小説 op.4《永遠、死、自由》…完全版
この小説は、不死の細胞を持った男、《穢死丸》の物語です。
STAP細胞問題と言うのが昔ありましたが、自由に再生し、急激に分裂する細胞、
限界のない能力を持った細胞によって形成された生命体の物語。
例えば、右手が切り落とされたら、右手も再生すれば、切り落とされた右手から本体も再生してしまう、という男。
こう書くと、とんでもないのですが(笑)、
現在の哺乳類にとってとんでもないだけであって、
細胞の能力自体から言えば、そんな生命体が宇宙のどこかにいてもおかしくはない。
地球上の生物が、いつかそんな進化をしてもおかしくはない。
原則としては、ですけどね(笑)
ノンコードDNA、いわゆるジャンクDNAについて調べていて、
および、ベトナムの家の庭でアボカドの木を育てていて、思いついた発想でした。
実際、植物の再生能力って、とんでもないと想うんですよね。
野菜だって、葉っぱから根っこが生えてきたりするわけでしょ?
全体は、
《永遠、死、自由》Ⅰ
《永遠、死、自由》Ⅱ…穢死丸の物語
《愛する人》…現代の恋愛劇および、右翼青年の物語
《永遠、死、自由》Ⅲ…穢死丸の物語
《廃墟の花》…近未来の崩壊の物語。ゾンビが出てきます。
《永遠、死、自由》Ⅳ
《永遠、死、自由》Ⅴ…穢死丸の物語
以上の7つのパートから出来ています。
《永遠、死、自由》Ⅰ・Ⅱ
この二つは、現在・過去・未来、時代を飛び交う断片的によって構成されます。
柿本人麻呂も出てきます。
なぜ、とうとつに人麻呂が出てくるのかと言うと、
早い話が、わたしがもっとも興味のある人だから、でもあります。
詩人としては、日本史上最高なのではないか。
そして、謎が多い。
正確な人生さえ、トレースできない人なのです。
リンク、無料で全部読めます。
断片的に書かれていますから、読みにくいと言う人もいると思いますし、
逆に、難しく考えずに、自由に読めば、
読みやすい、と想うのですが…
ウェブのテクスト自体を技術的に集成したので、単純に、読みやすくなっていると想います。
《愛する人》
これは現代が舞台です。
トランスジェンダーの女性と、ある男性の恋愛、
虐待経験あり、仕事は水商売。
そこに、右翼青年が絡んでくるとい物語です。
むかし、10年近く水商売をやっていた事があって、
そのときに出会った人たち全体が、なんとなくモデル、と言えばモデルなのですが…。
《愛する》ことの痛みを扱った物語です。
最初、びっくりするほど長い瞳の描写から始まる、風変わりな小説ですが、
実際には、《普通の感情》にあふれた、読みやすいものだ、と想っています。
これも、すこし、修正しました。
《永遠、死、自由》Ⅲ
穢死丸の物語の続きです。
舞台は、近未来主体。
世界が核爆発で滅びた後の人々の生存のための戦い、がメインになっています。
もっとも、《愛する人》同様、《愛する》ことの問題が主体の、
心理小説、…こころの、ほんのささいな波立ちをテーマにした心理小説を
描こうとしたのです。
《廃墟の花》
死者が復活する、つまり、ゾンビ、とはいっても、オカルト的な根拠があるわけなくて、
単純に、細胞が死ななくなった、という状況が現れます。
つまり、ある脳細胞の活動の総体(=人格)が崩壊した(=死んだ)あとでも、
細胞が自分勝手に生きている状態が発生している。…と。
死をめぐる問題と、それにともなう痛みの問題がとわれます。
こう書くと難しいですが、単純に、エンターテイメント的なおもしろさもある、
読みやすい小説だと想います。
なんで、ゾンビが出てくるのか?
単純に、子どもの頃から、唯一好きだったホラー映画の主人公がゾンビだったから、かもしれません。
ジョージ・A・ロメロの、「ゾンビ」の、
なにかのドキュメントを見ているような、乾いた描写が好きだったのです。
《永遠、死、自由》Ⅳ・Ⅴ
今のところ、これで終わりです。
これで終わる必然性も、ありません。
穢死丸の物語の続編です。
ランボォの詩、《私は再び見つけた、何を?永遠を、太陽と立ち去った海を》の読解がでてきますが、ベトナム、ダナンの海辺で、日が暮れて行くときに、不意に、あ、そうか…と想ったことでした。
ゴダールの映画のイメージで、真昼の海を想像してしまいがちですが、あれは夕方の海だったんじゃないか、と。
宇宙が出てきますね。
人類が滅んだ後の生命体も出てきます。
そして、唐突に、最初の科学者の家族との、
繊細なふれあいの物語に戻って、終わります。
…なんで?
と言われるかも知れませんが、これは、最初から考えていた終わらせ方でした。
時間の果てまで行って、そして、ほんの些細な日常を思い出しながら、
永遠の細胞を持った男は、焼き尽くされるのです。
滅びかけの太陽に。
以上、気に入っていただけたら、嬉しいです。
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