中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀六種品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(7)
中論卷の第一
龍樹菩薩造
梵志靑目釋
姚秦三藏鳩摩羅什譯す
■中論觀六種品第五、八偈
問曰。六種各有定相。有定相故則有六種。答曰。
◎
問へらく〔=曰〕、
「六種、各に定相有り。
定相有るが故にぞ〔=則〕六種有り。」
答へらく〔=曰〕、
空相未有時 則無虛空法
若先有虛空 即為是無相
若未有虛空相。先有虛空法者。虛空則無相。何以故。無色處名虛空相。色是作法無常。若色未生。未生則無滅。爾時無虛空相。因色故有無色處。無色處名虛空相。問曰。若無相有虛空。有何咎。答曰。
◎
≪空相、未有の時は
〔=則〕虛空法も無し
若し虛空、先有ならば
即是に無相なり〔=爲〕≫
若し未だ虛空相有らざるに先きに虛空法のみ有らば〔=者〕虛空、則ち無相なり。
何を以ての故に。
無色處を虛空相と名づく。
色、是れ作法にして無常なり。
若し色未生ならば、……未生は〔=則〕滅無し。
爾の時、虛空相も無し。
色に因るが故、無色處有り。
無色處を虛空相と名づく」と。
問へらく〔=曰〕、
「若し無相にして虛空有らば何の咎有る」と。
答へらく〔=曰〕、
是無相之法 一切處無有
於無相法中 相則無所相
若於常無常法中。求無相法不可得。如論者言。是有是無云何知各有相。故生住滅是有爲相。無生住滅是無爲相。虛空若無相。則無虛空。若謂先無相後相來相者。是亦不然。若先無相。則無法可相。何以故。
◎
≪是の無相の〔=之〕法
一切處に有ること無し
無相法中に〔=於〕
相は〔=則〕相なしたる〔=所相〕無し≫
「若し常・無常法の中に〔=於〕無相法を求むれば不可得なり。
論者の言ふが如きは是の有、是の無、云何んが各に相有るを知らん。
故に生、住、滅、是れ有爲相なり。
生、住、滅無き、是れ無爲相なり。
虛空、若し無相ならば〔=則〕虛空も無し。
若し『先きに無相にして後に相來たり相なす』と謂はば〔=者〕是れも〔=亦〕然らず。
若し先きに無相ならば〔=則〕法の相なす可きは無し。
何を以ての故に。
有相無相中 相則無所住
離有相無相 餘處亦不住
如有峯有角尾端有毛頸下垂‘‘胡(古に頁)。是名牛相。若離是相則無牛。若無牛是諸相無所住。是故說於無相法中相則無所相。有相中相亦不住。先有相故。如水相中火相不住。先有自相故。復次若無相中相住者。則爲無因。無因名爲無法。而有相相可相。常相因待故。離有相無相法。更無第三處可相。是故偈中說離有相無相餘處亦不住。復次。
◎
≪有相・無相中に
相は〔=則〕その所住無し
有相・無相を離れ
餘處にも〔=亦〕住せず≫
峯有り、角有り、尾端に毛有り、頸下に垂‘‘胡(古に頁)有り。
是れ牛相と名づく。
若し是の相を離るれば〔=則〕牛無し。
若し牛無くば是れら諸相、所住無し。
是の故、『無相法の中に〔=於〕相は〔=則〕所相無し』と說きき。
有相中に相、亦も住せず。
先きに相、有るが故に。
水相中に火相、住せざるが如し。
先きにその自相、有るが故に。
復、次に若し無相中に相住せば〔=者〕則ち無因なり〔=爲〕。
無因を名づけ無法とす〔=爲〕。
(而)有相・相・可相、常に相ひ因待するが故に有相・無相の法を離れ更らに第三處の相なす可き〔=可相〕無し。
是の故に偈中に說けらく、≪有相、無相を離れ餘處にも〔=亦〕住せず≫と。
復、次に、
相法無有故 可相法亦無
可相法無故 相法亦復無
相無所住故。則無可相法。可相法無故。相法亦無。何以故。因相有可相。因可相有相。共相因待故。
◎
≪相法有ること無くば〔=故〕
可相法も〔=亦〕無し
可相法無きが故に
相法、亦復も無し≫
相、所住無くば〔=故〕則ち相なす可き〔=可相〕法無し。
可相法、無くば〔=故〕相法も〔=亦〕無し。
何を以ての故に。
相に因りて可相有り。
可相に因りて相有り。
共に相ひ因待するが故に。
是故今無相 亦無有可相
離相可相已 更亦無有物
於因緣中。本末推求。相可相決定不可得。是二不可得故。一切法皆無。一切法皆攝在相可相二法中。或相爲可相。或可相爲相。如火以烟爲相。烟亦復以火爲相。問曰。若無有有。應當有無。答曰。
◎
≪是の故、今、相無し
亦、可相有ること無し
相・可相を離れ已に
更らに亦、物有ること無し≫
因緣の中に〔=於〕その本末を推求するに相・可相、決定して不可得なり。
是の二、不可得なれば〔=故〕一切法皆無なり。
一切法皆、相・可相二法中に攝在す。
或は相を可相とし〔=爲〕、或は可相を相とす〔=爲〕。
火の烟を以て相とし〔=爲〕、烟、亦復に火を以て相とする〔=爲〕が如くに」と。
問へらく〔=曰〕、
「若し有、有ること無くば應に無ぞ有るべし〔=當〕」と。
答へらく〔=曰〕、
若使無有有 云何當有無
有無既已無 知有無者誰
凡物若自壞。若爲他壞。名爲無。無不自有。從有而有。是故言若使無有有云何當有無。眼見耳聞尚不可得。何況無物。問曰。以無有有故無亦無。應當有知有無者。答曰。若有知者。應在有中應在無中。有無既破。知者亦同破。
◎
≪若し有を有ること無からしめ〔=使〕ば
云何んが當に無のみ有る
有無、既に、已にして無
有無を知る者は誰ぞ≫
凡そ物、若しは自壞し、若しは他の爲に壞し、名づけて無とす〔=爲〕。
無、それ自らに有らず。
有從りして〔=而〕有り。
是の故に言さく、≪若し有を有ること無からしめ〔=使〕ば云何んが當に無、有るべき≫と。
眼見、耳聞だに〔=尚〕不可得なり。
何を況んや無物をや」と
問へらく〔=曰〕、
「有、有ること無きを以ての故に無も〔=亦〕無し。
しかれども應に有無を知る者は有るべし〔=當〕。」
答へらく〔=曰〕、
「若し知る者有らば應に有中に在るべき。
應に無中に在るべき。
有無、既に破したり。
知者も〔=亦〕同じく破したり。
是故知虛空 非有亦非無
非相非可相 餘五同虛空
如虛空種種求相不可得。餘五種亦如是。問曰。虛空不在初不在後。何以先破。答曰。地水火風眾緣和合故易破。識以苦樂因故知無常變異故易破。虛空無如是相。但凡夫悕望為有。是故先破。復次虛空能持四大。四大因緣有識。是故先破根本。餘者自破。問曰。世間人盡見諸法是有是無。汝何以獨與世間相違。言無所見。答曰。
◎
≪是の故に知れ、虛空
有に非らず亦、無にも非らずと
相に非らず、可相に非らずと
餘の五も虛空に同じき≫
虛空に種種に相を求むれど不可得なり。
餘の五種も亦、是の如し」と。
問へらく〔=曰〕、
「虛空、初めに在らず、後にも在らず。
何を以て先きに破する。」
答へらく〔=曰〕、
「地、水、火、風、衆緣和合の故に破し易し。
識、苦樂の因なるを以ての故に無常變異を知る。
故に破し易し。
虛空、是の如き相無し。
但に凡夫のみ、悕望して有とす〔=爲〕。
是の故、先きに破したり。
復、次に虛空、能く四大を持し、四大の因緣にして識有り。
是の故、先きに根本を破せば餘は〔=者〕自破せん」と。
問へらく〔=曰〕、
「世間の人、盡く諸法、『是れ有、是れ無』と見る。
汝、何を以て獨り世間と〔=與〕相違し『所見、無し』と言ふ」と。
答へらく〔=曰〕、
淺智見諸法 若有若無相
是則不能見 滅見安隱法
若人未得道。不見諸法實相。愛見因緣故種種戲論。見法生時謂之為有。取相言有。見法滅時謂之為斷。取相言無。智者見諸法生即滅無見。見諸法滅即滅有見。是故於一切法雖有所見。皆如幻如夢。乃至無漏道見尚滅。何況餘見。是故若不見滅見安隱法者。則見有見無。
◎
≪淺き智、諸法の
若しは有、若しは無の相を見たり
是れ則ち、見る能はじ
見を滅す安隱の法をは≫
若し人、未だ得道せずば諸法の實相を見ず。
愛と見との因緣の故に種種に戲論したり。
法、生ずるを見る時、之れを謂ひて有とし〔=爲〕、相を取りて『有なり』と言へり。
法、滅するを見る時、之れを謂ひて斷とし〔=爲〕、相を取りて『無なり』と言へり。
智者、諸法の生ずるを見、即ち無の見を滅す。
諸法の滅するを見、即ち有の見を滅す。
是の故、一切法に〔=於〕所見有れども〔=雖〕皆、幻の如し、夢の如し。
乃至、無漏道の見すら尚、滅したり。
何を況んや餘見をや。
是の故、若し見を滅せる安隱の法を見ざる者こそ則ち、有を見たり。
無をも見たり」と。
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