古事記(國史大系版・下卷9・允恭・歌謠)


底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり



(傳卅九)

(允恭)

‘男淺津間若子宿禰命坐遠飛鳥宮治天下也(男淺津間若子宿禰命、眞本此上有弟字、命作王)

 男〔を〕淺津間〔あさづま〕の若子〔わかご〕の宿禰〔すくね〕の命〔みこと〕

 遠飛鳥〔とほつあすか〕の宮〔みや〕に坐〔ましまし〕て天下〔あめのした〕治〔しろしめき〕。


‘此天皇娶意富本杼王之妹忍坂之大中津比賣命生御子(此天皇、卜本及諸本无此字、宣長云今依眞本)

木梨之輕王

次長田大郎女

次境之黑日子王

次穴穗命

次輕大郎女亦名衣通郎女[御名所以負衣通王者其身之光自衣通出也]

次‘八瓜之白日子王(八瓜、寛本作八苽)

次大長谷命

次橘大郎女

次酒見郎女[‘九柱]([九柱]、延本无)

凡天皇之‘御子等九柱[男王五女王四](御子等、諸本无等字、宣長云今從眞本延本)

此九王之中穴穗命者治天下也

次‘大長谷命治天下也(大長谷命、山本此下有亦字)

 此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕

 意〔オ〕富〔ホ〕本〔ホ〕杼〔ド〕の王〔みこと〕の妹〔いも〕

 忍坂〔おさか〕の大中津〔おほなかつ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕に娶〔みあひ〕まして

 生〔うみませる〕御子〔みこ〕

 木梨〔きなし〕の輕〔かる〕の王〔みこ〕。

 次〔つぎ〕に長田〔ながた〕の大郎女〔おほいらつめ〕。

 次〔つぎ〕に境〔さかひ〕の黑日子〔くろひこ〕の王〔みこ〕。

 次〔つぎ〕に穴穗〔あなほ〕の命〔みこと〕。

 次〔つぎ〕に輕〔かる〕の大郎女〔おほいらつめ〕。

  亦〔また〕の名〔みな〕は衣通〔そとほし〕の郎女〔いらつめ〕。

  [御名〔みな〕を衣通〔そとほし〕の王〔みこ〕と負〔おほせる〕所以〔ゆゑ〕は

   其〔そ〕の身〔みみ〕の光〔ひかり〕衣〔みそ〕より通〔とほり〕出〔いで〕つればなり。]

 次〔つぎ〕に八瓜〔やうり〕の白日子〔しろひこ〕の王〔みこ〕。

 次〔つぎ〕に大長谷〔おほはつせ〕の命〔みこと〕。

 次〔つぎ〕に橘〔たちばな〕の大郎女〔おほいらつめ〕。

 次〔つぎ〕に酒見〔さかみ〕の郎女〔いらつめ〕。[九柱。]

 凡〔すべて〕天皇〔すめらみこと〕の御子等〔みこたち〕九柱〔ここのはしら〕ましき。

 [男王〔ひこみこ〕五〔いつはしら〕。

  女王〔ひめみこ〕四〔よはしら〕。]

 此〔こ〕の九王〔ここのはしら〕の中〔なか〕に

 穴穗〔あなほ〕の命〔みこと〕は天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。

 次〔つぎ〕に大長谷〔おほはつせ〕の命〔みこと〕も天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。


天皇初爲將所知天津日繼之時天皇辭而詔之

 我者有一長病

 不得所知日繼

然大后始而諸卿等‘因堅奏而乃治天下(因、寛寫本作同、恐草躰相涉而誤者)

此時新良國主貢進御調‘八十一艘(八十一艘、釋紀寫本作八十七艘同印本與此同)

爾御調之大使名云‘金波鎭漢紀武此人深知藥方(金波鎭漢紀武、金者姓也、波鎭者官也、漢紀者號也、書紀作旱岐、武者名也)

故治差帝皇之御病

 天皇〔すめらみこと〕。初〔はじめ〕天津日繼〔あまつひつぎ〕爲將所知〔しろしめさむとせし〕之時〔ときに〕。

 天皇〔‐〕辭〔いなびまして〕而詔之。

  我〔あ〕は一長病〔うちはえたる(とこしへなる)やまひし〕有〔あれ〕ば

  日繼〔ひつぎ〕不得所知〔えしらさじ〕。

 と、のりたまひき。

 然〔しかれ〕ども大后〔おほきさき〕始〔はじめ〕て

 諸卿等〔まへつぎみたち〕堅〔かたく〕奏〔まをしたまへる〕に因〔より〕てぞ

 乃〔‐〕天下〔あめのした〕治〔しろしめしける〕。

 此〔こ〕の時〔とき〕新良〔しらぎ〕の國主〔こにきし〕

 御調〔みつぎもの〕八十一艘〔やそひとふね〕貢進〔たてまつり〕き。

 爾〔ここ〕に御調〔みつぎ〕の大使〔おほづかひ〕

 名〔な〕は金〔コム/コン〕波〔ハ〕鎭〔チム(チニ)〕漢〔カム/カニ〕紀〔キ〕武〔ム〕とぞ云〔いひ〕ける。

 此〔こ〕の人〔ひと〕藥方〔くすりのみち〕深〔ふかく〕知〔しり〕き。

 故〔かれ〕帝皇〔すめら〕が御病〔みやまひを〕治差〔をさめ〕まつりき。


於是‘天皇愁天下氏氏名名人等之氏姓忤過而(天皇諸本作天王、宣長云今依眞本延本)

於味白檮之言八十禍津日前居玖訶瓮而[玖訶二字以音]

定賜天下之八十友緖氏姓也

 於是〔ここに〕天皇〔すめらみこと〕

 天下〔あめのした〕の氏氏〔うぢうぢ〕名名〔なな〕の人等〔ひとども〕の

 氏姓〔うぢかばね〕の忤〔たがひ〕過〔あやまてること〕を愁〔うれひ〕まして

 味白檮〔あまかし〕の言〔こと〕八十禍津日〔やそまがつひ〕の前〔さき〕に

 玖〔ク〕訶〔カ〕瓮〔べち〕居〔すゑ〕て[玖訶二字以(レ)音]

 天下〔あめのした〕の八十〔やそ〕友〔とも〕の緖〔を〕の氏姓〔うぢかばね〕を

 定賜〔さだめたまひ〕き。


又爲木梨之輕太子御名代定輕部

爲大后御名代定刑部

爲大后之弟田井中比賣御名代定河部也。

 又〔また〕木梨〔きなし〕の輕〔かる〕の太子〔みこのみこと〕の御名代〔みなしろ〕爲〔として〕

 輕部〔かるべ〕を定〔さだめ〕たまひ

 大后〔おほきさき〕の御名代〔みなしろ〕爲〔として〕

 刑部〔おさかべ〕を定〔さだめ〕たまひ

 大后〔おひきさき〕の弟〔みおと〕

 田井〔たゐ〕の中〔なかつ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の御名代〔みなしろ〕爲〔として〕

 河部〔かはべ〕を定〔さだめ〕たまひき。


天皇御年漆拾捌歲「[‘甲午年正月十五日崩]」([甲午]以下分註、據眞本及諸本補、卜本爲大字)

御陵在河内之惠賀長枝也

 天皇〔すめらみこと〕御年〔みとし〕漆拾捌歲〔ななそぢまりやつ〕。[甲午年正月十五日崩。]

 御陵〔みはか〕は河内〔かふち〕の惠〔ヱ〕賀〔ガ〕の長枝〔ながゑ〕に在〔あり〕。


天皇崩之後定木梨之輕太子所知日繼未即位之間

姧其伊呂妹輕大郎女而

歌曰

 阿志比紀能 夜麻陀袁豆久理

 夜麻陀加美 斯多備袁和志勢

 志多杼比爾 和賀登布伊毛袁

 斯多那岐爾 和賀那久都‘麻袁(麻袁、諸本作摩袁、宣長云今依眞本)

 許存‘許曾婆 夜須久波陀布禮(許曾、宣長云恐許布之誤)

此者志良宜歌也

 天皇〔すめらみこと〕崩〔かむあがりまし〕て後〔のち〕

 木梨〔きなし〕の輕〔かる〕の太子〔みこのみこと〕

 所知日繼〔ひつぎしろしめす〕に定〔さだまれる〕を未〔いまだ〕即位〔くらゐにつきたまはざりし〕間〔ほど〕に

 其〔そ〕の伊〔イ〕呂〔ロ〕妹〔も〕輕〔かる〕の大郎女〔おほいらつめ〕に姧〔たはけ〕て歌曰〔みうたよみしたまはく〕

  阿志比紀能〔あしひきの〕

  夜麻陀袁豆久理〔やまだをつくり〕

  夜麻陀加美〔やまだかみ〕

  斯多備袁和志勢〔したびをわしせ〕

  志多杼比爾〔したどひに〕

  和賀登布伊毛袁〔わがとふいもを〕

  斯多那岐爾〔したなきに〕

  和賀那久都麻袁〔わがなくつまを〕

  許存許曾婆〔こふこそは〕

  夜須久波陀布禮〔やすくはだふれ〕

   足引の 山田を作り

   山高み 下樋を走せ

   下訪ひに 吾が訪ふ妹を

   下泣きに 吾が泣く妻を

   今夜こそは 易く肌触れ

此〔こ〕は志〔シ〕良〔ラ〕宜〔ゲ〕歌〔うた〕なり。


又歌曰

 ‘佐佐波爾 宇都夜阿良禮能(佐佐、中本此下有能字)

 多志陀志爾 韋泥弖牟能知波

 比登波加由登母 宇流波斯登

 佐泥斯佐泥弖婆 加理許母能

 美陀禮婆美陀禮 佐泥斯佐泥‘弖婆(弖婆、宣長校本作弖波、今據眞本及古事記傳改)

此者夷振之上歌也

 又歌曰〔また〕

  佐佐波爾〔ささばに〕

  宇都夜阿良禮能〔うつやあられの〕

  多志陀志爾〔たしだしに〕

  韋泥弖牟能知波〔いねをむのちは〕

  比登波加由登母〔ひとはかゆとも〕

  宇流波斯登〔うるはしと〕

  佐泥斯佐泥弖婆〔さねしなねててば〕

  加理許母能〔かりこもの〕

  美陀禮婆美陀禮〔みだればみだれ〕

  佐泥斯佐泥弖婆〔さねしさねてば〕

   小竹葉に 打つや霰の

   たしだしに 率寢てむ後は

   人は離ゆとも 愛しと

   さ寢しさ寢てば 苅り薦の

   亂れば亂れ さ寢しさ寢てば

 此者〔こ〕は夷振〔ひなぶり〕の上歌〔あげうた〕なり。


是以百官及天下人等背輕太子而歸穴穗御子

爾輕太子畏而逃入大前小前宿禰大臣之家而備作兵器

[爾時所作矢者銅其箭之内故號其矢謂輕箭‘也]([也]、眞本此下有[云々]二字)

穴穗王子亦作兵器

[此王子所作之矢者卽今時之矢‘者也是謂穴穗箭也]

([者也]、卜本此上有[也]字、宣長云今依眞本又一本釋紀所引。[是]、卜本作[此]、宣長云今從眞本延本)

 是以〔ここをもて〕百官〔ももつかさを〕及〔はじめて〕

 天下人等〔あめのしたのひとども〕

 輕〔かる〕の太子〔みこのみこと〕に背〔そむき〕て

 穴穗〔あなほ〕の御子〔みこ〕に歸〔より〕ぬ。

 爾〔かれ〕輕〔かる〕の太子〔みこのみこと〕畏〔かしこみ〕て

 大前〔おほまへ〕小前〔をまへ〕の宿禰〔すくね〕の大臣〔おほおみ〕の家〔いへ〕に

 逃入〔にげいり〕て

 兵器〔つはもの〕を備作〔そなへつくり〕たまひき。

 [爾時〔そのとき〕に所作〔つくれる〕矢〔や〕は

  其〔そ〕の箭〔や〕の内〔さき〕を銅〔あかがね〕にしたり。

  故〔かれ〕號〔‐〕其〔そ〕の矢〔や〕を〕輕箭〔かるや〕と謂〔いふ〕。]

 穴穗〔あなほの〕王子〔みこ〕亦〔も〕兵器〔つはもの〕を作〔つくりたまふ〕。

 [此〔こ〕の王子〔みこ〕の所作〔つくらせる〕矢〔や〕は

  卽〔すなはち〕今時〔いまどき〕の矢〔や〕なり。

  是〔そ〕を穴穗箭〔あなほや〕と謂〔いふ〕。]


於是穴穗御子興軍圍大前小前宿禰之家

爾到其‘門時‘零大氷雨

(門時、卜本神本作明時〔あけぼのに〕、宣長云今從眞本延本按釋紀廿六亦作門時。

 零、宣長云一本舊印本作雹今從眞本印本、按卜本作零〔あられ〕、釋紀廿九亦作零)

故歌曰

 意富麻幣 袁麻幣須久泥賀 加那斗加宜 加久余理許泥 阿米多知‘夜米牟

(夜米牟眞本延本米作宋卜本作米)

 於是〔ここ〕に穴穗〔あなほ〕の御子〔みこ〕軍〔いくさ〕興〔おこし〕て

 大前〔おほまへ〕小前〔をまへ〕宿禰〔すくね〕の家〔いへ〕を圍〔かくみ〕たまふ。

 爾〔かれ〕其〔そ〕の門〔かなと〕に到〔いたり〕ませる時〔とき〕に

 大氷雨〔ひさめ〕零〔ふり〕き。

 故〔かれ〕歌曰〔うたひたまはく〕

  意富麻幣〔おほまへ〕

  袁麻幣須久泥賀〔をまへすくねが〕

  加那斗加宜〔かなとかげ〕

  加久余理許泥〔かくよりこね〕

  阿米多知夜米牟〔あめたちやめむ〕

   大前 小前宿禰が 金門蔭 斯く寄り來ね 雨立ち止めむ


爾其大前小前宿禰擧手打膝儛訶那傳[自訶下三字以音]歌參來

其歌曰

 美夜比登能 阿由比能古須受 淤知爾岐登 美夜比登登余牟 佐斗毘登母由米

此歌者宮人振也

 爾〔ここ〕に其〔そ〕の大前〔おほまへ〕小前〔をまへ〕宿禰〔すくね〕。

 手〔て〕を擧〔あげ〕膝〔ひざ〕を打〔うち〕儛〔まひ〕訶〔カ〕那〔ナ〕傳〔デ〕。[自(レ)訶下三字以(レ)音]

 歌〔うたひ〕參〔まゐ〕來〔く〕。

 其歌曰〔そのうたは〕

  美夜比登能〔みやひとの〕

  阿由比能古須受〔あゆひのこすず〕

  淤知爾岐登〔おちにきと〕

  美夜比登登余牟〔みやひととよむ〕

  佐斗毘登母由米〔さとびともゆめ〕

   宮人の 足結ひの小鈴 落ちにきと 宮人響む 里人もゆめ

 此〔こ〕の歌〔うた〕は宮人振〔みやびとぶり〕なり。


如此歌參歸白之

 我天皇之御子

 於伊呂兄王無及兵

 若及兵者必人咲

 僕捕以貢進

爾解兵退坐

故大前小前宿禰捕其輕太子

率參出以貢進

 如此〔かく〕歌〔うたひつ〕參〔まゐ〕歸〔き〕て白之〔まをしけらく〕。

  我〔あ〕が天皇〔おほきみ〕の御子〔みこ〕

  伊〔イ〕呂〔ロ〕兄〔せ〕の王〔みこ〕を無及兵〔せめたまふな〕。

  若〔もし〕及兵者〔せめたまはば/つはものあれば〕

  必〔かならず〕人〔ひと〕咲〔わらはむ〕。

  僕〔あれ〕を捕〔とらへ〕て以〔‐〕貢進〔たてまつらむ〕。

 と、まをしき

 爾〔かれ〕兵〔いくさ〕を解〔やめ〕て退坐〔さりまし〕き。

 故〔かれ〕大前〔おほまへ〕小前〔をまへ〕の宿禰〔すくね〕

 其〔そ〕の輕〔かる〕の太子〔みこのみこと〕を捕〔とらへ〕て

 率〔ゐ〕て參〔まゐ〕出〔で〕て以〔‐〕貢進〔たてまつり〕き。


其太子被捕歌曰

 阿麻‘陀牟 加流乃袁登賣(陀牟、諸本作陀手、宣長云今從眞本延本、下同)

 伊多那加婆 比登斯理奴倍志

 波佐能夜麻能 波斗能

 斯多那岐爾那久

 其〔そ〕の太子〔みこのみこと〕被捕〔とらえらえ〕て

 歌曰〔うたひたまはく〕

  阿麻陀牟〔あまだむ〕。

  加流乃袁登賣〔かるのをとめ〕。

  伊多那加婆〔いたなかば〕。

  比登斯理奴倍志〔ひとしりぬべし〕。

  波佐能夜麻能〔はさのやまの〕。

  波斗能〔はとの〕。

  斯多那岐爾那久〔したにきになく〕。

   天飛む 輕の乙女

   痛泣かば 人知りぬべし

   波佐の山の 鳩の

   下泣きに泣く


又歌曰

阿麻陀牟 加流袁登賣 志多多爾母 余理泥弖登富禮 加流袁登賣杼母

 又歌曰〔また〕

  阿麻陀牟〔あまだむ〕

  加流袁登賣〔かるをとめ〕

  志多多爾母〔したたにも〕

  余理泥弖登富禮〔よりねをとほれ〕

  加流袁登賣杼母〔かるをとめども〕

   天飛む 輕乙女 下々にも 寄り寢て通れ 軽乙女ども

故其輕太子者流於伊余湯也

 故〔かれ〕其〔そ〕の輕〔かる〕の太子〔みこのみこと〕をば

 伊余〔いよ〕の湯〔ゆ〕に流〔はなちまつりき(つかはす)〕。


亦將流之時歌曰

 阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥

 亦〔また〕將流〔はなたえたまはんとせし〕時〔とき〕に歌曰〔うたひたまはく〕

  阿麻登夫〔あまとぶ〕

  登理母都加比曾〔とりもつかひぞ〕

  多豆賀泥能〔たづがねの〕

  岐許延牟登岐波〔きこえむときは〕

  和賀那斗波佐泥〔わがなとはさね〕

   天飛ぶ 鳥も使いそ 鶴が聲の 聞えむ時は 我が名問はさね

此三歌者天田振也

 此〔こ〕の三歌者〔みうた〕は天田振〔あまだぶり〕なり。


又歌曰

 意富岐美袁 斯麻爾波夫良‘婆(婆、神本卜本作波、宣長云今從眞本)

 布那阿麻理 伊賀幣理許牟‘叙(叙、眞本卜イ本作劔、卜本神本作殿、宣長云今從延本)

 和賀多多彌由米 許登袁許曾

 多多美登伊波米 ‘和賀都麻波由米(和賀、寛寫本作和加)

此歌者夷振之片下也

 又〔また〕歌曰〔うたひたまはく〕。

  意富岐美袁〔おほきみを〕

  斯麻爾波夫良婆〔しまにはぶらば〕

  布那阿麻理〔ふなあまり〕

  伊賀幣理許牟叙〔いがへりこむぞ〕

  和賀多多彌由米〔わがたたみゆめ〕

  許登袁許曾〔ことをこそ〕

  多多美登伊波米〔たたみといはめ〕

  和賀都麻波由米〔わがつまはゆめ〕

   大君を 島に放らば

   船余り い歸り來むぞ

   我が疊ゆめ 言をこそ

   疊と言はめ 我が妻はゆめ

 此〔こ〕の歌〔うた〕は夷振〔ひなぶり〕の片下〔かたおろし〕なり。


其衣通王獻歌

其歌曰

 那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐加比爾 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富禮

 其〔そ〕の衣通〔そとほし〕の王〔みこ〕歌〔みうた〕を獻〔たてまつる〕。

 其歌曰〔そのみうた〕。

  那都久佐能〔なつくさの〕

  阿比泥能波麻能〔あひねのはまの〕

  加岐加比爾〔かきがひに〕

  阿斯布麻須那〔あしふますな〕

  阿加斯弖杼富禮〔あかしてとほれ〕

   夏草の 阿比泥の濱の 掻き貝に 足蹈ますな 明して通れ


故後亦不堪戀慕而追往時歌曰

 岐美賀由岐 氣那賀久那理奴 夜麻多豆能 牟加閇袁由加牟 麻都爾波麻多士[此云山多豆者是今造木者也]([山多豆]云々、万葉集二及六引之)

 故〔かれ〕後〔のち〕に亦〔また〕

 不堪戀慕而〔おもひかねて〕追往〔おひ〕ます時〔とき〕に

 歌曰〔うたひたまはく〕。

  岐美賀由岐〔きみがゆき〕

  氣那賀久那理奴〔けながくなりぬ〕

  夜麻多豆能〔やまたづの〕

  牟加閇袁由加牟〔むかへをゆかむ〕

  麻都爾波麻多士〔まつにはまたじ〕

   君が往き 氣長くなりぬ 山靍の 迎へを行かむ 待つには待たじ

  [此〔これ〕に山〔やま〕多〔タ〕豆〔ヅ〕と云〔いへる〕は是〔‐〕今〔いま〕の造木〔たづぎ〕なり。]


故追到之時待懷而歌曰

 許母理久能 波都世能夜麻能

 意富袁爾波 波多波理陀弖

 佐袁袁爾波 波多波理陀弖

 意富袁‘爾斯 那加佐陀賣流(爾斯、寛寫本神本酉本作余斯、恐非、卜本與此同)

 淤母比豆麻阿波禮 都久由美能

 許夜流許夜理母 阿豆佐由美

 多弖理多弖理母 能知母登理美流

 意母比豆麻阿波禮

 故〔かれ〕追到〔おひいたり〕ませる時〔とき〕に待〔まち〕懷〔おもひ〕て

 歌曰〔うたひたまはく〕。

  許母理久能〔こもりくの〕

  波都世能夜麻能〔はつせのやまの〕

  意富袁爾波〔おほをには〕

  波多波理陀弖〔はたはりだて〕

  佐袁袁爾波〔さををには〕

  波多波理陀弖〔はたはりだて〕

  意富袁爾斯〔おほをにし〕

  那加佐陀賣流〔なかさためる〕

  淤母比豆麻阿波禮〔おもひづまあはれ〕

  都久由美能〔つくゆみの〕

  許夜流許夜理母〔こやるこやりも〕

  阿豆佐由美〔あづさゆみ〕

  多弖理多弖理母〔たてりたてりも〕

  能知母登理美流〔のちもとりみる〕

  意母比豆麻阿波禮〔おもひづまあはれ〕

   籠り處の 泊瀨の山の

   大峯には 幡張り立て

   さ小峯には 幡張り立て

   大小にし 汝か定める

   思い妻あはれ 槻弓の

   臥やる臥やりも 梓弓

   立てり立てりも 後も取り見る

   思い妻あはれ


又歌曰

 許母理久能 波都勢能賀波能

 加美都勢爾 伊久比袁宇知

 斯毛都勢爾 麻久比袁宇知

 伊久比爾波 加賀美袁加氣

 麻久比爾波 麻多麻袁加氣

 麻多麻那須 阿賀母布伊毛

 加賀美那須 阿賀母布都麻

 阿理登 伊波婆‘許曾爾(許曾爾、眞本中本作余(ありといはばよ)、卜本與此同)

 伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米

 又歌曰〔また〕。

  許母理久能〔こもりくの〕

  波都勢能賀波能〔はつせのかはの〕

  加美都勢爾〔かみつせに〕

  伊久比袁宇知〔いくひをうち〕

  斯毛都勢爾〔しもつせに〕

  麻久比袁宇知〔まくひをうち〕

  伊久比爾波〔いくひには〕

  加賀美袁加氣〔かがみをかけ〕

  麻久比爾波〔まくひには〕

  麻多麻袁加氣〔またまをかけ〕

  麻多麻那須〔またまなす〕

  阿賀母布伊毛〔あがもふいも〕

  加賀美那須〔かがみなす〕

  阿賀母布都麻〔あがもふつま〕

  阿理登〔ありと〕

  伊波婆許曾爾〔いはばこそに〕

  伊幣爾母由加米〔いへにもゆかめ〕

  久爾袁母斯怒波米〔くにをもしぬばめ〕

   隱り處の 泊瀨の河の

   上つ瀨に 齋杙を打ち

   下つ瀨に 眞杙を打ち

   齋杙には 鏡を懸け

   眞杙には 眞玉を懸け

   眞玉なす 吾が思ふ妹

   鏡なす 吾が思う妻

   有りと 言はばこそに

   家にも行かめ 國をも偲ばめ


如此歌卽共自死故此二歌者讀歌也

 如此〔かく〕歌〔うたひ〕て卽〔すなはち〕共〔とも〕に自〔みづから〕死〔しせ〕たまひき。

 故〔かれ〕此〔こ〕の二歌〔ふたうた〕は讀歌〔よみうた〕なり。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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