筧克彦『皇国憲法大旨』【昭和11年小冊子復刻附注釈】⑤本論及附資料《憲法發布勅語》《教育勅語》《五箇条の御誓文》《改元の詔書》
…或は亡き、『大日本帝国』の為のパヴァーヌ。その1
筧克彦『皇国憲法大旨』ヲ以下ニ復刻ス。
皇国憲法大旨
筧 克彦
[復刻及注釈亦資料附ス。奥附ケ等無シ。]
凡例。
[註]及ビ[語註]ハ注記也。
[]内平仮名ハ原文儘ルビ也。
[※]ハ追加シテ訓ジ又語意ヲ附ス。
底本ハ国会図書館デジタル版也。
同館書誌ニ昭和11年刊ト在リ。其レ以外未詳。
出版社、出版年月日等原書ニハ無シ。
蓋シ配布資料トシテ作成シタ小冊子ノ如キ文書乎。
第一条
[註。第一条以下ノ如シ
第一條
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス]
第一条は 天皇様と皇国とが統治について不二たることの立国の大法上の消息を鋳型[ことあげ]を離れて簡明に宣言し給へる条文である。されば種々の見地より説明し得て盡くることがない。此の条中には先づ「大日本帝国」の語が見え、次に「萬世一系ノ天皇」の語が見え、終りに統治の語が見える。
一 大日本帝国 大日本帝国は本質上、御主人・総親・大本者・中心者とまします萬世一系の 天皇様の御人格の實現拡張たる大生命者として栄ゆる国なれば皇国[すめらみくに]といひ、また皇神の御生命(皇天二祖[註]の二つならぬ御生命)の實現せらるゝに当り、当然存立しつゝある国なれば神国[かみくに]といふ。彌々御人格の大本を立て給ふと共に益々御人格を拡張し給ふべき事は、萬世一系の 天皇様の彌栄の御霊の御本質であり、益々御生命を現国に實現し給ふことは、皇神の御本質である。此の大日本帝国憲法は、神ながらの一つの心同じ体たる大人格者である。人為の偶然を超越せる本来の分と大道とを其の内部に完全に具有する本来の大我であつて、多数独立個人の集団ではない。
[註。皇天二祖ハ天照大神(又ハ天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)、大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)、大日女(おおひめ)。)及ビ高皇産霊神(又ハ高御産巣日神、(たかみむすびのかみ)、高木神(たかぎのかみ)。天之御中主神即チあめのみなかぬしのかみ或ハあまのみなかぬしのかみ及ビ神産巣日神即チかみむすひのかみ、かむむすびのかみト共ニ造化ノ三神也。]
二 萬世一系ノ天皇 天皇様はたゞ権力の握有者たる独立個人にましませず、信仰道徳法律諸生活に亙れる全人格者として自主者最高者とまします。之を統治者にましますと申す。我が統治者は統治権の帰属する人格者でもあり、統治権を行使する人格者でもあり、其の権力は威徳・尊威[語註]其の者にして独立個人を超越する普遍力である。「一切人をして別個の独立を超越せしめ」之を以て「一徳の運用となさしめ給ふ」所の第一原因たる超越力であつて、徳と相対立する力として人生に対立抗争を発生せしむることを本質とする力ではない。
[語註。威徳ハ威厳と徳望。勢力があり、しかも徳の高いこと。以上大辞林第三版引用。今昔物語ニ修行の験力観音の威徳とぞ見聞く人讚め貴びける。云々。
又、憲法發布勅語ハ以下ノ如シ
憲法發布勅語
朕國家ノ隆昌ト臣民ノ慶福[※けいふく]トヲ以テ中心ノ欣榮[※きんえい。喜ビノ意也。]トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大權ニ依リ現在及將來ノ臣民ニ對シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼[※ほよく]ニ倚リ我カ帝國ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威德ト竝ニ臣民ノ忠實勇武ニシテ國ヲ愛シ公ニ殉ヒ[※したがい]以テ此ノ光輝アル國史ノ成跡ヲ貽[※のこ]シタルナリ朕我カ臣民ハ卽チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ囘想シ其ノ朕カ意ヲ奉體シ朕カ事ヲ奬順[※しょうじゅん。奨励シ従ウノ意也。]シ相與ニ[※あいともに]和衷協同[※わちゅうきょうどう。一致シテ事ニ当ルノ意也。]シ益〻我カ帝國ノ光榮ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負擔[※負担]ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ
引用以上。]
天皇様は統治者にましまして、いつも現代にいまして現代を超越する「中の今」の御主人様であらせられる。即ち過去現在未来に亙れる「御中[みなか]」の御存在にまします。之と同時に、天皇様は御本質上、御一身に皇族様臣民の一切を攝め[※おさめる。摂める、治める。]容れ給ひ皇国といふ全一の大生命を包攝[※包摂。ほうせつ。]し給ひつゝある「御中」の御人格にまします。「御中」とは時と所に亙り、一切を提げ悉皆に拡張し普き大生命其の者と終始一切一時の存在をなす大本の義である。徒らに末と抗争し末を排斥して自[み]ら高しとするは、名目の如何に拘はらず、反つて故らに孤立し好んで末に落在するものにして、皇国にていふ大本の眞義ではない。
三 統治 統治とは、我国に在つては、必ず離るべからざる二方面を具有する。統治の一方面は、本を本とすること即ち彌々大本を立するにより皇族様並臣民の一切に泄れなく輔翼[語註]の所を與へ益々輔翼の任を竭[※つく]さしむことであり、夫は又彌々輔翼の所を得しむることを以て益々大本を神聖にする所以よなし給ふことである。統治の他の方面は、以上の方面を以て彌々大日本国をして皇国即神国といふ普遍的大生命たらしむる行動であり、同時に皇国即神国の栄を以て天皇様の彌栄、皇族様並臣民の栄其のままとなし給ふ御作用である。統治を以て独立個人に止まる人格者を拘束する権力作用とするは、我が統治の本質ではなく、夫はたゞ運用の表面に拘泥せる観念である。
[語註。輔翼ハ補佐。扶翼。以上大辞林。島崎藤村『夜明け前(1929年(昭和4年)4月カラ1935年(昭和10年)10月迄連載、1932年1月(第一部)、1935年11月(第二部)出版)』ニ《朝廷を輔翼し奉るのほかはない》ト在リ。]
第二条
[註。第二条以下ノ如シ
第二條
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス]
第二条は萬世一系の 天皇様が彌々御代御代[※一般的ニみよト読ム]に亙り大本を立し給ふ御本質を宣言し、益々之を確かにする所の大道並事實を明らかに給へる条文である。御代代様の坐しますことは、反つて 御代代様の悉くが彌々結う何時の御人格者として「中の今」の 御一人様に生き栄えいます事實と道とを宣言し、此の点につき皇室典範と帝国憲法とが相待ち相一致する所以を示し給ひたるものである。
第三条
[註。第一条以下ノ如シ
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス]
第三条も亦特に立本の事實を宣り給ひしものとする。天皇様は天縦至聖にいまし、一切人は欽仰[※きんぎょう、きんぎやう。敬シ奉ル]し奉るべくして干犯[※かんぱん。干渉シ、権利ヲ侵ス]し奉り得べからず、一切の権威価値の本源者にいます。天皇様の「みいづ[語註]」は生活の一切を度[※はか]るの標準、美化の大本にして、他の尺度によりて度らるべきにもあらざれば、他によりて點霊せられ給ふべき御方にましまさぬ。天皇様が皇族様並臣民に対して責を負ひ給ふ筈なきことは申すまでもないが、又夫等の指斥言議の外に在り褒貶[※ほうへん]を越え給ふことも元より論ずるまでもない。されば政治上も、国務大臣は 天皇様に対してのみ其の責に任ずる者であつて、 天皇様に代り奉つて帝国議会又は国民に対して責に任ずるものではない。帝国議会も亦 天皇様に対し奉りて輔翼の責に任ずる者にして、国民に対して責に任ずる筈の者ではない。
[語註。稜威。みいづ乃至りょうい。神聖ニシテ清浄。《稜威の真屋に麁草[あらくさ]を稜威の席[むしろ]と苅り敷きて云々。是出雲国造神賀詞。祝詞》及ビ力強ク荒ッテ威ヲ誇ッテ在ル。《稜威の男建[おたけび]踏み建[たけ]びて云々。是古事記。》]
第四条
[註。第一条以下ノ如シ
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ]
第四条は、第二条第三条が特に立本を明らかにせるに対して、天皇様御人格の拡張を宣言し給へるものである。
天皇様の統治は、何人にも及び何事についても及ぶ。祭・政・兵の有らゆる権威の生活に亙り、一切の皇族様及臣民をして泄れなく輔翼せしめ給ふ。之は 天皇様が名實共に完き統治者たらせ給ふによりて然あり得ることであり、又彌々完き統治者にましますことを要求して已まぬ所以であり、名實共に完きことは一切人を排斥して一切人を遠ざけ一切人より遠ざかり給ふことではなく、正反対に、悉皆の任務を竭さしめ給ふことと離れ得ざることである。而して一切人をして輔翼せしめ給ふことは、正法の普く行はれ大道の確實に實行せられつゝあることと表裏する。斯の正法大道は 天皇様の中に在り 天皇様より出づる法であり道でありながら、此の正法を守り大道によりて行動することの本たる御方様は 天皇様にまします次第である。
第四条に統治権といへるは、 天皇様の統治の大権と二つならぬ国家の統治権を申す。統治権は、皇国の力であるが、其のまま 天皇様の御威徳である。之を 天皇様の御力として特に尊みて統治大権又は大権と申し上げる。
天皇様の大権は皇国の普遍力であり、皇国の普遍力は實に 天皇様の御力である。生命の大本中心とは、本質上、全一を提げたるものをいふことであり、部分の義ではなく、生命者全一とは、本質上中心大本の實現拡張せられつゝあるものにして、諸部分の加へ合せとは異る。此の大本中心と全一との不二たることを一般の輔翼により彌々政治生活に徹底し實現ずるにつき、第五条以下第七十六条に至るまでの諸規定が提げられてある。是に於てか、第四条はまた、政体諸規定の首[はじめ]ともなつて居る。
註 皇と国との不二
天皇様と国家とはもと二元的に相対立せる存在ではなく、神代ながらに不二である。皇国は 天孫(皇孫)天降りによりて開かれ、開かれし当初より一生命・一徳・一統治権にして「大本の力は即国の普遍力」であり、国の普遍力とは多数の力の加へ合せ又は総合の謂でなく大本者の力として具体的なる力である。高天原に於て既に然り、造化三神の御消息に於て既に然りとする。教育御勅語[註]の冒頭にも「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」と宣らしましゝは、此の肇國樹德の徳と力との本来一つなることを祝ひ給ひ、将来も神ながらの一生命一徳一力の不二不三たることを彌々光輝あらしめむとの大御心であり、輔翼者に油断なかるべきことを諭し給はれし大御言葉[※おおみことば]である。たゞ将来のみを切離して仰せられたことではない。「本来は皇基と国基[註2]とが別々に隔り居れるを、将来は徳義心により表情恰[あたか]も一つたるが如くならしめむ」との仰せに非ざること明々白々である。況してや、「徳に於ては一に帰すべきも力の上にては皇と国と相対立すべく、大皇は強力により国家を対立者として服せしむべし」との仰せに非ざることは申すまでもないことである。大御心の御要旨は御神霊の御本質通り彌栄に在る。
[註1。教育勅語ハ1890年(明治23年)10月30日公布。
1891年(明治24年)小学校祝日大祭日儀式規定制定。祝祭日式典等ニ於テ朗読ス義務定メラル。
1900年(明治33年)小学校令施行規則制定。
1946年(昭和21年)連合国軍最高司令官総司令部即チ所謂GHQ上記祝日大祭日儀式等ノ朗読及ビ神聖視禁ズ。
1948年(昭和23年)6月19日に衆議院『教育勅語等排除に関する決議』及ビ参議院『教育勅語等の失効確認に関する決議』を決議。
全文ハ以下ノ如シ。
教育勅語
朕惟[おも]フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇[はじ]ムルコト宏遠ニ德ヲ樹[た]ツルコト深厚ナリ[。]我カ臣民克[よ]ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一[いつ]ニシテ世世(よよ)厥[そ]ノ美ヲ濟[な]セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス[。]爾[なんじ]臣民父母ニ孝ニ兄弟[けいてい]ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉[きょうけん]己レヲ持シ[語註。恭儉ハ慎ミ深ク謙虚ノ意ニシテ、恭儉己レヲ持スハ定型文也。]博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業[しゅう]ヲ習ヒ以テ智能[ちのう]ヲ啓發シ德器[とっき。是徳在ル器量乃至有徳ノ人格云々ノ意也。]ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務[せむ]ヲ開キ 常ニ國憲[こっけん。是国ノ根本法、国ノ根本義、国ノ本義ノ意。]ヲ重シ國法ニ遵[したが]ヒ一旦緩急アレハ義勇[ぎゆう]公[こう]ニ奉シ以テ天壤無窮[てんじょうむきゅう]ノ皇運ヲ扶翼[ふよく。助ケ護ルノ意。天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スハ茲ニ始マル定型句。]スヘシ[。]是ノ如キハ獨リ朕カ忠良[ちゅうりょう]ノ臣民タルノミナラス又以テ爾[なんじ]祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶[とも]ニ遵守スヘキ所[。]之ヲ古今ニ通シテ謬[あやま]ラス之ヲ中外ニ施シテ悖[もと]ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺[ふくよう。深ク心ニ留メ置ク。拳々ト両手デ捧ゲ持チ、服膺ト胸即チ膺ニ附ケル即チ服ス。]シテ咸[みな]其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾[こいねが]フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
引用以上。
上勅語ニ典拠シ戦後ノ所謂右翼様々ニ作成セル『十二ノ徳目』ノ凡そ定型ハ以下ノ如シ。
十二ノ徳目
一。父母ニ孝ニ
二。兄弟ニ友ニ
三。夫婦相和シ
四。朋友相信シ
五。恭儉己レヲ持シ
六。博愛衆ニ及ホシ
七。學ヲ修メ業ヲ習ヒ
八。以テ智能ヲ啓發シ
九。德器ヲ成就シ
一〇。進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
十一。常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
十二。一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
又、明治神宮採用ノ口語訳ハ以下ノ如シ。
教育勅語の口語文訳
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
~国民道徳協会[註]訳文による~
教育勅語の十二の徳目
孝行こうこう 親に孝養をつくしましょう
友愛ゆうあい 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦ふうふノの和わ 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友ほうゆうノの信しん 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜けんそん 自分の言動をつつしみましょう
博愛はくあい 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学しゅうがく習業 しゅうぎょう 勉学に励み職業を身につけましょう
智能ちのう啓発けいはつ 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器とくき成就じょうじゅ 人格の向上につとめましょう
公益こうえき世務せいむ 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法じゅんぽう 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇ぎゆう 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう
引用以上。
附註。国民道徳協会ハ自由民主党同志会専務理事佐々木盛雄氏ノ組織セラレル団体ト謂ウ。詳細不明也。
佐々木盛雄ハ1908年(明治41年)8月23日生、2001年(平成13年)8月25日没。報知新聞社新聞記者及ビ編集カラ衆議院議員、内閣官房副長官な等。著書に『甦える教育勅語 : 親と子の教養読本』国民道徳協会1972年、『狂乱日本の終焉 : 憂国警世の書』国民道徳協会1974年、『「教育勅語」の解説』国民道徳協会1979年、『教育勅語 : 日本人のこころの源泉』みづほ書房1986年等。]
[註2.皇基即チこうきハ天皇治世治国ノ基礎、礎、等。所謂『五箇条の御誓文』ニ用例見ユ。
御誓文即チ所謂『五箇条の御誓文』は、1868年慶応4年3月14日是陰暦(1868年4月6日)ニ布告セラレル所謂明治政府基本方針也。
尚、明治ノ御代ハ1868年慶応4年及ビ明治元年1月1日是陰暦(1月25日)自リ1912年(明治45年)7月30日ニ至ル。又所謂改元ノ詔書即チ一世一元の詔公布ハ1868年9月8日是陰暦(10月23日)也。
五ヶ條ノ御誓文
明治元年三月十四日
法令全書第百五十六
御誓文
一廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸[※けいりん。国ヲ治メ秩序ヲ整エルノ意也。]ヲ行フヘシ
一官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起[※しんき。奮イ立タセルノ意也。]スヘシ
我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ 朕躬[※みずから]ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此趣旨ニ基キ協心努力セヨ
年號月日 御 諱
勅意宏遠誠ニ以テ感銘ニ不堪今日ノ急務永世ノ基礎此他ニ出ヘカラス臣等謹テ 叡旨[※えいし。天子ノ示シタル意向ヲ指ス言葉也。]ヲ奉戴シ死ヲ誓ヒ黽勉[※びんべん。勤ムノ意也。]從事冀[※こいねがわ]クハ以テ 宸襟[※しんきん。天子ノ御心ノ意。]ヲ安シ奉ラン[※宸襟ヲ安シ奉ランハ定型句。]
慶應四年戊辰三月
總裁 名 印
公卿 各名 印
諸侯
引用以上。
及ビ、所謂『改元の詔書』ハ以下ノ如シ。
今後年號ハ御一代一號ニ定メ慶應四年ヲ改テ明治元年ト爲ス及詔書
今般 御卽位御大禮被爲濟先例之通被爲改年號候就テハ是迄吉凶之象兆ニ隨ヒ屢改號有之候得共自今 御一代一號ニ被定候依之改慶應四年可爲明治元年旨被 仰出候事
詔書
詔體太乙而登位膺景命以改元洵聖代之典型而萬世之標準也朕雖否德幸賴 祖宗之靈祇承鴻緖躬親萬機之政乃改元欲與海內億兆更始一新其改慶應四年爲明治元年自今以後革易舊制一世一元以爲永式主者施行
明治元年九月八日
引用以上。
以下、注釈ス。
今後年號ハ御一代一號ニ定メ慶應四年ヲ改テ明治元年ト爲ス及詔書(今後年号を天皇の一代に一号とするように定め、慶應四年を改めて明治元年と為す事の詔書。所謂一世一元の詔、改元の詔)
今般(こんぱん、)御卽位(御即位)御大禮(御大礼。此ノ場合御即位ノ御大礼)被爲濟先例之通(先例の通りに濟事を為すことを仰せに預り、)被爲改年號候(改元改年の御事を仰せに預った。)就テハ是迄(ついては是れ迄)吉凶之象兆ニ隨ヒ(諸事の吉凶の増加乃至卜の象兆に従って)屢改號有之候得共(しばしば改元改号の御事あった所を、)自今(今を以て)御一代一號ニ被定候(天皇御一代につき一号限りと定と仰せられ給うた。)依之(此れに依て)改慶應四年可爲明治元年旨(慶應四年を明治元年に改められるという御意向を)被仰出候事(仰せに給う事を、此の度我等は戴いたのである。)
詔書
詔。體太乙而(太乙[たいゝつ。萬ノ事象ノ生起ノ根源。支那古代文化及ビ道教。]ヲ体シテ)登位(位ニ登リ、)膺景命以(景命[けいめい。大命、一大命運]を膺けて[うけて。胸ニ受ケテ]以て)改元(元を改む。)洵聖代之典型而(洵[マコト]に聖代の典型にして)萬世之標準也(万世の標準なり。)朕雖否德(朕、否徳と雖も)幸賴祖宗之靈(幸いに祖宗の霊に頼り)祇承鴻緖(祇[つつし]みて鴻緒[こうしょ。王ノ血統。此ノ場合即チ皇統。]を承け)躬親萬機之政(躬[みずから]万機の政を親す。)乃改元(乃[すなわ]ち元を改めて)欲與海內億兆更始一新(海内の億兆と与[とも]に更始[こうし]一新せむと欲す。)其改慶應四年(其れ慶応四年を改めて)爲明治元年(明治元年と為す。)自今以後革易舊制(今より以後、旧制を革易し、)一世一元以爲永式(一世一元、以て永式と為す。)主者施行(主者施行せよ。)
明治元年九月八日]
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