修羅ら沙羅さら。——小説。10
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
蘭陵王第一
壬生はその日ゴック・アインと戯れた。渇き、立ち上がりかけた壬生をとどめて、彼は壬生の至近にわらった。飲ませたげるよ。
彼が口に含んだミネラル・ウォーターを、彼の唇が流し込むにまかせた。戯れた。彼のくちびるが壬生のそれを咥えてふさぐままに任せた。移したげるよ。
そうゴック・アインは云った。口から。
コロナ。
ね?
俺の。ここに、…と。
ゴック・アインは睾丸にふれた。繁殖するらしいよ。
この中で。
ゴック・アインは笑った。ゴック・アインの目は戀をかくさなかった。壬生の眼はもとから彼に戀をさらしていた。白い筈の液体をそのまま口の中に、ゴック・アインはひとりで、閉じた齒に咀嚼のふりをした。吐き捨てるように壬生の腹に吐いた。唾だらけに、それは匂い立った。聲を立てて笑った。ゴック・アインに軽蔑はなかった。侮蔑も。壬生に軽蔑はなかった。屈辱も。ゴック・アインの唾に塗れたその色の白を指に撫ぜた。そして壬生は笑った。ゴック・アインは、まさに壬生とともにわらった。かくて偈を以て頌して曰く
そんな気はなかった
ひとしれず
あなたを穢そうとは
ふったゆきは
戀ゆえに?
だれのめにも
そんな気はなかった
ふれないまにもしろいまま
あなたを壊そうとは
よるのふかい
戀ゆえに?
あおくらいうちにもしろいまま
もえあがるような想いがもはや
いつかしんだ
壊滅的な痛みをさらし
ちいさなけものの
咬みついた喉に
やせいのむくろを
燃え上がった陽炎の吐き気のする温度にさえも
おおいかくしてしまってなおも
茫然として
しろいままに
そんな気はなかった
めのまえで
あなたを穢そうとは
ふったゆきは
戀ゆえに?
だれのめにも
そんな気はなかった
ふれないまにもしろいまま
あなたを壊そうとは
ひるのひに
戀ゆえに?
ほうかいしていくようかいの
かくに聞きゝ壬生ゴック・アインを詣で戸口に顏をあはせ顏をあはせたる時にゴック・アイン壬生に笑ひて笑ひかけたる須臾不意に双眇呆然たりて相貌茫然たりて彼我を忘れきゆゑ默しゆゑ壬生彼を見て覩かゝる刹那のゝちにかくてゴック・アインかくて云さく夢、…
夢、見た。
かくてかるがゆゑに壬生應へて言さく夢?
いま、…
夢?
迦久弖迦ル駕由ゑ爾微カに笑ミて笑み乍らにかくて頌して
あなたに話そう
豪雨よ
まさにあなたの爲に話そう
豪雨よ、まさに
葉と葉のすきまから日がもれてふれた
豪雨よ
わたしの眼に
降りしきり
——夢、見たの
豪雨よ
何の?
その
そしてそのほんの数秒あとにゴック・アインのまぶたに
水の水なる
——昨日。…夢
粒の無際限の
——夢?
見豆乃不見鳴琉
——嘘
粒の無際限の
わたしはわらった
しずくよ
ゴック・アインと私の爲に笑った
飛沫、散る
——今日…さっき…朝…
須居滴乃散飛沫
——夢、見たの?
鳴り騒ぐ
——見た
轟音の
——どんな?
豪雨よ
——エンパイア・ステートビルの一番上で、裸でオナニーした
叩け、その
わたしはわらった
やさしい紫陽花の
ゴック・アインと私の爲に笑った
彌波羅迦那阿ジ彩乃
——入るよ。いい?
はなびらを
——いいよ。…王樣
豪雨の閉ざした
かたわらをとおりすりるとき、私は彼の影もふくめた木戸の翳りをくぐった
正午の暗がりのうちに
臭った
叩け、その
ゴック・アインの体臭
やはらかな紫の
雨に濡れた、野生の穢い獸の柔毛じみた臭気
色の周囲に
臭気として顯らかな、あからさまな臭気
雨にゆらぐ
——どうぞ
綠りづく葉を
彼はささやいた
叩け、その
——ぼくの、だくじゃいしゃ
葉と葉ゝの
聞いた
ふるえる色を
わたしはその聲を
ふるえ、こだまするように
——濁しゃいじゃ…
わたしのこころはいつかふるえて
くりかえした
ふるえ、こだまするように
自分のくちびるに
みあげたまなざしの
聞いた
みたふうけいさえ
——だくしゃいじゃ…
ふるえ、こだまするように
彼の聲を
その怒號を
——濁しゃい虵?
ふるえ、こだまするように
わたしの眼は振り返って彼を見ていたのだった
飛び散った吐瀉物の臭気の間に?
その時には
ふるえ、こだまするように
笑って、私は云った
蟲が葉の上をはうのを
——独裁者?
ふるえ、こだまするように
——そうとも言う…あなたに教わりました
それでも嘴は容赦しない
彼の笑んだ目には潤った艷と、同等の厭わしい侮蔑がある
ふるえ、こだまするように
彼の心をはあくまで置き去りにして
まばたく瞼に
——なにしに来たの?…
ふるえ、こだまするように
ふれた花をも怯えさせるに決まっていた
突き刺した針に
——いじめにきたの?俺を
ふるえ、こだまするように
屈辱と恍惚と俱に
滲んだ血をそっと
——穢いね…
いっぱいの百合に
わたしは聞いた
埋葬した。その
かれの愛しいか細い、竹笛の低い音のようになる聲を
ふるえ、こだまするように
——好きにしたら?
匂い立つ無残な
息が立つ
ふるえ、こだまするような
かすかに亂れた息が
花の花びらの臭気を憎んで
笑っていた、その息が
ふるえ、こだまするように
ふたりの息が亂れたままにこすりあいもしなかった
みだらな臭気
それらはちいさく、こまやかに亂れた
ふるえ、こだまするように
かつて云った
饐えた、くさった
ゴック・アインは私の耳に
腐った花の腐った花汁のような
その唇がふれそうな距離で
そんな
——極悪非道の、裏切り者の王様
白い百合の無言の臭気
…ね。つぎ、一緒に地獄に生まれようね…
ふるえ、こだまするように
牙だらけの花のない花の中に
ゴック・アインはわたしにそう云って、同じように息を亂した
牙だらけの花のない花のなかに
邪気の無い笑いの、さまざまに匂う表情のひとつとして
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