中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀涅槃品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(30)


中論卷の第四

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



■中論觀涅槃品第二十五//二十四偈

問曰。

問へらく〔=曰〕、


 若一切法空  無生無滅者

 何斷何所滅  而稱爲涅槃

若一切法空。則無生無滅。無生無滅者。何所斷何所滅。而名爲涅槃。是故一切法不應空。以諸法不空故。斷諸煩惱滅五陰。名爲涅槃。答曰。

≪若し一切法空にして

  生無く滅無くば〔=者〕

 何をか斷じ、何の所滅あり

  〔=而〕稱して涅槃とせ〔=爲〕ん≫

「若し一切法空ならば〔=則〕生無く滅も無し。

 生無く滅も無くば〔=者〕何の所斷ぞ。

 何の所滅ぞ。

 而して名づけて涅槃とせ〔=爲〕ん。

 是の故、一切法應に空なるべからず。

 諸法空ならざるを以ての故に諸煩惱を斷じ、五陰を滅して名づけ涅槃とす〔=爲〕」と。

答へらく〔=曰〕、


 若諸法不空  則無生無滅

 何斷何所滅  而稱為涅槃

若一切世間不空。則無生無滅。何所斷何所滅。而名爲涅槃。是故有無二門。則非至涅槃。所名涅槃者。

≪若し諸法空ならずば

  〔=則〕生無く滅も無し

 何をか斷じ、何の所滅あり

  〔=而〕稱して涅槃とせ〔=爲〕ん≫

「若し一切世間、空なずば〔=則〕生無く滅も無し。

 何の所斷ぞ。

 何の所滅ぞ。

 而して名づけ涅槃とせ〔=爲〕ん。

 是の故、有無の二門は〔=則〕涅槃に至るに非らず。

 名づくる〔=所名〕涅槃とは〔=者〕


 無得亦無至  不斷亦不常

 不生亦不滅  是說名涅槃

無得者。於行於果無所得。無至者。無處可至。不斷者。五陰先來畢竟空故。得道入無餘涅槃時。亦無所斷。不常者。若有法可得分別者。則名爲常。涅槃寂滅無法可分別故。不名爲常。生滅亦爾。如是相者名爲涅槃。復次經說。涅槃非有非無非有無。非非有非非無。一切法不受內寂滅名涅槃。何以故。

≪無得なり、亦、無至なり

  斷ならず、亦、常ならず

 不生なり、亦、不滅なり

  是れを說いて涅槃と名づく≫

 得る無しとは〔=者〕、行に〔=於〕も果に〔=於〕も無所得となり。

 至る無しとは〔=者〕、至る可き處無し。

 斷ならずとは〔=者〕、五陰、先來に畢竟にして空なれば〔=故〕得道し無餘涅槃に入る。

 その時だに〔=亦〕所斷無し。

 常ならずとは〔=者〕、若し法の分別を得可き有らば〔=者〕則ち名づけて常とす〔=爲〕。

 涅槃寂滅なり。

 法の分別す可くも無くば〔=故〕名づけて常とせ〔=爲〕ず。

 生滅も〔=亦〕爾り。

 是の如き相なれば〔=者〕名づけて涅槃とす〔=爲〕。

 復、次に經に說けらく、

 ≪涅槃、有に非らず。

  無に非らず。

  有無に非らず。

  有に非らざるに非らず、無に非らざるに非らず。

  一切法を受けず。

  その內、寂滅なり。

  これを涅槃と名づく≫と。

 何を以ての故に。


 涅槃不名有  有則老死相

 終無有有法  離於老死相

眼見一切萬物皆生滅故。是老死相。涅槃若是有則應有老死相。但是事不然。是故涅槃不名有。又不見離生滅老死別有定法而名涅槃。若涅槃是有即應有生滅老死相。以離老死相故。名爲涅槃。復次。

≪涅槃、有と名づけず

  有は〔=則〕老死の相

 終に有法

  老死相を〔=於〕離るる有ること無し≫

 眼見に一切萬物皆に生滅するが故、是れ老死相なり。

 涅槃、若し是れ有ならば〔=則〕應に老死相有り。

 但に是の事、然らず。

 是の故、涅槃を有と名づけず。

 又、生滅老死を離れ別に定法有りて〔=而〕涅槃と名づくをは見ず。

 若し涅槃、是れ有ならば〔=即〕應に生滅老死の相有らん。

 老死相を離るるを以ての故に名づけて涅槃としたり〔=爲〕。

 復、次に、


 若涅槃是有  涅槃即有爲

 終無有一法  而是無爲者

涅槃非是有。何以故。一切萬物從衆緣生。皆是有爲。無有一法名爲無爲者。雖常法假名無爲。以理推之。無常法尚無有。何況常法不可見不可得者。復次。

≪若し涅槃、是れ有ならば

  涅槃、即ち有爲

 終に一法にして

  〔=而〕(是)無爲なる者有ること無し≫

 涅槃、是れ有に非らず。

 何を以ての故に。

 一切萬物、衆緣從り生ず。

 皆是れ有爲なり。

 一法なるも名づけ無爲なる〔=爲〕者有ること無し。

 常法、假名に無爲とせど〔=雖〕理を以て之れを推すに、無常法だに〔=尚〕有ること無きに、何を況んや常法の不可見、不可得なる者をや。

 復、次に、


 若涅槃是有  云何名無受

 無有不從受  而名爲有法

若謂涅槃是有法者。經則不應說無受是涅槃。何以故。無有有法不受而有。是故涅槃非有。問曰。若有非涅槃者無應是涅槃耶。答曰。

≪若し涅槃、是れ有ならば

  云何んが受無しと名づく

 受に從らずして

  〔=而〕名づけ有法とする〔=爲〕有ること無し≫

 若し『涅槃、是れ有法なり』と謂はば〔=者〕、經に(則)應に≪受無き、是れ涅槃≫と說くべからず。

 何を以ての故に。

 有法にして受けず而も有るもの有ること無くば。

 是の故、涅槃、有に非らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し有、涅槃に非らずば〔=者〕應に是れ涅槃なる無きや〔=耶〕と」。

答へらく〔=曰〕、


 有尚非涅槃  何況於無耶

 涅槃無有有  何處當有無

若有非涅槃。無云何是涅槃。何以故。因有故有無。若無有。何有無。如經說。先有今無則名無。涅槃則不爾。何以故。非有法變爲無故。是故無亦不作涅槃。復次。

≪有だに〔=尚〕涅槃に非らず

  何を況んや無を〔=於〕や〔=耶〕

 涅槃、その有、有ること無し

  何處に當にその無や有らん≫

「若し有、涅槃に非らずば、その無、云何んが是れ涅槃なる。

 何を以ての故に。

 有に因るが故に無有り。

 若し有だに無くば何の無や有る。

 經說の如し、

 ≪先有にして今無、則ち無と名づく≫と。

 涅槃、則ち爾らず。

 何を以ての故に。

 有法の變じ無に爲るに非らざるが故に。

 是の故、無も〔=亦〕涅槃を作さず。

 復、次に、


 若無是涅槃  云何名不受

 未曾有不受  而名爲無法

若謂無是涅槃。經則不應說不受名涅槃。何以故。無有不受而名無法。是故知涅槃非無。問曰。若涅槃非有非無者。何等是涅槃。答曰。

≪若し無、是れ涅槃ならば

  云何が受けずと名づく

 未だ曾て受けざるに

  〔=而〕名づけ無法とす〔=爲〕は有らず≫

 若し『無、是れ涅槃』と謂はば經は〔=則〕應に≪受けざるを涅槃と名づく≫と說かじ。

 何を以ての故に。

 受けずして〔=而〕無法と名づく有ること無くば。

 是の故、涅槃は無に非らずと知れ」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し涅槃、有に非らず、無にも非らずば〔=者〕何等か是れ涅槃なる」と。

答へらく〔=曰〕、


 受諸因緣故  輪轉生死中

 不受諸因緣  是名爲涅槃

不如實知顚倒故。因五受陰往來生死。如實知顚倒故。則不復因五受陰往來生死。無性五陰不復相續故。說名涅槃。復次。

≪受と諸因緣の故

  生死中に輪轉す

 諸因緣を受けず

  是れ名づけ涅槃とす〔=爲〕≫

「如實に顚倒を知らざれば〔=故〕五受陰に因り生死に往來せん。

 如實に顚倒を知れば〔=故〕則ち、復に五受陰に因らず生死に往來することはなし。

 その性無き五陰、復に相續せざるが故に。

 かくて說けらく、涅槃と名づくと。

 復、次に、


 如佛經中說  斷有斷非有

 是故知涅槃  非有亦非無

有名三有。非有名三有斷滅。佛說斷此二事故。當知涅槃非有亦非無。問曰。若有若無非涅槃者。今有無共合。是涅槃耶。答曰。

≪佛の經中の說

  有を斷じ非有をも斷ずとの如く

 是の故に知れ、涅槃

  有に非らず、(亦)非無にも非らずと≫

 有、三有と名づく。

 非有、三有の斷滅と名づく。

 佛說きたまはく、≪此の二事を斷ず≫と。

 故に當に知るべし涅槃、有に非らず、(亦)無にも非らずと」と。

問へらく〔=曰〕、

「若しは有、若しは無、涅槃に非えあずば〔=者〕今の有・無、共に合せば是れ涅槃ならんや〔=耶〕」と。

答へらく〔=曰〕、


 若謂於有無  合爲涅槃者

 有無即解脫  是事則不然

若謂於有無合爲涅槃者。即有無二事合爲解脫。是事不然。何以故。有無二事相違故。云何一處有。復次。

≪若し有無の〔=於〕

  合を涅槃とす〔=爲〕と謂はば〔=者〕

 有無ぞ〔=即〕解脫ならん

  是の事は〔=則〕然らず≫

 若し有無に於き合すを涅槃とす〔=爲〕と謂はば〔=者〕即ち有無の二事合するを解脫としたり〔=爲〕。

 是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 有無の二事、相違したるが故に。

 云何んが一處に有る。

 復、次に、


 若謂於有無  合爲涅槃者

 涅槃非無受  是二從受生

若謂有無合爲涅槃者。經不應說涅槃名無受。何以故。有無二事從受生。相因而有。是故有無二事。不得合爲涅槃。復次。

≪若し有無の〔=於〕

  合を涅槃とす〔=爲〕と謂はば〔=者〕

 涅槃、その受無きに非らず

  是の二、受從り生ぜば≫

 若し『有無の合を涅槃とす〔=爲〕』と謂はば〔=者〕經、應に說かじ、≪涅槃、受無きと名づく≫とは。

 何を以ての故に。

 有無の二事、受從り生じき。

 相因して〔=而〕有り。

 是の故、有無の二事、合して涅槃とはし〔=爲〕得ず。

 復、次に、


 有無共合成  云何名涅槃

 涅槃名無爲  有無是有爲

有無二事共合。不得名涅槃。涅槃名無爲。有無是有爲。是故有無非是涅槃。復次。

≪有無、共に合し成ぜば

  云何んが涅槃と名づく

 涅槃、無爲をし名づくに

  有無、是れ有爲なり≫

 有無の二事、共に合すを涅槃と名づけ得ず。

 涅槃、無爲を名づけき。

 有無、是れ有爲なり。

 是の故、有無は是れ涅槃に非らず。

 復、次に、


 有無二事共  云何是涅槃

 是二不同處  如明暗不俱

有無二事。不得名涅槃。何以故。有無相違一處不可得。如明暗不俱。是故有時無無。無時無有。云何有無共合。而名為涅槃。問曰。若有無共合非涅槃者。今非有非無應是涅槃。答曰。

 若非有非無  名之爲涅槃

 此非有非無  以何而分別

若涅槃非有非無者。此非有非無。因何而分別。是故非有非無是涅槃者。是事不然。復次。

≪若し非有非無

  之れを名づけ涅槃とせ〔=爲〕ば

 此の非有非無

  何を以て(而)分別したる≫

 若し涅槃、非有非無ならば〔=者〕此の非有非無、何に因りて〔=而〕分別したる。

 是の故、非有非無是れ涅槃なりといふ〔=者〕是の事、然らず。

 復、次に、


 分別非有無  如是名涅槃

 若有無成者  非有非無成

汝分別非有非無是涅槃者是事不然。何以故。若有無成者。然後非有非無成。有相違名無。無相違名有。是有無第三句中已破。有無無故。云何有非有非無。是故涅槃。非非有非非無。復次。

≪非有無を分別し

  是の如きを涅槃を名づくも

 若し有無の成ぜば〔=者〕

  非有非無は成ぜず≫

 汝、『非有非無を分別し是れ涅槃なり』といふ〔=者〕是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 若し有無成ぜば〔=者〕然る後、非有非無は成ぜず。

 有に相違し無と名づく。

 無に相違し有と名づく。

 是の有無、第三句中に已に破したり。

 有無無きに〔=故〕云何んが非有非無のみ有る。

 是の故に涅槃、非有に非らず、非無にも非らず。

 復、次に、


 如來滅度後  不言有與無

 亦不言有無  非有及非無

 如來現在時  不言有與無

 亦不言有無  非有及非無

若如來滅後若現在。有如來亦不受。無如來亦不受。亦有如來亦無如來亦不受。非有如來非無如來亦不受。以不受故。不應分別涅槃有無等。離如來誰當得涅槃。何時何處以何法說涅槃。是故一切時一切種。求涅槃相不可得。復次。

≪如來の滅度の後を

  有とも無とも〔=與〕言はず

 亦、有無と言はず

  非有とも〔=及〕非無とも言はず

 如來の現在時を

  有とも無とも〔=與〕言はず

 亦、有無と言はず

  非有とも〔=及〕非無とも言はず≫

 若しは如來の滅後、若しは現在に、如來有るも〔=亦〕受けず。

 如來無くも〔=亦〕受けず。

 亦は如來有り、亦は如來無くも〔=亦〕受けず。

 如來有るに非らず、如來無きにも非らざるも〔=亦〕受けず。

 受けざるを以ての故に應に、涅槃の有無等分別すべからず。

 如來を離れ誰か當に涅槃を得る。

 何時に何處に何法を以て涅槃を說く。

 是の故、一切時・一切種に涅槃相を求め不可得なり。

 復、次に、


 涅槃與世間  無有少分別

 世間與涅槃  亦無少分別

五陰相續往來因緣故。說名世間。五陰性畢竟空無受寂滅。此義先已說。以一切法不生不滅故。世間與涅槃無有分別。涅槃與世間亦無分別。復次。

≪涅槃、世間と〔=與〕

  少かの分別だに有ること無し

 世間、涅槃と〔=與〕

  亦、少かの分別だにも無し≫

 五陰の相續往來の因緣の故、說きて世間と名づく。

 五陰の性、畢竟にして空なり。

 無受寂滅なり。

 此の義、先きに已に說きき。

 一切法の不生不滅を以ての故に世間、涅槃と〔=與〕の分別有ること無し。

 涅槃、世間と〔=與〕も亦に分別無し。

 復、次に、


 涅槃之實際  及與世間際

 如是二際者  無毫釐差別

究竟推求世間涅槃實際無生際。以平等不可得故。無毫釐差別。復次。

≪涅槃の〔=之〕實際

  及び世間の際と〔=與〕

 是の如き二際は〔=者〕

  毫釐の差別だに無し≫

 究竟じて推求するに、世間・涅槃の實際にはその生際無し。

 平等にして不可得なるを以ての故に、毫釐だに差別は無し。

 復、次に、


 滅後有無等  有邊等常等

 諸見依涅槃  未來過去世

如來滅後有如來無如來。亦有如來亦無如來。非有如來非無如來。世間有邊世間無邊。世間亦有邊亦無邊。世間非有邊非無邊。世間常世間無常。世間亦常亦無常。世間非有常非無常。此三種十二見。如來滅後有無等四見。依涅槃起。世間有邊無邊等四見。依未來世起。世間常無常等四見。依過去世起。如來滅後有無等不可得。涅槃亦如是。如世間前際後際有邊無邊有常無常等不可得。涅槃亦如是。是故說世間涅槃等無有異。復次。

≪滅後の有無等

  有邊等、常等の

 諸見は涅槃と

  未來・過去世とに依る≫

 如來の滅後、如來有り。

 如來無し。

 亦は如來有り、亦は如來無し。

 如來有るに非らず、如來無きにも非らず。

 世間、有邊なり。

 世間、無邊なり。

 世間、亦は有邊、亦は無邊。

 世間、有邊に非らず、無邊にも非らず。

 世間、常なり。

 世間、無常なり。

 世間、亦は常、亦は無常。

 世間、有常に非らず、無常に非らず。

 此れら三種十二見、如來滅後の有無等四見、涅槃に依り起こる。

 世間の有邊無邊等の四見、未來世に依り起こる。

 世間の常無常等の四見、過去世に依り起こる。

 如來滅後の有無等、不可得なり。

 涅槃も〔=亦〕是の如し。

 世間の前際・後際、有邊・無邊、有常・無常等、不可得なるが如く、涅槃も〔=亦〕是の如し。

 是の故、說けらく、≪世間、涅槃等に異有ること無し≫と。

 復、次に、


 一切法空故  何有邊無邊

 亦邊亦無邊  非有非無邊

 何者為一異  何有常無常

 亦常亦無常  非常非無常

 諸法不可得  滅一切戲論

 無人亦無處  佛亦無所說

一切法一切時一切種。從衆緣生故。畢竟空故無自性。如是法中。何者是有邊誰爲有邊。何者是無邊。亦有邊亦無邊。非有邊非無邊。誰爲非有邊非無邊。何者是常誰爲是常。何者是無常。常無常非常非無常。誰爲非常非無常。何者身即是神。何者身異於神。如是等六十二邪見。於畢竟空中皆不可得。諸有所得皆息。戲論皆滅。戲論滅故。通達諸法實相得安隱道。從因緣品來。分別推求諸法。有亦無。無亦無。有無亦無。非有非無亦無。是名諸法實相。亦名如法性實際涅槃。是故如來無時無處。爲人說涅槃定相。是故說諸有所得皆息。戲論皆滅。

≪一切法空なるが故

  何の有邊・無邊

 亦は邊、亦は無邊

  非有〔邊〕・非無邊なる

 何者か一・異なす〔=爲〕

  何の有常・無常

 亦は常、亦は無常

  非常・非無常なる

 諸法、不可得なり

  一切戲論は滅す

 人無し亦、處も無し

  佛も、亦その所說も無し≫

 一切法、一切時、一切種、衆緣從り生ぜば〔=故〕畢竟にして空なり。

 故にその自性無し。

 是の如き法の中、何者か是れ有邊なる。

 誰をか有邊とす〔=爲〕。

 何者か是れ無邊なる。

 亦は有邊、亦は無邊なる。

 非有邊、非無邊なる。

 誰をか非有邊・非無邊とす〔=爲〕。

 何者か是れ常なる。

 誰をか是れ常とす〔=爲〕。

 何者か是れ無常なる。

 常無常、非常非無常なる。

 誰をか非常非無常とす〔=爲〕。

 何者の身、即是に神なる。

 何者の身、神に〔=於〕異なる。

 是の如き等六十二の邪見、畢竟にして空なる中に〔=於〕皆不可得なり。

 諸有、所得、皆に息む。

 戲論皆滅す。

 戲論滅せば〔=故〕諸法實相に通達す。

 安隱道を得たり。

 因緣品從りこのかた〔=來〕、諸法を分別し推求せど有、亦に無し。

 無、亦に無し。

 有無、亦に無し。

 非有非無、亦に無し。

 是れ諸法實相と名づく。

 亦は如法性、實際涅槃と名づく。

 是の故、如來は時無し。

 處だに無し。

 人の爲にし、涅槃の定相を說く。

 是の故、諸有、所得、皆息むを說く。

 戲論の皆滅をも」と。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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