小説 op.5-(intermezzo)《盗賊》②…彼女は静かに涙を、流す。
盗賊
終った加奈子の身体が、仰向けになって、全部を曝して息遣う。彼女が本当に感じていたのは知っている。わざと、演技で声を立てたことも。感じてはいないものまで、彼女は表現し、彼女は心のそこから感じ切っていた。
そこに、嘘はなかった。完璧な虚偽が表現されながらも。
それが、どうしようもなく、むごたらしかった。彼女の、その。…それ。私自身と同じような。その。…私と同じように。圭輔が、求めていることをかなえるために、私はいつも**をあせった。見詰められただけで、**して仕舞えればいいのに。ときに、なじられさえしながら、、見下されたりしながらも、君の、その眼差しに。
そうすれば、
「なにが?」
証明できるのに。
「バッテリーが死んでる」
僕たちも死んでる
愛していること、…君を。…完璧に?
…嘘。ただ、
「…まじだ。」
言ってみただけ
その虚偽で。…言って、私は、自分の身体を圭輔の至近距離に接近させるが、君が拒むはずもなかった。彼は私を受け入れる。
圭輔のバイクの故障のために、カフェの駐車場で立ち往生し、バイク屋がやってくるまでの間に時間を潰す。
ガードレールに座って。やるべきことはなにもなく、二人で決めたのだった。
今日は休みだ、と。わたしも圭輔も、歌舞伎町のホストに過ぎなかった。女を壊す事が仕事の、町の掃き溜めの中の糞野郎。…そうに違いない。
かりに、その女が、私と引き裂かれたことを理由に、自殺未遂をして仕舞った事実があったとしても。…なにが、壊れたというのか?なにを、壊したというのか?誰が、壊したというのか?
千葉の海が、向うのほうに。敷き詰められた、雲の下で。
その女を閉じ込めたのは、両親だった。大学生の、馬鹿な女。内緒で水商売に走った。初体験は早かったし、体験人数も多かった。男などいくらでも知っているはずだった。とはいえ、その、狂気、と呼ぶべきもの。
愛する。
その、精神的な?…肉体に突き動かされたにすぎない?いずれにせよ、その、行為、愛、という、その。
女を軟禁したのは両親だった。アダルト・ヴィデオに出た瞬間に、彼女の秘密は決壊した。
一気に。
それは、裏切りであり、犯罪でもあった。少なくとも、その両親にとっては。
その女が自殺未遂、…両親の松涛の豪邸の、一般住宅よりは高いが、所詮は二階に過ぎないその部屋から飛び降りて。
左足に障害を残しただけに過ぎない。
源氏名は姫華か姫花だった。
本名は知らない。
死ねるわけがないのに。
不意に首だけを起こして、加奈子が言った。
「…ねぇ」
「何?」…ん?
っと、…ね。
沈黙し、首だけ不自然にもたげられた、その、不自然な姿勢が彼女の首を震わせたが、すぐに、力尽き、倒れこむように脱力すれば、高級ホテルの、安っぽいベッドが軋む。
そんな暴力には耐えられないとばかりに。
…ま、いー…、や。
加奈子が言った。
…何で?
眼差しは打ち捨てられて天井だけを見詰め、
…どうしたの?
まばたくたびに、かすかに黒目が揺れた。ふたたび、…なに?
…なに?
まぶたが開かれた瞬間には常に。
…言えよ。
「なんでもない。」形態。
加奈子のその。誇るような大柄な体躯が、骨格を大袈裟に張って、肉が、正確にただ、女性的な豊満さを形成するためだけに奉仕した。豪奢な外国人のようだった。明確に、どこの国の、と言うわけではなくて。何か、めずらしく、貴重でさえるに違いない身体。外国産に違いないもの。色気を撒き散らす、まさに、男たちの欲望が見せた***の中の夢のような女だった。そして、どこか、惨めなほどに恥ずかしく、かつ、女たち…あるいは、加奈子自身にとっても、それを美しいとは決して認知できないに違いない、そんな類の、身体。
目の前にそれは曝されて、終ったときに脱力されたそのままに********、その、伸びたふくらはぎには、カーテンの切れ目からの光が差す。
私はカーテンを引き開けた。一気に。音を立てて。飛び込む、その光と温度の群れ。
肌寒いほどに効かせたクーラーの中でさえ。…ん?
「何?」加奈子が言った。
窓の外したに大通があった。バイクの群れ、「…ん?」夥しいその、そして「うん、…ね?」私のその声を、「…てか、…」目の前の、向かいホテルの中は見えない。「…ね、」
「何?」加奈子が「どうしたの?」言った。
「見たいじゃん」振り向いて私は言う。「もっとよく。お前の裸。明るいところで。すみからすみまで。…三ヶ月ぶり、…だっけ?」
圭輔は好きだった。私の乳首をつまんで見せて、眼差しを上げ、嘲笑うように笑って見せるのが。
「馬鹿?」声を立てて笑ったのは、加奈子だった。「あんた、バカになった?」おかしくて仕方がないと、むしろ「まじ、頭、」この、「変になったね?」おかしくて仕方がないこの、あまりにもくだらなく惨めでむごたらしく無意味で糞以下の価値しかないファニーな世界の本質そのものを嫌悪しているかのように、…彼女は笑う。
声を立てて。
私だって笑っていた。
同じように。
初めて抱いたとき、加奈子はつぶやくように言った。私が、彼女の乳房を、再び触れたときに。「…穢い」
終った(振りをした)あとで、
「なに?」…ん?
「私の体…じゃない?」…穢いんだよ。なんか、…ね?
穢いんだよ。つぶやくように、彼女は、あるいは、つぶやきそのもの。「コンプレックス?なんか。あるの?そういうの。」
「ない。…ある。…てか、穢い」閉じられもしない眼は、私に投げ捨てられていて「事実として、」上目遣いに加奈子が、「単純に穢くね?」何も見ては居ないことには気づいていた。
「いいじゃん。」
「なにが?」
「セクシーじゃない?」…ばか。「いますぐ、オナニー百回くらいできそう」
「そういうの、まじで穢いんだけど」
「…萎える」
「それ、普通に傷付くから。」笑う。その気もない笑い声を浪費する…あるいは、逃避する。
絶望のために。
ある、どうしようもない、その。
目の前に広がった、留保無き、純粋極まりない絶望。
圭輔を見詰めながら、言葉を失った。
完璧な絶望。
言葉もなく。
言葉が、意味を失ったから。あるいは、意味を見いだそうと渾身の努力をすることに、それを一瞬でもする、その直前に、飽きて仕舞ったから。
一瞬のたじろぎを、私のまぶただけが、かすかな震えとして曝したに違いない。恥ずべき、何か。そんな、いたたまれない、やわらかい感情に、つかまれる。
心臓と喉元の近くのどこかを。
圭輔に微笑みをくれながら私は、言葉が常に、愛の前で言葉を失って仕舞う瞬間ばかりを量産せざるを得ないというならば。
胸に君の頭を抱いた。
圭輔の、髪の生え際の匂いが、鼻から侵入して、嗅ぐ。匂い。…沈黙を生めるための努力に時間は費やされ、やがて力尽きた瞬間に、私たちは《愛し合う》に違いなかった。
裏切られた**。
二重に。
***************、かならずしも《愛し合う》ことの完成をは意味をしない、その行為において、《愛し合う》。私たちが《愛し合って》いることをなんども再度、確認しながら。
その、留保無き、絶望の正当さが、そして。
私の胸に預けられた、君の頭が、転寝を始める。彼の、その、圭輔の、その、頭部を私は、子どもにしてやるように私は、撫ぜたのだった。
朝、目を覚ます。
加奈子のホテルに泊まったあとで。
ベッドの上に、加奈子は居ない。
夜、部屋の明かりを消してから、自分の中に、渇望のかけらを探してみた。彼女の肉体に対する、その。一度抱いた後でも、さらに、にもかかわらず、もっと、いまも、どうしても、欲しくて、欲しくて、仕方ないんだ、と。その肉体におぼれて、壊れてしまいたいくらいだと。そうつぶやいてくれる声のかけらの断片くらいでも転がっているのではないかと。
彼女のために。
欲しいものは何もなく、感情にさえ、なにかに充足しているかけらすらない。
加奈子が何も言わずに、ベッドの前で服を脱いだ。わたしもそれに従った。ベッドの中で、身をよじって。怯え、のような、そんな感情。衣類を、ベッドの下に放り投げていけば、加奈子が、無意味な笑い声を小さく立てる。
「何?」■■■■……。その、…ん、と、…ふん、の、その中間の微妙な音色、加奈子の鼻から立たったそれを、私は聞いた。
私たちは裸になって、腕と腕を絡めるようにして、そして、それ以上のことはない。
*****。****。********。…何度も、何度も、彼女が私に繰り返してきた、風変わりな行為の意味がわかる気がした。セックス。もはや、そんなものに、意味を見いだすことさえできない。埋められない時間の存在が、彼女に、結局はそれを強制するにしても。
《愛し合う》こと。それに一切の疑いをさしはさみ得ない人間は、家畜に等しい。肉体の。そして、それが形成した精神そのものの。
《愛し合う》こと。…あまりにも、惨めな、最終形式。…《愛》そのもの、の。
私の胸に頭を乗せて、寝息を立てる。
体温がある。
体臭。
髪の毛の匂い。
…それら。
その散乱。
そしてでたらめな羅列。
目を開く。
加奈子は居ない、ベッドの上には。
朝の日差し。
気配さえ感じられないことに訝り、時間が過ぎて行くのを無意味に数えた。
温度。日差しの。
加奈子が、私を好きなのかどうかはわからない。
少なくとも、加奈子は私を愛していた。おそらくは。「愛する」それは、他動詞だから。
他動詞には決意が存在する。愛、を、することの決断が。決断が下されたのなら、例えもはや好きではなく、あるいは好きであったためしさえなかったとしても、それは、まさに愛しているという、それ以外ではない。
そして、私が加奈子を好きになったこともなければ、愛したこともないことくらい、私だって知っていた。
もてあました時間の後で、…たかが。
たかが、十分に満たないそれ。
身を起こした私は、部屋の中、周囲を見回す。カーテンを引きあけ、外を見る。ぐるっと。
加奈子は居ないし、居るはずもない。
どこにいったのか、狂ったように心配して、どこにいるのか、泣き叫びながら警察を呼んで、一体、どうすればいいと言うのか、懇願しさえしながら町をさ迷い歩くべきだったろうか?
探す前から、飽きていた。
その半面で、同時に、心の浅い、執拗な部分に、不安と心配と焦燥、それらを薄く混ぜたペーストのような感情が張り付く。
尿意を感じた私が、開いたバスルームの中、バスタブの中に裸のままの加奈子がいた。ひざを抱え、うずくまって。
声を立てることさえなく、泣いていた。しゃくりあげさえせずに。何かを壊わして仕舞ったように、何かが壊れて仕舞ったように、流れる。ただ、さらさらと、涙。それが、流れ落ちて。…どうしたの?その言葉を吐こうとした瞬間に、加奈子は「…見たの。」言った。「…夢、見たの。」どんな?「いっぱい、花、咲いてるの。真っ白い花。真っ白。向うまで、全部、真っ白。…信じられないくらい。…でね、…で、居ないの。…まじで。誰もいないの。…手遅れなの。…気付いた。わたし、その時。もう、…ね?滅びちゃったの。…人類...ってか、…全部。世界の全部。物も、空気も、色も、形も、何も、かにも、あれも、それも、どれも、人間以外も、全部。…すべて。ぜんぶ、花だけ、咲いてるの。私だけ生きてるの。…気付いた。…てか、思い出したんだよ、その時、…あー、って。あー、わたし、そういえば、死ねないんだって。…もう、ね?わたし、死ねないの。世界が5万回滅びても。…壊して。…そうなの。…ねぇ、そうだったの。…やだ、もう、…やばいって。濡れちゃってる。気付いたの。私って、…わかる? ***なの。…永遠だよ。**** …永遠より長い、もう、ながー…い、****なの。…わかる? めっちゃくちゃにして。…ねぇ、いかせて。わかる?めっちゃ****。…目の前に、******ていいよ。咲いてるの。百万回****。…花だけが。容赦しないで。…、真っ白い、…ねぇ、むしろ 花だけが。」壊して。…そんな、笑うしかないほいどみだらな言葉を吐き続けているようにしか見えない、その美しい、贅沢なほどに豊満な体を曝したまま、加奈子のまぶたから、涙が静かにこぼれつづける。
音もなく。
私はただ、眼をそらす。なすすべもなく梅花(うめのはな)
零覆雪乎(ふりおほふゆきを)
抱持(つつみもち)
君令見跡(きみにみせむと)
取者消管(とればけにつつ)
(巻十 春雑歌 詠鳥)
2018.06.08
Seno-Le Ma
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