デヴィッド・ボウイ(David Bowie)…90年代ボウイを回顧する。








デヴィッド・ボウイ(David Bowie)…90年代ボウイを回顧する。

例えば、郊外のブッダ。

あるいはブラック・タイ・ホワイト・ノイズ








David Bowie

1947.01.08-2016.01.10.








デヴィッド・ボウイが亡くなったとき、言葉もなかった。

悲しいと言うより、喪失感と言うより、単純に、言葉もないだけ。


悲しくなかったわけではない。もちろん。

喪失感がなかったわけでもない。あるいは。その数年前に《ヒーローズ/英雄夢物語(Heroes)》を引用したアルバムが、ほど十年ぶりくらいで出ていて、さらにニュー・アルバムが出るよ、というニュースをなんとなく知って、そうなのか、と、想っていたら、次の日くらいのニュースで、ボウイの追悼記事がアップされていた。


そうなのか、と、想った。ニュー・アルバムはまだ聴いていなかった。その頃にはもう、ベトナムにいたから、そんなにた易くボウイのCDを入手することは出来なかった。


つまり、若干の悲しさと、若干の喪失感を混ぜて、背景に消してしまって、言葉もない真っ白で塗りつぶした感じ。…そうとしか、言えない。









ただ、親日家だったり(…というか、アート系の人だったから、クセナキスに日本語タイトルの曲があったり、シュニトケに《ナガサキ》題材の作品があったり、80年代くらいまの流行だった、極東のものめずらしい島国ガラパゴス文化への興味が、他の人たちと同じくらいにはあった、とか、そんなものだったのが現実だという気がするが。)、日本人のデザイナーやら写真家やらと一緒に仕事をした経歴もあってか、追悼記事は連日アップされたが、ものすごい違和感があった。


出てくる人たちみんな、《ジギー・スターダスト/屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)》の話しかしない。或いは、《ヒーローズ》か。もちろん、山本寛斎が《ジギー》の話をするのはわかる。いや、もっともだ。衣装デザインは彼の仕事だから。


写真家鋤田正義さんが《ヒーローズ》の話をするのもわかる。あのジャケットは、事実、鋤田さん自身の代表作の一つなのだから。


実際、逆に、彼らにその話をさせなかったら、そのインタヴューアーはよっぽど馬鹿だとしか言いようがない。


でも、例えばボウイに影響を受けたというミュージシャンまでもが、なんでみんな《スターマン(Star Man)》なのだろう?と想ってしまう。


もっと、他に、聞いて感銘を受けた仕事の一つや二つくらいあるものなんじゃないか?


私が、個人的に好きなのは、実は全盛期といわれる70年代ではない。

愛してやまないのはむしろ、90年代以降のボウイだったりする。あるいは、80年代。

80年代ボウイは、90年代ボウイを聞いてから、逆に、愛してしまうようになった。





ザ・ウェディング・ソング(The Wedding Song)





《ネヴァー・レット・ミー・ダウン(Never Let Me Down)》も、《トゥナイト(Tonight)》も、《レッツ・ダンス(Let’s Dance)》も、いいアルバムだと想う。もっとも、87年とか88年とかに聴いたときは、唾棄すべきものだ、と、留保なく想ってしまったが。


《ティン・マシーン(Tin Machine/1989-1992)》というバンドを、かつてのイギー・ポップ(Iggy Pop)バンドの残党主体で作って、ソロ活動は、もうしないと言ってみたり、過去の70年代ボウイの曲はもう二度と演奏しない、と言って、しかもエイドリアン・ブリューみたいなしょうもないギタリストを抱えて《さよならコンサート・ツアー》をやってみたり、何と言うか、迷走感が半端じゃなかった90年前後の後、《ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ(Black Tie White Noise/1993)》を聴いたときは、本当に衝撃だった。


すさまじく、美しい音楽がそこにあったからだ。




ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ(Black Tie White Noise)





クオリティの高い、音楽を自由に操る、留保なくかっこいいボウイが、しかも素顔でそこにいた。


間違っても当時の最先端とは言えなかったが、どこかで時代に対して斜に構えたところからの、上品で上質な、カウンター・アプローチ。そして、素直に、いい音楽を作ろうとしている、飾り気のない音楽的な自在さ。


《ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ》に比べると、70年代のボウイは、逆に意匠を凝らしすぎて、音楽に素直さが欠けていた気がした。


そう言えば、80年代のインタヴューですでに、70年代にやったようないびつな音楽は、もう、やりたくないと断言していた。


そのときはピンと来なかったが、そういうことか、と想った。

いずれにしても、93年、ボウイは成熟した音楽家として、自分の成熟した音楽を好き放題に鳴らしていた。


90年の《さよならコンサート》は、正直、もったいない気がしたが、このアルバムを聞かせられると、むしろ過去の曲なんか封印してくれよ、とさえ想った。

単純に、コンサートで20曲演奏したとして、せめてその半分以上は新作から演奏してくれよ。で、できれば、可能な限り、もっと新曲聞かせてくれよ。《ジギー》や《ロックンロールの自殺者(Rock’n’ Roll Suicide)》なんか、もういいから、と。


ボウイって、いろいろあって、今やっと、本当の意味でミュージシャンになったんだな、と想った。…だって、そこに鳴っているのは、純度100%、高クオリティの、《単なる音楽》だったからだ。

むきだしの、単なるうつくしい音楽。


本当の意味で、ボウイ信者になったのは、だから、《ブラックタイ・ホワイト・ノイズ》を聴いてからだったといっていい。


ちなみに、同じ理由で、プリンス(Prince)も80年代の一連の名作アルバムではなくて、《ザ・ビューティフル・エクスペリエンス(The Beautiful Experience)》以降のほうが好きだ。

プリンスに関しては、《サイン・オブ・ザ・タイムス(Sign O The Times)》から同時代で聴いたが、にも拘らず、80年代プリンスなど、どうでもいい。そんな輝きが、《ザ・ビューティフル・エクスペリエンス》以降の彼の音楽にはある、と想う。


《ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ》とほぼ同時に発売された(日本盤は未発売)テレビ・ドラマのサントラ盤が、《郊外のブッダ(The Buddha Of Suburbia)》だ。

…しかし、日本盤未発売の癖に、邦題らしきものがあるのがすごい(笑)。




ブリード・ライク・ア・クレイズ、ダッド(Bleed Like a Craze, Dad)/インスト





雰囲気はちょうど、《ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ》と似通っている。

ほぼ、インスト。もっとも、ボウイの声は、要所要所に、あくまで楽器的な声部の一つとして絡んでくる。

…全曲、美しい。




アンタイトルド、No.1(Untitled No. 1)





ドラマのBGMのために作ったから、インストばかりだ、と言うのでは、たぶん、ない。

あるいは、それが実情だったかも知れない。


ドラマ自体には、タイトルトラック以外使われていないらしい。…これは、ドラマ自体見たわけじゃないから、本当かどうかはわからない。

とはいえ、これらの事は、実は、どうでもいい。


いわば、このアルバムは、90年代版《ロウ(Low)》なのかもしれない。

そして、もっとエモーショナルなもの。


《Low》が、ベルリンの壁が存在していた時代のベルリンで、凍りついたアルバムだとしたら、その氷のすべてが一気に解けて、一気に音楽が流れ出した、そんな風景さえ見えてくるアルバム。

最先端2、3歩後退した位置で、余裕を構えて、主流ど真ん中を十分理解しつつ、あえて外した変わり者のクオリティを見せ付ける感じ。


サッカーで言うと、完全フリー、キーパーのやや目の前であえて横にパスだしゴールを決めさせる感じ、といえばいいだろうか。

若干の屈辱感と恍惚感を与えてくれる、例の、あの感じだ。


曲は、今聴いても古びてはいない。

音色自体や、音質自体はともかくとして。もとから、外し気味のアルバムだからなのだろう。

おしゃれ系、というのともちょっと違う、あくまでも外したところで、ゾクッとさせてくれる。…いい。聞き飽きないし。


このあと、いきなり意匠を凝らしまくった《アウトサイド(1.OUTSIDE/1995)》というアルバムを出してしまうのも、いい意味で笑わせてくれる。実際、リアルタイムで聴いて、笑うしかなかった(笑)。


結局、93年とか94年とか、《ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ》を聴いては《郊外のブッダ》を聴き、《郊外のブッダ》を聴いては《ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ》を聴く、と言う感じだったのだが、この時に築いた信頼を、結局、ボウイは最後まで裏切ることはなかった。


だから、いまだに私は、ボウイと言えば90年代以降のボウイを想いだすし、一番好きなアルバムは?と聴かれたら、《ジギー》と《Low》で迷うのではなく、90年代以降のアルバムの中で、悩む。


《ブラックタイ・ホワイト・ノイズ》、最終的にはボウイに添い遂げることになった、奥さんのイマーンさんとの出会いが生んだ、《愛のアルバム》でもある。


モリッシーのカヴァーまでしてしまうあたりが、もはや手のつけられない音楽家ボウイの自由さを、ある意味、象徴してさえいる。


この双子アルバムが、あまり聴かれないでいるのは、あまりにももったいない、と、私は想わずにはいられない。





ザ・ウェディング(The Wedding)/インスト




断言する。

ボウイの、音楽家としての全盛期は、90年代以降である。




2018.06.09. Seno-Le Ma





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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