小説《散り逝く花々のために》②…どうして、あなたを愛したのだろう?
「…見て。」
「なに?」
「…綺麗。」
「なにが?」
「すっごい、綺麗なんだけど…」
「…え?」
「綺麗じゃない?」
「なに?」
「雪みたい…」
「どうしたの?」
「真っ白くて、」
「ねぇ、…ね。」
「純粋で、」
「なに?…ね、」
「なんにも、穢れっていうものを、」
「なに言ってんの?」
「知らないの…」
「ねぇ、」
「さくらんぼみたいに、」
「…ねぇって。」
「ピンクなの…」
「だから、…」
「夢みたい。」
「ねぇ、…ね。」
「ほんと、だれかが見た、夢の中みたいに…」
「なにが?」
「めっちゃ、綺麗。」
「…ねぇ、」
「わたしのおっぱい」不意に声を立てて笑う和晃を、「ね、笑った?」笑うよ…当たり前じゃん、お前さ、「…ね、笑って。」ひょっとしてさ、「ね。…もっと、」頭さ、おかしいんじゃね?「もっと、ね。…わたしさ、」…ね、お前。「わたし、幸せそうに、笑ってる和晃のこと、好きだから。」不意に和晃が押し付けた唇に麻里亜はあがなわない。
彼女の褐色の肌が自分の肌に、なめらかな質感をしみこませていくのを和晃は、そして、この女の体臭。人はだれもがベッドの上は湿気ている、と、自分の温度を感じない。和晃は、裸の肌と肌が重なり合って、お前の温度しか舌の先に麻里亜の唇の触感を感じない。俺は。感じていたが、いつでも、お前の**の匂いがする、と思う。暖かさ以外を、感じることは**児の、褐色の肌から、出来ない。だれが麻里亜の母親がどうやってフィリピン人だということくらいは 認識したのだろう?いま、誰もが知っていた。俺たちの体温が似合わないよ。確かに、笠原愛花が言った。重なり合っているという、カズには。事実を。…あんな女。「てかね。差別とかじゃなくてさ。…ね。」まるで日本人の振りをして、本当の「お母さん、体売ってたわけじゃん?」日本人女のように喘いでみせて「お金目当てじゃん。単に」それで日本人になったつもりかよって「そういうの、人間的にクズなわけじゃん。」思ったりするけどさ、けど「結論だめな女じゃない?」穢したいんだよね。俺、「遺伝的に?って、言うの?」自分を、なんか、俺自身を「…じゃない?」**じゃん、ハーフって。だから、「あの黒い子」いいかなって、と言った和晃に、圭輔は彼の前髪を指先ではじいてみせたあと、「自分傷つけるの、やめたほうがいいよ。」その、ただひたすらやさしく響く声を、和晃は聞く。
「傷つけてるわけじゃない」
「じゃ、なに?」…穢してるだけ。口の中だけで言った。あの時、正午の日差しがお前の横顔に当たっていた、と、和晃は、覚えてる。お前がそう言ったときの事。まだ。…思う。麻里亜の豊かすぎる乳房を握りつぶすように握って、「いつか、カズはわたしのものなるけどね」硬くなった乳首の存在に「なんでだよ?」手のひらが気付いたときに「だってさ、…」指と指の間に「どうして?」挟んで「わたしが、そう決めたから。」と言った愛花は、時におびえた目つきをした。魅夜美[みやび]たちに廻されたあとでは。
思い出したように。時に。
あの朝、電話の向こうで、ぶっ殺す、あいつ、と、その愛花の声を聞きながら、愛花は罵り続けていた。もういいよ、と和晃は「わかるでしょ、あいつら」思った。…黙れって。薬を飲まされたあと、…もう、いいから。連れ込まれた魅夜美のマンションの「まじ、クズだからね」ベッドの上で、声を潜めながら、愛花は泣くのを我慢して、なぜ?隣で寝ている魅夜美の泣かないの?立てられ始めたばかりの寝息が、そしてなぜ?ソファーの上の緋翳[ひかげ]の寝息さえもがこんなに、悲しいのに。なんで?重なって響いた。耳の中に。なんでそれ以外に、わたしって、なにも音の立たない、泣かないの?空間の中で。
一時間前に、優貴哉[ゆきや]たちは、すでに帰っていた。
自分のしゃくりあげそうになる声を聞く。もう、急いで、伝えなきゃ、と、なにもかも、電話の向こうの和晃は、おそいけど。なぜ、なにもしないで手遅れだけど。そこにいられるのだろう?すべてはなぜ、いまここに手遅れに来ないのだろう?すぎないけど。わたしのためになにもかも泣き叫びながら。「…ねぇ、」なぜ、わたしの話など聞いていられるのか?「聞いて。…ね。わかるよね?」
「わかるよ」
「わたし、殺しちゃっていい?」
「だれを?」
「…魅夜美」お前が死ねよ、と和晃は口の中で独り語散、「まだ、昨日の薬の残り、」しがみつくように眠った「…あるからさ。これ、さ」麻里亜の頭を「全部打ったら、」撫ぜた。麻里亜の寝息が、「死ぬかな?」振りだということには「…死ぬよね?」気付いている。「まだ、結構あんだけど…」聞き耳を立てられた麻里亜の「…てかさ、」聴覚の、温度さえ「これ、さ」感じられる気が「むしろ、」した。「売っちゃう?」愛花は声を立てて笑い、その瞬間に涙が溢れ出した。
もはや、とめようもなく、吐きそう、思った。しゃくりあげながら呼吸困難になりかけ、…死ねるかな?失心しそうになった愛花はいま、わたし、ここで、吐きそうだと思う。過呼吸、なっちゃたら。もう、と、死ぬかな?一気に逆流した吐寫物がホストの魅夜美の華奢な胸元を穢した。
ホストの頃の和晃の画像を見たとき、理沙は誰にも秘密にしておかなければならない、と思った。
父は、美しすぎた。
女性的なようでいて、そのすべての曲線、すべての直線が男性にしかありえないしなやかな強靭さを秘めた。自分の、褐色に近い肌を恥じ入らせてしまうその真っ白い肌の色が、まるで向こうが透けて見えてしまいそうなのは、肌色のせいだけではなくて、和晃の眼差しのせいなのには気付いていた。神経質な眉の表情が、泣いているような、笑っているような、怒っているような、いまだかたちを現さないさまざまな豊かな感情の可能性をだけ暗示して、何を思っているのか、一切、察してあげることができない。
あの頃から変わらない。パパが美しいのは、と、理沙は、…パパが美しい人だからだ。…なぜか、絶望的な気分になる。「…なんだよ、こいつ。」誰にも見せてはいけない。「こいつ何なの?」誰かに見せたら「こいつ、まじ笑わないよね?」誰もが恋をしてしまうに決まっている父は「頭ん中、虫食ってんじゃね?」誰にも見せてはいけない。「病んでるよね、もう。」わたしのものでさえないのに「なんでさ、こいつ、俺のこと」だれかのものになってしまったとしたらわたしは「恨めしそうな顔でしか見ねぇの?」どうなってしまうのだろう?かなしすぎて「勝手に人の携帯いじっといてさ。」言い終わらないうちの何度目かの平手打ちが、八歳の理沙を失心させた。ひっぱたいた手のひらに逆らうように、瞬間えびぞりになって痙攣し、白目を剥いて頭から床に倒れた、仰向けの理沙を、これが?和晃はこれが、足の先で俺の子どもかよ。蹴り上げながら、窓の向こうに雪が降っていた。
麻里亜は鼻水をすすった。自分が泣いているのは知っていた。「失敗作じゃね?」何もかもが惨めな気がした。「違う?」鏡を出して、「そうでしょ?」確認した自分の顔は、「実際…」どこもかしかも父親に似ていた。「限界、もう近いんだけど。俺、」まだ、いける。「無理だよ。」わたしはまだ、「もう、」十分に「無理だから。」綺麗だ。「棄てちゃう?」麻里亜が言った。
和晃が自分を振り向き見た気配を、麻里亜は感じていた。「無理だろ。…いくらなんでも」愛してる。麻里亜は思った。…まだ。たぶん。あきらかに。今でも。覚えていた。覚醒剤を打ったとき、いつだったか和晃は言った。
もし、空を飛べるとしたら、
何になりますか?
声を立てて笑いながら、その笑ってる。和晃の笑い声にわたしは、自分の笑い声をいま、重ね合わせようと笑ってるよ。するが、自分の笑い声を遠い。…ねぇ、コントロールすることが遠いの。出来ないもどかしさに、
ぼくは、鳥になります。
行かないで。麻里亜は思った。空に、もう、なって。自分が鳥を、泣きじゃくって飛んで。いることには星の、気付いてこっちの、いる。なって。果ての、鳥に。青さの、和晃の光が、半開きの溶けた。唇を…いま。無理やり開かせて、冷蔵庫の中は静かだ。口蓋に突っ込んだ指先が触れた和晃の、あの子は黙って震えている。粘膜の触感に、感じられた和晃の体温は、…好き。理沙。…かず、好き。わたしの指を、冷蔵庫にしゃぶりなさい。押し込められた、かわいそうな理沙。誰が?
わたしが。
たすけて。
わたしを。…溶けそう、と思った。麻里亜は、そして和晃の指先が自分の体をなぞるたびに、背骨の内側から透明な液体が震えながらあふれ出るのが見えた。
時に思いだす。ジョアンナと言う名の母親にひざざまづくようにしてしがみつき、許しを請うしかなかった父親、池田彰浩という名の、顎の尖った小柄な男が、自分を腕に抱いて体の匂いをかぎ、その鼻から吸い込まれた息が肺の中を満たしきる寸前に既に、「いい、匂い。」言われた。耳元で、そして「麻里亜ちゃんの、」まばたいた瞬間に、窓越しに「いい、匂い、…ね?」斜めに侵入していた光が「おかあさんたちと一緒。」彼の左肩に白く「…パパ、好きな匂い」触れていた。だから、好きなの?パパがわたしにそう言ったわけではないのに、触れたときも「好きだよ」怖くはなかった。不意に返された決して。彰浩のことばににも拘らず、一瞬戸惑ったあとで気を失ってしまいそうな、思わず怖さが、笑ってしまったのを喉の奥に「…なに?」あったのは、「どうしたの?」一歩を踏み出す勇気、彰浩の声。と言うものには不安げな、その違いなかった、声。そう、「違うよ」わたしは言った。思った、「…違うの。」あのとき、…なにが?11歳の問いただすわたしの父の首筋は、声。彼の唇と、かすかに震えて、舌の触感に、…どうしたの?それは、…なにが?かすかに、「違うの…」パパの好きなの。**の匂いを、心の中だけでわたしの体に独り語散る。付着させて、まばたく。
まるで、目の前の白い日差しが、まぶたに直接触れてしまった気がして。40歳も年上の、まるで別の動物のような違いを持った父の身体を、まばたきの間に見出し続ける。いじり続けていたピンク色のボタンが撚れて、取れてしまって、それはいま、麻里亜の手のひらの中で執拗にもてあそばれた。麻里亜の豊かすぎる乳房が顔に覆いかぶさって、窒息しそうになる。
なじるように、上になった麻里亜が、その乳房を和晃の顔に押し付けるのを止めない。
冷蔵庫の中はどんな感じなのか?不意に、クスリは体の中で溶け、思った。
…わたしは溶ける。
雪でも、降りそうなほどに?美沙が、と、理沙ほどの年齢になったら、どうすればいいのだろう?ふたりが愛し合う二人の時間を邪魔なさせないために。もう一つ、冷蔵庫が必要だろうか?息が出来ない。唇の周囲に麻里亜の乳首の触感があって、閉じられたまぶたの向こうに、麻里亜の汗ばんだ顔が自分を見ているのは知っている。不意に、噴出して笑いそうになった。二人の愛の結晶が、二人の愛しあう時間を邪魔する。息が出来ない。自分の体の下で、微かにもがく和晃を抱きしめる。
どうせ、すぐに終わってしまうのだから。ほとんど何も出来ないで、すぐに******て、惨めに萎えてしまうのだから。
病んだように痩せた、その身体の中で、乳房だけがいびつなほどに豊かに、まるで、男のみじめな妄想を絵に描いたような女だ、と思った。和晃は、その乳首が押し付けられるたびに、噛み千切ってしまいたくなった。
もし、それが出来たら。…それをしてしまったら?その妄想に寒気を感じて、雪が降る。
覚醒剤を打って、麻里亜を抱くとき、いつでも頭の中に雪が降る。
あっけない**の後で、いつものように茫然としたまま床に視線をまるで、投げるしかない、辱められたみたい。和晃の体の上から自分が、わたしに立ち上がって、辱められたみたい。「…ねぇ」決して、その問いかけに和晃が答えないことは、もう知っている。仰向けのまま、こっちを見ようともしないで、そして麻里亜が冷蔵庫を開けたとき、中で凍えていた理沙は、麻里亜の体を見ようともしない。
理沙は一気に空気を吸い込み、自分の体も、そうなり始めている、それ。温度を持った空気が、冷え切ったその肺の内部に触れた。
画像でだけ見たママのママもそうだった。煽情装置のように、乳房だけだ衝き上がって、膨張し、垂れていた。
ゆたかで、美しく。夢のように、美しく、そして、やわやかに。…穢い。その言葉を、思わなかったことにする。
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