)





この、特にローリン・ヒルによる女声ヴォーカル・ラインが描き出す微妙なずれがうみだすグルーブ、僕には戦前ブルースと同じものだとしか想えない。


この、90年代初頭の東海岸ヒップ・ホップは戦前ブルースの生まれ変わりだ説。

あまり支持されないのだが(笑)、僕にとっては否定しようのない事実だ。


ちなみに、日本の日本語ラップが、ときにしゃかしゃかカツカツして聴こえるのは、たとえば The Fugees のような意図的なブレを加えないから、であって、英語と日本語の言語的特質ではない、と想う。


実際、日本語ラップでも、そのあたりの《外し方》さえきっちりキメてくれれば、こんなにもヒップ・ホップなグルーヴが生まれてしまう、というのが、これだ。




COMA-CHI

MICHIBATA(2006)





「ミチバタ」


アスファルト腰おろすと ポスト定位置ここ全員特等席

適当に交わす会話 回すライター ノリで始めるサイファー

beat box on the set  fleaky fleaky flow かませ鳴らせback again

肌で受け止める無言のルール 路上の呼吸

ILL street blues

ブームより追う核心つまりコア 隠し味効いた辛口言葉

また次のドア ぶち破りモラルの首輪取った野良猫たちが夜な夜な

暗い裏道を徘徊 また頭痛いまま 朝バイバイ

改札ホーム乗る始発山の手 朝帰り響くママの声

カラスが残飯 あさる五反田

朝日が燦々と照るベランダ

光る朝焼け 痛む胸やけ

刻みつける この街の風景


(見上げる)眠ることなく輝く街

(見上げる)孤独な鳥がさえずる街

(見上げる)夢とごみくずで溢れた町

ずっとここで遊んでる ミチバタ


T.O.K.Y.O.マイホームタウンstreet walk around

こっから生まれるアート ハードノックライフ

ゴールドカードまであとどのくらい?

slow downまぁ地道にいこうかハチ公は10年も待ったもんな

今夜見上げる駅前の大画面 ミチバタから発信世界まで

まいた種 芽を覗かせ 緑が手を広げるハーベスト

ターゲット絞りふみこむマーケット

なんでもやればできること照明したい

少年少女時代 変わってないstreet dream掲げる

黒い月まだ夜道照らしてる デカイL 空にかざしてる

都会の喧騒 ただ無味乾燥

メディアの洗脳 かかる不感症

騒ぐ人たち 変わる友達

通り過ぎる 風だけが同じ


(見上げる)眠ることなく輝く街

(見上げる)孤独な鳥がさえずる街

(見上げる)夢とごみくずで溢れた町

ずっとここで遊んでる ミチバタ


ひたすらエモーショナルなこの曲、仮に日本語ラップ、ないし、ヒップ・ホップ系自体が嫌いなんだ、とう人にも、ちょっと、ぐっとくるものがあるのではないか。





2018.06.18

Seno-Le Ma




Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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