小説《underworld is rainy》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅰ…世界の果ての恋愛小説⑥/オイディプス









...underworld is rainy









《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅰ

Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel









Οἰδίπους ἐπὶ Κολωνῷ









どうせ、時間にはまだ余裕があるに違いなかった。まだ十時前だったし、いかなるイベントも一時間後れでしか始まらないお国柄であれば、フエは、二人で、この遊園地で遊んでみたかったに違いない。

私たちは手をつないで、遊園地の中を散歩して回り、どこかの東欧の国の団体が、ダンスと演奏のイベントをして、韓国人がポップコーンを食べる。

ベトナム人の観光客が写真を取り合って、ざわめき立ちながら、鳥の数羽が、路面に散乱した食べ物をついばみ、さらに散乱させては声を立て啼く。









ホテルの場所だけを確認するが、まだ、そんなそぶりなど何も見えなかった。飾られた招待看板も何もなく、本当にここで今日、ほんの一時間後に結婚式が行われるとも想えない。

閑散とした、単なるホテルのロビーに過ぎないそこに、集まった親族たちの姿もない。

そのまま通り過ぎて、フエが思いのままに先導していくのについていく。思いのままに、きまぐれに、やや、でたらめに。

無造作に。

想いつくままに。

あてどさえもなく。

実際、フエも始めて来たのだから、何を知っていると言うわけでもない。日本の遊園地と同じ、代わり映えのしない、いかにもヨーロッパのお城風の建物が、乱立する。

ジェットコースター、ゴーカート、観覧車、それら、アトラクションの散乱。フエがときには不意に声を立てて笑えば、私に振り向き、手を振って、こっちよ。

こっちに来て。

そっち?

こっち。こっちに行きましょう。

走る。雑踏の中にもはや聞き取れないフエの声の散乱。さわぐ。手をつかむ。はしゃぐ。手を握る。腕を抱く。それら。人々の混雑の間を縫って。細かい霧雨がやまない。

あるいは、霧が静かにただよい獲もせずに、ただ、重力に敗北して失墜していただけなのかも知れない。フエの、かすかに濡れかかった髪の毛を指先ではらってやった。その水気を。

何にきっかけがあったわけでもなく、目を離したすきに、すぐ近くはずにいたはずのフエを見失ったのは一瞬のことだった。立ち止まって周囲を見回し、彼女の姿を探す。眼差しは、そこにフエの姿を捉えない。フエを、私は探す。

見回し、振り返り、振り向き見、立ち止まり、じれてまた振り向いて、背伸びしてみせ、ややあって数歩、きまぐれに歩いてみて、立ち止まって、また、そして、フエは見当たらないのだった。彼女の携帯電話は、私のポケットの中に在るのだから、それは今、何の意味もない電力の消費に過ぎない。

霧雨が、濃くなっては、そして、薄くなる。そらはただ、そのまだらな白濁を曝す。

建物の先にはるかな雲の千切れた散乱が見下ろされ、混雑の中に、背伸びをして首を回す。

フエがいなければ、私に行きたい場所などなく、行くべき場所もない。今、この瞬間のここには。そして、そもそもが、この場所自体、私には何の用もない場所に過ぎないのだった。

音響が耳に響く。まったく、私に無関係で、私には興味のないそれ。眼差しの中に色彩が、そして捉えられた形態が踊る。無意味な、その。なぜ?と。なぜ、こんなところにいるのか、もはや、全く意味がない。フエを探さなければならず、そして、結局は、そのために歩き回るしかない。誰かのひじが私を打った。そのやわらかい腹部を。探し回ろうとした瞬間に、足は停滞した。どこにいるのか知らない以上、どこへ行くあてもなく、どこへ行くべきか、それさえもが一切わからないのだった。

取り合えずは歩き出すより他なくて、そして、だから、歩き出す。どこへも向わずに歩き出すことの、容赦のない困難が、笑うしかない。笑いかける相手もなしに。すべてが葛藤と逡巡でしかなく、そして、徒労に過ぎない。彼女を見つけ出すまでには。私の意志は、結局はその偶然の到来を期待しているに過ぎない。本質的には、すべてが、…私の挙動のすべてが、すでに留保無き徒労であるに過ぎない。

私は、歩いた。







Underworld is rainy


いつの間にか驟雨、…と、言うのだと想う。そんな雨が数分間だけ降って、やんで、霧が舞い、そして、空は雲を斑に引き裂いた。

鮮やかな風景だった。

美しい、と、そう頭の中でつぶやこうとした瞬間に、そうとも言獲ない気がした。美しい?あるいは、そんな言葉以前の、あるいは、以上の、あるいは、そんな。

そんな言葉とは無関係な、あくまでも他人の風景に過ぎない、そんな、それら。それらたち。それらの群れ。それらの集合。その、散乱。一切のかかわりなど許されてはいないところの。

故に、それを捨て鉢に美しいと、そう呼ばなければならないのだ、と。

疲労が、私の体内の真ん中に、にぶく、あった。

何分たったのか、何十分なのか、そんな事はわからない。私はフエを探す。

歩き回れば回るほど、私たちははぐれるだけなのかもしれない。いま、この瞬間に、視線の視覚の中にフエが、同じような視線の視覚を曝して、すれ違って行ったかも知れない。

お互いに気付きあわなかった共有されない空間の共有の中に。

フエが、見えない。

彼女はいない。

気配も感じられない相手に、かけるべき言葉もなかった。私は、ただ、彼女を探した。こんなはずではなかったと、そればかりが、無意味な悔恨になって、私を襲った。

為すすべもなく、そして、見あげられた空の、白濁の切れ目から、青の色彩の、光のその鮮度そのものが、下方に落ちる。

私の眼差しのただ中に。

光。

私もその光に差されているものの一つに他ならなかった。高山の頂の土地はならされていながらもかすかな隆起をくりかえし、私の足がそれを踏む。

這う。

這うように。

あるく。

探す。

求める。捜し求め、そして、あるいは、さ迷う。

また、霧雨は降り始めるのだろうか?この高山の上に。

花の公園に出る。

フランス語で、Le Jardin des Fleursと、書いてあった。壁面に植えつけられた花の、その鮮度の高い赤から紫にかけての花の色彩の文字で。

花の庭園、と言うのだろうか?

匂う。植えつけられたままに咲き誇った花々の匂い。人ごみの、あるいはその音響。衣擦れ。濡れた植物の匂い。

…花の。

フエは、その名前は百合、と言う意味だった。花の百合を探し、そして、眼差しのうちに花の百合さえもない。

百合の花にさえ見捨てられて?

歩く。

巨大な花壇の周囲をまわり、広大な花園をさ迷う。

この花園の写真を撮ってやれば、フエは喜んでくれるだろうか?

蝶の姿を、不意に探した。見つからなかった。高山には、蝶など存在しないとでも言うのだろうか?

あるいは、人々の吐く息に穢されたこの周辺を嫌って、蝶の群れは飛び去って仕舞ったのだろうか?

その、気配さえもない。

人ごみから遠ざかって、その意志があったわけでもなく、公園の、そしてアトラクションの尽きた先の背後に出る。

建造途中のアトラクションが、無骨な構造体を曝し、資材は周囲にでたらめに詰まれて放置される。今、トラックも、クレーンも何も、稼動してはいない。

それどころか、作業員さえ一人もいなくて、単なる廃墟に過ぎない。

完成する前の、その。生み出される前の、この、まごうことなき廃墟。

たんなる廃墟としか、言いようがないもの。









こんな場所にいるはずがないと、そんな事はわかっている。誰に言われるまでもなく、自分で認識するまでもなく、そんな事はわかっていたのだった。

いるはずはなく、事実、いない。

何もかもが、遠くに聞こえる。その、それらの音響の群れは。

静寂?…何も聴こえないわけではないが、その聴き取られつづける微弱音の群れがかたちづくるのは、ただ、静寂と呼ぶしかないものだった。

こんなところに来なければよかった。そして、こんなところにきて仕舞ったのだった。

スマホの時計は、十一時をもはや十数分過ぎて、そして、結婚式は始まって仕舞ったかもしれない。そうに違いない。あるいは。あり獲ない可能性では逢っても。

花嫁は綺麗に違いない。

二人は幸せなのに違いなく、今この瞬間にでも、人々の祝福と囃し立てる嬌声のなかで、熱い抱擁と口付けを交わしたのかもしれない。

みんなの祝福の前で、恥じらいをさえ曝してやりながら。

フエは、私を探しているのだろうか?

鉄骨と、資材の山の間を歩く。 

眼差しの向こうで、山脈は一気に傾斜して、ただ、雲が広がっていた。いつの間にか、向こうまで、それは白濁をだけ曝し、もはや、その下は見えない。

ただ、白い。霧、なのか、雲なのか。

…色彩。

樹木の群れが、その白濁に飲み込まれる前に、その無垢なまでの色彩の鮮明さをだけ曝し、そして、そこには一切の動きさえ感じられない。

霧状の色彩が、白濁して乱れる。

静かだった。

そして、それらは生きていた。

私がこのまま死んで仕舞っても、例えば数十年の年月をかけて、死んで仕舞っても、それらはそれら固有の時間の尺度で生存し続けるに違いなかった。

雲は、その全体として、かすかにうごめきさえしているようだった。大気のやすみない流動のせいで。

気付く。すぐに。かすかに、目を凝らせば、そして、数十秒でも見つめていれば。

立ち尽くす。私は。

そして、息遣う。

不意に、男の声がした。背後の鉄骨に、若い男が座っていた。煙草をすいながら。休憩をしているか、それとも、単にサボっているのか。

作業員なのかも知れなかった。薄汚れたTシャツと、ショート・パンツを身にまとっているに過ぎない。

日に焼けていた。

30歳に満たないように見えるその童顔の男は、もっと若い老け顔の男のようにも見え、とはいえ、もっと年を取った、若く見える男なのかもしれない。

私にはわからない。

笑いながら私にベトナム語で話しかけてきて、私にはそれは、一切、理解できはしない。Anh ơi ... あなた、という私への呼びかけが、ときに耳を撃つに過ぎない。

それは、単なる音声でしかなくて、人声のノイズに過ぎないのだった。

神経質そうな、若干ナーヴァスな、そして陽気な舌を咬みそうな危うさを持ったそれ。

立ち尽くしたまま自分を振り返って、何の反応もなく自分を見つめる私に、いつか、言葉のわからない異邦人に他ならないことを気付いたに違いない。

口をつぐんだ。

肩をすくめた。

沈黙した。

見詰め合った。

腕を伸ばし、指を立てて、下のほうを指さしながら、不意に言った。想い出したように。

…Underworld is rainy

声を立てて笑う。

あんなに雲に覆われているんだから、下は雨に違いないぜ。

…メイビー。

私は、微笑んでやった。









2018.07.30.-8.1.

Seno-Lê Ma






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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