古事記(國史大系版・上卷9・大國主神1白兎)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(大國主神)
(傳十)
故此大國主神之兄弟八十神坐
然皆國者避於大國主神
所以避者
其八十神各有欲婚稻羽之‘八上比賣之心共行‘稻羽時(八上、和名抄云因幡國八上郡。稻羽、舊紀此下有之字)
於大穴牟遲神負帒爲從者率往
故〔かれ〕此〔こ〕の大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕の兄弟〔みあにおと〕八十神〔やそかみ〕坐〔まし〕き。
然〔しかれ〕ども皆〔みな〕國〔くに〕は
大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕に避〔さり〕まつりき。
避〔さり〕まつりし所以〔ゆゑ〕は
其〔そ〕の八十神〔やそかみ〕
各〔おのおの〕稻羽〔いなば〕の八上〔やかみ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を欲婚〔よばはむ〕の心〔こころ〕有〔あり〕て
共〔とも〕に稻羽〔いなば〕に行〔ゆきける〕時〔とき〕に
大穴〔おほな〕牟〔ム〕遲〔ヂ〕の神〔かみ〕に帒〔ふくろ〕負〔おほせ〕
從者〔ともびと〕と爲〔し〕て率〔ゐ〕て往〔ゆき〕き。
於是到氣多之前時裸‘菟伏也(菟、舊紀作兎、下同)
爾八十神謂其菟云
汝‘將爲者浴此海鹽(將爲、卜本山本此下有木菟二字)
當風吹而伏高山尾上
故其菟‘從八十神之敎而伏(從、山本眞本作隨)
爾其鹽隨乾其身皮悉風見吹拆
故痛苦泣伏者最後之來大穴牟遲神
見其菟言
何由汝泣伏
於是〔ここに〕氣〔キ〕多〔タ〕の前〔さき〕に到〔いたりける〕時〔とき〕に
裸〔あかはだなる〕菟〔うさぎ〕伏〔ふせり〕。
爾〔‐〕八十神〔やそかみ〕其〔そ〕の菟〔うさぎ〕に謂云〔いひけらく〕
汝〔いまし〕將爲〔せむ〕は此〔こ〕の海鹽〔うしほ〕浴〔あみ〕
風〔かぜ〕の吹〔ふく〕に當〔あたり〕て
高山〔たかやま〕の尾〔を〕の上〔へ〕に伏〔ふしてよ〕
といふ。
故〔かれ〕其〔そ〕の菟〔うさぎ〕
八十神〔やそかみ〕の敎〔をしふる〕從〔まま〕にして伏〔ふし〕き。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の鹽〔しほ〕の乾〔かわく〕隨〔まにまに〕
其〔そ〕の身〔み〕の皮〔かは〕悉〔ことごと〕に風〔かぜ〕に見吹拆〔ふきさかえし〕故〔から〕に
痛〔いたみ〕苦〔かなしみ〕泣〔なき〕伏〔ふせれ〕ば
最後〔いやはて〕に來〔き〕ませる大穴〔おほな〕牟〔ム〕遲〔ヂ〕の神〔かみ〕
其〔そ〕の菟〔うさぎ〕を見〔み〕て
何由〔なぞも〕汝〔いまし〕泣伏〔なきふせる〕。
と言〔とひ〕たまふに
菟答言
僕在淤岐嶋雖欲度此地無度因
故欺海和邇[此二字以音下效此]言
吾‘與汝競欲計族之‘多小(與汝、イ本无汝字。多小、眞本舊紀作多少、少小通)
故汝者隨其族在‘悉率來(悉、舊紀此上有皆字)
自此嶋至于氣多前皆列伏度
爾吾蹈其上走乍讀度於是知與吾族孰多
如此言者見欺而列伏之時
吾蹈其上讀度來今將下地時
吾云
汝者我見欺
言竟即伏最端和邇捕我悉剝我衣服
因此泣患者先行八十神之命以誨告
浴海鹽當風伏
故爲如敎者我身悉傷
菟〔うさぎ〕答言〔まをさく〕
僕〔あれ〕淤〔オ〕岐〔キ〕の島〔しま〕に在〔あり〕て
此〔こ〕の地〔くに〕に度〔わたら〕雖欲〔まくほりつれども〕
度〔わたらむ〕因〔よし〕無〔なかりし〕故〔ゆゑ〕に
海〔うみ〕の和〔ワ〕邇〔ニ〕[此二字以(レ)音、下效(レ)此]を欺〔あざむき〕て言〔いひけらく〕
吾〔あれ〕と汝〔いまし〕と族〔ともがら〕の多小〔おほきすくなき〕を競欲計〔くらべてむ〕。
故〔かれ〕汝〔いまし〕は隨〔‐〕其〔そ〕の族〔ともがら〕の在〔あり〕の悉〔ことごと〕に率〔ゐ〕て來〔き〕て
此〔こ〕の島〔しま〕より氣〔キ〕多〔タ〕の前〔さき〕至〔まで〕
皆〔みな〕列〔なみ〕伏〔ふし〕度〔わたれ〕。
爾〔‐〕吾〔あれ〕其〔そ〕の上〔うへ〕を蹈〔ふみ〕て走乍〔はしりつつ〕
讀〔よみ〕度〔わたらむ〕。
於是〔ここに〕吾〔あ〕が族〔ともがら〕と孰〔いづれ〕多〔おほき〕といふことを知〔しらむ〕。
如此〔かく〕言〔いひ〕しかば見欺〔あざむかえ〕て列〔なみ〕伏〔ふせりし〕時〔とき〕に
吾〔あれ〕其〔そ〕の上〔うへ〕を蹈〔ふみ〕て讀〔よみ〕度〔わたり〕來〔き〕て
今〔いま〕地〔つち〕に將下〔おりむとする〕時〔とき〕に
吾〔あれ〕云〔‐〕
汝〔いまし〕は我〔あれ〕に見欺〔あざむかえつ〕。
と言〔いひ〕竟〔おはれ〕
即〔すなはち〕最端〔いやはし/いとはし〕に伏〔ふせる〕和〔ワ〕邇〔ニ〕我〔あ〕を捕〔とらへ〕て
悉〔ことごと〕に我〔あ〕が衣服〔きもの〕を剝〔はぎ〕き。
此〔これ〕に因〔より〕て泣患〔なきうれひ〕しかば
先〔さきだち〕て行〔いで〕ませる八十神〔やそかみ〕の命〔みこと〕以〔もち〕て
海鹽〔うしほ〕を浴〔あみ〕て風〔かぜ〕に當〔あたり〕伏〔ふせれ〕。
と誨告〔をしへ〕たまひき。
故〔かれ〕敎〔をしへ〕の如〔ごとく〕爲〔せ〕しかば我〔わが〕身〔み〕悉〔ことごと〕に傷〔そこなはえつ〕。
とまをす。
於是大穴牟遲神敎告其菟
今急往此水門以水洗汝身
即取其水門之蒲黃敷散而
輾轉其上者汝身如本膚必差
於是〔ここ〕に大穴〔おほな〕牟〔ム〕遲〔ヂ〕の神〔かみ〕
其〔そ〕の菟〔うさぎ〕に敎告〔をしへたまはく〕
今〔いま〕急〔とく〕此〔こ〕の水門〔みなと〕に往〔ゆき〕て
水〔みづ〕以〔も〕て汝〔な〕が身〔み〕を洗〔あらひ〕て
即〔すなはち〕其〔そ〕の水門〔みなと〕の蒲黃〔かまのはな〕を取〔とり〕て
敷散〔しきちらし〕て其〔そ〕の上〔うへ〕に輾轉〔こいまろび〕てば
汝〔な〕が身〔み〕本〔もと〕の膚〔はだ〕の如〔ごと〕必〔かならず〕差〔いえなむ〕ものぞ。
とをしへたまひき。
故爲如敎‘其身如本也(其身、イ本此下有如敎其身四字)
此稻羽之素菟者也
於‘今者謂菟神也(今者、イ本者字在菟神之下、非也)
故其菟白大穴‘牟遲神(牟遲神、舊紀此下有云字)
此八十神者必不得八上比賣
雖負帒汝命獲之
故〔かれ〕敎〔をしへ〕の如〔ごとく〕爲〔せ〕しかば
其〔そ〕の身〔み〕本〔もと〕の如〔ごとく〕になりき。
此〔これ〕稻羽〔いなば〕素菟〔しろうさぎ〕といふものなり。
今〔いま〕に菟神〔うさぎがみ〕とも謂〔いふ〕。
故〔かれ〕其〔そ〕の菟〔うさぎ〕大穴〔おほな〕牟〔ム〕遲〔ヂ〕の神〔かみ〕に白〔まをさく〕
此〔こ〕の八十神〔やそがみ〕は必〔かならず〕八上〔やかみ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を不得〔えたまはじ〕。
帒〔ふくろ〕を負〔おひ〕たまへれ雖〔ども〕
汝〔な〕が命〔みこと〕ぞ獲之〔えたまひなむ〕。
とまをしき。
於是八上比賣答八十神言
吾者不聞汝等之言
將嫁大穴牟遲神
故爾八十神‘怒欲殺大穴牟遲神(怒、舊紀作急、イ本作忿)
共議而至伯伎國之‘手間山本云(手間、和名抄云會見郡天万鄕)
赤猪在此山
故和禮[此二字以音]共追下者汝待取
若不待取者必將殺汝
云而以火燒似猪大石而轉落
爾追下取時卽於其石所燒著而死
於是〔ここに〕八上〔やかみ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕
八十神〔やそがみ〕に答言〔こたへらく〕
吾〔あ〕は汝等〔いましたち〕の言〔こと〕は不聞〔きかじ〕。
大穴〔おほな〕牟〔ム〕遲〔ヂ〕の神〔かみ〕に將嫁〔あはな〕。
といふ。
故〔かれ〕爾〔ここ〕に八十神〔やそがみ〕
怒〔いかり〕て大穴〔おほな〕牟〔ム〕遲〔ヂ〕の神〔かみ〕を欲殺〔ころさむ〕と共議〔あひたばかり〕て
伯伎〔ははき〕の國〔くに〕の手間〔てま〕の山本〔やまもと〕に至〔いたり〕て云〔いひける〕は
此〔こ〕の山〔やま〕に赤猪〔あかゐ〕在〔ある〕なり。
故〔かれ〕和〔ワ〕禮〔レ〕[此二字以(レ)音]共〔ども〕追下〔おひくだり〕なば
汝〔いまし〕待取〔まちとれ〕。
若〔もし〕不待取〔まちとらず〕ば
必〔かならず〕汝〔いまし〕將殺〔ころさむ〕。
と云〔いひ〕て
猪〔ゐ〕に似〔にたる〕大石〔おほいし〕を火〔ひ〕以〔も〕て燒〔やき〕て
轉〔まろばし〕落〔おとし〕き。
爾〔かれ〕追下取〔おひくだりとる〕時〔とき〕に
即〔‐〕其〔そ〕の石〔いし〕に所燒著〔やきつかえて〕死〔みうせたまひ〕き。
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