多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説30


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



タオがささやいた。…脱ぐ?

私は答えなかった。上目に、そしてタオに微笑んだだけだった。

決意のようなものも無かった。タオには。ただ、わたしのすることを已に赦していただけだった。わたしは彼女の素肌をさらさせた。指は触れなかった。

肌に。

一度だけ、下着の肌に着けた、脇腹の痕跡をなぞった。

タオは抗わなかった。

羞恥はあった。あきらかに。

同時に、彼女は何を得た譯でも無い儘に、ひとりで充足していた。

もうすぐ、時間と共に、下着の這わせた痕跡は肌になじんで消えて仕舞うに違いなかった。

最初はまっすぐにたたせただけだった。

スケッチブックに、様々な影が踊った。

デッサンは、色彩を捉える行為だ、と。そう、誰かが云った。逆説的に、でも、それ以外にデッサンが成立する術はないのだった。

軈てすぐちかくに、…触れ合いそうな距離に、見つめた彼女の細部を移し始めた。その目、瞼のかたち、二重のその構造、瞳のひらめき、ゆらゆらする白濁した反映、それら。

鼻筋のまたは頬の。

唇の。ほほから唇に至るおうとつ、皮膚の持つ色。

色合い。

質感、皴の。

唇に発生する、様々な。

彼女の眼にスケッチされる影は見えていた筈だった。

彼女の瞳はそれを見てはいなかった。

最早わたしをさえ見ていない気がした。醒め乍ら、彼女が失神しているに違いなく思われた。

離れた距離に、彼女の体温がふれないまま息吹いた。

息遣う度に乃至、失神した心にそれでもなにかがさざ波むたびに、唇に、頬に、瞼に、それらの奥深く、かすかなゆらぎが生じた。

わたしはそれを耳に鳴る音響のようにも感じていた。

私は見つめていた。

豊満な身体だった。流れるような曲線では無くて、蠢くような曲線。ふくらみ、陥没し、自分の肌の上に自分の肌の落とした翳りを這わす。

潜められた咽仏が、首の肉の向こうにゆらぐ。

鎖骨が絶望的なやわらかさで仄かな陥没を描く。

反対を向かせ、背中を描いた。単純な平面に荒れ狂うひそかな事象の群れ。

軈て両腕を上げさせた。頭の上で、手を握らせて、そして背伸びするように。

その周囲を膝間付いて回り、見上げ乍ら肉の流れ(筋肉の、筋の、贅肉の…)それらと肌の、どの部分をとっても同じではない質感と、色彩と、それらの存在そのものを、見つめる。

聞き取れないささやき聲に耳を澄ますように。

兩腋を腰にまでながれるすさまじい抽象美に、私は見蕩れもした。

タオはいまでも自分が誰なのか、ちゃんと認識していたのだろうか?

スケッチブックを変えた。

さなざなま部分の様々な息吹のスケッチが、それを埋め尽くしたから。軈て局部に近づいたとき、タオは明らかに羞恥した。さすがに、ということだったのか。わたしはベッドに横たわって、そして休むように云った。

已に一時を廻っていた。

だから、蘭に同じように10萬ドン紙幣をわたして何か買ってこさせようと思った。手持ちは50萬ドン紙幣一枚しかなかった。寝室に帰れば細かい紙幣があるのだった。だが、タオをひとりにして、時間を途切れさせるのを私は厭うた。蘭にその高額紙幣をわたした。タオにささやく。

——なに、たべたい?

自分のその聲に、ある行為のたったいま男のささやいた、そんな氣色があったことに私は気付いた。

そしてタオは、その聲の質感に同意し、同調し、媚び、寄り添いさえするように、かすかな、それでいてはっきりとした聲で云った。

——フルーツ。

蘭に果物を買いに行かせた。

隅に追いやられた、ひとつだけ残ったベッドにあお向けたタオの傍らに、わたしは音のしないように腰かけて(なぜ、そんな気遣いが必要だったのだろう?)、手を附き、そして光る窓の向こうのはるかなこちら、すぐそこにイ気遣うタオを見詰めた。

タオは息を吸い、吐き、そのたびに胸から腹部に至る迄のすべてを、息づかせた。

いつか、あまりにも陰湿な虐めをタオに施している錯覚に捕えられた。

残酷な心情、嗜虐的な昂揚も無く。

ただ、いつくしむ心の内に、だ。

タオがまばたく。

時に。

なんども、時に、まばたく。

言葉を、…彼女をリラックスさせる言葉を思い附こうとした。

思い附かなかった。

その必要性も無いことは知っていた。

かすかに、タオが汗ばんでいたことに気付いた。

蘭はなかなか帰ってこなかった(…ことに、気付いたのは彼女が三十分ばかりの後に返ってきたときだった。それまで蘭のそんざいなど私たちは記憶さえしていなかったに違いなかった)。ビニール袋ひとつぶんの果物の群れを、蘭がわたしの傍らに差し出す。

彼女にシャワールームで洗って來るように云った。

蘭は、ホテルのサイドテーブルに置いてあった蔓編みの籠をひっくり返して、そしてその中に果物を以て来たのだった。

私は彼女に持たせたまま青りんごを取った。蘭が差し出した籠から雫がしたたって、タオの腹部、へその上に墜ちた。

水滴はほんの数秒停滞し、震え、ゆらめき、持ちこたえたと思った瞬間に、息遣った曲線に流された。

陥没をぬらす。

私の手に取った靑リンゴはタンの唇の近くに近づけられて、そして咥えようとした唇から引き離される。

唇がそれを咬みとって仕舞うのを厭うたのではなかった。

わたしは思い直していた。ただ、沁み込むようなやさしい思いが、ひたすらタオの爲だけに芽生えていたからだった。

私の齒は靑林檎を噛み千切り、そして指につままれたその断片は瑞々しい光の反映と共に、タオの唇に触れた。

はんびらきのそれを、そっと、気付かれないように、めくりあげようとしたかのように。

唇はかすかにひらかれて、そして下の齒をなでながら、纔かに差し出された舌が靑林檎を奪った。

タオは私を見詰めながら、軈てそれを咀嚼した。

私はなにも食べなかった。

ただ、タオの果汁にすこしだけ霑う唇と、一瞬の齒と、そして同じく、…いや、もっと短い一瞬の舌を見ていただけだった。私はタオに食べさせた。噛み千切るたびに、果汁の味だけが唇に、そして齒にふれた舌に残った。

満足したかどうかは知らない。

充たされるべき空腹があったかどうかさ判らない。

タオを見詰めながら立ち上がった時に斜めに窓越しの光が入った。

左目に。

私はそっとタオの足元に廻って、そして立って、云った。——足、拡げて。

光は傾いてタオの素肌を直射した。

雨の空、やわらかな、透明な光が。

ややあって、ようやくに——できないよ。

タオは云った。

——拡げて。

わたしは云った。

タオは沈黙する気も無い儘に、ただ、沈黙した。

——足、拡げて。

ささやく。

もう一度。

——見てあげる。

其の時に、タオが犬の乞うて鳴くような聲を、喉の奥にかすかに立てたのを聞いた気がした。

彼女の羞恥の爲に、わたしはいたたまれない思いに苛まれた。

拡げて、と。

もう一度言おうとしたとき、一度瞬き、そして眼をとじたタオは足を広げていった。

兩手に、頭の下の枕をつかんだ手の二の腕が震えた。

ちいさくだけ。

——もっと。

わたしは云った。

緩慢に広げらえ続ける太ももを、私はみてはいなかった。

眼差しの先に震える瞼があった。

そして、上向きの睫毛と。

——もっと。

限界までタオが広げた時に、そして傍らに姉の痴態を笑った聲を聞いた気がした。…蘭の。

省みれば。蘭はそこに立ったまま、私を見ていた。

籠には果物が、半分以上残っていた。

わたしは頷いた。

食べていいよ、と。

立ったままに貪る蘭の咀嚼の音を聞いた。果汁さえ、空間に舞い散る気がした。

スケッチブックを手に、タオの太もものすれすれに近づいた時に、タオの喉から堪えがたい苦痛の聲が聞こえた気がした。

閉じられた瞼に、ともなく睫毛が震えた。

——見て。

私は云った。

——俺を見て。

タオは応えなかった。

——見て。

三度目に行ったとき、タオは目を開いた。そして斜めに下に視線をながして、私を捉えた。微妙に、かすかにだけ擡げた首が腹部に執拗な緊張を与えた。

——動かないで。

ささやく。

——そのまま、描いてる俺を見て。俺を

見つめながら。

——ひとりにしないで。

タオに。

蘭の咀嚼音が霑れた音を立てながら、頭の上の方になる。

タオは從った。

軈て、四つん這いになって、もうひとつの局部を曝させたときに、——開いた足の向こうから顎を引いて私を見詰めるタオの眼に顯らかな絶望の色があったのに気づいた。疲れ果て、諦めきって、もはやなにもなすすべはないのだ、と。

夕方、日が暮れかけてタオに服をきるように云った。

さんざんの嗜虐を盡した、そんな錯覚にとらわれた。——描いている間にかんじなかった、あたらしい感覚だった。とはいえ、その匂いがあることには已にきづいていたはずだった。

服を、横たわったまま壁の方に目線を投げ捨てた彼女の上にかけてやりながら、あるいは蹂躙のかぎりをつくされたかの感覚をのみ噛んでいるかも知れない彼女に、いたたまれないわたしは部屋を出た。

寝室に返ったのだった。

窓の向こうに夕方が終わって、そして暗くなっても、わたしは証明もつけずに部屋でタオたちを待った。来なかった。

部屋の中に、窓の外のあらゆる遠い光源がさまざまな影をつくった。

アトリエを見に行くと、すでに誰も居なかった。たしにか、私の顔も見れずに歸るしかなかったのかもしれない、と。

私は思う。

タオの体臭がいまだに籠って停滞しているきがした。

窓を開ける気にもならなかった(なぜだろう?)。

その時ドアを絞めて気付いたのだが、蘭はおつりを渡さなかった。

靑林檎にすもも、それから葡萄ひと房。棃。

ビニール一袋分で、どう考えても10萬ドンもかからない。40萬ドン超のおつりが逢った筈だった。つまり、蘭は釣を窃盗したのだ。








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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