青空に、薔薇 ...for Jeanne Hébuterne;流波 rūpa -179





以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。

また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。





快晴が三日ほどつづいたのちの、その二十九日は唐突な曇り空に覆われた。とはいえ、にもかかわらずここ数日でいちばん大気は肌にやさしい。春、と。清雪は道玄坂の路面をふんだ瞬間に、そう思った。藤は刀を袋ごと掴んでいた。道玄坂を下り切ったところで、空車に出逢えるとは思わなかった。ガードレール附近にタクシーを待った。藤には殊更になにを伝えたわけでもなかった。もはや、清雪のかたわらを離れようとはしなかった。あるいは、藤なりの自己保全本能、と。そう解釈するべくにも、思われた。止めたタクシーに、清雪は藤を返り見た。とりたてて誘導するつもりもない。いつもなら自然に腰をかがめはじめる藤が、そのままの直立に至近、じぶんを見上げているに気づく。なんの思いがあるわけでもない須臾があって、そして、清雪はじれた。さきに乗り込もうとしかけたときに、「死ぬから」藤が、云った。それはいつもの、微弱なささやきだったにちがいない。ふと、ふいを打たれた清雪にそれは、明確な、激しさのある音量を以てひびいた。…なに?思わず言いかけそうになった舌を、「ぼくも、死ぬから」藤。そこに、その舌を藤は粉砕した。清雪は、藤を見つめた。藤は、しかも、ほほ笑んだ。羞恥、と。まなざしにそうとしか見出されようのないふるえが瞳孔に、あるいは目じりは、ゆがんだ。ささやいた。「人生、やりなおしたいじゃん。ぼく。やり直すしかないから。でも、無理じゃん。藤、とりかえしつかないから。だから、だったら、死んでも、ぼく、いっしょじゃん?」そして、なんの言葉も思い附いてはいないまま喉をひろげはじめた清雪の、その不用意であるしかない言葉を諫めるかにも、藤は腰をかがめた。乗る。清雪は周囲を見回す。なぜ?と。じぶんの挙動をむしろ疑う。遅れて乗り込む清雪の頭部に、藤は云った。…うそ。「ごめん」そして、「壬生くんのいない世界に、藤は、生きてたくないよ。もう、」顔を上げた清雪は「…一秒も」そこに、前をだけ向いた横顔の、空虚な横向きの虹彩を見た。どちらがほんとうの噓か、清雪は知りたいとは思わなかった。謂く、

   投げつけ、よ

    目覚めさせるために

   ようよ。せめて

    あえて、ぼくたちは

   も、て。空に、ば

    目覚めさせるために

   薔薇。そのは

小原流会館で降りた。シャトー東洋の前に、翔を待った。待ち合わせは午前八時だった。時間は七時五十分をまわった。遅刻ではなかった。なぜか、かならず十五分前集合だった翔が、ばっくれたものと清雪は認識した。駐車場から、清雪は自分のバイクを出した。藤を待たせ、あらたに入手したアイスピックを取りにあがった。ばっくれたにはしろ、タトゥーアーティスト志願の翔らしく、凝った書体の黒ペンキで壁に、決起文をなぐりをしてあった。身元が割れた、まさかの時のために。ネットにアップするものは、だから、いない。いまは。いちいち文面は読まない。売国奴の文字は八行くらいの、その右から二、三行あたり。そのあたりに目がふれた。あたえられた概要どおり、売国奴を誅す云々、彼なりに書いたに違いなかった。冷蔵庫のなかからピックを取り出す。冷めた鉄をも柄の木をも、指先が厭う。作業台うえに置かれたままの、翔のリュックを掴んだ。下におりて、藤のかたわらに男を見た瞬間、ふと清雪は笑いそうになった。いた。久遠だった。あるいは、久遠は翔とはつながりつづけていたに違いない。清雪の不在に久遠をかざらせた不遜は消え去り、直立の背に頸だけうなだれた久遠は、自虐する家畜のとでもあえていうべきまなざしに、清雪を見た。エントランスの、階段を降りた。「来たんだ…」

「どっちでも、いいよ」ささやく。そこに、久遠が。「帰れっていうなら、帰る」

「翔は?」

「あいつは、…」

「忙しいって?」答えない久遠に、清雪は「聞いてる?」笑んだ。「あいつから」

「手順?」

「そのまま、六本木まで向かえばいい。おれは、やらかしてから、合流するから。足は?」やおら顔をあげて、もの言いたげな眼と口のまま、久遠は沈黙をさらす。「電車?」バイクは「…なら、」見当たらない。そして「あげる。セッティング、頼む」わたされたリュックを胸に抱いた。またがったバイクを発進させる直前に、壬生は久遠に言った。「逃げたければ、逃げていい。好きにすればいい」走り去る清雪を、藤は目を細めてその須臾に見ていた。謂く、

   投げつけ、よ

      ぼくたちを

    目覚めさせるために

   ようよ。せめても、て

      いま、容赦なく

    あえて、ぼくたちは

   あ。空に、青。ば

      まさに

    目覚めさせるために

   薔薇。そのはな。は

皇居から、国会議事堂正面に回り込んだ。時間は九時半をすぎた。頃合いだった。正門に警備員が立つ。左手側のガードが半ばひらかれている。清雪は走るバイクの接近のうちに、それを目視した。制限速度内。周囲の車両が左に折れるための減速を見せて、清雪は加速した。メーターは見ない。体感として、いまだかろうじて100キロは越えないぎりぎりに、清雪はパイロンの間をすりぬけた。不用意に飛び退いた警備をあざ笑う暇もない。加速をやめない。怒号は散ったに違いない。清雪には聞こえない。石段の

前にバイクとフルフェイスをすてる。そのまま本会議場に走った。警備網は混乱しはじめる手前を須臾、うろついているようだった。すれ違う男たちに叫んだ。「死んでる!あそこ、人死んでる!助けて!」血相を変えた、しかも俊敏な清雪におとなたちは思考停止をさらす。なにも把握するべくもない。本会議場に突入した。段を駆け降りた。だれもがそのとき、うわつきさえしない空隙に落ちて、切実な無言にただ未成年を見つめた。少年はすでに皮ジャンの突き刺した袂からアイスピックを引き抜いていた。まなざしは迷わず、すでに首相を見つけた。駆けあがると、そのこめかみを柄になぐる。後ろでに掴む。切っ先を頸に押し当てる。踵を返す。「走れ」命じられたまま、必死の足元に国家元首は段を駆けあがった。本会議場を出る。手をはなす。ピックはむしろ背中を押す。「なか!なか!テロ!乱射!」さけびながら、清雪は元首をはしらせる。ほぼならんではしり、元首はすでに息をあげた。ようやく、混乱が時に追いついたそこ、清雪はすでに裏門にいた。元首の足さえふらつかなければもっと早かった。なぜか悔しかった。警備はいない。だから、いまや混乱しか存在しないことを、確認した。むしろ、山王坂を清雪はあがった。交番はいま、走るふたりを見止めさせしなかった。すでに、茫然と興奮だけが、坂を先行して駆け上ったかに想えた。左に折れる。日枝神社の木陰、清雪は立ち止まった。国家元首はあえぐしかない。なにか言いかけた。おれが死んでも自由は死なない、とでも?「運動した方がいいよ」言った。清雪は、「おっさん、走ったのひさしぶりじゃない?」アイスピックに元首の左ふととももを思い切り貫いた。声はなかった。息が飲まれた。刺さったままに、そしてぜんぶを清雪は見捨てた。そのまま地下鉄に乗った。乃木坂で降りた。ミッドタウンの前、タイル張りのビルまで歩いた。謂く、

   投げつけようよ

      ぼくたちを

    目覚めさせるために

     轟音を

   せめても、空

      いま、容赦なく

    あえて、ぼくたちは

     くずれ落ちながら

   青空に、薔薇

      まさに

    目覚めさせるために

     聞け

   その花を

屋上にあがって、そこに久遠と藤を見たとき、清雪は思わず声をたてて笑った。久遠は、藤からとびのくと眉間をかげらせた。ふたりの背後にミッドタウンが見えた。光った。朝だった。「ひょっとして、お前」と。言い淀む久遠を、清雪は待たなかった。「やったよ」言い捨て、「終わった」

「でも…」ネットは?思わず問いかけそうになった清雪の眼は、スマホにうつむき始めた久遠をすでに見止めていた。まるで自分の過失を言い訳するかに、…まだ。でも、まだ。つぶやきつづける久遠から、そして清雪は藤を見た。藤はただ、笑んでいた。見捨てる、ね?清雪は、きみは、おれを。思った。「NHKで、放送事故」久遠。「…国会中継。これ?訓練用画像があやまって流され、…これなの?」

「もみ消すんだろ?」清雪は「そこだけは、…さすが、迅速」カメラと旭日旗を確認した。「もう、OKなの?」あらい仕事だった。旭日旗の赤丸に、あやまって吹きつけられた赤スプレーは、清雪の指示通りのニコちゃんマークをは明示しなかった。あるいは、怯えたのだ。翔は。清雪は笑む。「いいよ」久遠は「いつでも。あとは、スタート…待ってたから。お前を」

「オッケー」やがて空手着に着替えた清雪はゆびさきに刃物をなぜる。刀に踈い。仕事の出来不出来は見極められない。あとじさりしつづけた久遠はいまや、手摺りに行きどまっていた。息がこれみよがしに、しかもしずかに、むしろ自分の喉の荒れた音響をいぶかせる。藤に、清雪は言った。「…はじめて」

「でも、ぼく、よくわかんないんだよね」

「いいよ。べつに。失敗しても。お前なら、赦す」たぶらかすに似る清雪の口調に、藤は媚びた舌を出した。「音声、いけてる?」

「と、…思う」

「オッケー」と、藤がカメラを自由にするのを待って、笑んだまま清雪は「ってことで、ありがと」言った。「いままで、出逢った人たち。おれ、しあわせでした。ぜんぶ、ぜんぶ、おれのぜんぶで、みんなを愛しました。永遠に、グッドラック。じゃ、そんな感じで」やめろ、と。ふいに叫んだ久遠の声を、清雪の耳はもはや聞かなかった。清雪は吹き出しそうだった。零度にふれた。同時にすさまじい熱が破裂した。久遠は逸らせもしない目に、清雪をみつめた。手摺りにいよいよ身を押し付けた。背中で鉄柱にすがった。咽仏がふるえた。謂く、

   ※薔薇、コンクリート、薔薇※

痙攣する四肢。こと切れたのか、まだなのかまなざしは察知できない。藤は清雪の手から刃物を奪おうとした。握りしめられたそれは、少女の腕力をはねつけた。諦めた藤は、久遠に気付かないままその至近に近づく。手摺をりまたいだ。久遠はもはや、言葉を忘れた。吹き上げる風があった。匂った。陰湿な、荒れた臭気。正体はさらさない。後悔した。最後に清雪にささやくべきだった。あるいは耳にふれたくちびるに怒鳴り散らすべきだった。あなた以外を愛さなかったと。清雪のために生まれた。そう確信した。事実、かれのためだけに生きた。藤、一途。そう思わずつぶやきかけたとき、すでに手遅れを知った。遅れは、いま、追いつかれなければならない。ふみはずすように飛び降りた。足の下に空を見た。白。一色。しかも濁り。複雑な。路面がその頭部を粉砕する直前、藤はすでに失神していた。










Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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