小説《私小説Ⅲ》 …乱声(らんじょ)
いま、ベトナムに住んでいます。
その、ベトナムに来たときの印象を小説にしたもの。
雅楽と、雅楽《蘭陵王》への考察を含みます。
直接的には、次の、《蘭陵王》の序章的な小説になります。
もっとも普通の意味で、《私小説》的な作品になっています。
2018.05.02. Seno-Lê Ma
私小説 Ⅲ ~乱声(らんじょ)~
蘭陵王 Ⅱ ~乱声(らんじょ)~
叫び声をあげて目を覚ます。眼を開けた。ベッドの上に、まどろんだ身体が静かに、いまだ寝息を立てつづけたままだったのに気づく。
地元の雅楽団体の海外公演のために私は《ビンジュン(Binh Dương)》というベトナム南部の地方都市にいるのだった。おそらくは。通訳の日本人慣れしたベトナム人はいちいちカタカナ発音でビンズオンとその都市のことを発音し、日越交流フェスティバルの日本語進行表でもビンズオンと書いてあり、地元の人間たちはビンジュンというに近く発音し、言語表記にはイにあたるらしい母音はどこにもなく、結局のところ、私にはその土地の名前がどう呼ばれるべきなのかよくわからない。
いずれにせよ、大陸の南端らしいどこまでも続く平野が果てしなく広がる。子供のころに、戦争体験のあった祖父が言った。大陸は島と違ってすべてが大きいんだ、と。そういわれたそのままの、おおづくりな風景が広がる。
外人用ホテルの古い西洋風の建物の中は各戸にクーラーが設置されているが、ことごとく何世代も前の日本製だった。雅楽に、
《蘭陵王》という有名な舞曲があって、それは、小国の、女性と見まがう美しい王が、恐ろしい化け物の仮面にその素顔をかくして戦場に赴く、仮面の下の素顔の表情は誰も知らない、といういかにも日本人好みのアウトラインの曲だったが、もともとが林邑楽、ようするにベトナムから伝来したものだといわれる演目だった。ところが、現地に着てみれば、現地にはそんなものは現存しない。Hán Việt、ようするに越南漢字なら Lan Lăng Vương というはずのそれはすでに故国では不在であって、ヨーロッパから見た東の果ての島国で、《蘭陵王》という残像だけを残している、ということになる。
そして、現存する《蘭陵王》はおそらくは原曲の形をほぼとどめないほどに改良されているはずだった。
調性も改められ、かつ、テンポ自体が極端におそくなって、いわば、時間がすべて停止して宙吊りになったような、奇妙な時間感覚の中に、一具40分くらいの時間が経過して行く。音楽は確かに進行している。しかし、なにも起こっていない。そんな、倒錯的な感覚だけ残して。
70歳になる篳篥(ひちりき)の奏者は蘆舌(ろぜつ)の具合が悪いと言って、現地の人間にそれらしいものを探すように慇懃に命じるが、そんなものが現地にあるわけがなく、現地の人間は戸惑うしかない。かわいそうに気を使って、この東の《先進国》から若々しい「翁」の顔色を伺いながら。
30代の舞い手は飛行機の中で腰の調子をおかしくし、結局のところリハーサルもしないままに、本番を迎えるはずだった。明日の開催にもかかわらず、がらんとした広場に、急ごしらえの会場はほとんど手付かずのままで、本当に明日そんなイベントが行われるなどとは信じがたい。
以前にも中国で海外経験のある龍笛の主管はわざと落ち着き払って見せているのだが、いらだっているのは知っている。さんざん、大陸の空気は乾きすぎていて、龍笛が響かないと愚痴を言う。それは、わたしも音を出してすぐに気づいた。大陸伝来という龍笛は、実際にはあくまでも日本で改良されきった純和風楽器であって、大陸の風土とは縁もゆかりもないことがわかる。
正倉院の最古の龍笛というのは、大陸伝来のオリジナルらしいが、ほぼ神楽笛のようなもので、現在の龍笛古管とは似ても似つかない。そういう意味では、日本の雅楽とは、もっとも孤独な音楽なのかもしれない。外国音楽に他ならない以上、純粋な和楽とは別のものに他ならないながら、その本来の故国をもはや持たない。
《陵王乱序》という曲にいたっては、音楽史的にも、ぽつりと、孤独に孤立している。それは最小単位のモティーフによって構成されたカノン=フーガであって、仮にそれが1000年以上前の曲であるとするならば、バッハどころではなくノートルダム楽派にさえ先行する《カノン》であることになる。そして、その嫡子らしい嫡子も持たない。類似する形式の曲など、雅楽上には現存しない。
林邑伝来である、というのが本当ならば、この曲はベトナム産に他ならないが、やがてこの地を植民地支配することになるフランスという国が成立する以前に、彼らの音楽の基盤になるカノン技法を主体とした音楽のある種のスタイルはすでに、この《殖民支配されるべき土人たち》の地で少なくとも一度形成された後、放棄されていた、ということになる。
いずれにしても、その響きは、人声をあてれば、まるでオケゲムやマショーのようにさえ響くはずだった。
今回、龍笛の主管を勤めるのは、現地在住の日本人だった。主幹道路らしい大通りを無数のモーターバイクの波にそのまま飛び込むようにして歩いてわたると、その波は勝手に自分から千路に身をよじってたった一人のわたしを避けて行く。行く先々の通りに、何らかの飲食店や雑貨屋が家族運営されていて、歩道にプラスティックの赤いいすやテーブルがしつらえられていた・結局のところ、彼らにとっては歩道は歩くためのものではなく、自分たちの私財を作り出すための、公然と不法利用されるべきものに過ぎないことに気づく。その日本人の名前は、木之下猛鳴と書いて《きのしたたける》と読む。おそらく商業用の雅号なのかもしれない。10年以上ベトナム在住とはいえ、まだ30歳を少しばかり超えた、わたしたちのほとんどより年下だった。
昨日と同じ露天のカフェで彼と落ち合い、外国風に彼が握手の手を差し出すのを手にとってやりながら、奥でいかにも《おっかさん》風の現地女性がわたしを指差しながら笑って娘に話しかけているのを、「日本人がまた来たよ」と言っているんです、と、武鳴はわたしに通訳して見せた。
「ここら辺が親日国だとは聞いてはおりましたんですが、なんというか、こうまで親しんでくれるとはなかなか思いもよりませんで、…ね。」わたしは、自分の日本語の慇懃すぎる不意のまずさに思わず笑ってしまいそうになりながら、「さあ、そうとまでは言えないでしょう。」武鳴が言った。
「確かにホンダやヤマハは人気があるわけですけど、それはホンダやヤマハというブランドが人気があるというだけで、よく日本人が勘違いするように、日本製だから人気があるというわけではないんですね。家電製品に関しては必ずしもそうとは言えませんが。当たり前ですが、日本のポルシェ好きが、あくまでポルシェがポルシェだからポルシェに乗っているので、必ずしも、イタリア車だから乗っているわけではないのと同じです。家電製品に関しては、現地価格であまりに高すぎるの、手に入らない高さが宗教的なブランド性を付与しているといったほうがいい。」なるほど、とわたしは何となく相槌をうっただけで、武鳴は親しげにこの店のおっかさんにわたしのためのコーヒーの注文をして、わたしたちの隣にまばらに席を埋めた現地の男たちの目線を、いなして無視しながら、確かに、彼らにとって、まだ、外国人は珍しいのかもしれない。
特に、一般的には、外国人はホー・チ・ミン市の中心部あたりのほぼ外国人用と化した飲食店に出入りするのが常であって、その周縁都市、ビンジュン辺りで、現地人相手に商売しているこのような日常的な店に、外国人を見かけることはまずないはずだった。「この辺りだって、日本の植民地だったわけでしょう?わたしたちは忘れてしまいがちですけどね。中国と韓国以外。」わたしは武鳴と《おっかさん》に交互に笑いかけ、その振りまかれた《おっかさん》の無意味な笑顔を「フランスやアメリカに対してだって、特に何の文句を言うわけではないんでしょう?彼らは。」武鳴は一度うなずいた後、「ただ、植民地支配って言うのは、白人国家の、あの時代に固有のトレンドだったわけで、実際、旧イギリス領だってフランス領だって、独立後何の保障をしろ何の賠償をしろと言わないのは、結局、ルーレットの出球が赤だったか黒だったかの話に過ぎないんだと思うんですね。それを基準にして、旧殖民国は独立後は旧宗主国に文句など言いはしないものだという論法は、明らかに間違った論理展開であってね。そんな論理、あらかじめあったわけでもないわけで。ベトナムがアメリカに文句を言うわけではないし、インドネシアがフランスに文句を言うわけではないし、フィリピンが日本に必ずしも文句を言うわけではないからといって、例えば韓国政府を非難するのは本質的におかしい。それはそれなのだから、あくまで政治的に話し合って解決すべし、という意外に、言うべきことなんか、何もないわけですよ。仮にひとつだけ出玉が赤だったとして、それはなんら間違いでもなければ非難されるにも及ばない。」外国に10年も住んでいれば、こんな風にうまく、インターナショナルでリベラルな意見をすらすらというようになるのだろうか、とわたしは、一種の社交スタイルにまで洗練された彼の《国際派的知性》に、話の内容以外のところで、感心してしまう。
猛鳴は、全身日本製の衣類で身を固めていて、小物の類も日本製、そしてスマートフォンは最新型のアイフォンという、これ見よがしなほどの日本人だった。
むしろ私のほうが、日本人の典型からはやや離れた、いわば「日本人崩れ」に見えるに違いない。いずれにせよ、どうせ外国人は日本人に日本人を求めるの違いないのだから、最初からこれ見よがしに日本人をしてあげるのも、ひとつの気の利いたサービスかもしれないし、処世術のひとつなのかもしれなかった。
コーヒーを持ってきた娘に、彼女のどこか胸焼けしそうなほど扇情的なまなざしに見つめられながら、武鳴はきっちりと、「ありがとう」と聞き取りやすい日本語で例を言った。娘は、一瞬の戸惑いのあとややあって、「謝謝」、と言って、声を立てて笑いながら奥にかけこんでいった。
二人で会場の視察に行く。タクシーを止めながら、篳篥の蘆舌について再び聞いてみたが、手に入るわけがない、と武鳴は言った。「越南にも」と、唐突に無意味な漢字名を使用して見せながら、「ニャーニャックといって、直訳すると雅楽ということになる音楽はありますが、それは、日本のそれ、雅正なる音楽略して雅楽という、あくまで俗楽に対する対義語の意味ではなくて、本当にみやびやかな音楽、という意味ですから。そこでもダブルリードの楽器は使われますが、バイオリンの弦とヴィオールの弦くらい違いますよね。」じゃ、篳篥はなし、ということになりますね。「まあ、演目が陵王一具なら、まだ何とか」
開発中の地平線さえ見えるただっぴろい更地を幹線道路がぶった切り、数十階建てのランドマーク・タワーが孤独に。周辺開発に先行して運営されているのだが、本当にそれ以外には何もない。市役所施設も入っているようで、公然とした公営の大規模建築なのだが、直射日光を静かに浴びて、向こうに巨大な影をだけ落としている。その敷地の中のドーム上の屋根つきの屋外イベントスペースは、見事なまでに、積まれた資材以外に何もない。笑う以外になすすべもないが、結局のところは、間に合ってしまうのだろうという気がする。そうではないかもしれない。わからない。「このあたりにも、日本人は住んでいるんですか?」わたしの問いに、日本人会みたいなものもあるんでしょうが、わたしはそういうものには参加しないほうなので、と一度口を濁したあとで、「実数はわかりませんが、20人以上はいるんじゃないですか?中国人とは違う意味で、日本人はどこにでも住んでいますからね、本当に。微妙に群れながら、ね。在住とはいえないまでも、転勤等で来ている人も合わせればもっといるでしょうが」多いというべきなのか、少ないというべきなのかわたしには判断もつきかねるのだが、「そういえば、わたしと同じころにこっちに来たらしい日本人で、ちょっと面白いのがいますね。まあ、不埒な人間ですが」一瞬短く声を立てて笑い、風らしい風さえ吹かない停滞した大気の、そのどこまでも広がる更地の平野には山の陰すらなく、遠くに森林のギザついた細かな線が、地平線が一本の線になることを阻害してやまない。「こんな、もはや発展途上国ではないと言っていいかもしれない国でも、やっぱり貧困の問題というのはあって、…もちろん、日本のそれともレベルが違うわけですが、」午前の浅い日差しが、火をつけて燃え上がりそうな熱帯の熱気を次第に強めながら、その力を強めていくのが肌にわかる。「一部で、特に山間部のほうで中国人を顧客とした人身売買というのがあって、幼いベトナム人の少女を妻として中国人の富裕層に売っているということなんですが、どうもその組織のひとつの首謀者に日本人がいるらしいんです。」日本人が?「意外でしょう?現地の人間にだって意外なわけです。世界に冠たる先進国のニッポン・ジャパンのジャパニーズがね」といって、彼が笑うのを私は聞いた。「どうも単なるうわさじゃなくて、本当らしい。しかも、女性らしいんです。非常に美しい女性で、いつも化け物の仮面をかぶっているらしい」わたしが声を立てて笑うのを制止するように「その仮面の美貌の日本人女性が首謀者になって、ベトナムの貧しい少女たちを片っ端から蹂躙している、というんですが、何度も公安にとっつかまったり、結構危ない橋を渡るものの、いつも、一緒にとっ捕まった共謀者たちのみならず、犠牲者たるべき当の少女たちがうそ偽りの証言をして、結局無罪放免させてしまうらしい。公安だってそれがうその証言だなんて知っているんでしょう。口裏を合わせたわけじゃないからみんなでたらめでつじつまの合わない証言をするんでね。とはいえ、被害者が頑固なまでに彼はなにもやっていないと言い張り続ければ、おいそれと処罰などできなくて、のらりくらりと放免されてしまうわけですね。面白いでしょう。ベトナムの日本人の蘭陵王、というかね。」とはいえ、とわたしは言った。「単なる犯罪者には違いないんでしょう?」ええ、そのとおり、…猛鳴は答える。「人権問題として、断固として許されるべき人間じゃない。」振り向き、思い出したように、ただ、…そういえば、「彼女のベトナム名が、…まあ、これは現地の人間たちが彼女につけたニックネームなんでしょうね、ふるってる。Lệ Hằng レ・ハン、月の女神の涙、とでも訳すんでしょうか。彼女の周辺にいる人間は、彼のことをそう呼んでいるらしい。」
武鳴の龍笛は、現地側の主催者から、是非にと客演を要請されただけあって、かなりのものだった。現地では有名な人物なのかも知れない。
ざらついた息音の雑音の中から笛の音が立ち上がるとき、確かにそれは何らかの風景を感じさせた。息の太い人間で、序曲《小乱声》の長い節も、ゆっくりとテンポで、間断なく吹ききる。抽象的な音の連なりから、不意にメロディらしいものが現れる、吹き止め句の音形も、たしかに、色彩をさえかんじさせた。
上手であることには違いない。
時間をもてあますままに、すぐ近くだといった武鳴の自宅に行く。
彼のバイクの後ろに乗せられて走っていった土の道は細かな埃を立てながら、熱帯の日差しの中にまばらな森林と広大な工場用地らしい更地を通り抜けて、近いといえば近いのだろうが、遠いといえば遠い距離の抜こうに、時に放し飼われた牛とすれ違う彼の自宅はあった。
ご近所の人の牛です、と武鳴は言って笑った。「見事でしょう?…ちょっと、臭いんですけどね。」いずれにしても、それはわたしにとって始めて肉眼で見る生きた牛であって、この巨大な哺乳類が、わたしたちの口に入ることの最も多い食肉だということが信じられない。無骨な力強さをたたえて、静かに、気弱に、草を食んでいる。こんな力強い、のうのうとした生き物が、生水さえ飲めない脆弱なヒトごときの食用であり得ることに驚かざるを得ない。ヒトに飼われているネコやイヌすらもがこの太く巨大な生物の肉を食うのだ。ときには骨まで噛み砕き。
連なった家はどれも平屋の、ドアという概念などないかのような、とにかく吹き抜けの空間であって、それがいやおうなくここが外国だということをわたしに知らしめる。もちろん、日本人以外の人間にとって、日本に乱立する建売家屋も、いかにも外国風のものではあるには違いない。
彼の義理の祖父と祖母が出迎えた。笑顔で挨拶を交わしながら、不意に、彼らが単に当たり前の現実として、人類史上、もっとも過酷な戦争の一つであったとさえ言われる、あの、いわゆるベトナム戦争の首謀者たちであって、実際にその手にAK-47を握って、手当たり次第に乱射したものだった事実を思うと、この、いかにも弱々しく、洗いざらしに干からびてくしゃくしゃになった使い古しのシャツのような陽灼けした人間たちの向こうに、とてつもない人間たちそのものの底知れなさが広がっているような気がする。もちろん、こんな述懐など結局は、外国にいることの心細さがもたらした、ただの感傷に過ぎないに違いない。
老人たちは次々にその手を差し出し、わたしの手を握手に握る。大袈裟な歓待にわたしは微笑むしかない。
彼らは日本から来たと言えば愛想を振りまく。たしかに、日中韓といえばアジアに冠たるアジアの3大先進国であって、そして、この3国の中で相対的にもっとも彼らのとって人畜無害なのは日本以外にないのだった。彼らにとって、それは単に合理的な結果に過ぎない。つまりは、彼らが日本への親愛を語るとき、彼らが語っているのは、結局は自国への親愛であるに過ぎない。そして、それはもっともなことだろう。なぜなら彼らはベトナム人なのだから。
ものさびた、という言葉が似合う風景の中で、もちろん、ものさび得ない人間たちの精気は張っていて、近所の老婆がめずらしげに顔をのぞかせ、用もないのに、彼の家族たちに声をかけたりするが、武鳴がわたしに妻を紹介しますと言って、奥から連れて来たのは二人の女性だった。
一人はいかにも利発そうな、学校の秀才という感じの女性で、上品にわたしに微笑んで見せ、かたや、他人にかける言葉など持ち合わせてはいないふうの、無口で、無表情な女性はわたしを上目遣いに睨んだ。
妻と、その妹です、と武鳴は言った。仏間になっている、日本で言えば居間に当たるような、がらんとして只っ広い空間の中の、木製のものものしい低いテーブルと椅子に腰掛けて、彼の妻、ようするに利発そうなほうが奥から持ち出してくるビールをわたしたちは開けた。
彼の祖父がさかんにぽつぽつと発していく思い出し話のような語りを通訳されながら、「ベトナム語がご堪能ですね」わたしに、10年もいますからね、と武鳴は答える。
こどもがヨチヨチ歩きながら、母親に手を引かれて出て来て、もう一人は今学校に行っている、と武鳴は言った。当たり障りのない話に時間を費やし、もちろん祖父はありったけの外国語知識を駆使して、直接英語でわたしに話しかけるのだが、癖の強いいわば越南英語は聞き取り困難な上、そもそも日本語英語しかしゃべれないわたし自身の英語力などたかが知れている。ホンダや家電製品が賞賛され、日本の政府がいくらハノイに金を融通したのの話になり(彼らは彼らの政府のことをハノイと呼んだ)、お前は日本のどこから来たのか?北か?南か?イオウジマなら知っている、息子と映画を見た、ほら、そこのタブレットで。…広島だ、とわたしは言った。岡山だといってもどうせわかりはしないのだから。とたんに彼は顔を曇らせ、わたしの手を取り、それは大変だったろう、あの爆弾のことはよく知っている、と言われながら、原爆で有名だろうからその名を使ったには違いないが、そこまで有名であることには驚かざるを得ない。ヒロシマは日本人にとってより、なまなましい戦争行為の悲劇の象徴として、彼らの中にこそ記憶の根を張っていた。
…失礼ですが、わたしは猛鳴に言った。お名前は、雅号ですか?いいえ、本名ですよ。笑いながら、「日本の、父が大変な神道かぶれ右翼かぶれで。」ああ、そうですか「お恥ずかしながら。まあ、人様外国人さまに見せられたものではないような男なんですが、古式な名前で、ね。」彼は、もっとも、猛く鳴ると書いてタケルと読ませれば、いまや立派なキラキラネームになってしまって、逆に古式も何もないんですが、と笑った。
彼が中座して奥に入ってしまえば、単純に言語能力の問題で、その祖父と祖母との会話も途切れがちにならざるを得ない。ふと、目に入った猛鳴は、奥で、床に崩れた胡坐をかいてすわりこんでいた妻の妹の頭をなぜ、あからさまに煽情的なまなざしを彼女に送っていた。胸焼けしそうなほどに、なにかに飢えた、それ。
それはそうであって、そうであるには違いないのが見て取れた。とはいえ、あの利発そうな妻が、それが仮りに見せ掛けだけであったとして、この只ならない関係に気づかないわけがない。よく何もなくこうしていられるものだと思う。いつの間にか妻は不在で、姿を現さない。つまみのようなものでも買いにいったのかもしれないが、テーブルには手付かずの惣菜が、大量に盛られたままなので、それが不要なことは誰にでもわかっている。
いずれにしても、他人事、には違いない。
日本人の癖に、とわたしは不意に、思う。日本人の癖にベトナムのこんなところにまで来て、何をやっているのか。世界から尊敬される礼儀と武士道の国、四季美しい世界に冠たる先進国、文化と匠の国日本、と、少なくとも、自分たち自身にはそう思われている国の国民。笑わずにいられない。
武鳴を、ではない。どうしようもなく、すべて、一笑にふして笑わなければ嘘だ、という気がした。どうでもいいことだ。わたしが何を思い、何を感じようとも、わたしにとってはどうでもいいことだ。
何か問題があるに違いない。席に帰ってきた猛鳴はその皮膚の下に、静かに興奮を隠していて、わたしにも誰にも、彼がその実何かに焦燥しているらしいことは見て取れた。酒も回っていた。まだ、午前の浅い時間ではあった。
グラスに注がれたビールに溶かされて、氷が音を立てて崩れる。何か見に行きたいところはありますか?せっかくベトナムまで来たんだから…。武鳴が言った。もっとも、田園地帯でね、田んぼ以外に実際何もないんですが。メコン川でも見に行きますか?さすがにああいう本当の大河は大陸にしかない。日本じゃありえませんから。…さっき、来るときに見た、十分だ、と言おうとしたが、断る理由も見つからず、わたしたちは彼の祖父らに別れの握手を交わしながら、親しげで善良な笑顔の交換とともに、そして、猛鳴の《女》は奥で座り込んだまま、顔を上げようともしない。表情は伺えない。
見栄えはしないが、素朴な、端正な顔立ちをしてはいる。とりたてて、美しいともいえない。日本でなら、猛鳴は見向きもしなかっただろう。肌は灼けるにまかせた褐色にそまっていた。
「奥さんはお出かけですか?」猛鳴のバイクの後にまたがりながら、そう言った後で意地の悪い質問だと思ったが、ええ、弟のとこでしょう、武鳴は言った。バイクで少し行って、途中で水のペットボトルを買いに立ち寄った雑貨屋の前で、猛鳴の支払いと少しの雑談を待っているときに、はす向かいの家から若い男が立ったまま、どこか呆然とした表情でこっちを見てるのに気づいた。上半身裸で、ショート・パンツをだらしなくひっかけいる。彼はうしろから、目を背けそうになるほど華奢な女の腕に絡めとられて、奥に連れて行かれるのだが、それは確かに、武鳴の妻の腕だった。
なら、彼はその弟なのかもしれない。明らかに、そういう関係であることを隠しもしない気配をこれ見よがしに暗示していて、結局のところ、彼の事情は込み合うだけ込み合って、もはや収拾のつけようもないことだけは、知れた。
猛鳴には、なにも言わなかった。
土のままの、でこぼこした細くはない道路を少し曲がりくねれば、白い細かな砂土で汚れたアスファルトの幹線道路が広がり、その向こうまで行きさえすればメコン河に出る。アジアのこのあたりをのた打ち回るように曲がりくねって流れる、あの、巨大な泥の河だ。暴力的なまでの、汚れた豊かさ。不意に鈍い衝突音が響き、わたしは、そして遅れて立った躊躇(ためら)いがちな短い怒号の塊の中で、バイクを止めた武鳴は振り向く。道路の向こうに男が一人とバイクが2台絡み合うように倒れている。横っ腹に衝突したに違いない。絡み合ったバイクの傍ら、立ち尽くした女がヘルメットをかぶったまま周囲に身の不運を嘆く。何かに非議を訴えるように。派手な花柄のドレスを着ていた。結婚式に行くのかもしれない。倒れた男は倒れたままなんら動かない。もう、死んでしまっているようにも見える。ヘルメットが真っ二つに割れていた。いくつかのバイクが立ち止まり、いくつかのバイクがスピードを落としながら通り過ぎる。背後に、ある女の荒い息使いがして振り向くと、雑多な雑貨屋から若くはない妊婦がパステルカラーの寝巻きのまま出てきて、腰が悪いのか、まるで老人のように左右非対称に歩み寄ろうとする。そのざらついた息がわたしの耳の中を突き刺し、この女はあの倒れた男の妊婦に違いない。何かに驚愕した瞳の瞳孔を、彼女は開ききったまま、甲高い声をただ3音節だけ立てたその瞬間に、倒れていた男が、不意に身を起こし、口をあけたまま、彼は女を見つめた。信じられない、といった表情の、そして、男の口から一気に濃い赤の血が噴出して頭から倒れ付す。もう二度と彼が立ち上がることなどあり得えない。女さえ、何も言わなければ、こうはならなかったはずだ。あの痛切な、身を切るような、女の3音節が何度もわたしの耳に鳴る。誰が彼を殺してしまったのか?女は立ち尽くしたまま、息をしてさえいないように、いまだ、一瞬の硬直から解けない。
2017.08.12.
Seno - Lê Ma
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