古事記(國史大系版・中卷8・孝元)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(孝元)
(傳廿二)
大倭根子日子國玖琉命坐輕之堺原宮治天下也
大倭〔おほやまと〕根子〔ねこ〕日子〔ひこ〕國〔くに〕玖〔ク〕琉〔ル〕の命〔みこと〕。
輕〔かる〕の堺原〔さかひばら〕の宮〔みや〕に坐〔ましまし〕て
天下〔めのした〕治〔しろしめしき〕。
此天皇娶穗積臣等之祖内色許男命[色許二字以音下效此]妹内許賣命生御子
大毘古命
次少名日子建猪心命
次若倭根子日子大毘毘命[三柱]
此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕穗積〔ほづみ〕の臣等〔おみら〕が祖〔おや〕
内〔うち〕色〔シ〕許〔コ〕男〔を〕の命〔みこと〕[色許二字以(レ)音、下效此]妹〔いも〕
内〔うち〕許〔コ〕賣〔ヒ〕命〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
大〔おほ〕毘〔ビ〕古〔コ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に少名日子〔すくなひこ〕建〔たけ〕猪心〔ゐごころ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に若倭〔わかやまと〕根子〔ねこ〕日子〔ひこ〕大〔おほ〕毘〔ビ〕毘〔ビ〕の命〔みこと〕。[三柱。]
又娶内色許男命之女伊‘賀迦色許賣命生御子(賀迦、宣長云舊印本作迦賀、伊邪河宮段諸本並作賀迦、故今從延本又一本)
比古布都押之信命[自比至都以音]
又〔また〕内〔うつ〕色〔シ〕許〔コ〕男〔を〕の命〔みこと〕の女〔むすめ〕
伊〔イ〕賀〔ガ〕迦〔カ〕色〔シ〕許〔コ〕賣〔ヒ〕命〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
比〔ヒ〕古〔コ〕布〔フ〕都〔ツ〕押〔おし〕の信〔まこと〕の命〔みこと〕。[自(レ)比至(レ)都以(レ)音。]
又娶河内靑玉之女名波邇夜須毘賣生御子
建波邇夜須毘古命[一柱]
又〔また〕河内〔かふち〕の靑玉〔あをたま〕が女〔むすめ〕
名〔な〕は波〔ハ〕邇〔ニ〕夜〔ヤ〕須〔ス〕毘〔ビ〕賣〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
建〔たけ〕波〔ハ〕邇〔ニ〕夜〔ヤ〕須〔ス〕毘〔ビ〕古〔コ〕の命〔みこと〕。[一柱。]
此天皇之御子等幷五柱
故若倭根子日子大毘毘命者治天下也
其兄大毘古命之子建沼河別命者[阿倍臣等之祖]
次比古伊那許‘志別命[自比至志六字以音此者膳臣之祖也](志、眞本酉本學本作士、下[志]字同)
此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕の御子等〔みこたち〕幷〔あはせ〕て五柱〔いつはしら〕ませり。
故〔かれ〕
若倭〔わかやまと〕根子〔ねこ〕日子〔ひこ〕大〔おほ〕毘〔ビ〕毘〔ビ〕の命〔みこと〕は天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。
其〔そ〕の兄〔いろと〕大〔おほ〕毘〔ビ〕古〔コ〕の命〔みこと〕の子〔みこ〕
建〔たけ〕沼河別〔ぬかはわけ〕の命〔みこと〕は
[阿〔ア〕倍〔べ〕の臣等〔おみら〕が祖〔おや〕なり。]
次〔つぎ〕に比〔ヒ〕古〔コ〕伊〔イ〕那〔ナ〕許〔コ〕志〔シ〕の別〔わけ〕の命〔みこと〕
[自(レ)比至(レ)志六字以(レ)音、此〔こ〕は膳〔はしはで〕の臣〔おみ〕の祖〔おや〕なり。]
比古布都押之信命娶尾張連等之祖‘意富那毘之妹葛城之高千那毘賣[那毘二字以音]生子(意富那毘、舊紀作市大稻日命)
味師内宿禰
此者山代内臣之祖也
又娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣生子
建内宿禰
比〔ヒ〕古〔コ〕布〔フ〕都〔ツ〕押〔おし〕の信〔まこと〕 の命〔みこと〕
尾張〔をはり〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕意〔オ〕富〔ホ〕那〔ナ〕毘〔ビ〕が妹〔いも〕
葛城〔かづらき〕の高千〔たかち〕那〔ナ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕[那毘二字以(レ)音]生〔うみませる〕子〔みこ〕
味〔うま〕師〔シ〕内〔うち〕の宿禰〔すくね〕。
[此〔こ〕は山代〔やましろ〕の内〔うち〕の臣〔おみ〕の祖〔おや〕なり。]
又〔また〕木〔き〕の國造〔くにのつくり〕の祖〔おや〕宇〔ウ〕豆〔ヅ〕比〔ヒ〕古〔コ〕が妹〔いも〕
山下影〔やましたかげ〕日〔ヒ〕賣〔メ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
建〔たけし〕内〔うち〕の宿禰〔すくね〕。
此建内宿禰之子幷九[男七女二]
波多八代宿禰者
[波多臣
林臣
波美臣
‘星川臣([星川]、宣長云諸本作[黑川]、今從眞本)
淡海臣
長谷部君之祖也]
次許勢小柄宿禰者
[許勢臣
雀部臣
輕部臣之祖也]
次蘇賀石河宿禰者
[蘇我臣
川邊臣
田中臣
高向臣
小治田臣
櫻井臣
岸田臣等之祖也]
次平群都久宿禰者
[平群臣
佐和良臣
馬御樴連等祖也]
次木角宿禰者
[木臣
都奴臣
坂本臣之祖]
次久米能摩伊刀比賣
次怒能伊呂比賣
次葛城長江曾都毘古者
[玉手臣
的臣
生江臣
阿藝那臣等之祖也]
又若子宿禰
[江野‘財臣之祖]([財]、宣長云宜據延本説作[間])
此〔こ〕の建〔たけし〕内〔うち〕の宿禰〔すくね〕の子〔こ〕幷〔あはせ〕て九〔ここのたり〕。
[男〔むすこ〕七〔ななたり〕。女〔むすめ〕二〔ふたり〕。]
波〔ハ〕多〔タ〕の八代〔やしろ〕宿禰〔すくね〕は
[波〔ハ〕多〔タ〕の臣〔おみ〕、
林〔はやし〕の臣〔おみ〕、
波美〔はみ〕の臣〔おみ〕、
星川〔ほしかは〕の臣〔おみ〕、
淡海〔あふみ〕の臣〔おみ〕、
長谷部〔はつせべ〕の君〔きみ〕の祖〔おや〕なり。]
次〔つぎ〕に許〔コ〕勢〔セ〕の小柄〔をから〕の宿禰〔すくね〕は
[許〔コ〕勢〔セ〕の臣〔おみ〕、
雀部〔さざきべ〕の臣〔おみ〕、
輕部〔かるべ〕の臣の祖〔おや〕なり。]
次〔つぎ〕に蘇〔ソ〕賀〔ガ〕の石河〔いしかは〕の宿禰〔すくね〕は
[蘇〔ソ〕我〔ガ〕の臣〔おみ〕、
川邊〔かはべ〕の臣〔おみ〕、
田中〔たなか〕の臣〔おみ〕、
高向〔たかむこ〕の臣〔おみ〕、
小治田〔をはりだ〕の臣〔おみ〕、
櫻井〔さくらゐ〕の臣〔おみ〕、
岸田〔きしだ〕の臣等〔おみら〕の祖〔おや〕なり。]
次〔つぎ〕に平羣〔へぐり〕の都〔ツ〕久〔ク〕の宿禰〔すくね〕は
[平羣〔へぐり〕の臣〔おみ〕、
佐〔サ〕和〔ワ〕良〔ラ〕の臣〔おみ〕、
馬御樴〔うまみくひ〕の連等〔むらじら〕の祖〔おや〕なり。
次〔つぎ〕に木〔き〕の角〔つぬ〕の宿禰〔すくね〕は
[木〔き〕の臣〔おみ〕、
都〔ツ〕奴〔ヌ〕の臣〔おみ〕、
坂本〔さかもと〕の臣〔おみ〕の祖〔おや〕。
次〔つぎ〕に久〔ク〕米〔メ〕能〔ノ〕摩〔マ〕伊〔イ〕刀〔ト〕比〔ヒ〕賣〔メ〕。
次〔つぎ〕に怒〔ヌ〕能〔ノ〕伊〔イ〕呂〔ロ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕。
次〔つぎ〕に葛城〔かづらき〕の長江〔ながえ〕の曾〔ソ〕都〔ツ〕毘〔ビ〕古〔コ〕は
[玉手〔たまで〕の臣〔おみ〕、
的〔いくは〕の臣〔おみ〕、
生江〔いくえ〕の臣〔おみ〕、
阿〔ア〕藝〔ギ〕那〔ナ〕の臣等〔おみら〕の祖〔おや〕なり。
又〔また〕若子〔わくご〕の宿禰〔すくね〕は
[江野財〔えぬま〕の臣〔おみ〕の祖〔おや〕。
此天皇御年伍拾漆歲
御陵在劔池之中岡上也
此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕御年〔みとし〕伍拾漆歲〔いそぢまりななつ〕。
御陵〔みはか〕は劔〔つるぎ〕の池〔いけ〕の中〔なか〕の岡〔をか〕の上〔へ〕に在〔あり〕。
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