佛典・法句經(ダマパンダ)・荻原雲來譯/第十九住法の部、第二十道の部


法句經

荻原雲來譯註



   第十九 ‘住法の部

    [原註、住法——正義。

二五六、輕卒に公事を裁斷するは正しきに非ず、智者は實義と不實義との兩面を辨へよ。

二五七、暴威を用ゐず、公平に他を導き、正義を守り聰明なり、(是れ)住法者と謂はる。

二五八、多く說くのみにては智者に非ず、穩かに、憎みなく、畏れなきは智者と謂はる。

二五九、多く說くのみにては持法者ならず、若し少法を聞きても、之を身に履修すれば、實に持法者なり、彼は法を忽にせず。

二六〇、頭髮白ければとて長老ならず、彼の齡熟し空しく老いたりと謂ふべきのみ。

二六一、人若し‘諦と法と不害と禁戒と柔善とあれば、彼こそ已に垢を吐きたる聰き長老と謂はる。

    [原訓、諦、まこと

二六二、唯言說のみに由り、又は顏色の美しきに由り、嫉妬、慳悋、諂曲の人は善人とならず。

二六三、人若し此等を斷ち、根絶し、全く害すれば、已に過失を吐ける聰き善人と謂はる。

二六四、頭を剃ると雖も無戒にして妄語すれば沙門に非ず、欲貪を具ふるもの如何ぞ沙門ならん。

二六五、人若し麤細一切の罪過を止むれば、罪過の止息せるがため‘沙門と謂はる。

    [原註、沙門——勤勞又は行者の義なれども、其音又「止息」の義に通ずるを以て斯く言ふ。

二六六、他に乞ふのみにては比丘ならず、一切の所應行を服膺するのみにては比丘ならず。

二六七、人若し現世に於て罪福を離れて淨行に住し、愼重にして世を行けば眞の比丘と謂はる。

二六八、愚昧無智なれば‘寂默に住すと雖も‘牟尼(寂默)ならず、智者は衡を執るが如く、善を取り、

    [原註、寂默——無言の戒。

    [原註、牟尼——寂默の義又は賢人の義、寂默と牟尼と音通ずるを以て斯く言ふ。

二六九、惡を避くれば、此の牟尼こそ眞の寂默なれ、人若し世に於て(善惡の)兩ふたつを‘量れば夫に由つて牟尼と謂はる。

    [原註、量る——この語も、牟尼と音相通ずれば斯く言ふ。

二七〇、生を害するを以て阿梨耶なるに非ず、一切の生を害せざるに由つて‘阿梨耶と謂はる。

    [原註、阿梨耶——「聖」の義なるも、又「敵」と云ふ語に音近きを以て斯く言ひしものか。

    [註、 阿梨耶、又は阿梨耶識、阿賴耶識。〔梵〕ālaya-vijñāna

二七一、我は唯禁戒を持ち、或は‘復多く學び、又は心の安定を得、或は閑靜處に住みて、

    [原訓、復、また

二七二、(此に由つて)凡夫の習はざる出離樂を證せず、比丘よ、未だ心中の穢を盡さずんば意を安んずる勿れ。



   第二十 道の部

二七三、諸道の中にて‘八支を勝とし、諸諦の中に於て‘四句を(勝とし)、諸德の中に於て離欲を勝とし、二足の中に於て‘具眼を(勝とす)。

    [原註、八支——正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八は

        解脫涅槃に到る要道なれば之を八支聖道と名づく。

    [原註、四句——苦、集、滅、道の四は本來自然の定則なれば之を四聖諦と名づく。

    [原註、具眼——佛陀を指す。

二七四、是れ卽ち正しき思想の道なり、他に(正しき思想の)道なし、汝等是を實行せよ、此(の世)は魔羅の幻化なり。

二七五、汝等此(の道)を實行すれば當に苦を盡すべし、我已に(毒)箭の除滅することを悟り、汝等に道を說く。

二七六、汝等須らく勗めよ、如來は說者なり、思惟して修行する人は魔の縛を脫る。

二七七、總て‘造作せられたる物は無常なり、と、慧にて知るときは是に由つて苦を厭ふ、是れ淨に到る道なり。

    [原訓、造作、ざうさ

二七八、總て造作せられたる物は苦なり、と、慧にて知るときは是に由つて苦を厭ふ、是れ淨に到る道なり。

二七九、諸法は無我なり、と、慧にて知るときは是に由つて苦を厭ふ、是れ淨に到る道なり。

二八〇、起くべき時に起きず、壯く、強くして、懶惰に思惟思量に弱く、懈たり、怠る人は、慧に由つて道を知ることなし。

二八一 語を愼しみ、意を護り、身に不善を造らず、此の三業道を淨めよ、(‘大)仙所說の道を得ん。

    [原註、大仙——佛。

二八二、‘實に觀行より智を生ず、不觀行より智を盡す、此の利と不利との二の道を知り自ら修して智を增さしむべし。

    [原訓、實に、げに

二八三、‘林を伐れ、樹を伐る勿れ、林より怖畏を生ず、林と‘株とを伐りて、比丘衆よ、‘無林となれ。

    [原註、林——原語にて「欲」の義を有す。

    [原註、株——原語にて「愛」の義あり。

    [原註、無林——涅槃と音近し。

二八四、男子が女人に於て最少の愛あるも此を斷たざる間は其の意繋縛せらる、乳を飮む犢子の母に於けるが如し。

二八五、己の愛を斷て、秋の蓮を手にて(斷つが)如く、‘寂の道を養へ、善逝涅槃を說く。

    [原註、寂の道——涅槃に到る方便。

二八六、秋には我れ‘此處に住まるべし、冬に亦夏には此處に(住まるべし)、斯く愚者は思惟して死(の到る)を覺らず。

    [原註、此處——現在世界を指す。

二八七、子孫と家畜に狂醉し執著する人を死は捕へ去る、暴流が眠れる村を(漂はす)如く。

二八八、子も救ふ能はず、父も亦友も親戚も救ひ得じ、死に捕はれたるものを。

二八九、此の義理を解りて、智者は、戒を護り、疾く涅槃に到る道を淨めよ。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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