中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀因緣品後半・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(2)
中論卷の第一
龍樹菩薩造
梵志靑目釋
姚秦三藏鳩摩羅什譯す
問曰。阿毘曇人言。諸法從四緣生。云何言不生。何謂四緣。
◎
問へらく〔=曰〕、
「阿〔ア〕毘〔ビ〕曇〔ドン〕人言さく、『諸法、四緣從り生ず』と。
云何んが不生と言はん。
何をか四緣と謂ふ。
因緣次第緣 緣緣增上緣
四緣生諸法 更無第五緣
一切所有緣。皆攝在四緣。以是四緣萬物得生。因緣名一切有爲法。次第緣除過去現在阿羅漢最後心心數法。餘過去現在心心數法。緣緣增上緣一切法。答曰。
◎
≪因緣、次第緣
緣緣、增上緣
四緣、諸法を生ず
更に第五緣は無し≫
一切あらゆる〔=所有〕緣、皆、四緣に攝在す。
是の四緣に〔=以〕萬物、生じ得たり。
因緣、一切有爲の法と名づく。
次第緣は過去現在の阿羅漢の最後の心、心數の法を除く餘の過去現在の心、心數の法なり。
緣緣、增上緣は一切法なり。」
答へらく〔=曰〕、
果爲從緣生 爲從非緣生
是緣爲有果 是緣爲無果
若謂有果。是果爲從緣生。爲從非緣生。若謂有緣。是緣爲有果爲無果。二俱不然。何以故。
◎
≪果は緣從り生ずと爲ん
緣に非らざる從り生ずと爲ん
是の緣、果有りと爲ん
是の緣、果無しと爲ん≫
「若し『果有り』と謂はば、是の果、緣從り生ずと爲ん。
非緣從り生ずると爲ん。
若し『緣有り』と謂はば是の緣、有果と爲ん。
無果と爲ん。
二俱に然らず。
何を以ての故に。
因是法生果 是法名爲緣
若是果未生 何不名非緣
諸緣無決定。何以故。若果未生。是時不名爲緣。但眼見從緣生果。故名之爲緣。緣成由於果。以果後緣先故。若未有果何得名爲緣。如瓶以水土和合故有瓶生。見瓶緣知水土等是瓶緣。若瓶未生時。何以不名水土等爲非緣。是故果不從緣生。緣尚不生。何況非緣。復次。
◎
≪是の法に因り果を生ず
是の法、名づけて緣とす〔=爲〕
若し是の果、未生ならば
何〔如何〕んが非緣と名づけざる≫
諸緣、決定無し。
何を以ての故に。
若し果、未生ならば是の時、名づけて緣とせ〔=爲〕ず。
但、眼見に緣從り果を生ずるが故にのみ之れを名づけて緣とし〔=爲〕たり。
緣の成ずるは果に〔=於〕由れり。
果は後なり、緣は先きなるを以ての故に、若し未だ果有らずば何をか名づけて緣とし〔=爲〕得ん。
瓶、水・土、和合するを以ての故に瓶の生ずる有るが如し。
瓶を見たれば水・土等、是れ瓶の緣なりと知れり。
若し瓶、未だ生ぜざる時、何を以て水・土等を名づけ非緣とせ〔=爲〕ざる。
是の故、果、緣從り生ぜず。
緣よりだに〔=尚〕、生ぜぬに何を況んや、非緣よりをや。
復、次に、
果先於緣中 有無俱不可
先無爲誰緣 先有何用緣
緣中先非有果非無果。若先有果不名爲緣。果先有故。若先無果亦不名爲緣。不生餘物故。問曰。已總破一切因緣。今欲聞一一破諸緣。答曰。
◎
≪果、先きに緣中に〔=於〕
その有無、俱に不可
先無なるに誰が爲に緣ず
先有なるに何ぞ緣を用ふ≫
緣中に先きに果有るに非らず。
果無きにも非らず。
若し先きに果有らば名づけて緣とせ〔=爲〕ず。
その果、すでに〔=先〕有らば〔=故〕。
若し先きに果無くも〔=亦〕名づけて緣とせ〔=爲〕ず。
餘物、生ぜざれば〔=故〕。」
問へらく〔=曰〕、
「已に總べて一切の因緣を破したり。
今、一一に諸緣を破するを聞かん〔=欲〕。」
答へらく〔=曰〕、
若果非有生 亦復非無生
亦非有無生 何得言有緣
若緣能生果。應有三種。若有若無若有無。如先偈中說。緣中若先有果不應言生。以先有故。若先無果不應言生。以先無故。亦應與非緣同故。有無亦不生者。有無名爲半有半無。二俱有過。又有與無相違。無與有相違。何得一法有二相。如是三種求果生相不可得故。云何言有因緣。次第緣者。
◎
≪若し果有らば生ずに非らず
亦復、無くば生ずに非らず
亦、有無なるも生ずに非らず
何んが緣有りと言ひ得ん≫
「若し緣、能く果を生ぜば應に三種有らん。
若しは有。
若しは無。
若しは有無。
先きの偈中の說の如く、緣中に(若)先きに果有らば應に生ずとは言はず。
すでに〔=先〕有るを以ての故に。
若し先きに果無くも應に生ずとは言はず。
先きに無きを以ての故に。
亦應に非緣と〔=與〕同じきが故に。
有無も亦、生ぜずとは〔=者〕、有無を名づけて半有・半無なれ〔=爲〕ばなり。
二俱に過有り。
又、有、無と〔=與〕相違したり。
無、有と〔=與〕相違したり。
何んが一法にして二相有り得る。
是の如く三種に果の生相を求むるも不可得。
故に、云何んが因緣有りと言はん。
次第緣は〔=者〕、
果若未生時 則不應有滅
滅法何能緣 故無次第緣
諸心心數法。於三世中次第生。現在心心數法滅。與未來心作次第緣。未來法未生。與誰作次第緣。若未來法已有即是生。何用次第緣。現在心心數法無有住時。若不住何能爲次第緣。若有住則非有爲法。何以故。一切有爲法常有滅相故。若滅已則不能與作次第緣。若言滅法猶有則是常。若常則無罪福等。若謂滅時能與作次第緣。滅時半滅半未滅。更無第三法。名爲滅時。又佛說。一切有爲法念念滅。無一念時住。云何言現在法有欲滅未欲滅。汝謂一念中無是欲滅未欲滅。則破自法。汝阿毘曇說。有滅法有不滅法。有欲滅法有不欲滅法。欲滅法者。現在法將欲滅。未欲滅法者。除現在將欲滅法。餘現在法及過去未來無爲法。是名不欲滅法。是故無次第緣。緣緣者。
◎
≪果、若し未だ生ぜざる時
則ち應に滅は有らず
滅法、何んが能く緣ず
故に次第緣、無し≫
諸の心、心數法、三世の中に〔=於〕次第に生ず。
現在の心、心數の法、滅し未來の心のと〔=與〕次第緣と作る。
未來の法、未生ならば、誰か與〔俱〕に次第緣と作る。
若し未來の法、已に有らば即ち是れ生じたるなり。
何んが次第緣を用ふ。
現在の心、心數法は住する時、有ること無し。
若し住せずば何んが能く次第緣なる〔=爲〕。
若し住有らば則ち有爲法に非らず。
何を以ての故に。
一切の有爲法、常に滅相有るが故に。
若し滅し已はらば〔=則〕與に次第緣と作る能はず。
若し滅法、猶も有りと言はば〔=則〕是れ常なり。
若し常ならば〔=則〕罪福等無し。
若し『滅時に能く與に次第緣と作る』と謂はば、滅時は半滅・半未滅なり。
更らに第三の法、名づけて滅時とす〔=爲〕べきは無し。
又、佛說きたまはく、
≪一切の有爲法、念念に滅す。
一念時も住すること無し≫と。
云何んが『現在の法に滅せんとす〔=欲滅〕と未だ滅せんとせざる〔=未欲滅〕有り』と言ふ。
汝、『一念の中に是の欲滅、未欲滅無し』と謂はば則ち、自らの法を破ぶらん。
汝の阿〔ア〕毘〔ビ〕曇〔ドン〕に說けらく、
≪滅法有り、不滅法有り、欲滅法有り、不欲滅法有り≫と。
欲滅法とは〔=者〕現在の法、將に滅せん〔=欲〕とするなり。
未欲滅法とは〔=者〕現在の將に滅せん〔=欲〕とする法を除き、餘の現在の法なり。
及び過去未來の無爲法、是れを不欲滅法と名づく。
是の故に次第緣無し。
緣緣は〔=者〕、
如諸佛所說 真實微妙法
於此無緣法 云何有緣緣
佛說。大乘諸法。若有色無色有形無形有漏無漏有爲無爲等諸法相入於法性。一切皆空無相無緣。譬如衆流入海同爲一味。實法可信隨宜所說不可爲實。是故無緣緣。增上緣者。
◎
≪諸佛の所說の如き
眞實微妙の法
此の無緣の法に〔=於〕
云何んが緣緣有る≫
佛、大乘の諸法に說きたまはく、
≪若しは有色、無色、有形、無形、有漏、無漏、有爲、無爲等の諸法の相、法性に〔=於〕入り一切皆、空なり。
無相なり。
無緣なり。
譬へば衆流の海に入り、同じき一味と爲るが如くに≫と。
實法、信ず可し。
隨宜の所說、實と爲す可からず。
是の故、緣緣無し。
增上緣は〔=者〕、
諸法無自性 故無有有相
說有是事故 是事有不然
經說十二因緣。是事有故是事有。此則不然。何以故。諸法從衆緣生故自無定性。自無定性故無有有相。有相無故。何得言是事有故是事有。是故無增上緣。佛隨凡夫分別有無故說。復次。
◎
≪諸法、その自性無し
故に有の相、有ること無し
是の事有らば〔=故〕
是の事有りと說くは然らず≫
經に十二因緣を說けらく、≪是の事有るが故に是の事有り≫と。
此れ則ち然らず。
何を以ての故に。
諸法、衆緣從り生ずるが故、自らに定性無し。
自らに定性無きが故、その有相、有ること無し。
有相無きが故、何んが≪是の事有るが故に是の事有り≫と言ふを得ん。
是の故、增上緣無し。
佛、凡夫の有無を分別するに隨がひ〔=故〕說きたまへるのみ。
復、次に、
略廣因緣中 求果不可得
因緣中若無 云何從緣出
略者。於和合因緣中無果。廣者。於一一緣中亦無果。若略廣因緣中無果。云何言果從因緣出。復次。
◎
≪略廣因緣の中に
果を求むれど不可得
因緣中に若し無くば
云何んが緣從り出づる≫
略とは〔=者〕和合因緣中に〔=於〕果無きなり。
廣とは〔=者〕一一の緣中に於ても亦、果無きなり。
若し略廣の因緣の中に果無くんば云何んが『果、因緣從り出づ』と言はん。
復、次に、
若謂緣無果 而從緣中出
是果何不從 非緣中而出
若因緣中求果不可得。何故不從非緣出。如泥中無瓶。何故不從乳中出。復次。
◎
≪若し緣に果無く
而れど緣の中從り出づと謂はば
是の果、何んが
非緣の中從り(而)出でざる≫
若し因緣中に果を求めて不可得ならば、何故に非緣從り出でざる。
泥の中の瓶無きが如くに。
しからば何故に乳中從りは出でざる。
復、次に、
若果從緣生 是緣無自性
從無自性生 何得從緣生
果不從緣生 不從非緣生
以果無有故 緣非緣亦無
果從衆緣生。是緣無自性。若無自性則無法。無法何能生。是故果不從緣生。不從非緣生者。破緣故說非緣。實無非緣法。是故不從非緣生。若不從二生。是則無果。無果故緣非緣亦無。
◎
≪若し果、緣從り生じても
是の緣、自性無し
自性無き從り生ぜば
何んが緣從り生じ得ん
果、緣從り生ぜず
非緣從りも生ぜず
果、有ること無きを以ての故に
緣・非緣も亦無し≫
果は衆緣從り生じたり。
是の緣、その自性無し。
若し自性無くば則ちその法も無し。
法無くて何んが能く生ず。
是の故に果、緣從り生ぜず。
非緣從りも生ぜずとは〔=者〕、緣を破するが故に非緣を說きたり。
實には非緣の法、無し。
是の故、非緣從り生ぜず。
若し二從り生ぜずば是れ則ち、果無し。
果無きが故、緣・非緣も〔=亦〕無し」と。
0コメント