風雅和歌集。卷第二十神祇哥。原文。
風雅和歌集
風雅倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年八月二十五日印刷。同三十日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
風雅和謌集卷第二十
賀哥
百首歌奉し時
民部卿爲定
かきりなきめくみを四方に敷嶋のやまとしまねは今さかゆなり
慶賀歌とてよめる
皇太后宮大夫俊成
誠にや松は十かへり花さくと君にそ人のとはんとすらん
題しらす
俊賴朝臣
おほよとの濱の眞砂を君か代の數にとれとや波もよすらん
大藏卿行宗
君か代の程はさためし千とせともいふはをろかに成ぬへけれは
前參議經盛賀茂社にて歌合し侍けるに祝の心を
從三位賴政
斧のえをくたす仙人かへりきて見るとも君か御代はかはらし
寶治百首歌の中に寄日祝といふことを
冷泉前太政大臣
三笠山みね立のほる朝日影空にくもらぬ萬代の春
山階入道前左大臣
岩戶出し日影は今もくもらねはかしこき御代をさそ照すらん
花山院前内大臣
我君のやまとしまねを出る日はもろこしまてもあふかさらめや
おなし心を
大江宗秀
あめのした誰かはもれん日のことくやふしもわかぬ君かめくみに
山月を
前大納言俊定
千世ふけき龜のお山の秋の月くもらぬ影は君かためかも
嘉元百首歌に祝
後山本前左大臣
くもりなくてらしのそめる君か代は月日とともにつきしとそ思
寄月祝を
春宮大夫實夏
くもりなくたかまの原に出し月やを萬代のかゝみなりけり
叙品の後題をさくりて歌よみ侍ける禁中月といふ事を
二品法親王慈道
祈りこし雲井の月もあきらけき御代の光に身を照す哉
延喜御時屏風の歌
貫之
あたらしく明る年をは百年の春のはしめとうくひすそなく
正月の比ある所のうふやにてよめる
能宣朝臣
時しもあれ春のはしめにおひたてる松は八千世の色もそへなん
人の家に子日の小松をうへて侍けるに雪の降かゝるを見てむすひつけける
法橋顯昭
雪ふれは花さきにけり姬小松二葉なからや千世をへぬらん
淸愼公七十賀屏風の歌
能宣朝臣
はる〱と遠き匂ひは梅の花風にそへてそつたふへらなる
長元六年内裏にて翫新成櫻花と云ことを
權大納言長家
色かへぬ松も何なり萬代にときはに匂ふ花もさけれは
康義公賀し侍ける時屏風の繪に人の花みてかへる所
中務
あかてけふかへると思へ花さくらおるへき春やつきせさりける
寶治元年三月三日西園寺へ御幸ありて翫花といふことを講せられけるに
千とせふるためしを今に始をきて花のみゆきの春そ久しき
山階入道前左大臣
君か代にあふもかひある糸櫻としのをなかく折てかさゝん
右近大將通忠
櫻花千とせの春の折にあひて君かときはの色ならはなん
正和三年西園寺にて一切經供養せられける次の日翫花といふ事を講せられけるに
深心院關白前左大臣
けふよりはちらてしにほへ櫻花君か千とせの春を契りて
山階入道前左大臣
君かためうつしうへける花なれは千世のみゆきの春もかきらし
後深草院少將内侍
櫻花あまた千とせのかさしとやけふのみゆきの春にあふらん
藤を
入道前關白左大臣
行末を松のみとりに契りをきて木髙くかゝれ宿の藤浪
文永八年正月叙位に一級ゆるされ侍けるに内裏にて禁庭松久といふ事を講せられけるに讀侍ける
從二位隆博
千世ふへき雲井の松にみつるかな一しほまさる春のめくみは
嘉元二年伏見院に三十首歌奉りける時社頭祝
圓光院入道前關白太政大臣
大原や神代の松のふかみとり千世もと祈る末のはるけさ
七十賀しけるに人々の歌をくりて侍けれは讀侍ける
祝部成仲
もろ人のいはふことのは見るおりそ老木に花の咲心ちする
小松内大臣家に菊合し侍けるに人にかはりて讀侍ける
建禮門院右京大夫
うつしふる宿のあるしも此花もともに老せぬ秋そかさねん
前中納言匡房二度帥になりたるよろこひ申つかはすとて
康資王母
かくしあらは千とせの數もそひぬらん二たひ見つる箱崎の松
寶治百首歌の中に寄社祝
土御門院小宰相
神路山もゝえの松もさらにまたいく千代君に契りをくらん
建仁元年三月歌合に寄神祇祝といふ事を
後京極攝政前太政大臣
君か代のしるしとこれをみや川の岸の杉むら色もかはらす
文保三年百首歌の中に
民部卿爲定
九重のみかきにしけるくれ竹の生そふ數は千世のかすかも
建武元年中殿にて竹有佳色といふ事を講せられけるに
前大納言尊氏
百敷や生そふ竹の數ことにかはらぬ千世の色そ見えける
後伏見院立坊のはしめつかた遊義門院よりたかんなのほそきを奉られて是はすゝか竹かいつれと見わきてと女房の中へ仰事有けれはつゝみ紙に書付侍ける
從二位爲子
春秋の宮井色そふ時にあひて萬代契る竹とこそみれ
法性寺入道前關白家にて鶴契遐年といふ事をよみ侍ける
宮内卿永範
あしたつは千とせまてとや契るらんかきらぬ物を君かよはひは
續古今竟宴に
冷泉前太政大臣
むかし今ひとへる玉もかす〱に光をそふる和歌のうら波
和歌所にて皇太后宮大夫俊成に九十賀給はせける時
後京極攝政前太政大臣
百年に十とせをよはぬ苔の袖けふの心やつゝみかねぬる
七十賀の後よみ侍ける
祝部成茂
君かため又七十をたもちてもあかすや祈る神につかへん
寶治二年後嵯峨院に百首歌奉りける時杣山を
藤原光俊朝臣
世をてらすひたかの杣の宮木もりしけきみかけに今か逢らし
百首御歌の中に
院御歌
水上のさためし末は絕もせすみもすそ川の一つなかれに
寄國祝を
あしはらやみたれし國の風をかへて民の草葉も今なひくなり
河といふ事を
前左大臣
くちなしの色になかるゝ河水も重度すむへき君か御代かな
雜歌に
祭主定忠
みことのりみたれぬ道のさはりなく豐あし原の國そおさまる
後鳥羽院御時五人に二十首歌をめして百首に書なされける時祝歌
如願法師
逢かたき御代にあふみのかゝみ山くもりなしとは人もみるらん
天祿元年大嘗會悠紀方屏風の歌近江國勢多の橋をよめる
兼盛
御調物たえすそなふる東路の勢多の長橋音もとゝろに
承保元年大嘗會巳日退出音聲樂急ふなせのはし
前中納言匡房
御調物はこふふなせのかけ橋に駒のひつめの音そたえせぬ
君か代はしつの門田にかるいねのたかくら山にみちぬへきかな
ひをきのむら人おほき所
くもりなき君か御代にはあかねさす日をきの里もにきはひにけり
寛治元年大嘗會屏風に小松原のもとになかるゝ水ありその所にすむ人あり
小松原した行末のすゝしきに千とせの數を結ひつるかな
仁安元年大嘗會辰日退出音聲音髙山
皇太后宮大夫俊成
吹風は枝もならさて萬代とよはふ聲のみ音髙の山
正應元年大嘗會主基方屏風に奈加良川岸菊盛開行人汲下流
正二位隆博
汲人のよはひもさこそ長月やなからの川の菊のした水
永仁六年大嘗會主基方屏風増井納凉の人あり
正二位隆博
凉しさをます井の淸水結ふ手にまつかよひくる萬代の秋
曆應元年大嘗會悠紀方神樂歌近江國鏡山
正二位隆敎
岩戶あけしやたの鏡の山かつらかけてうつしきあきらけき世は
齋藤松太郎
大和川五月
藤倉喜代丸 校[※已上原書]
妋乃尾雅寫
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