《神皇正統記》巻ノ壱【原文及び戦時中釈義・復刻】⑭地神第四代彦火々出見尊(海の婿と山の婿)
神皇正統記
原文及び《皇国精神講座(昭和十七年刊行)》より釈義
以下ハ昭和十七年公刊セラル『皇国精神講座』中ヨリ『神皇正統記』ガ部分ヲ書キ起シタルモノ也。是、許ヨリ歴史的書物ニシテ何等批判ヲ受ケズシテ読釈セラルベキニハ在ラズ。又『神皇正統記』ハ嘗テ謂ル皇国史観ノ歴史観ヲ支エタル書物ニシテ、日本ニ在ツテ最古ナル或歴史観ナルモノヲ孕ミテ編マレタル言説ガ一ツ也。(『記紀』等ニ読取リ得ル歴史観トハ当世政治的妥当性或ハ一般常識ノ類ニ過ギズ、其処ニ彼ノ固有ニシテ一般ニ真性ナル歴史観構築ノ意志ハ認メ得ズ。)
是、南北朝期ニ忠臣北畠親房ニ依テ編マレリ。[ ]内訓読ハ凡テ底本ニ隋フ。及ビ若干ノ注釈在リ。及、( )内ハ原典ニ在ル注釈也。小文字二段書ニテ書カレタリ。
第四代彦火々出見尊[ひこほほでみのみこと]と申す。御兄[このかみ]火闌降命[ほのすせりのみこと]海の幸[さち]ます。此尊は山の幸ましけり。こゝろみに相かへ給ひしに、各[おのおの]其幸なかりき。弟[おとゝ]の尊の、弓箭[ゆみや]に兄の命魚の釣鉤[つりばり]をかへ給へりしを、弓箭をば返しつ。おとゝの尊鉤[つりばり]を魚にくはれて失ひ給ひけるを、あながちにせめ給ひしに、せんすべなくて海邊[うみべ]にさまよひ給ひき。塩土の翁(此神の事さきにみゆ)まゐりあひて、あはれみ申て、はかりことをめぐらして、海神綿積命[うみのかみわたつみのみこと](小童[せうとう]ともかけり)の所におくりつ。其女を豊玉姫と云ふ。天神の御孫にめでたてまつりて、父の神につげてとゞめ申しつ。つひに其女とあひすみ給ふ。みとせばかりありて故郷[ふるさと]をおぼす御気色[みけしき]ありければ、其女父にいひあはせてかへしたてまつる。大小[だいせう]のいろくづをつどへてとひけるに、口女[くちめ]と云ふ魚[いを]やまひありとてみえず。しひてめしいづれば、その口はれたり。是をさぐりしにうせにし鉤をさぐりいづ(一には赤女[あかめ]と云ふ。又此魚はなよしと云ふ魚とみえたり)。海神[かいじん]いましめて、口女いまより釣鉤[つり]くふな。又天孫[あめみま]の饌[をもの]にまゐるなとなん云ひふくめける。又海神潮ひる珠潮みつ珠をたてまつりて、兄[このかみ]をしたがへ給ふべきかたちををしへ申しけり。さて故郷にかへりまして鉤[つりばり]を返しつ。潮満珠[しほみつたま]をいだしてねぎ給へば、塩みちきて、このかみ溺れぬ。なやまされて俳優[わざをぎ]の民[たみ]とならんとちかひ給ひしかば、潮ひる珠をもちて塩をしりぞけ給ひき。これより天日嗣[あまつひつ]ぎをつたへましましける。
第四代は彦火火出見尊でありまして、即ち前にありました木花開耶姫のお生みになつたお子様の中の第三番目に生れた方であります。これは三人の中で殊に勝れた方でありましたので、此の方が瓊々杵尊の後をお継ぎになるといふことになつたのであります。
【海の幸と山の幸】
まだ其の事が定まりませぬ以前に、御兄様の火闌降命は海の幸があつて、海に行くと幾らでも魚を獲ることが出来ました。それから『此尊』即ち彦火火出見尊の方は山の幸を得て居られて、弓箭を持つて山に行くと多くの鳥などを獲ることが出来るといふ長所を持つて居られました。其の儘であれば何事もなかつたのでありますが、試みにこれを換へて見やうといふので、御兄様の火闌降命が山に行かれ、彦火火出見尊が海に行かれた所が、各々不得意のことであるから、山に行かれた火闌降命の方も一向獲物がなし、また海に行かれた彦火火出見尊も何も獲る所がなかつた。これはどうも仕方がない、やはり銘々得意のことをやるより外はないといふことになりました。就いては其の扱ふ所を換へる場合に、弟の方の彦火火出見尊の持つて居られた弓箭を御兄様の火闌降命にお上げになり、それから御兄様の持つて居られた釣鉤を彦火火出見尊に譲られたのでありましたが、モウ銘々其の業を換へても見込みがないといふことでsりましたから、そこで火闌降命は彦火火出見尊のお譲りになつた弓箭をお返しになつて、弓箭はモウあなたに戻すから、あなたに貸した所の釣鉤を返すやうにと言はれたのでありましたが、彦火火出見尊の方は其の釣鉤を魚にとられてしいまつたものであるから、御兄様に返すことが出来なかつた。併し御兄様の方では、さういふことはどうも不都合である、自分は斯ういふやうにチヤント持つて居て返すのであるから、あなたの方でもどうしても自分の釣鉤を返してくれなければならないと言つて、非常に厳しく責められたものでありますから、それでは何とかして捜して来ようといふので、拠んどころなしに海辺を彷徨つて居られました。其の時に塩土の翁といふのがチヤウド其処に来合せまして、どうもお気の毒なことである。それでは何とかして其の釣鉤を戻す方法を考へねばならぬといふ訳で、海の神に綿積命[わたつみのみこと]といふのがありましたから、此の綿積命の所に彦火火出見尊をお連れ申しました。
さうすると此の綿積命の女に豊玉姫といふのがあつて、此の豊玉姫が彦火火出見尊を御覧になつて、これは大変に勝れた方である。どういふ方であるかと言つてお尋ね申した所が、これは天孫瓊々杵尊のお子様に当る方であるといふことでありましたから、成るほど其の筈である、どうもお姿も非常に勝れた方であると思つたが、さういふ立派な方であるか。それならばどうぞ暫く此処に留まつて居て戴きたいといふので、其の父親の綿積命に申して同意を得て、暫く彦火火出見尊は此処にお留まりになるといふことになりました。それから三年ばかり其処に居られましたけれども、何分にも故郷が恋しいものでありますから、故郷に帰らうといふことを仰せられました。それで豊玉姫もそれは御尤もであるから故郷にお帰りになつたら宜しからうといふので、父親と相談をして此の彦火火出見尊をお返しするといふことになつたのであります。
さていよいよお別れを告げるといふ訳で、大小の有らゆる魚を其処に呼び集めた所が、其の魚の中に口女といふ魚があつて、これが病気で引込んで居るので其処へ出て参りませぬでした。併しながらモウ天孫にお別れであるから御挨拶に来なければならぬといふので、無理に連れて来た所が、口が腫れて居つた。何故口が腫れて居るかと言つて調べると、口の中に何か引掛かつて居るものがある。それを調べて見た所が、前に彦火火出見尊が失はれた釣鉤であつたので、其の釣鉤を捜すといふことが彦火火出見尊の初めの目的であつたのでありますが、其の目的が達せられ訳であります。其の時に海の神が今の口女といふ魚を戒めて、お前はこれから釣鉤を喰うてはならぬ、また天孫のいらつしやる所に出て参るといふやうなことをしてもならぬ。お前が鉤を喰つたが為めに此の彦火火出見尊は大変な御迷惑をお受けになつたのであるから、是れからは謹慎しなければならぬといふことを言ひ含めたといふことであります。
【潮干る珠と満つる珠】
またその際に海の神が二つの珠を差上げました。其の一つの珠は潮の干る珠で、此の珠を海の中に入れると潮が干てしまふ。それからモウ一つは潮の満つる珠で、潮の干た時に此の珠を海の中に入れると潮がだんだん満ちて来る。斯ういふ不思議な働きをする所の二つの珠を差上げて、此の珠を用ひて御兄様を従へさせて、御兄様があなたに帰服するやうになさつたならば、あなたは必ず御父君の跡をお継ぎになることが出来るであらうといふことをお教へ申したのであります。
それで彦火火出見尊は海の神に別れて故郷にお帰りになつて、御兄様に会つて釣鉤をお返し申しまして、それから又潮の満つる珠を出して念じられた所が、潮が満ちて来て御兄様は溺れて死ぬばかりになられました。それでどうも自分はあなたに及ばない。あなたは弟であるから今まで侮つて居つたけれども、とても敵はない。それであるから父の後を継ぐのはあなたに譲って、自分は『俳優の民とならん』――『俳優』といふのは技術を以て暮らすといふことで、あなたの下に属して、普通の人民と一緒になつて何か働いて生活をしようといふ約束をされたのであります。それならば宜しいといふので、今度は潮の干る方の珠を以て念じられた所が、其の潮が退いてしまつて、御兄様も溺れ死なゝいで助かつた訳であります。斯ういふやうな事があつてお世嗣ぎといふものも定まりまして、此の彦火火出見尊が更めて第四代目の君主といふ地位に立たれることになつたと伝へられて居るのであります。
此の事は不思議な伝説でありまして、海の潮の満つるのも干るのも自由な働きをなさつたから、君主の後をお継ぎになつたといふのでありますが、併し此の伝説の中に含まれて居る精神を考へて見ますと、深く味ふべき所があるのであります。萬民の上に立つ方は斯ういふやうな自由自在の働きを持つていらつしやらなければならない。多勢の者を導くのには深い知恵を具へ、また其の場合々々に応じて然るべく処置をする所の確かなる決断力を具へていらつしやらなければ、なかなか多勢の人を教へ導いて其の君主たる地位を保つて行かれることは難かしいのであります。それで斯ういふやうな自在の働きを具へる方が君主の後をお継ぎになるといふことは、君主たる方の責任の極めて重いことも考へられますし、また非常に勝れた方を上に就けば、其の国はますます発展して、国民も皆幸福になるといふことも考へられるのでありまして、これを単なる伝説としては見ませぬで、此の中に含まれたる精神をよく味うて見ると、大変に貴い所の言ひ伝へであるとと考へられる訳であります。
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