風雅和歌集。卷第十四戀哥乃五。原文。
風雅和歌集
風雅倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年八月二十五日印刷。同三十日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
風雅和謌集卷第十四
戀哥五
百首歌
太上天皇
戀しとも何か今はと思へともたゝ此くれをしらせてしかな
戀歌の中に
徽安門院
まよひそめし契思ふかつらきしも人にあはれの世々にかへるよ
永福門院
立歸りこれも夢にて又たえはありしにまさる物やおもはん
内大臣室
をのつから逢夜ありやと待程に思ひしよりもなからへにけり
髙階師直
なからへは思ひ出てやとはるゝといけるかひなき身をおしむかな
後宇多院に奉りける百首歌の中に
前中納言雅孝
なからへてあらはと賴む命さへ戀よはる身はあすもしられす
戀歌とて
淸輔朝臣
中々に思ひたえなん思ふこそ戀しきよりも苦しかりけれ
殷富門院大輔
しなはやと思ふさへこそはかなけれ人のつらさは此世のみかは
權大納言實家
人こゝろ憂にたへたる命こそつれなきよりもつれなかりけれ
題しらす
讀人しらす
玉の緒をかたをによりてをゝよはみ亂るゝ時に戀さらめやも
玉かつらかけぬ時なくこふれともいかにかいもに逢時もなき
ますらおのうつし心も我はなし夜るひるいはす戀し渡れは
小辨かもとにまかりたりけるに人あるけしきなれは歸りてつかはしける
藤原道信朝臣
露にたに心をかるな夏萩の下葉の色よそれならすとも
從三位賴政絕て久しくなりにける女またかたらひける人に忘られて後あひ侍て[・に(イ)]申つかはしける
讀人しらす
すむとしもなくてたえにし忘水何ゆへさてもおもひ出けん
返し
從三位賴政
人もみなむすふなれともわすれ水我のみあかぬ心ちこそすれ
戀御歌の中に
二條院御歌
いかてわれ人を忘れん忘れ行人こそかくは戀しかりけれ
淨妙寺關白に物申ける人の心にしめて物思ふ由なといひけるか關白なくなりて後從一位兼敎にいひかはすよし聞けれはたれともなくて花の枝につけてさしをかせける
從二位爲子
程なくそ殘るかたえにうつしける散にし花にそめし心を
題しらす
永福門院
さらはとてうらみをやめてみる中のうきつま〱に賴みかねぬる
見る人も物を思はぬさまなれは心のうちをたれにうれへん
權大納言公宗母
歎くらんこふらんとたに思ひ出よ人には人のうつりはつとも
西園寺入道前内大臣女
うしとのみ我さへすつる身のはてはなき誰ゆへとかこたすもなし
戀命を
伏見院御歌
いとふしもかこちかほにや思ひなさんつれなしとたにかけし命を
前中納言重資
何にかゝる命そされはつれもなく我やはおしむ人もいとふを
百首歌奉しに
權大納言公宗母
人にさそつれなき方に思ふらんしたふにゝたる命なかさを
戀歌に
權大納言資名
忘らるゝ我身も人もあらぬよにたか面影のなを殘らん
祝子内親王
我さへに心にうときあはれさよなれし契りの名殘ともなく
百首歌奉し時
權大納言公宗母
憂なから思ひ出けるおり〱や夢にも人の見えしなるらん
藤原爲季朝臣
またかよふおなし夢路も有物をありしうつゝそうたてはかなき
恨戀の心を
從二位爲子
思ひさます身をしる方のことはりもあまりうきには又忘れぬる
伏見院御歌
思ひつらねさもうかりけると思ふ後に又戀しきそことはりもなき
ためしなくつらき限やこのきはと思ひしうへのうきも有けり
百首歌奉しに
徽安門院小宰相
をのつから思ひいつとも今はたゝうきかたのみや忘れさるらん
關白右大臣
淚こそをのか物から哀なれそをたに人の行衞と思へは
左兵衞督直義
逢事はたえぬる中に同し世の契りはかりそ有てかひなき
戀歌の中に
從三位盛親
人心うきあまりには大かたの世をさへかけていとひたちぬる
西園寺内大臣女
戀しなん身をも哀とたれかいはんいふへき人はつらき世なれは
式部卿恒明親王
思ふ方へせめてはなひき戀しなん我世の後の煙なりとも
永福門院
いとひおしみ我のみ身をはうれふれと戀なるはてを知人もなし
さま〱のわかなくさめもことつきて今はとよはる程そ悲しき
同院右衛衞門督
いく程と思哀もまたかなし人の憂世を我もいとへは
寄雲戀
朔平門院
待なれし昔ににたる雲の色よあらぬなかめの暮[・空(イ)]そかなしき
觸物催戀といふ事を
永福門院
月の夜半雲の夕もみなかなしそのよはあはぬ時しなけれは
彈正尹邦省親王
忘らるゝ袖にはくもれ夜半の月見しよににたる影もうらめし
遇不逢戀の心を
前中納言定家
とひこかしまたおなし世の月をみてかゝる命にのこる契りを
寶治百首歌の中に寄風戀
從二位顯氏
そなたより吹くる風のつてにたに情をかくる音つれそなき
戀歌に
藤原朝定
逢事は朽木の橋のたえ〱にかよふはかりの道たにもなし
侍從隆朝
わひはつる後はかたみと忍ふかなうかりしまゝの有明の月
前參議家親
思ひたえまた見るましき夢にしも殘る名殘のさめかたきかな
百首歌の中に
太上天皇
しらさりしふかりかきりはうつりはつる人にて人のみえける物を
たかひに久しくをとせさりける女のもとへつかはしける
前左兵衞督惟方
音せすはをともやすると待程に絕はたえよと思ひけるかな
思ふ事侍ける比
相摸
つらからん人をも何か恨むへきみつからたにもいとはしき身を
藤原相如に忘られ侍ける後よみてつかはしける
讀人しらす
我なから我からそとはしりなから今一たひは人をうらみん
返し
藤原相如
忘れぬときかはそ我も忘るへきおなし心に契りこしかは
大伴良[・郎(イ)]女につかはしける
中納言家持
夢にたに見えはこそあらめかくはかりみえすあるては戀てしねとか
題しらす
讀人しらす
君にあはて久しくなりぬ玉のをのなかき命のおしけくもなし
人麿
しきたへの枕せし人ことゝへやそのまくらには苺おひにけり
人に給はせける
花山院御歌
今よりはあひも思はし過にける年月さえにねたくも有かな
御返事
よみ人しらす
思といふ過にし身たにうかりしをそふるつらさを思ひこそやれ
戀歌に
西園寺内大臣女
うらむともこふともよしや忘らるゝ身をある物と人にきかれし
永福門院
つゐにさても恨のうちに過にしを思ひ出るそ思ひ出もなき
伏見院御歌
鳥の行夕の空よそのよには我もいそきし方はさためき
猶も世にあるよとかくる人つてよ憂身のうきを更にしれとや
忘るましきよし契りける人のさもあらさりけれはなけきける人にかはりて讀侍ける
京極前關白家肥後
はかなくて絕にし人のうきよりも物忘れせぬ身をそ恨る
題不知
殷富門院大輔
あかさりし匂ひ殘れるさむしろはひとりねる夜もおきうかりけり
絕て久しくとはぬ人に五月五日ぬに[・あやめの(イ)]つけてつかはしける人にかはりて
永福門院左京大夫
しられしな憂身かくれのあやめ草我のみなかきねにはなくとも
戀御歌の中に
伏見院御歌
面影のとまる名殘よそれたにも人のゆるせるかたみならぬを
永福門院
よそなりしそのよに人はかへれとも身はあらためぬ物をこそ思へ
善成王
恨すは人もなさけや殘さまし身をしりけりとおもふ哀に
藤原宗光朝臣
うらみしを我うきふしになしやはつるそれより絕し中そと思へは
百首歌奉し時戀歌
左近中將忠季
かくそありしそのよまてはの哀よりさらに淚もふかき玉章
題しらす
永福門院
人のすてし哀をひとり身にとめてなけき殘れるはてそ久しき
伏見院御時六帖題にて人々に歌よませさせ給けるに人つてといふことを
新宰相
をのつからとひもとはれも人つてのことのはのみを聞まてにして
戀御歌の中に
伏見院御歌
思ひくたすうさも哀いくうつり[・かへり(イ)]世はあらぬよの身はもとの身に
今出川前右大臣室
今はたゝ見すしらさりしいにしへに人をも身をも思ひなさはや
藤原隆信朝臣
うきなから身をもいとはし世中にあれはそ人をよそにてもみる
題しらす
前中納言爲相
たか契たか恨にかかはるらん身はあらぬよのふかき夕暮
戀歌あたまたよみ侍けるに
從二位爲子
賴みありて待しよまての戀しさよそれもむかしの今の夕暮
絕戀の心を
永福門院
常よるも哀なりにしかきりにて此世なからはけにさてそかし
千五百番歌合に
源家長朝臣
佗つゝはおなし世にたにと思ふ身のさらぬ別になりやはてなん
戀御歌の中に
崇德院御歌
なをさりの哀も人のかくはかりあひ見し時に[・も(イ)]きえなましかは
從二位宣子
をのつから思ひや出るとはかりの我なくさめもよその年月
建長二年八月廿日庚申歌合に絕久戀
前大納言爲[・尊(イ)]氏
忘れしの人の賴めはかひなくていけるはかりの年月そうき
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