摩訶般若波羅蜜經(小品般若波羅蜜經)卷第一


小品般若波羅蜜經卷第一

後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯

● 初品第一

● 釋提桓因品第二



摩訶般若波羅蜜經卷第一

● 初品第一

是の如く我聞きき。

一時、佛、王舍城、耆闍崛山中に在しき。

大比丘僧千二百五十人と俱なり。

皆是れ阿羅漢なり。

諸漏已に盡き調象王の如し。

所作已に辦じ重擔に於て捨し己利を逮得せり。

諸の有結を盡くし正智解脫し心、自在を得き。

唯、阿難を除く。

爾の時に佛、須菩提に告げたまはく、

「汝、いま說かんと樂へば諸菩薩が爲に說け、般若(智慧)波羅蜜(完成)に應じこれを成就するを」と。

舍利弗、即ち是の念を作さく、

「須菩提、自らの力を以て說くや。佛神力を承けて爲すや」と。

須菩提、舍利弗が心の所念を知りて語りて舍利弗に言さく、

「佛の諸弟子ら、敢て說くる有り、皆是れ佛力による。

 所以は何。

 佛の所說の法の中に於て學ばば能く諸法の相を證し、已に有る言說をも證さば。

 皆、法の相と相ひ違背せずば。

 法相力を以ての故に。

爾の時に須菩提、白して佛に言さく、

「世尊。

 佛は我をして諸菩薩らが爲に說かしめんとしたまふ、般若波羅蜜に應じこれを成就するを。

 世尊。

 菩薩(覺悟を求める衆生)といふ所言あり、菩薩とは何等の法義をか是れ菩薩とすや。

 我、その法をは見ざりき。

 これを名づけて菩薩と爲す。

 世尊。

 我、菩薩を見ずして菩薩を得ずして亦、般若波羅蜜をも見ずしてまた得もせず。

 當に何等をか菩薩に般若波羅蜜を敎ふべき。

 若し菩薩、是の說を作すを聞き、驚かず、怖れず、沒せず、退かずして所說の如く行ぜば是れ、菩薩に般若波羅蜜を敎ふと名づく。

 復、次に世尊。

 菩薩、般若波羅蜜を行ずる時、應に是の如く學び、是れ菩薩心なりと念ふべからず。

 所以は何。

 是の心、心に非らずして心の相の本は淨らなるが故に。」

爾の時に舍利弗、須菩提に語らく、

「此の、心に非ざる心、有りや不や」と。

須菩提、舍利弗に語らく、

「心に非ざる心、得可きや。若しは有りや、若しは無きや不や」と。

舍利弗言さく、

「不也」と。

須菩提、舍利弗に語らく、

「若し心に非ざる心、不可得なりてしかも無きこと有れば應に是の言を作すべき、心有りや、心無きやと。」

舍利弗言さく、

「何の法をか心に非ずと爲す」と。

須菩提言さく、

「壞さずして分別せざるを。

 菩薩、是の說を作すを聞き驚かずして怖れずして沒せずして退かざれば當に知るべし是の菩薩、般若波羅蜜の行を離れず、と。

 若し善男子、善女人、聲聞地を學ばんと欲せば當に是の般若波羅蜜を聞き受持し讀誦し說の如くに修行すべし。

 辟支佛地を學ばんと欲せば當に是の般若波羅蜜を聞き受持し讀誦し說の如くに修行すべし。

 菩薩地を學ばんと欲せば亦、當に是の般若波羅蜜を聞き受持し讀誦し說の如くに修行すべし。

 所以は何。

 般若波羅蜜の中にこそ菩薩の應ずべき學法は廣く說かれたれば。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 我、菩薩を得ずして見ずして當に何等の菩薩にか敎ふべきや、般若波羅蜜を。

 世尊。

 我は見ず、菩薩法を。

 その來るを、その去るをも。

 而して菩薩の作字を與ふるをも。

 是の菩薩がかくに言すをも、『我、則ち疑ひ、悔ゆ』と。

 世尊。

 又、菩薩の字は決定無くして住處も無し。

 所以は何。

 是の字、所有無きが故に。

 所有無くして亦、無定なりて無處なり。

 若し菩薩、是の事を聞き驚かずして怖れずして沒せずして退かざれば當に知るべし是の菩薩、畢竟にして不退轉地に住し住して住す所も無しと。

 復、次に世尊。

 菩薩、般若波羅蜜を行ずる時、應に色中に住すべからず、また應に受想行識中にも住すべからず。

 何を以ての故に。

 若しは色中に住し色行の作を爲し、若しは受想行識中に住し識行の作すを爲し、若しは作法を行ぜば則ち般若波羅蜜を受くる能はずして般若波羅蜜を習す能はずして般若波羅蜜を具足せざりて則ち薩婆若を成就するをも能はず。

 何を以ての故に。

 色、受想無くして受想行識、受想無し。

 若し色、受無くば則ち色に非ずして受想行識、受無くば則ち識に非ず。

 般若波羅蜜も亦、受無し。

 菩薩、應に是の如く學び行ずべし、般若波羅蜜を。

 是れ菩薩の諸法無受と名づく。

 三昧廣大なり、無量なり、無定なり、一切聲聞、辟支佛、これを壞す能はざり。

 何を以ての故に。

 是の三昧、相を以て得可からざれば。

 若し是の三昧、相を以て得可くば、先尼梵志、薩婆若の智に於て應ぜず、信をも生ぜず。

 先尼梵志、有量智を以て是の法中に入り、已に入り色を受くに入りてしかも受想行識をは受けず。

 是の梵志、聞くを得るを以てせずして是の智を見たり。

 內なる色を以てせずして是の智を見たり。

 外なる色を以てせずして是の智を見たり。

 內なる外なる色を以てせずして是の智を見たり。

 亦、內なる外なる色を離れずして是の智を見たり。

 內なる受想行識を以てせずして是の智を見たり。

 外なる受想行識を以てせずして是の智を見たり。

 內なる外なる受想行識を以てせずして是の智を見たり。

 亦、內なる外なる受想行識を離れずして是の智を見たり。

 先尼梵志、薩婆若(一切智)の智を信解し諸法の實相を得るを以ての故に解脫を得、解脫を得已り諸法中に於て無取なり、無捨なりて乃ち涅槃に至り亦、無取なりて無捨なり。

 世尊。

 是れ菩薩の般若波羅蜜と名づく。

 色を受けずして受想行識を受けず。

 色を受けず受想行識を受けずと雖も未だ具足す、佛十力を、四無所畏を、十八不共法をも。

 終に中道をなさずして般涅槃す。

 復、次に世尊。

 菩薩、般若波羅蜜を行じて應に是の如く思惟すべし、『何等をか是れ般若波羅蜜とすや、是れ誰の般若波羅蜜なるや』と。

 若し法、不可得なれば是れ般若波羅蜜なり。

 若し菩薩、是の思惟を觀ずる時に驚かずして畏れずして怖れずして沒せずして退かざれば當に知るべし是の菩薩、般若波羅蜜の行を離れずと。」

爾の時に舍利弗、須菩提に語らく、

「若し色の色性を離れ、受想行識の識性を離れ、般若波羅蜜の般若波羅蜜性をも離るれば、何の故にかこの菩薩、般若波羅蜜の行を離れずと說く」と。

須菩提言さく、

「是の如し、舍利弗。

 色、色性を離れ受想行識、識性を離れ般若波羅蜜、般若波羅蜜性を離れ是れらの法皆、自性を離れ性相をも亦離るれば。」

舍利弗言さく、

「若し菩薩、是の中に於て學ばば能く薩婆若を成就するや」と。

須菩提言さく、

「是の如し舍利弗。

 菩薩、是の如く學ばば能く薩婆若を成就せん。

 所以は何。

 一切法、無生なりて成就も無きが故に。

 若し菩薩、是の如く行ぜば則ち薩婆若に近し。」

爾の時に須菩提、語りて舍利弗に言さく、

「菩薩、若し色行を行じ行相と爲し、若しは色行を生じ行相と爲し、若しは色行を滅し行相と爲し、若しは色行を壞し行相と爲し、若しは色行を空じて行相と爲して我の行、是れ行なりて亦、是れ行相なり。

 若しは受想行識行を行じ行相と爲し、若しは識行を生じ行相と爲し、若しは識を滅し行相と爲し、若しは識行を壞し行相と爲し若しは識行を空じて行相と爲して我の行、是れ行なりて亦、是れ行相なり。

 若しは是の念を作さく、『能く是の如く行ずれば是れ般若波羅蜜の行なりて亦、是れ行相なり』と。

 當に知るべし是菩薩、未だ善く方便を知らず。」

舍利弗、須菩提に語らく、

「今、菩薩、云何が行じて名づけて般若波羅蜜の行と爲す」と。

須菩提言さく、

「若し菩薩、色を行ぜず、色生を行ぜず、色滅を行ぜず、色壞を行ぜず、色空を行ぜず、受想行識を行ぜず、識生を行ぜず、識滅を行ぜず、識壞を行ぜず、識空を行ぜずば是れ般若波羅蜜の行と名づく。

 念はず、般若波羅蜜を行ずとは。

 念はず、行ぜずとも。

 念はず、行ぜざるを行ずとも。

 亦、行に非ざる行には非ずとも念はずして是れ般若波羅蜜の行と名づく。

 所以は何。

 一切法、受無きが故に是れ菩薩諸法を受くと名づけたれば。

 三昧は廣大なり、無量なり、無定なり、一切聲聞、辟支佛も壞する能はず。

 菩薩、是の三昧を行ぜば疾く阿耨多羅(最勝)三藐(正)三菩提(覺悟)を得ん」と。

須菩提、佛の威神を承けて而も是の言を作さく、

「若し菩薩、是れ三昧を行じ念ぜず分別せずば是れ三昧なり、我、當に是の三昧に入るべし。

 我今入り我已に入りてしかも是の如き分別は無し。

 當に知るべし是の菩薩、已に諸佛從り阿耨多羅三藐三菩提の記を受けきと。」

舍利弗、須菩提に語らく、

「菩薩が行ずるの三昧に諸佛從り阿耨多羅三藐三菩提の記を受け得て、是の三昧、示し得可べきや不や」と。

須菩提言さく、

「不也、舍利弗。

 何を以ての故に。

 善男子、不分別なれば。かくて是れ三昧なれば。

 所以は何。

 三昧の性、所有無きが故に。」

佛、讚めて須菩提に言たまはく、

「善哉、善哉、我は說かん、汝、無諍三昧の人の中に於て最も第一と爲すと。

 我が所說の如くに、菩薩、應に是の如くに般若波羅蜜を學ぶべし。

 若し是の如く學ばば是れ般若波羅蜜の學と名づく。」

舍利弗白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩、是の如く學び何法を學ぶと爲す」と。

佛、舍利弗に告げたまはく、

「菩薩、是れを學ぶが如くして、法に於く學びは無し。

 何を以ての故に。

 舍利弗。

 是れら諸法、爾らずば、如凡夫の著したるに如かん。」

舍利弗白して佛に言さく、

「世尊。

 今、云何が有りとすや」と。

佛、言たまはく、

「所有無きが如くに是れ有るが如し。

 是れら諸法、所有無きに如く故に。

 無明なる凡夫は無明を分別し無明に貪著すと名づけん。

 二邊に墮して知らず、見ず。

 法無き中に於て憶想し分別し、色の名に貪著したり。

 貪著に因するが故に、所有無き法に於て知らず、見ず。

 出でず、信じず、住さず、是の故に凡夫の數中に貪著して在るに墮さん。」

舍利弗白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩、是の如く學び亦、薩婆若をは學ばざるや」と。

佛、舍利弗に告げたまはく、

「菩薩、是の如く學びて亦、薩婆若をは學ばず。

 是の如き學を亦は名づけて薩婆若の學とし薩婆若の成就とす。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 若し有る幻人の問へらく、『薩婆若を學び當に薩婆若を成就すべきや不や』と。

 世尊。

 我當に云何が答ふべき」と。

「須菩提。

 我、還へして汝に問はん、その意の隨に答へよ。

 その意の於て云何。

 幻、色に異なりて色、幻に異なりて幻、受想行識に異なりや。」

須菩提言さく、

「幻、色に異ならずして色、幻に異ならずして幻、即ち是れ色なりて色、即ち是れ幻なり。

 幻、受想行識に異ならずして識、幻に異ならずして幻、即ち是れ識なりて識、即ち是れ幻なり」と。

「須菩提。

 その意に於て云何。

 五受陰、名づけて菩薩と爲すや不や。」

「是の如し、世尊。」

佛、須菩提に告げたまはく、

「菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を學び當に幻人の學ぶが如かるべし。

 何を以ての故に。

 當に知るべし五陰、即ち是れ幻人なりと。

 所以は何。

 色を說きて幻の如く、受想行識を說きて幻の如くして、識是れ六情五陰なり。」

「世尊。

 新發意の菩薩、是の說を聞き將に驚き怖れ退き沒すべきこと無きや。」

佛、須菩提に告げたまはく、

「若しは新發意の菩薩、惡知識に隨へば則ち驚き怖れ退り沒し、若しは善知識に隨へば是の說を聞き則ち驚くも怖るも沒すも退くも無からん」と。

須菩提言さく、

「世尊。

 何等をか是れ菩薩の惡知識と爲す」と。

佛言たまはく、

「敎への般若波羅蜜を遠離さしめ、菩提を樂はざらしむをなり。

 又は敎への取相、分別、嚴飾、文頌を學ばしめ、又は敎への雜聲聞、辟支佛經法を學ばしめ、又は魔事の因緣を作すを與ふを。

 是れら菩薩の惡知識と名づく」と。

「世尊。

 何等をか菩薩の善知識と爲す」と。

「若し、敎への般若波羅蜜を學ばしめ、爲に魔事を說き魔の過惡を說くを魔事なり魔の過惡なりと知らしめ已りて敎へて遠離さしむるを。

 須菩提。

 是れ大乘心を發こし大莊嚴する菩薩摩訶薩の善知識と名づく。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩といふ所言あり、この菩薩、何の義有りや」と。

佛、須菩提告げたまはく、

「一切法を學び障礙無しと爲す。亦、如實に一切法を知らば是れ菩薩の義なりと名づく。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 若し一切法を知り名づけて菩薩義と爲さば復、何の義を以て名づけて摩訶薩と爲すや」と。

佛言たまはく、

「これら當に大衆が上首と作らん。これを名づけて摩訶薩の義と爲す」と。

舍利弗白して佛に言さく、

「世尊。

 我亦、說かんと樂ふ、所以は摩訶薩の義を爲さんがためなり」と。

佛言たまはく、

「樂ふ說、便ち說け」と。

舍利弗白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩、これ我見を、衆生見を、壽者見を、人見を、有見を、無見を斷つものと爲し見、常見等をも斷つものとなす。

 而も爲に說法して是れ摩訶薩の義と名づく。

 是の中に於ても心、所著無かれば亦、摩訶薩の義と名づく。」

舍利弗、須菩提に問へらく、

「何の故にか是の中に於て心、所著無しとすや」と。

須菩提言さく、

「心無きが故に是の中に於て心に所著も無かりき」と。

富樓那彌多羅尼子白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩、大莊嚴を發し大乘に乘ずるが故に是れ摩訶薩の義なりと名づく」と。

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩大莊嚴を發すの所言あり、云何が大莊嚴を發すと名づく」と。

佛言たまはく、

「菩薩、是の念を作さく、『我、應に度すべし、この無量阿僧祇の衆生を』と。

『衆生を度し已り衆生の滅度する者有ること無からしめん』と。

 何を以ての故に。

 諸法の相、爾ればなり。

 譬へて如くは工(巧)なる幻師、四衢道に於て大衆を化作して悉く化人の頭を斷ちき。

 その意に於て云何。

 寧しろそれ傷有りや、死したる者有りや不や。」

須菩提言さく、

「不也、世尊」と。

佛言たまはく、

「菩薩も亦、是の如し。

 無量阿僧祇の衆生を度し已り衆生の滅度する者有ること無し。

 若し菩薩、是の事を聞き驚かずして怖れざれば當に知るべし是の菩薩、大莊嚴を發すと。」

須菩提言さく、

「我の佛の所說の義を解くが如くんば當に知るべし是の菩薩、大莊嚴を發し而も自らをも莊嚴せりと。

 何を以ての故に。

 薩婆若、是れ法を作さず、起こさず、衆生が爲の故に大莊嚴を起こして是の衆生も亦、是れ法を作さず、起こさざれば。

 何を以ての故に。

 色は縛無くして解も無し、受想行識も縛無くして解も無き、この故に。」

富樓那、須菩提に語らく、

「色、縛無かりきや解も無かりきや、受想行識も縛無かりきや解も無かりきや」と。

須菩提言さく、

「色に縛無し、解も無し。

 受想行識にも縛無し、解も無し。」

富樓那言さく、

「何等をか色の無縛無解とし何等をか受想行識の無縛無解とす」と。

須菩提言さく、

「幻人の色、是れ縛無く解無し。

 幻人の受想行識、是れ縛無く解無し。

 所有無きが故に無縛なり、無解なりて離るるが故に無縛なり、無解なり。

 無生なるが故に無縛なり、無解なりて是れ菩薩摩訶薩、大莊嚴を發し而かも自らをも莊嚴すと名づけき。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 云何が大乘と爲すや。

 云何が菩薩、大乘を發趣すと爲すや。

 是の乘、何處にか住し是の乘、何處從りか出づる」と。

佛、須菩提に告げたまはく、

「大乘は量有ること無く數にも分つが故に、是の乘、何處從りか出で何處にか住すかといへば是の乘、三界從り出で薩婆若に住して是の乘に乘り出づる者は無しとす。

 何を以ての故に。

 出づる法、出づる者、俱に所有無きが故に、何の法の當に出づるべきや。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 摩訶衍といふ所言。

 摩訶衍は一切世間天人阿修羅らに勝出す。

 世尊。

 摩訶衍、虛空と等しかれば。

 虛空の、無量阿僧祇の衆生を受くるが如くに摩訶衍も亦、是の如くに無量阿僧祇の衆生を受けん。

 是れ摩訶衍、虛空の來る處無くして去る處も無くして住す處も無きが如くに摩訶衍も亦、是の如くして前際をは得ず、中際をも得ず、後際をも得ず、是の乘、三世に等しかれば是の故に名づけて摩訶衍と爲す。」

佛、讚めて須菩提に言たまはく、

「善哉、善哉。

 諸菩薩摩訶薩らが摩訶衍、應に汝が所說の如かるべし」と。

爾の時に富樓那彌多羅尼子白して佛に言さく、

「世尊。

 佛、須菩提をして般若波羅蜜を說かしめ乃ち摩訶衍をも說かしめき」と。

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 我が所說、將に般若波羅蜜を離るること無きや」と。

「不也、須菩提。

 汝が所說、般若波羅蜜に隨順す。」

「世尊。

 我、過去世に菩薩をは得ざりき。

 亦、未來、現在世にも菩薩を得ざりき。

 色、無邊なるが故に菩薩も亦、無邊なれば。

 受想行識、無邊なるが故に菩薩も亦、無邊なれば。

 世尊。

 是の如き一切處、一切時、一切種に菩薩は不可得なれば當に何等の菩薩にか般若波羅蜜を敎ふべき。

 我、菩薩を得ざりき、見ざりき、當に何の法に般若波羅蜜に入れと敎ふべき。

 世尊。

 菩薩といふ所言。

 菩薩は但、名字有るのみ。

 譬へば所說の如くに我、我法、畢竟にして生ぜざりき。

 世尊。

 一切の法の性も亦、是の如し。

 此の中に何等か是れ色なるや、著せざれば、生ぜざれば。

 何等か是れ受想行識なるや、著せざれば、生ぜざれば。

 色、是れ菩薩は不可得なり。

 受想行識、是れ菩薩は不可得なり。

 不可得なりて亦も不可得なり。

 世尊。

 一切處、一切時、一切種に菩薩、不可得なり。

 當に何法に般若波羅蜜に入れと敎ふべきや。

 世尊。

 菩薩、但、名字のみ有り、我が畢竟にして生れざりきが如くに。

 諸法性も亦、是の如し。

 此の中に何等か是れ色なるや、著せざれば、生ぜざれば。

 何等か是れ受想行識なるや、著せざれば、生ぜざれば。

 諸法性、是の如くして是の性も亦、生ぜざりき。生ぜざりて亦も生ぜざりき。

 世尊。

 我、今當に不生の法に般若波羅蜜に入るを敎ふべし。

 何を以ての故に。

 生ぜざるの法を離れて菩薩、阿耨多羅三藐三菩提の行をは不可得なり。

 若し菩薩、是の說を作すを聞き驚かざりて怖れざれば當に知るべし是の菩薩、般若波羅蜜を行じきと。

 世尊。

 菩薩、般若波羅蜜の行の隨なる時に是の觀を諸法に作さく、即ち『色をは受けず』と。

 何を以ての故に。

 色、生ず無くして即ち色に非ざれば。

 色、滅す無くして即ち色に非ざれば。

 無生なり、無滅なり、無二なり、無別なり。

 若し是の色を說きて即ち是れ無二法なりとせば菩薩、般若波羅蜜を行ずる時に受想行識をは受けず。

 何を以ての故に。

 識、生ず無くして即ち識に非ざれば。

 識、滅す無くして即ち識に非ざれば。

 無生なり、無滅なり、無二なり、無別なり。

 若し識を說かば即ち是れ無二法なりとす。」

舍利弗、須菩提に問へらく、

「我が須菩提が所說の義を解すが如くんば菩薩、即ち是れ無生なり。

 若し菩薩無生なれば、何を以ての故に、難行有りや、衆生の爲の故に苦惱を受くるや。」

須菩提言さく、

「我は欲さず、菩薩をして難行有らしめんとは。

 何を以ての故に。

 難行の想ひ生じ、苦行の想ひあらば無量阿僧祇の衆生を利益す能はず。

 衆生に於て易き想ひの、樂しき想ひの、父母なる想ひの、子なる想ひの生ずるを我が想ひとせば則ち能く無量阿僧祇の衆生を利益せん。

 我が如きの法は一切處、一切時、一切種に不可得なれば、菩薩、內外法中に於て應に是の想ひを生ずべし。

 若し菩薩、是の如き心を以て行ぜば亦、難行と名づく。

 舍利弗が所言の如くに菩薩は無生なり。

 是の如くに舍利弗。

 菩薩は實に無生なり。」

舍利弗言さく、

「但、菩薩のみ無生なるや、薩婆若も亦、無生なるや」と。

須菩提言さく、

「薩婆若も亦、無生なり」と。

舍利弗言さく、

「薩婆若無生なれば凡夫も亦、無生なりや」と。

須菩提言さく、

「凡夫も亦、無生なり」と。

舍利弗、須菩提に語らく、

「若し菩薩無生なれば菩薩法も亦、無生なり。

 薩婆若無生なれば薩婆若法も亦、無生なり。

 凡夫無生なれば凡夫の法も亦、無生なり。

 今、無生なるを以て無生を得、菩薩應に薩婆若を得べし。」

須菩提言さく、

「我、欲さず、無生の法をして所得有らしめんとは。

 何を以ての故に。

 無生法不可得なるが故に。」

舍利弗言さく、

「生ずるは生じて生ずる無きを生ず。

 汝が言してに說かんと樂ふるは生ずるを爲して生ずるが無きを爲さんとすなるや」と。

須菩提言さく、

「諸法は無生なり、所言も無生なり、樂說も亦、無生なり。

 是の如くに說かんと樂ふ」と。

舍利弗言さく、

「善哉、善哉。

 須菩提、汝が說法、人中に於て最も第一と爲さん。

 何を以ての故に。

 須菩提、所問が隨に皆、能く答ふるが故に。」

須菩提言さく、

「法、應に爾れば。

 諸佛弟子ら、依止の法無きに於て、問ふるに能く答ふなり。

 何を以ての故に。

 一切法、無定なるが故に。」

舍利弗言さく、

「善哉、善哉。

 是れ何の波羅蜜力なるや」と。

須菩提言さく、

「是れ般若波羅蜜力なり。

 舍利弗。

 若し菩薩、是の如き說を聞き、是の如く論ず時に疑はず悔いず難ぜざれば當に知るべし是の菩薩は行じて、是の行、是の念をは離れずと。」

舍利弗言さく、

「若し菩薩、是の行を離れず、是の念ひを離れずして、一切衆生も亦、是の行を離れず、是の念ひを離れずば一切衆生も亦、當に是れ菩薩なるべし。

 何を以ての故に。

 一切衆生、是の念ひを離れざるが故に。」

須菩提言さく、

「善哉、善哉、舍利弗。

 汝、我を離れ而かも我が義を成ぜんと欲しき。

 所以は何。

 衆生、無性なるが故に。

 當に知るべし念ひも亦、無性なりと。

 衆生離なるが故に念も亦、離なりと。

 衆生不可得なるが故に念も亦、不可得なりと。

 舍利弗。

 我、欲す、菩薩をして是の念を以て般若波羅蜜を行ざしめんと。」

●釋提桓因品第二

爾の時に釋提桓因、四萬天子らと俱に會中に在り。

四天王、二萬天子らと俱に會中に在り。

娑婆世界主、梵天王、萬梵天らと俱に會中に在り。

乃ち淨居天に至るまでの衆、無數千種、俱に會中に在り。

是れら諸天衆、業報を光明す。

佛身、神力以て光明せるが故に皆、復現ぜず。

爾の時に釋提桓因、語りて須菩提に言さく、

「是の諸の無數なる天衆ら皆、共に集會したり。

 欲して須菩提が說くる般若波羅蜜の義を聽かんとす。

 菩薩、云何が般若波羅蜜に住すや」と。

須菩提、釋提桓因及び諸天衆に語らく、

「憍尸迦。

 我、今當に佛神力を承け說かん、般若波羅蜜を。

 若しは諸天子ら、未だ阿耨多羅三藐三菩提心を發こさざる者ら、今應に當に發こすべし。

 若し人、已に正位に入りたれば則ち阿耨多羅三藐三菩提心を發すに堪任せざらん。

 何を以ての故に。

 已に生死に於てその障隔を作したるが故に。

 是の人、若し阿耨多羅三藐三菩提心を發さば我も亦、隨喜し終に其の功德を斷たず。

 所以は何。

 上の人應に上の法を求むべかれば。」

爾の時に佛、讚めたまひて須菩提に言たまはく、

「善哉、善哉、汝、能く是の如く諸菩薩らが樂ひを觀じき」と。

須菩提言さく、

「我、當に佛恩に報ふべし。

 過去の諸佛ら及び諸弟子らの如くに。

 ≪その如きに來たれる(如來)≫の空法中に住すを敎へたまひ亦、教學諸波羅蜜の學を敎へたまひたれば。

 ≪その如きに來たれる(如來)≫は是の法に學び阿耨多羅三藐三菩提を得たまひき。

 世尊。

 我今亦當に是の如くに諸菩薩らを護念すべし。

 我が護念の因緣を以ての故に諸菩薩ら、當に疾く阿耨多羅三藐三菩提を得べし」と。

須菩提語りて釋提桓因言にさく、

「憍尸迦。

 汝一心に聽け、菩薩の般若波羅蜜への住を。

 憍尸迦。

 菩薩、大莊嚴を發し大乘に於て乘じ、空の法を以て般若波羅蜜に住さん。

 應に色に住すべからず、應に受想行識に住すべからず。

 應に色、若しは常、若しは無常に住すべからず。

 應に受想行識、若しは常、若しは無常に住すべからず。

 應に色、若しは苦、若しは樂に住すべからず。

 應に受想行識、若しは苦、若しは樂に住すべからず。

 應に色、若しは淨、若しは不淨に住すべからず。

 應に受想行識、若しは淨、若しは不淨に住すべからず。

 應に色、若しは我、若しは無我に住すべからず。

 應に受想行識、若しは我、若しは無我に住すべからず。

 應に色、若しは空、若しは不空に住すべからず。

 應に受想行識、若しは空、若しは不空に住すべからず

 應に須陀洹果に住すべからず。

 應に斯陀含果に住すべからず。

 應に阿那含果に住すべからず。

 應に阿羅漢果に住すべからず。

 應に辟支佛道に住すべからず。

 應に佛法に住すべからず。

 應に須陀洹の無爲果に住すべからず。

 應に須陀洹の福田に住すべからず。

 應に須陀洹乃ち七往來の生死に至るにまでも住すべからず。

 應に斯陀含の無爲果に住すべからず。

 應に斯陀含の福田に住すべからず。

 應に斯陀含の一たびに此の間に來り當に盡苦を得べきに住すべからず。

 應に阿那含の無爲果に住すべからず。

 應に阿那含の福田に住すべからず。

 應に阿那含に住し彼の間に滅度すべからず。

 應に阿羅漢の無爲果に住すべからず。

 應に阿羅漢の福田に住すべからず。

 應に阿羅漢に今世に無餘涅槃に入るに住すべからず。

 應に辟支佛道の無爲果に住すべからず。

 應に辟支佛の福田に住すべからず。

 應に辟支佛の聲聞地を過ぎたるも佛地に及ばざるに住し而して般涅槃すべからず。

 應に佛法の無量衆生を利益し無量なる衆生を度滅すにも住すべからず。」

爾の時に舍利弗、是の念を作さく、

「菩薩、當に云何が住すべき」と。

須菩提、舍利弗が心の所念を知りて舍利弗に語らく、

「その意に於て云何。

 ≪その如きに來たれる(如來)≫、何處に住すと爲すや」と。

舍利弗言さく、

「≪その如きに來たれる(如來)≫、住するは無し。

 住す心無きを名づけて≪その如きに來たれる(如來)≫と爲せば。

 ≪その如きに來たれる(如來)≫、有爲性には住さず亦、無爲性にも住さず」と。

「舍利弗。

 菩薩摩訶薩も亦、應に是の如く住し、≪その如きに來たれる(如來)≫の如くに住し、一切法に於て、これら住すに非ず、住せざるにも非ず。」

爾の時、衆中に有る諸天子ら、是の念を作さく、

「諸夜叉衆、語りて章句を言す、尚、義を知る可きか。

 須菩提が說くるの論、解を得可きこと難し」と。

須菩提、諸天子らの心の所念を知りて語して諸天子らに言さく、

「是の中に說くは無く、示すも無かれば聽くもまた無かりき」と。

諸天子ら、是の念を作さく、

「須菩提、欲して此の義を易解さしめんとして而も深妙に轉じき」と。

須菩提、諸天子らの心の所念を知りて語りて諸天子らに言さく、

「若し行者、須陀洹果の證を欲し、須陀洹果に住すを欲せば是の忍をは離れず。

 斯陀含果の證を欲し、阿那含果、阿羅漢果、辟支佛道の證を欲し、佛法の證を欲して亦も、是の忍をは離れず。」

爾の時に諸天子ら、是の念を作さく、

「何等の人か能く須菩提が所說を聽き隨順せんや」と。

須菩提、諸天子らの心の所念を知りて語りて諸天子らに言さく、

「幻人、能く我が所說を聽き隨順して而かも聽くも無く、證するも無し」と。

諸天子ら、是の念を作さく、

「但、聽く者のみ幻の如きや、衆生も亦幻の如くして須陀洹果、乃ち辟支佛道に至るまでも亦、幻の如きや」と。

須菩提、諸天子らの心の所念を知りて語りて諸天子らに言さく、

「我、衆生は幻の如し、夢の如しと說く。

 須陀洹果も亦、幻の如し、夢の如くして斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支佛道も亦、幻の如し、夢の如し。」

諸天子ら言さく、

「須菩提、亦、佛法も幻の如く夢の如きと說くや」と。

須菩提言さく、

「我說かん、佛法も亦、幻の如し、夢の如しと。

 我が涅槃を說くるも亦、幻の如し、夢の如し」と。

諸天子ら言さく、

「大德須菩提。

 亦說きて涅槃も幻の如く夢の如きや。」

須菩提言さく、

「諸天子ら。

 設へば復、法有りて涅槃に於て過ぎても、しかも我亦も說かん、幻の如き、夢の如きと。

 諸天子ら。

 幻夢、涅槃、これら無二なれば、無別なれば。」

爾の時、舍利弗、富樓那彌多羅尼子、摩訶拘絺羅、摩訶迦栴延、かれら須菩提に問へらく、

「是の如くに般若波羅蜜の義を說きて誰が能く受くる者なりや」と。

時に阿難言さく、

「是の說の如き般若波羅蜜の義、阿毗跋致菩薩が、正見具足する者が、滿願なる阿羅漢が、是等が能く受く」と。

須菩提言さく、

「是の說の如き般若波羅蜜の義、能く受くる者無し。

 所以は何。

 此の般若波羅蜜法中に法に說く可きは無かれば。

 法に示す可きも無かれば。

 是の義を以ての故に能く受くる者は無し」と。

爾の時に釋提桓因、是の念を作さく、

「長老須菩提、法の雨を雨らしき。

 我寧しろ華を化作す可し、須菩提が上に散らさん」と。

釋提桓因即ち華を化作し須菩提の上に散らして須菩提、是の念を作さく、

「釋提桓因、今、我に散らしたるの華、忉利天上に於ても未曾見ならん。

 是の華、心從り樹に出で樹に從らずして生じき」と。

釋提桓因、須菩提が心の所念を知りて語りて須菩提に言さく、

「是の華、生じきに非ずして華は亦、心にも樹にも生じきに非ず」と。

須菩提、語りて釋提桓因に言さく、

「憍尸迦。

 汝言さく、是の華、生じきに非ずして華は亦、心にも樹にも生じきに非ずと。

 若し法に生ずるに非ざれば、名づけて華とは爲さじ。」

釋提桓因、是の念を作さく、

「長老須菩提の智慧甚深なり。

 假名に壞せずして而も實義を說きき」と。

念じ已りて語りて須菩提に言さく、

「是の如し、是の如し須菩提。

 須菩提の所說の如くに菩薩、應に是の如くに學ぶべし。

 菩薩の≪その如き≫(菩薩如)、是れを學ばば學ばじ、須陀洹果をは。

 斯陀含果をも、阿那含果をも、阿羅漢果をも、辟支佛道をも。

 若し是れらの地を學ばざれば是れ佛法を學ぶと名づく。

 薩婆若をも學ぶなり。

 若し佛法を學ばば薩婆若を學び則ち無量無邊の佛法をも學ばん。

 若し無量無邊の佛法を覺らば色の增減の學をは爲さじ。

 受想行識の增減の學をも爲さじ。

 色の受の學をも爲さず、受想行識の受の學をも爲さじ。

 是の人、法に於て所取無く滅すも無きが故に學ばん。」

舍利弗、須菩提に語らく、

「行者、薩婆若を取るをは爲さず、薩婆若を滅すをも爲さざるが故に學ぶや」と。

須菩提言さく、

「是の如し、是の如し舍利弗。

 菩薩乃ち薩婆若に至るまでも取らず滅せざるが故に學び、是の如く觀ずる時に能く薩婆若を學びて能く薩婆若を成就せん。」

爾の時に釋提桓因、舍利弗に語らく、

「菩薩摩訶薩の般若波羅蜜、當に何に於てか求むべき」と。

舍利弗言さく、

「般若波羅蜜、當に須菩提の轉ずるの中にて求むべき。」

釋提桓因、須菩提に語らく、

「是れ誰が神力なる」と。

須菩提言さく、

「是れ佛の神力なり。

 憍尸迦。

 問ひたる般若波羅蜜、當に何に於て求むべきといふが如きは、般若波羅蜜、應に色中に求むべからず。

 應に受想行識中に求むべからず。

 亦、色に求むを離れず亦、受想行識に求むをも離れず。

 何を以ての故に。

 色、般若波羅蜜に非ずして色、離れて亦も般若波羅蜜には非ざれば。

 受想行識、般若波羅蜜に非ずして受想行識、離れて亦も般若波羅蜜には非ざれば。」

釋提桓因言さく、

「摩訶波羅蜜、是れ般若波羅蜜なり。無量波羅蜜、是れ般若波羅蜜なり。無邊波羅蜜、是れ般若波羅蜜なり。」

須菩提言さく、

「是の如し、是の如し憍尸迦。

 摩訶波羅蜜、是れ般若波羅蜜なりて無量波羅蜜、是れ般若波羅蜜なりて無邊波羅蜜、是れ般若波羅蜜なり。

 憍尸迦。

 色、無量なるが故に般若波羅蜜、無量なり。

 受想行識、無量なるが故に般若波羅蜜、無量なり。

 その緣、無邊なるが故に般若波羅蜜、無邊なり。

 衆生、無邊なるが故に般若波羅蜜、無邊なり。

 憍尸迦。

 云何が緣の無邊なるが故に般若波羅蜜、無邊なりとす。

 諸法、前無く中無く後も無かれば。

 是の故に緣は無邊なりて般若波羅蜜も無邊なり。

 復、次に憍尸迦。

 諸法、無邊なれば前際不可得なり、中際、後際も不可得なり。

 是の故に緣は無邊なりて般若波羅蜜も無邊なり。」

釋提桓因言さく、

「長老須菩提。

 云何が衆生無邊なりて般若波羅蜜も無邊なる」と。

「憍尸迦。

 衆生無量なり、算數不可得なり。

 是の故に衆生無邊なりて般若波羅蜜もまた無邊なり。」

釋提桓因言さく、

「大德、須菩提。

 衆生に何の義有りや」と。

須菩提言さく、

「衆生の義即ち是れ法の義なり。

 その意に於て云何。

 衆生といふ所言あり、衆生に何の義有りや」と。

釋提桓因言さく、

「衆生、法の義に非ずして亦、法の義に非ざるにも非ず。

 但、假名有るのみ。

 是れ字に本無く因も無しと名づく。

 强いて名を立てて、衆生と名づく。」

須菩提言さく、

「その意に於て云何。

 此の中に實に說く可き、示す可き衆生は有りや不や」と。

「不也、須菩提。」

須菩提言さく、

「憍尸迦。

 若し衆生、說く可からずして示す可からざれば、云何が衆生無邊なりて般若波羅蜜も無邊なりと言すや。

 憍尸迦。

 若し≪その如きに來たれる(如來)≫、壽に住せば恒河沙劫にも如かん。

 說きて言す衆生といふ衆生、實に衆生に生滅有りや不や。」

釋提桓因言さく、

「不也。

 何を以ての故に。

 衆生本從り已に來り、常に淸淨なるが故に」と。

「憍尸迦。

 是の故に當に知るべし衆生無邊なりと。般若波羅蜜も無邊なりと。」

摩訶般若波羅蜜經(小品般若經)卷第一






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000