中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀作作者品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(12)
中論卷の第二
龍樹菩薩造
梵志靑目釋
姚秦三藏鳩摩羅什譯す
■中論觀作作者品第八、十二偈
問曰。現有作有作者有所用作法。三事和合故有果報。是故應有作者作業。答曰。上來品品中。破一切法皆無有餘。如破三相。三相無故無有有爲。有爲無故無無爲。有爲無爲無故。一切法盡無作作者。若是有爲。有爲中已破。若是無爲。無爲中已破。不應復問汝著心深故。而復更問。今當復答。
◎
問へらく〔曰〕、
「現に作有り。
作者有り。
その所用の作法有り。
三事和合するが故に果報有り。
是の故、應に作者・作業有るべし」と。
答へらく〔曰〕、
「上來の品品中に一切法を破し皆、餘有ること無し。
三相を破するが如くに。
三相無くば〔=故〕有爲有ること無し。
有爲無くば〔=故〕無爲も無し。
有爲も無爲も無きが故に一切法、盡く作も作者も無し。
若し是れ有爲ならば有爲中に已に破したり。
若し是れ無爲ならば無爲中に已に破したり。
應に復に問ふべからず。
汝、著心深きが故に(而)復更に問ひたり。
今當に復に答へん。
決定有作者 不作決定業
決定無作者 不作無定業
若先定有作者定有作業。則不應作。若先定無作者定無作業。亦不應作。何以故。
◎
≪決定して作者有らば
決定業を作さず
決定して作者無くても
無定業を作さず≫
若し先きに定んで作者有り、定んで作業有らば〔=則〕應に作すべからず。
若し先きに定んで作者無く、定んで作業無くも〔=亦〕應に作すべからず。
何を以ての故に。
決定業無作 是業無作者
定作者無作 作者亦無業
若先決定有作業。不應更有作者。又離作者應有作業。但是事不然。是故決定作者決定作業。不應有作。不決定作者不決定作業。亦不應有作。何以故。本來無故。有作者有作業。尚不能作。何況無作者無作業。復次。
◎
≪決定業に作無し
是の業、作者無し
定なる作者に作無し
その作者も亦、業無し≫
若し先きに決定して作業有らば應に、更に作者有るべからず。
又、作者を離れ應に作業有るべき、但に是の事、然らず。
是の故、決定したる作・決定したる作業、應にその作有らず。
不決定なる作者・不決定なる作業も〔=亦〕應にその作有らず。
何を以ての故に。
その本來無きが故に。
作者の有、作業の有だに〔=尚〕作す能はざるに、何を況んや作者無く作業も無きをや。
復、次に、
若定有作者 亦定有作業
作者及作業 即墮於無因
若先定有作者定有作業。汝謂作者有作。即爲無因離作業有作者。離作者有作業。則不從因緣有。問曰。若不從因緣有作者有作業。有何咎。答曰。
◎
≪若し作者、定有にして
(亦)作業も定有ならば
作者、及び作業
即ち無因に〔=於〕墮す≫
若し先きに定んで作者有り、定んで作業有り、汝、『作者に作有り』と謂はば即ち、無因なり〔=爲〕。
作業を離れ作者有らば。
作者を離れ作業有らば。
則ち因緣從り有るにあらざれば」と。
問へらく〔曰〕、
「若し因緣從り作者有らざり、作業有らざれば何の咎有る」と。
答へらく〔曰〕、
若墮於無因 則無因無果
無作無作者 無所用作法
若無作等法 則無有罪福
罪福等無故 罪福報亦無
若無罪福報 亦無有涅槃
諸可有所作 皆空無有果
若墮於無因。一切法則無因無果。能生法名爲因。所生法名爲果。是二即無。是二無故無作無作者。亦無所用作法。亦無罪福。罪福無故亦無罪福果報及涅槃道。是故不得從無因生。問曰。若作者不定。而作不定業有何咎。答曰。一事無尚不能起作業。何況二事都無。譬如化人以虛空爲舍。但有言說而無作者作業。問曰。若無作者無作業。不能有所作。今有作者有作業應有作。答曰。
◎
≪若し無因に〔=於〕墮せば
〔=則〕因無く、果も無し
作無く、作者も無し
その所用の作法も無し
若し作等の法無くば
〔=則〕罪福有ること無し
罪福等無くば〔=故〕
罪福の報も〔=亦〕無し
若し罪福の報無くば
(亦)涅槃も有ること無し
諸の所作有る可くも
皆空なり、果有ること無し≫
若し無因に〔=於〕墮せば一切法は〔=則〕因無く、果も無し。
能生の法を名づけ、因とす〔=爲〕。
所生の法を名づけ、果とす〔=爲〕。
是の二、即ち無し。
是の二、無くば〔=故〕作無し。
作者も無し。
(亦)その所用の作法も無し。
(亦)その罪福も無し。
罪福無くば〔=故〕(亦)罪福の果報及び涅槃の道も無し。
是の故、無因從り生じ得ず」と。
問へらく〔曰〕、
「若し作者不定にして〔=而〕不定業を作さば何の咎有る」と。
答へらく〔曰〕、
「一事無くてだに〔=尚〕作業を起こす能はざるに、何を況んや二事都べて無きを。
譬へば化人、虛空を以て舍と爲すが如くに。
但に言說のみ有りて〔=而〕作者も作業も無し」と。
問へらく〔曰〕、
「(若)作者無く作業無くばその所作有る能はず。
しかれど今、作者有り。
作業有り。
しからば應に作ぞ有らん」と。
答へらく〔曰〕、
作者定不定 不能作二業
有無相違故 一處則無二
作者定不定。不能作定不定業。何以故。有無相違故。一處不應有二。有是決定。無是不決定。一人一事云何有有無。復次。
◎
≪作者定と不定
二業を作す能はず
有無、相違すれば〔=故〕
一處に則ち二は無し≫
「作者の定・不定は定・不定の業を作す能はず。
何を以ての故に。
有無、相違するが故に。
一處に應に二有るべからず。
有、是れ決定。
無、是れ不決定。
一人一事なるに云何んが有無を有さん。
復、次に、
有不能作無 無不能作有
若有作作者 其過如先說
若有作者而無業。何能有所作。若無作者而有業。亦不能有所作。何以故。如先說。有中若先有業。作者復何所作。若先無業云何可得作。如是則破罪福等因緣果報。是故偈中說。有不能作無無不能作有。若有作作者。其過如先說。復次。
◎
≪有、無を作す能はず
無、有を作す能はず
若し作・作者有らば
其の過、先きに說けるが如し≫
若し作者有るも〔=而〕業無くば、何んが能くその所作有らん。
若し作者無くも〔=而〕業有れば、(亦)その所作有る能はず。
何を以ての故に。
先きに說けるが如くに。
有中に若し先きに業有らば作者、復に何の所作有らん。
若し先きに業無くば云何んが作を得可き。
是の如かれば〔=則〕罪福等の因緣、果報を破したり。
是の故、偈中に說けらく、≪有、無を作す能はず、無、有を作す能はず、若し作と作者と有らば、其の過、先きに說けるが如し≫と。
復、次に、
作者不作定 亦不作不定
及定不定業 其過如先說
定業已破。不定業亦破。定不定業亦破。今欲一時總破。故說是偈。是故作者不能作三種業。今三種作者。亦不能作業。何以故。
◎
≪作者、定を作さず
(亦)不定をも作さず
及び定・不定の業をも
其の過、先きに說けるが如し≫
定業、已に破したり。
不定業も〔=亦〕破したり。
定・不定業も〔=亦〕破したり。
今、一時に總じて破さん〔=欲〕が故、是の偈を說きたり。
かくて〔=是故〕作者、三種の業を作す能はず。
今、三種の作者も〔=亦〕作業す能はず。
何を以ての故に。
作者定不定 亦定亦不定
不能作於業 其過如先說
作者定不定。亦定亦不定。不能作於業。何以故。如先三種過因緣。此中應廣說。如是一切處求作者作業。皆不可得。問曰。若言無作無作者。則復墮無因。答曰。是業從衆緣生。假名爲有。無有決定。不如汝所說。何以故。
◎
≪作者、定なるも不定なるも
亦は定なり・亦は不定なるも
業を〔=於〕作す能はず
其の過、先きに說けるが如し≫
作者、定なるも、不定なるも、亦は定なり・亦は不定なるも、業を〔=於〕作す能はず。
何を以ての故に。
先きの三種の過の因緣の如くに。
此の中に應に廣說せん。
是の如く、一切處に作者、作業を求むるに皆、不可得なり」と。
問へらく〔曰〕、
「若し『作無く作者無し』と言はば〔=則ち〕復に無因に墮さん」と。
答へらく〔曰〕、
「是の業、衆緣從り生じき。
假名に有としたり〔=爲〕。
決定有ること無し。
汝が所說に如かず。
何を以てに故に。
因業有作者 因作者有業
成業義如是 更無有餘事
業先無決定。因人起業。因業有作者。作者亦無決定。因有作業名爲作者。二事和合故得成作作者。若從和合生則無自性。無自性故空。空則無所生。但隨凡夫憶想分別故。說有作業有作者。第一義中無作業無作者。復次。
◎
≪業に因り作者有り
作者に因り業有り
成業の義、是の如し
更に餘事、有ること無し≫
業、先きに決定無し。
人に因り起業す。
業に因り作者有り。
作者にも〔=亦〕決定無し。
作業有るに因り名づけて作者としたれ〔=爲〕ば。
二事和合の故、作・作者、成じ得たり。
若し和合從り生ぜば〔=則〕その自性無し。
自性、無くば〔=故〕空なり。
空ならば〔=則〕所生も無し。
但に凡夫の憶想分別の隨なるが故にぞ、『作業有り』と、『作者有り』と說きたり。
第一義中に作業無く、作者も無し。
復、次に、
如破作作者 受受者亦爾
及一切諸法 亦應如是破
如作作者不得相離。不相離故不決定。無決定故無自性。受受者亦如是。受名五陰身。受者是人。如是離人無五陰。離五陰無人。但從衆緣生如受受者。餘一切法。亦應如是破。
◎
≪作、作者を破するが如くに
受・受者も〔=亦〕爾り
及び一切諸法
亦應に是の如くに破せ≫
作・作者、相ひ離れ得ず。
相ひ離れざれば〔=故〕不決定なり。
決定無くば〔=故〕その自性も無し。
受・受者も〔=亦〕是の如き。
受を五陰身と名づく。
受者、是れ人。
是の如く人を離れ五陰無し。
五陰を離れ人無し。
但に衆緣從り生ず。
受と受者との如くに餘の一切法、亦應に是の如く破せ」と。
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