小説 op.1《蘭陵王》① Lan Lăng Vương 仮面の美少年は、涙する。



以下は、2017年の6月に初めて書いた小説です。

原稿用紙にして90枚程度。個人的には、最も愛着のある作品でもあります。

雅楽の舞曲《蘭陵王》をモティーフにしました。

全体は、《小乱声》《陵王乱序》《蘭陵王》《沙陀調音取》の四章からなり、切れ目なく進行します。一応、雅楽《蘭陵王》一具を踏襲しています。

現代のベトナムが舞台。

あと、5年で世界が滅びてしまうことが物理学的に確定した世界が、舞台です。

ベトナム在住の日本人《わたし》が出会った人々の、ある日の朝の物語。

朝日の中で錯綜する現在・過去・未来。

謎めいた美少年は、なぜ、恐ろしい化け物の仮面をかぶったのか?

老人は、なぜ死んだのか?

雪降る海の絵を描き続けた三重苦の《奇跡の画家》を、一体、誰が殺してしまったのか?

気に入ってくれたら、嬉しいです。

Lê Ma, 2018.04.27 Đà Nẵng, Viêt Nam.









蘭陵王 Ⅰ

Lan Lang Vuong

蘭陵王









小乱声

息を吸い込むと、一気に流れ込んだ空気に眼舞う。あと5年と3ヶ月で世界が崩壊するという物理学的なニュースが世界中を駆け巡って、今日も私は朝早く、日の昇りかける頃に目を覚ます。あれが2ヶ月と何週間か、記憶は正確ではないままに、まだこのあたりが雨季の雨の降り続ける頃だったのだから、いずれにせよ世界はあと5年と数日で崩壊することになる。ベトナム[Việt Nam]、ダナン市[Thành phố Đà Nẵng]の朝は、夕暮れるような斑らな赤に空を染めて明けて行く。私はいつもの露店のカフェに行く。このベトナム中部の町の人たちに、旧正月[tết]前後、彼らが冬と呼んだ期間に、朝から晩まで降り続き降り止まない雨の中で、これは雨期の雨なのかと尋ねれば、必ずすぐさま、そうではない、と彼らは言った。雨期と乾期しかないサイゴン[Sài Gòn]と一緒にしてはならない。ここにはちゃんと四季が存在する。総じて彼らが見せたせっかちな憤りを見乍(なが)ら私はいつも、ともあれ確かにここは亜熱帯には違いなく、熱帯では、まだ、ない。日本よりも明らかに太陽に近い、力をたたえた剥きだしの光線に、サイゴンで、私は太陽の荒々しい素顔を垣間見せられた気がしたのだったが、先に来ていた Quần クアン が私に手を振り、奥の、彼の叔母に向かって甲高い声を上げたその Quần の顔は、痩せた上にさらに痩せさせて、筋肉だけ張らせたような体躯の上に、声を立てて笑っていた。ペンキ塗りの Quần の服は朝からペンキに汚れていたまま、この世界は終わりはしない。終わったことなどなかった。何も。不意の中断、あるいは消滅、もしくは崩壊するだけだ。おそらくは気づくことすらない一瞬のうちに、と、それはまだ誰も知らない。Em có biết cuối 存在の終わりを của có không ? 私は 知っていますか? 知っている、それは膨大な、かつシンプルな数式がはじき出した、すでに証明された未来であって、私に言うべきことは何もない。言い得ることもなにもなく、私が日本から逃げるようにしてここへ来てからもう3年近くになった。あるいはそれ以上に。私は知っていた、日本を離れるときの当時の恋人は私がここで結婚したことをまだ知らない。その、理沙と言う名の、あるいは、彼女はすでに知っていたかもしれない。いつか。そして多くの議論がなされたものだった。その、この世界の完璧な崩壊の完全証明が発表されたときには、インターネットで、ソーシャルメディアで、たとえば Twitter や Face book で、彼女も知ったかもしれない。私は知らないが、すでに彼女は私の結ばれた事実を、たとえば誰かの私の知らないままのタグ付け、シェア、いいね、Like, Thích, 私がまだ、あるいは永遠に知らない何かで、少なくとも、私のまだ知らないときに。インターネットで。そのときに、膨大な声明らしきものが膨大な個人たちから発せられた。バチカンや、チベットの、法王と名のつくありとあらゆる人たちよりもむしろ早く、世界の存立そのものにかかわり、かつ、あからさまな世界の崩壊の留保なき日程を明示したその完全証明に、しかし、結局は何をも言っていないに等しい。それらのすべては、あの法王たちのそれがそうだったのと同じように。ざわめき立った語っても仕方がないものに対する沈黙に等しい饒舌が、世界を、あるいは正確に言うならば、WiFi と LAN ケーブルで結ばれたデータ空間の中を、埋め尽くしてやまないこともある。自分の無意味さなど承知の上で。説教文を読み上げるような声明の中で、にもかかわらず、最終的には、私たちはまだ何も知らないのだ、そのときに何が起こるのかを、と彼は言った。バチカンで、彼の宗徒たちを前にして、インターネット動画と、テレビ画面と、書き取られた活字媒体の中で、彼らの法王は、ゆえに、主よ、御心のままに、と、かつてその御子の言われたそのままに私たちもこう繰り返すのです、主よ、御心のままに、そして彼は、すべては終わったのだ。主のぶどう酒に囲まれて、乾くことさえなく。チベットでは、経典のもっとも難解な対話編についての講義解釈のような声明を通して、それがまさにそうであるならばそうでしかなく、そうなって行くならば行かざり得もせず、私たちもまた、逝くのだ、生きに行きて、逝くものとして、と。そして彼は目の前の膨大な弟子たちの群れの向こうに、さまざまなメディアでその声を飛ばさしめながら、今朝、家に住みついている猫は壁を這うトカゲを上目遣いにじっと見つめ、しかも狩るわけではない。彼女はしばらく静止し、私にはわからない。父と母はまだ生きているはずだ。日本で。詳しいことはわからない。クォーク粒子にかかわるそのニェット=ロン予言と呼ばれるそれがカンボジアの大学の研究チームによって発表されたのがさらにその5年ほど前らしいが、諸粒子の不安定さにかかわるこの論文において、若いカンボジア人とかなり年長のラオス人は、つまり、無限に小さく、無限に強く、無限に早いがゆえにそれ自身の質量を持ち得ない力の確定量の束があり、それらの衝突の副産物が粒子なのだ、と仮定した。衝突し得るこの確率論の結果的産物としてこの世界そのものが存立し得ているに過ぎない以上、そのすべてがすれ違い、一切衝突のないある決定的な一瞬があるはずだ、と予言する。









これは、もちろん、その瞬間にすべての継続性が断ち切られ、この瞬間に世界と呼ばれ得る現実そのものが崩壊することを示唆した。自らの可能性そのもののあり得べき必然として、世界はその当然の結果として消滅するのだが、Anh…, ねぇ、 anh…, と Quần の手が …ねぇ、私の …ね。手に Anh 兄さん。やさしくふれ、Quần の短く刈られた髪の毛に朝の光がするどく刺して、それは白い煌きをもう彼の半身に ご飯、点在させ、食べた? Cơm chưa  もう? 彼は言い、Quần はベトナム語しか知らないから、その言語をほとんど解さない私にも、それを十分知っているにもかかわらず頑なにベトナム語でしか語りかけない。私は耳を澄ます。それらに。私は彼の言葉に、目つきに、表情に、仕草に、気配に目を凝らし、息をさえつめながら、そして私たちは希薄で親密な隔離された固有の空間をいつものように形成していた。Chưa と私は まだです。彼に答え、笑いかけ、その言葉の響きを何度か自分の耳の中にもてあそび、ややって、了解した Quần は顔をほころばせ乍ら、私は知っている。私は記憶していて、だから、それを思い出すことができる。理沙は私がいくつも画策し企画し続けたインターネット上の代理集客ビジネスが、ある一定の結果を出した後は急速に速度を失って、ことごとくやわらかい袋小路に行き止まりかけたときに、そして「逃げたいのはわかるけど」理沙は言って、「…ね?」私がある友人の紹介で、飲食店の海外出店にかかわるコンサルティングの話に飛びついたときに、でも、と、彼女は言った。世界のどこへ行っても逃げられないんだよ。「何から?」まだ20歳を少し超えたばかりの理沙の言葉を、逃げるって、その肩の上で何から? 切りそろえられた短めの髪の毛ごしに、何から? その女はやわらかくふくらんだ唇を尖らせて見せ、いずれにしても個人店舗に毛が生えた程度の木村の会社は唯、私の大したこともない英語力を買ったのだが、潤は潤から逃げることなんかできないんだよ、と理沙は言った。ヴィトゲンシュタインだったら違う言い方をするだろ?私は…え?為すすべもなく…何? 笑い乍ら言い返しフランケンシュタイン? ニェット=ロン予言はそれ、誰? 多くの研究者たちに衝撃を与えたらしかった。多くの研究者たちがその内容と、それが善意ある国際的な保護の対象に過ぎないはずの悲しい発展途上国として彼らが知っている場所でなされたことに驚き、彼らは最上級の敬意をエレガントに表明した後で、いつも以上の慎重さと精緻さで検証と証明作業にとりかかった。研究室で、インターネットで、活字媒体においてさえ、多くの研究者たち、ないし自称研究者たち、要するにいずれにしても何かを研究しているには違いない何らかの知性の無数の群れが検証し続けたのだが、anh có biết, あなたは 私は限界まで 知っていますか? ローストされたコーヒー(cà phề)をスプーンでまぜあわせ、氷をなじませ、anh, …anh, 不意の ねぇ 性急さで ...ねぇ Quần は言った。anh có biết わたしは、知ってる? 顔を上げて Quần の、彼は言った。Ông Thô chết,  トーさんは、 lúc 9 gió, ông Thô chết. 九時に、わたしは 死にました。思い出す、それを知ったとき、皮膚と筋肉のあいだに氷をすべらせたような、冷たい醒めた興奮の発熱感のやがてひいた後、(文字を追われなくなったインターネット画面は放置されていた)私は友達に LINE のメッセージを送る。知ってる? Yahoo japan の なんか 羅列された すごいことに、横書きの日本語は なっちゃったね。確かに世界が崩壊することを明示していた。…やばい、かな?…って。崩壊。…ね? 消滅。破綻。滅亡。破壊。自壊。それらの言葉のすべてが、それが言い表さなければならない事態をトレースする正確さを失っている気がした。phải ? え?  phải không ? 本当に? 言って振り向いた私を Quần は覗き込むようにして見、触れ合って仕舞いそうな距離の接近の中に phải ! , ほんと !  phải ! 本当です、…sure. 私は知る sure ? そうなんですか? yes, そう。私は知った sure. 私も知っていた Thô[粗い:トー]と言う名の男が死んだ。或いはThơ[詩:トー]と言う名の。私にはついに聞き取れないそのいずれかの音調の、大柄な、オランウータンのような。彼は老いた男だった。猩猩(しょうじょう)。その漢字そのままの。猫背の。私は彼を知っていた。知っている、彼もまた私を知っていた。しずかな、波紋すら立てようのない、目が凝らされ、聞き耳の立てられ続ける、あくまでひそかな、たとえ何かが唐突に叫ばれ、怒号が立ったとしても、にもかかわらず聞き耳が立てられなければならない、静かな、とても静かで希薄な親密さの中で、不意に、Quân は涙を流した。









涙。

その、体温を含んだ、透明な、それ。

とたんに彼は泣きじゃくり始め、時に肩を震わせさえし乍ら、目覚めるのが早いベトナムの人たちは既に目の前の道をまばらにバイクで通り過ぎていく。直射日光の当たらないここでさえ、日差しの力がはっきりと感じられた。それを京都大学の山崎(やまざき)楽人(らくと)という教授が証明したのが二ヶ月と何週間か前だったが、旧約と新約が一緒になった聖書を十冊合わせても足りないほどの数式の群れが明示した五年と三ヶ月と何日と何時間の、カウントダウンし続ける進行の中で私たちは、世界の存立あるいは存率の実像をはじめて知った瞬間に、私たちは私たち自体の崩壊をも知らされたことになる。Quần の泣きじゃくる背中をなぜ乍ら私は、九時に、と彼は言った。九時に Lúc 9 giờ 彼は死んだのだと。いつの九時なのか、午前なのか、午後なのか、ブイサン? ブイトーイ? という私の言葉を、Quần は聞き取れない。Bui sáng ? 耳元で繰り返される 午前の? 聞き取れない音声に 午後の? 過ぎない bui tối ? 言葉の群れを Quần は時に顔をあげて、その涙にぬれた眼差しに、Bui sáng ? 私は言う、…ねぇ。午前ですか?。午後ですか?。聞き取ろうとすることにやがて彼は諦めて、私は Quần の濡れた頬を、だいじょうぶ? 山崎という教授にはノーベル物理学賞の授与が内定しているという先行報道があった。本当かどうかは知らないが、これ以上の物理学的な発見も証明も何もあったものではないことは事実だった。一部の人間たちは、いくつもの媒体でそれに異議を唱えたが、それはまるで彼が既に授与されでもしたかのような。彼らは言った、偉大な証明には違いないが、偉大な予言のほうはどうなるのか?まるでフェルマーのそれのように、過去の歴史的な存在にすぎないかのようなニェット=ロン予言への扱いに、しかし、証明されない予言にそもそも意義などありはしないと言う反論とともに、ある一種の人種差別を指摘する声もあった。たとえて言えば、Rakuto Yamazaki の証明はナザレから来たある人物の存在証明に等しいことなのであって、ニェット=ロン予言と呼ばれるもろもろの事象に関して名誉が与えられねばならないならば、カンボジア人やラオス人などよりも日本人のほうがまだしもましに決まっている。アジア人が世界の終焉の時の中で最後で最高の名誉に浴することなどあってはならない。だったら、日本人にくれてやれ。あの日本人というのは、白人であるはずなどないが、もはや黄色人種ですらないから、と、これらは或いは証明していたのかも知れない、白人からは白人とみなされることなど決してなく、黄色人種からは黄色人種としてみなされることも決してない、世界的に有名なある孤独な奇形種の生息を。泣き止んだ Quần はまだ涙を目にいっぱいにため乍ら煙草に火をつけ、私に一口吸えと挿しだしたあとで、90歳を超えた Thô は丸太のような腕をしていた。見上げるような大柄な男。体中に容赦なく自らの老いを曝し乍ら、太く長い両腕をいつも、たとえ椅子に座っているときでさえも無造作に垂らし、私は取り立てて Quần にかけるべき言葉も失ったままに、グラス移しに注ぎ込まれたお茶の金色が、飲み残されていたカフェに一瞬で浅い琥珀色に変わっていき、とけ残った大量の砂糖は下から渦をまく。Thô の、あるいは Thơ の死はいつだったのか。彼の見た最後の世界は朝の空間のそれか、夜のそれなのか、なぜ死んだのか?Thơ は なぜ、不意に Quần を振り向き見た どうして? 私の Tai sao ? それには Quần は何も答えないまま、

 ―Tai sao ? どうしてですか?

一度、彼は唇を動かそうとした。言葉はない。死んだのは、Sao Thô chết ? なぜ? Không biết と Quần は言い、それは「知りません」と彼が言ったことを意味したが、彼が知らないわけがなかった。彼が今嘘をついたことには気付いていて、私は、そしてさっきまで斑らな赤と濃い透明な青で区切られていた空は、もはや、単なる白から青への平坦なグラデーションに過ぎない。仕方がない、と Quần は Không biết làm sao 言った、すべてのものが、と、私を生かしめるのだ、そう、かつて、Thô は、すべてのものが私を生かそうとするのだ、とThô は言った。私にはそう聞こえた。Thô の住居の前の路面の、向こうには泥色の川の表面に映った空の青がきらめき、崩れ、流れ、Every things makes me live と Thô は言ったが、私は覚えている。明らかに間違った用法の元で、所詮は他人から教えられたものに過ぎない言葉の群れは、あからさまに彼自身のものになる。間違った文は間違いなく記憶そのものを引っ掻く。わたしは覚えている、いつだったか、誰かの命日のパーティか何かで、乾杯のかけ声と話し声と喚声の雑然とした混在の中に、you know ? と Thô は言い、そのひどいなまりは Yêu nhơ 小さな としか 愛。聞こえない。彼は身を少しかがめたまま私を振り向き見た。どこ? ông Thô ở đâu ? とトーさんは、私が どこにいますか? 言うのを Quân は トーさんは? 聴く。目線さえあわさないままに、You know ? と Thô は 知ってる? 二度 ...ねぇ。 繰り返し、ねぇ、やがてしばらく私を見つめたまま、不意に思い出したように nhà と答えるQuân の声を家にいるよ。私は聞く。全てのものが、と Thô は言い、私が涙を拭こうとして差し出した指先をかすかに、顔を背けてやわらかく拒絶し乍ら Quần は、そしてすべてのものが私を、と、Thô が微笑んで私を見つめたまま、私を生かし続けたのだ、と言った声を、Quần の投げ捨てた煙草が、聞く。路上に跳ねるのを、と、見乍ら、Quần は thô の遺体は家[nhà]にある、と言った。彼に何ら語るべき言葉を思いつけない私は、まるで、一言の《母国語》をも知らない外国人の希薄な虫も殺せない笑顔を浮かべたまま、sure ? とだけ言い、触れ合うのか、触れ合うことさえないのか、かすかな共有と接触の中で、至近距離で広がる広大な単なる隔たりはそのまま放置されざるを得ないにもかかわらず、或いは、埋めなければならず埋めざるを得ないこの共有された隔たりが接近する中で、Thô は何も答えず、ややあって、半ば見下したかのように私を見やり、しかし、すぐさま掛けられた乾杯の音頭に飲み込まれた私たちは何もなかったかのようにグラスを鳴らす。氷割りのビールが喉にながれ込み、私は知らない。Thô あるいは Thơ、要するにこの彼が、結局のところ何を言おうとし、事実として何を言ったのかをは。溶け残った氷が音を立てて崩れ、Quần は何か信じられないといった風に目の前の路面に視線を投げ捨てたまま、年齢だけ考えて見れば、確かにいつ死んだとしてもおかしくはない老人が、期限を明確に刻まれた世界、より正確には単なる自分たち自身の進行の中で、それを待たずに死んだ。いずれにしても、世界の最後の日、私たちが迎えるのは死ではなかった。継続する世界の中で、全ての他者に先行して単独に破綻することが死であるとするならば。その限りにおいて、そして、死なかったという事実が不死であるということだとするならば、私たちはその日まで生き残り得た限りにおいて、永遠に不死でありえた瞬間を迎えねばならないことになる。死に得なかった私たちが否応なく迎える不死であったその、時制の論理の破綻の瞬間、一切の消滅とともに、過去完了形として現在進行形のまま過ぎ去ってしまった不死、anh, Đi nhà Thô と Quân は立ち上がり乍ら 行こう、言った。トーさんの家に 私は、グラスの琥珀色を飲み干して、Đi と 行きましょう。言った。Thô の家に行く。…ね。海に雪が降っている。私はそれを知っていた。記憶しており、私は思い出す。それは記憶された絵だ。海に雪が降っていた。すべてが白い。その絵を見たのは、まだ、コンサルの仕事を続けていた、ベトナムに来て日の浅いころのサイゴンで、私はそれを見る。私は思い出す。それは、太陽へのあきらかな近さがもたらした強い光線の下、ヴィンコム・センターの前の古いビルの入り口に並べられたプラスティックの赤い椅子を引く。









あのころよく行った露店のカフェで、鼻に小さな丸めがねを掛けた小さな老婆が甲高い笑い声を立てながらカフェを差し出す。私に何かしきりに話しかけ乍ら、そこの奥は画廊と画家のアトリエを兼ねている。ビルの正面階段の下の壁からぐるりと、壁中に並べられた絵ににぶい薄明かりがあたって、老婆の話しかける喚声のような声は耳を打つものの、私には何を言っているのかわからない。何を言っているのか、何を言いたいのか、私のために何度も速度を変えて繰り返されもする言葉の群れの中で、そんなことは彼女もわかっているには違いない。にもかかわらず、ベトナム語以外の言語を知らない彼女はベトナム語を話し続けた。私は笑みを浮かべて時に声を立てて笑うが、奥で一人の画家が猫背に丸まったまま絵をかいていた。低いプラスティックの椅子の上で。グラスのかいた汗を一度手でふき乍ら手を濡らし、私は、そして彼女の孫は店の隅でスマートフォンをいじり続けた。ヌゥイニャッ、と老婆が何度目かに彼女に言い、私は知っていた、người Nhật 日本人だ、と彼女は言ったのだったが、日の光に触れたことすらないとでも言うような、真っ白い肌の孫娘は、顔を上げ、私を一瞬見やりこそすれ、何の気にも留めない。老婆は言う、Con nói tiếng Anh, Con ơi,… 英語をしゃべってみろ、コノォイティェン 孫は答えない、ニャッコノォィ それでも老婆は声を立てて笑い続け、彼女は話しかける。老婆は、そして私は何かをもてあまして立ち上がり、画家の肩に手を触れながら、私を見上げて微笑みかけた彼の周囲には油彩絵の具の腐った脂のような匂いが漂う。私は奥の絵を見上げていた。まだ若い、三十にもならないはずのその男は老婆の孫だったかもしれない。ベトナム風の、高い天井が切り開いた空間の中、絵は上から下まで隙間なく並べられていたが、これら、直線的な長短の線で描かれた抽象的で鮮やかな色彩の集積として形作られた、奇妙なほどに後期印象派の亜流でしかない素朴な河と田園の風景画の群れの中に、その絵はひとつだけ、白のグラデーションだけで描かれていた。入り口からの逆光の中、老婆は画家に言葉を投げ、彼は私を見上げたまま愛想笑いを浮かべているが、大気の温度に体は汗ばみ、その絵と彼を交互に指差す私に、画家はややあって、諦めたように首を振った。蠅が鼻先を飛ぶ。俺じゃないよ。短く刈られた髪の毛の既に薄くなりかけたてっぺんをこちらに向けて、バッグに突っ込んだ手でスマホを取り出した彼は、やがて画家が私に見せた画面には真っ白な目をした男の顔の画像が映っていた。手渡されるまま手に取り、その男はかつて黒目が存在したことなどないはずの、かすかな白のグラデーションが暗示した黒目部位の所在を無機能なままどこかに向けながら、こちらを見ているには違いない。もちろん、何も見えてはいない。男の顔は骨格そのものから砕けたものが無理やり張り付いたようになっていて、ゆがんでいた。それが何らかの疾患によるものなのか、事故や事件の結果なのか、私には判断できなかった。画家は口先でたたくような彼のベトナム語をしゃべり続け乍ら、自分の目をふさぎ、口をふさぎ、耳をふさぎ、頭の横で指を軽蔑的に回した。私には意味はすぐにわかったが、画家はそれが彼の悪癖ででもあるかのように飽かず繰り返し続け、私は笑うしかない。真っ白い、ただ、白い海の絵、それは、かすかに、ところどころに、無数に存在する青やそれを暗示する色彩がそこにかろうじて海の形象を予感させる。ナイフや、筆や、あるいは私にとって未知だった何らかの技法で厚く盛られた油彩絵の具は執拗なほどにかさねられ、飛び散り、引っ掻かれた形態でのたうつが、そこに荒れたものは一切ない。むしろ無慈悲なまでの静寂しかそこにはなく、これらを構成する色彩も何もかも過剰に入り組んでお互いを否定しあい、拒絶しあう中で、しかし、結果ひろがった目の前の風景は、よくもここまでと思うほどに削ぎ落とされて、何の音も立てない絶望的な沈黙が白く、ただ目醒め、それは、そこに無慈悲なまでにただ存在しいていた。ひたすら、海に雪が降っていた。画家の名前だけでも聞こうとしたが、他者の言語を頭の中に組む余裕を失っていた私は何も言わないまま絵を見つめ、ややあって、目を反らす。何も語りかけない風景に対して、言い得ることなど何もないことを私は知った。老婆に金を払っている私を不意に見上げ、その孫は Are you Japanese ? 私はとっさに口ごもってその乱れのない発音に聞き耳を立て、耳を澄ますが、彼女は私を英語さえ解せない人間だと思ったに違いない。微笑み乍ら上目越しに見つめ続ける少女をそのままにして、この日陰から出れば、無数のモーターバイクの騒音の群れと、正午に近い日差しが直接私の肌を灼く。





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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