小説《私小説》Ⅰ …こんにちは、ベトナム。
短編連作の一つ。
いわゆる、私小説的な言説空間を復活させようとしたもの、です。
これは、後半、かなり前衛的な展開をします。
その意味では、試みは失敗している、のかも知れませんが。
すくなくとも、私にとって、《私小説》をかくというのは、こういうことになってしまいます。
2018.05.30 Seno-Lê Ma
私小説 Ⅰ
まるで、今、美しく懐かしいこの世界が滅び去っていくような、と。
そんなフレーズを思いついてしまうほどに、曇り空の下の、雨の中の視界は白い。ベトナムの、現地人の妻の家は古く、広い。がらんとして何もなく、吹きさらしの勝手口から、ただ、向かいの広大な廟に降る雨を見るしかなかった。
友人の Nam ナム の娘があれほどまでに「ベトナム」のことが嫌いだったとは思わなかった。一般的に、このあたりの人間は、長い間独立戦争、そして統一戦争に明け暮れなければならなかったからなのか、どちらかといえば祖国愛が強いものだというのに。
雨期の雨は、ふうっ、と、水滴の一粒が空から落ちてきたのを、例えば頬が感じたその途端に、一気に世界は水浸しになる。それらの膨大な無数の雨粒は轟音を立てて地上にはじき飛ぶ。土砂降りの怒号のような音響に、目の前のすべては打ちのめされ、色彩感覚さえ奪われてしまうほどに、すべては白濁して見える。
Nam の娘の名前は Huệ 、カタカナ化すれば、フェ、だろうか。カタカナにしてしまえば、同じになってしまう中部の都市名 Huê が、かつて、日本で「ユエ」と表記されていたのは何故なのだろう? 実際の発音を参考にしたのではなくて、その文字表記を、日本人がユエなどと表記することはどうしてもあり獲ないので、あるいは、ベトナムの方言によっては、ユエ、に近い発音に聞こえることもあるのかも知れない。いずれにしても、彼女の名前は、Lê Văn Thụy Huệ レ・ヴァン・トゥイ・フェ と言い、hoa huệ ホア・フェ、つまり、百合の花、という意味ではある。もっとも、びっくりするくらい褐色の肌をしているので、純白の百合とは言いがたい。
父親の希望で、彼女は週に二回、早朝に、わたしのところに日本語の勉強に来るのだが、いい生徒とはいえない。もっとも悪い生徒ではない。
外国語教育の常套、と言うか、わたしも、教育法としては月並みに、彼女に教えた構文や語彙の範囲の中で、かわるがわる彼女に日本語で質問をして、彼女はその質問にもちろん、日本語で返さなければならないのだが、彼女はふしぎにベトナム語でしか返さないのだった。何を言われたのかは理解している。実際、ベトナム語の返答のほうは正しいのだから。あなたは昨日、何をしましたか? Em… em… đi day học tiếng Anh, và đi cà phề với bạn, và …về, và ngữ. 何の屈託もなく笑い、そのこぼれるような笑顔は、まるで彼女が言われたとおりに正しい日本語で返答したかのような錯覚さえ与える。学校へ行きましたよ。…で、友達とカフェへ行きました、それから…帰って、…寝ちゃったわ。そして、彼女は何の屈託もなく笑った。実際、自分の聴覚障害を疑ってしまうほどに、彼女はあまりにも自然に受け答えするので、どうしても、わたしのほうが不安になってしまうのだった。わたしのほうが、おかしいのではないか、と。
実際、母国語を聞いても、頭の中で外国語に変換してからではないと理解できなくなってしまう疾患がないとも言えない。モーリス・ラヴェルだって、楽譜に音符をかけないという「失語症」に陥ったのだから、わたしだって、そんな「失語症」に悩まされ始めないという可能性が、全くないわけではないだろう。耳に聞こえていると思われている音響は、もちろん頭脳のフィルターを通して知覚されたものにすぎないのだから、いま、耳にはベトナム語が聞こえていたとしても、実際に鳴っているのが日本語ではないという可能性を、完全に否定しきることは出来ない。
わたしを、そこまで不安にさせるのは、彼女が、どれだけ日本語を話しなさいと要求しても、必ずベトナム語で、当然のように返答し続けるからだが、Dạ…, はい hiểu rồi. わかりました。 改めて投げかけたわたしの日本語の問いかけに、答えるのはやはりベトナム語だった。日本語、Em,… em… 日本語を、話しなさい nói tiếng Nhật.、ね、…わかった? hiểu không ? – Hiểu. ええ、em わかってるわ hiểu.、わかってる。そして繰り返される、日本語と、ベトナム語による会話。
…どうしたんですか? なにか? と、戸惑うわたしのその表情に、むしろ、あられもなく戸惑ってしまいながら。
いずれにしても、どうにも後ろ暗い「失語症」というか、新手の「モーリス・ラヴェル症候群」というか、そういった疾患に対する、ぼんやりとしたかすかな恐怖に後ろ手に回られた、妙に倒錯的な感覚の中で、この褐色の白百合に日本語を教え続けるのだが、それはむしろ何も苦痛ではなく、わたしにとっては、あるいは、心地のよい趣味のようなものだった。絶対に日本語を口にしない以外は、目を見張るような優秀な生徒で、言われた範囲の語彙の意味は完全に暗記しているし、文法の予習も完璧なので、ごく最初期以外、わたしのやや、初学者にとっては早口に過ぎるかもしれない日本語を、聞き落とすこともなかった。第一、彼女は、まだほんの少女、十三歳になるかならないかの、あどけない少女に過ぎなかったが、非常に美しかった。実際、こういう子どもなら、親は何かと心配でたまらないだろう。変な男にとっつかれないとうに、と言うよりも、こんなに目鼻立ちにも恵まれ、頭もよければ性格も素直であれば、ひょっとした成人しない前に夭折でもしてしまうのではないか、わたしだったら、そう、気が気ではならない。
…さて、と、わたしが、じゃ、Rồi, em, あなたは、なぜ、tai sao em day học 日本語を勉強していますか? tiếng Nhật ? そう言うと、一度、軽く口を尖らせぎみにして、頭で何かを咀嚼したあと、彼女は雪崩を起こしたように言った。Vì là なぜって、em không thích ベトナム、好きじゃないから Viết Nam, không,… いえ、違う、em 憎んでるの ghét Việt Nam, sống ở ベトナムの生活を Viết Nam, ベトナム人を người Viết Nam, Văn hóa Viết Nam ベトナム文化を …Wait, 待って、と、わたしは言わざるを獲ない、wait, em 君は、なんで Tai sao ghét ベトナムを Việt Nam, 憎んでるの? sao vậy ? em nghỉ 何考えてるのかな、君は、gì vậy ? nói chuyện, つまり、 em. 何があったの? Chuyện gì vậy ? 話してごらん? 彼女は、物分りの悪い弟に、けれどもやさしく教え諭すように、ないわよ、lý du không có. 理由なんか。そう言うのだが、ねぇ、Chú, あなたはchú có thích trơi 青空、xanh ? 好き? yeah, Dạ, yes. うん。じゃ、それ Chú, なんで? tai sao ? chú thích なんで、好きなのよ? trơi xanh nào ?
一瞬答えられずに、わたしは彼女の、微笑んだままの、向こう側が抜けて見えそうなほどに清楚な顔に、たじろぎさえし乍ら、It’s… I feel like… good,… maybe,… I think so,… 自分でも、何が言いたいのかわからない。ね、と彼女は勝手に自分で自分の意見への同意を承認して、一度目を伏せてページをはぐると、次の質問に身構えた。
かの善良なる彼女が嘘を言うわけもなく、かの聡明なる彼女が、笑うに笑えない戯言など言うわけもない。実際に、ベトナムへの憎しみを語ったときの彼女には、一瞬、鼠に噛み付いたときの猫がするような、恍惚を浮かべて、容赦ない破壊への欲望に陶然とする、そういった、思わず目を背けてしまったほどの暗い色をその目に曝していたので、彼女が母国の、目に映るすべてを憎んでいるのには間違いがない。
この辺りの人たちは、あけっぴろげな愛国者たちであることが一般的なのだが、彼女は、そうではないらしい。一瞬、いかにもマニアック然とした、他人に否定される前に武装した理論で反覆を用意しなければ気がすまない、いろいろな被害妄想に駆られているらしい日本の自虐的な愛国者たちの顔つきが浮かんだが、それとも違う気がする。
単純に、彼女が言ったように、わたしが青空を好むように、単純に、彼女も祖国を憎む、ということなのだろうか?
ただでさえ遠地へ出張ばかりの発電タービン技師の、大酒飲みの Nam が、家族と必ずしもうまく言ってはいないことなど知っていたし、彼女の母親が、彼らが住んでいる借家のビルの最上階のオーナー男性と、よからぬ関係にある噂があることくらいは知っていた。本気の仏教国だからなのか、既婚女性の貞操観念だけは極端なこのあたりには、めずらしい関係ではある。おそらく、噂は事実ではあるのだが、夫も、おそらくは、それを知っている。わたしの妻があるとき、「授業」が終わった彼女の帰って行く後姿に、かわいいそうに、と、英語で言った、その正確な英語は忘れた。女の子は、自分の母親のようにしかなれないものよ。英語のことわざそのものなのか、ベトナムのそれの翻訳なのか、一瞬、その時気になった覚えがある。たまたま、彼女の言い振りが、そんな風に聞こえただけなのか。娘の方にもまた、いろいろな噂があるらしかった。あばずれ呼ばわりして、彼女をあからさまに忌避する人たちさえもいるほどには。
近所に一軒だけある Phở フォー の店の前を、バイクで通りかかったとき、あからさまに入店拒否される Huệ を見たことがある。それは通り過ぎる一瞬、視界に入ったに過ぎなかったが、迫害者そのものになって、その店の「おかみ」は Huệ に早口にわめきながら、手のひらを逆に振り、あっちに行け、ここにあんたなんかの座るテーブルはない、とわめき散らしているらしかった。わたしは、彼女に関しては、誤解だ、という気がしないでもない。もちろん、あれほど忌避されるなら、正当か不当化かともかく、それなりの固有の理由があってしかるべき、ではある。とは言え、その母は、むしろ誰にも、なにも、忌避されなどしてはいないのが、不可解だった。
目を上げると、Huệ が、例の、必要以上にくるくるした穏やかで清楚な眼差しのうちに、両目をそろえてわたしを見つめ返していた。
授業が終わって、土砂降りの雨の中に、合羽をかぶって消えて行く彼女の後姿を見送りながら、ふと、思い出すのは、一週間前だったか、Thanh タン の店の前を通りかかったときに、そこで彼女と Nam たちがカラオケを歌っていた姿だった。母親と兄と、Nam の二人の友人を含めて、彼女たちははしゃいでいた。彼女は、有名な、…少なくともベトナムでは、ベトナム航空の離発着時の機内BGMにすらなっているほどには有名な、ある歌を歌っていた。ベトナム戦争時に亡命した家族のベルギー生まれの二世が、フランス語で歌った、ベトナムについての歌だった。その歌手は、ベトナム語など、片言さえも話せないらしかった。
Tell me all about this name, that is difficult to say.
It was given me the day I was born.
Want to know about the stories of the empire of old.
My eyes say more of me than what you dare to say.
All I know of you is all the sight of war.
A film by Coppola, the helicopter’s roar.
One day I’ll touch your soil.
One day I’ll finally know your soul.
One day I’ll come to you.
To say Hello…Vietnam.
Raconte-moi ce nom étrange et difficile à prononcer
Que je porte depuis que je súi née
Reconte-moi le vieil empire et le trait de mé yeux bridés
Qui disent mieux que moi ce que tu n’oses dies
Je ne sái de toi que dé images de la guerre
Un film de Coppola, des hélicoptères en colère
Un jour, j’irai là-bas
Un jour, dire bonjour à ton âme
Te dire bonjour, Vietnam
語りはじめなさい、
わたしの名前について。この、発音しにくい、
生まれたときに与えられた名前について
語りはじめなさい、
歴史について。たとえばあの古い帝国について
むしろわたしの瞳のほうが饒舌になるときでさえ
いま、あなたについて
わたしが知るすべては、戦争のイマージュ
鳴り響くヘリコプターの轟音、コッポラの映画だけ
ある日、あなたの大地に触れる。
その日、あなたの魂に触れる。
いつの日か、あなたに会いに行く、
こんにちは、そう言うためだけに。…ベトナム。
Hello, Vietnam / bonjour, Vietnam / こんにちは、ベトナム
ベトナム嫌いの彼女は、にもかかわらず、その歌が好きなのに違いない。きれいに歌いこなし、その傍らで、父親の Nam は友人たちと乾杯しながら、彼は、今日もまた飲みすぎてしまうのに違いない。妻は彼を罵るに違いない。あしたは、男とのデートがすでに約束されているかも知れない。わたしは、なんとも言えない、むしろ無惨な感情を押しころしながら、いまだ、雨が降りやまないままにブラウンの縞を湛えた猫が滑走の途中で不意に立ち止まり、彼は遠くの物音を見るが、彼(あるいは彼女)の見た風景をわたしがついに見ることはない。一瞬の静止の後で、むしろその停滞を打ち消して再び滑走した彼女は、確かに感じたそれを既に忘却してしまっていたのだった。取り残されたわたしが雨上がりの青空を見上げる前に、「よく晴れています」カフェの三人の老人のうちの一人が見上げたわたしに言葉をかけた。カフェのひさしの向こうには青空が広がり、それは美しく青い輝きを湛えたまま、あなたには、日本語などわかりもしないくせに。ベトナム人のあなたは。こうして八十年以上もここにいて、ここで暮らしてきたあなたが。カフェには三人の老人が固まって座っていたが、一人だけ顔を上げた彼の白髪は禿げ上がることなく伸ばされて、老人らしく白いひげさえたらされているのを、振り向きざま襲い掛かってきた anh Ngọc アン・ゴック の身体をかわしたとき、ねじられたわたしのひざは悲鳴をさえ上げた。冴えた空気が、もうすぐ雪が降ることを教える。anh Ngọc は若い。わたしなどよりはるかに若く、俊敏な身体が、むしろ、時を獲たように襲い掛かってくるままに、わたしたちの身体の接触そのものが、わたしたちそれぞれの皮膚に、わたしたちそれぞれが目の醒めるような苦痛を与えたが、息遣う彼の呼吸が途切れた一瞬に、わたしが彼の後頭部を殴打したあと失神した anh Ngọc の身体はくず折れる、コンクリートブロックが敷設された路面の模様の放射状の連なりの上に。わたしが悲鳴を上げるより早く、わたしは失神した、後頭部を誰かに殴打され、視界のすべてが消滅した、と、それにすら気付かないうちに、わたしは目覚め、それはわたし自身の悲鳴がむしろ私を目覚めさせてしまったのか、目覚めたからこそ、かつて中断されていた悲鳴が今、口からこぼれだしたのか、いずれにしても、ひたすら青い空間の中に、彼は仮面をかぶってわたしを見つめていた。気がつきましたか? anh day không ? と彼が、起きましたか? xay ra … 起きましたか? 言った。何が起きましたか? いったい、何が? 極彩色の仮面のままで、けれど、その仮面が仮面の用を足しているとは思えない。なぜなら、彼の顔立ちなど手に取るようにわかるのだから。「中東風です」彼は言った、耳元でささやき、わたしは「ウラジオストックあたりの」という彼の声を聞くが、その、女声のものには他ならないながら、彼が男性であることなどわたしにはわかっていた。男しか愛せないくせに。拘束されているわけではなかったが、わたしが拘束されてある現実の中で、身体の自由は奪われていたには違いない。椅子の上でもがくわたしを、彼は、遠くの、美しい部屋の青い壁を背にして、しかし、わたしは涙さえ流しながら彼に乞うていたのだった。わたしにとって、今、感じられるのは恐怖以外のものではなかった。ただ、恐怖が、もはや予感ではなく、手のひらの上に存在し、目覚め続けたそれらが、これから起こるべきすべてのことを予兆していた。兆された、光さえ差さない閉ざされた部屋の中の、内側から光りだすような青さのなかに、それは初めて知る美しさだった。もっと、ここにいることを、ただそれだけをわたしは望み、この美しさと共に死にたいとさえ思っているわたしの想いを、彼に伝えるにはわたしの猿轡が邪魔だった。あなたは知っているか? 今、この世界の本当の美しさを?「これは、ウラジオストックの雪です」彼が言った。彼はわたしを覗き込んだままに、くの字に曲げられた彼の肢体は美しい。ある春の朝に、最後に、不意に降った雪のように。しずかな桃色の花々の上に。すでに、失われた色彩たち。再び目を覚ましたわたしは、失神からようやく醒め乍ら、彼が次に何をするのかは知っていた。容赦もなく彼の左手の刀が振り下ろされて、わたしの両足を切り落としたときに、再びわたしは失神から目を覚ますのだった。耐えられない、絶え間のない苦痛が、ふたたびわたしを失神させ、あまりの痛みのあまりに、ふたたび目覚めれば、痛みそのものはわたしの背骨をへし折りさえしながら、わたしは死にはしないだろう。痛みの、はり上げられた悲鳴の耳もとへのつらなりが、かつて、誰も死んだことなどなかった、こんなことでは。これは、ヘラクレスの女のたった一人の弟が残した言葉だった。わたしは知っていた。彼の拷問はとどまることを知らず、痛みによる覚醒と失神との間に、もはや、何の差異があったというのか? すでに、切り落とされた二つの足さえ、コンクリートと同化さえしながら、その未だに幼児のような半身を既に再生し終えてさえいるのだから、君は知っているか? 彼の止めどもない拷問、その単純な痛さの純度を? 口から鉄の棍棒を肛門まで突き刺されくしざしのまま吊り上げられた、髪の毛の先にまで目覚め続ける痛みの複数のざわめきを。その上げられた悲鳴の連鎖の反響を。彼がわたしを覗き込んだままに、くの字に曲げられた彼の肢体は美しいことなど知っているわたしの顔の、無意味な極彩色の仮面を、むしろ、その少女風の華奢な指先で撫ぜるとき、わたしをついに殺そうとする彼を真っ二つに切りすててしまえば、転げ落ちた彼の頭部は最早、涙さえ流せはしない。奪った刀は、すでに投げ捨てた。そのとき、コンクリートの青い床の上に立てた、罅われるような音響をわたしは忘れ獲ないだろう。いつか、彼は、むしろわたしのことさえも忘れてしまうにしても。壁に触れ、その細胞と細胞が接触しあうときの、あの感覚なら君にもわかるだろう、そう、彼ならそう言うに違いなかった。親愛なるプロメテウス、あなたなら。その細胞と細胞が、差異を自覚するままに重なり合って、最早融合された二つのそれらのふれあいの中で、神経の根元につめたい息を引きかけられたような細かな無数の感覚をすべての細胞のすべてが感じているときに、最早、それが快感なのだとしか言い獲ない、むしろ性的な興奮の中で、融合されたコンクリートさえもが射精したに違いない。わたしは外の大気を吸い込むが、冷たいそれは、しずかに、見渡す限り、すべてが白く、白い、純白に染まったこの世界の見渡す限りの中で、わたしはしずかに呼吸したのだった。樹木の白い幹に触れたとき、わたしが危うく失神しそうになったのは、樹木の細胞たちとの溶解のせいばかりではない。どんなにとけあったとしても、ついには別々のものとして、分かたれ、それ自身差異を獲得しようとするくせに。今、わたしは知っていた。通りの街路樹に背中だけ持たれて、目の前を、背後をさえ通り過ぎていくすべての人々の顔が全く同じであることを。そして、その視覚は、わたしの視覚障害に他ならないことをさえ。わたしは知っていた、もはや差異を認知できないわたしの視界は、すべてを同じものとして認識さえしながら、それらのすべてが、今、特異性のうちに目覚め続けようとしているのもかかわらず。彼の固有の死によって、すべてのわたしたちのすべてが、やがては時間上の固有性をさえ獲得しようとしていたこのときに、限界もなく同じな、同じものの無限の連なりの中を、橋の上でわたしはもう一度、肺の中いっぱいに空気を吸い込んだ後、彼から奪ったものに違いない刀で、切り裂いたときに、目を、あふれ出した血の流れさえも、再び、捉えはしなかった、すでに、わたしに切り裂かれたこの両目は。明日、わたしの口の中にだけ、雪は降ったことだろう。
2017.11.26.
Seno-Lê Ma
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