小説《underworld is rainy》イ短調のプレリュード、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅰ…世界の果ての恋愛小説⑤/オイディプス
...underworld is rainy
《イ短調のプレリュード》、モーリス・ラヴェル。連作:Ⅰ
Prelude in A minor, 1913, Joseph-Maurice Ravel
Οἰδίπους ἐπὶ Κολωνῷ
あるいは、涙も。
流れ出した、そして明確に、その触感とその温度さえ感じて仕舞うのならば、その限りにおいて、まさに、涙は他人のものだったのだろうか?
あるいは。
フエは、他人の涙におぼれた。
私は、フエの目が流す他人の涙を指先ですくってやった。
誰の涙だったのだろう?それは。
涙には、結局のところ、所有のあるいは所属の人称さえも与えられていない、いわば世界の外の実在だったのだろうか?
触れたのだった。
涙に。
フエは、私の体の下で、四肢を投げ出して息遣い、脱力して、その汗。私のそれと交じり合ったそれに塗れながらも、目を閉じて、涙を流し、他人のそれ。
決定的に他人の、明らかに彼女に固有のそれ。
悲しかった。言うまでもなく、私は。私も。彼女とともに。すぐ近くの、手を伸ばせる触れ得てしまうほどの距離に安置された、明らかに私たちとは断絶されたその物体。
あからさまに失われた、その。
花。…Hoa、と、名付けられたその。
今は亡き彼女。
雨が降っていて、その質感が、空間を満たしていた。フエが首を傾げて見せて、私に笑いかけて見せるので、私も笑って見せた。何がおかしいわけでもないことは、私たちにはすでに共有されていた。
何もおかしくはなかった。そして、私たちは微笑んでいた。
フエが手渡した結婚式の招待状を、その、飾られたピンク色のレターサイズのそれをテーブルの上に投げ出しながら、私は雨の匂いをかいだ。
日本にも、雨が降っているに違いなかった。土砂を流して、地表を削り、地図や地形を変えて仕舞いながらも。
*
* *
バナー・ヒルズというのは、日系のレジャー・デベロッパーが仕掛けた観光施設だった。バナーと言う高山地帯を丸ごと買い取って、あるいは商業開発権を買い取って(詳細は知らない)、下から長いロープウェイを通して、その低空に千切れ飛ぶ雲のそのうえの高山の頂上に広大な遊園地施設を開発したのだった。ホテルもあれば、イベント場もあった。
とは言え、普通、そんなところで地元の人間は結婚式など挙げたりしないので、私は少し、奇妙には想った。
そこに行くためには、それなりの入場料…現地貨幣で50万ドンから70万ドン程度の金銭が必要なので、そもそも多くの親族を集めるわけにはいかないはずだった。日本円にすると3千円程度なのだが、一般的な月収は、2万円や3万円から、エリートでも10万円以下であれば、かなりの出費になるには違いない。
それでいいと言うのかも知れないし、それでも来るという事なのかも知れない。そんな事は、私には関係ないことでもあった。
いずれにしても、雲の上で結婚式をするというのは、確かにロマンティックなイベントであるには違いなかった。
ダナン市の中の町の外れに在って、その存在は聞いたことはあったが、行った事はなかった。
朝方、夜が明けるか明けないかのうちに、土砂降りの雨が、十分に満たない数分だけ、降った。たぶん。
朝起きたとき、誰も手入をしなくなったから、自由に生育を始めた草花が乱れ茂り始めた庭は、そしてその向うのアスファルトの路面は濡れていたし、そして、ココナッツの樹木の上空に垂れた葉も水滴をときに垂らしながら、風にそよいだ。
私はベッドの中で、いまだ半分以上、意識を睡眠の中に埋没させながら、その降りしきる音を聴いていた記憶があった。…雨、と。
今日は、雨だ。そう、今日の予定など何も思い出せないうちに、何かを思い出そうとしながら、私の意識がその言葉を何度かつぶやき続けていた記憶がある。
鮮やかな、記憶が。そして、その記憶には、無意味で曖昧な痛みがあった。心の柔らかい部分を、絹の布地で引っかいたような、そんな、繊細な痛みが。
いつも化粧などしないフエが、朝から化粧に追われた。化粧などしないフエは、もちろん、化粧が下手だった。施す、と言うよりは、描く、そんな化粧の仕方。
日曜日の、午前。
珍しく香水をくぐったフエをバイクの後ろに乗せて、フエに道の指示をもらいながら、バイクを走らせる。もっとも、妻のお気に入りの、ホンダの白い原付きにすぎない。
朝の9時過ぎ。
結婚式自体は十一時からだと書いてあった記憶があった。
日曜日の朝の町は、次第にゆっくりと人々をどこかに吐き出して、路上は疎らなバイクの群れを、どんどん増殖させていく。町の中央部を通り過ぎると、その数は減少し始め、殆どすれ違うバイクもいなくなり、山とも丘ともいえない土地の隆起の上に這った広い主幹道路を走る。
空はただ、曇りかけていた。
その大半に、透明感を湛えた青空の青がむき出しにされ、そのところどころを雲の白濁した色彩が汚した。
やがて雨が降るのかも知れず、そのまま持ち堪えてしまうのかも知れなかった。
森林地帯に、そして、土地の隆起にしたがって山林地帯に入って行き、道路の周囲に家屋は消滅する。道路はもはや道路それ自体にすぎない。
樹木が匂った。おびただしい、道路両脇に繁殖するそれら。
それなりの雨が、降っていたのかもしれなかった。あの、誰もが眠っていた明け方前の数分間の間に。樹木は、濡れた匂いを、いまだに鮮明にたてていた。傾斜をえぐった道路の両脇で、何に触れるわけでもなく、何かを突き刺して仕舞おうとしたかのような鋭利な枝の、研ぎ澄まされた短い葉の連なりが密集して突き上げ、伸び、ひん曲がって、それらの自由な形態が、わがままに空間を支配していた。
バスが何台も通り過ぎ、或いは、追い越す。
バナー・ヒルの駐車場は、半分くらい埋まっていた。バスも、車も、バイクも。人々があふれ、ベトナム人、韓国人、中国人、そして白人たち。或いは、インド周辺の、あるいは、その他の。
それらの声と体臭が、湿った大気の中に群れる。大した高低差の中を、バイクを飛ばしていた気はしなかったのだが、それでもそれなりの高度にいるに違いなかった。樹木の、葉に刺す光に、わずかな違いが感じられた。
柔らかく、色彩を感じさせないまま、その、色彩そのものの鮮度だけを強烈にあらわしたようなそれ。
色彩の鮮度以外のすべてを、ことごとく捨象してしまったようなそれ。霞んでいくような、鮮やかさ。
…高山の光?その、色彩。
さまざまな文化流儀をでたらめに表現した人ごみをかいくぐってロープウェイに乗る。フエがはぐれないように、私の手をつかんで、私を先導したのだった。
いつ?フエは言った。いつ、子どもをつれてくるの?
振り向いて、ロープウェイの中で、私に上目遣いの眼差しをくれながら、いつなの?
次の、子ども。
Hoaが死んでから数ヶ月。
もう、三年近く経ってはいた。フエが、彼女を妊娠したときから数えると。いつ?
私は意味もなく同じ質問を彼女に返し、フエはじれたように、
Khi nào ?
繰り返す。…いつ?
…いつだよ。
いつ?
いつ、死ぬのだろう?次の子ども。生まれたとして。むしろ、生まれる前に死んで仕舞うだろうか?生き延びて、生まれるだろうか?生まれて、生き延びるだろうか?どれだけ?
ほんの数時間か。数日か。数年か。数十年か。それとも、その固体の死をは体験しないでやり過ごして、私のほうが、先に死んで仕舞うだろうか?どっちが先に?子供か、私か?私たちか。私か、フエか。誰が先なのか?
あるは、子供は私を殺して仕舞うだろうか?フエのように。
ロープウェイが山林の上を滑走していく。足の下に樹海の沈黙したままの浪のてっぺんが、こちらに向ってその先端を突き刺そうとする。その、無数の。
はるか向うまで高山地帯は樹木に覆われて、確かに、そこを支配しているのは完全に、樹木であって、間違ってもヒト種ではない。そこは、樹木の留保無き領域に侵犯したヒト種が、大量の資金と人材と労働力を投入して掛けた、それは頂上への長い上空の道であって、眼差しの先には、明らかに私たちの生存領域とは言えない、無慈悲なまでの冷酷さこそがあった。
フエがカメラを向けて、私を撮影するので私はときに微笑を浮かべてやらなければならない。
Cười
フエは、
笑って
つぶやくように
Anh à
繰り返す。
…ねぇ、
何度も、その唇の先で。
声を立てて笑い、小声ではしゃぎ、乗り合わせた若い韓国人の集団に気を使った。
足の下には、息をひそめながら、野生動物が茂った樹木の氾濫の陰に、その生存を続けているに違いなかった。あくまでも、その樹木らに依存しながら、滅びはしない程度の繁殖を維持して。
そこは、哺乳類たちの領域とは言獲ない。彼らの生存領域でありながら。むしろ、明らかに野放図な野生の樹木の支配下に過ぎない。
気がした、のではなくて、それは、ただ、眼差しの中に確信されていた事実にすぎなかった。
大陸の山脈は大きい。
ひたすら大きく、はるかな、その頂が、見上げた向うに見える。
はるかなもの。
そして、基本的には沈黙を守っているもの。
日本の、ちいさな、そして凶暴なそれのように常に饒舌なものではなくて。
巨大なもの。
巨大で、単純なもの。
その巨大な平面を、でたらめに、暴力的なまでに茂った樹木が覆い尽くす。
高山は、空の低いところに漂うちぎれ雲をぶつからせ、ときに、下方にまで増殖してしまった雲を頂点にかぶり、雲は斜面に雪崩れを起こす。
緑は、白濁に埋もれ、私は瞬く。
フエが身を預けて、私たち二人の写真をデータに残す。
ロープウェイのゴンドラはちぎれた雲を、あるいは上空の水蒸気の塊に突入し、視野は白濁し、そして、その色彩はたゆたう。
雲を突き抜けた先に見下ろせば、ちぎれて浮かんだ無数の雲のはるか下方に平野が広がって、その尽きた先に海が広がる。視界の中に、波立ちのうごめきさえ知覚出来ないながらも、そしてあまりにもちいさくしか見えないながらも、その支配領域の巨大さに、改めて気付かされるのだった。
地上にへばりついた海辺で向うに見る、すぐ視野の先で尽きてしまう海のスケールが、結局は人間の視界のサイズに矮小化されたものに過ぎないことがよくわかる。
それは、あまりにも巨大なものなのだった。
その上でも、その中でも、そしてそれを飲んでも決して生きてはいけないところの、その破壊的な海の恐ろしい巨大さは。
海は美しくはない。ただ、凄まじいものだ。
雲が乱れる。霧が散る。ロープウェイの外は、細かな霧雨に、かすかに白濁していた。
ロープウェイを降りると、肌に高山の冷気が触れる。寒く、そして、すべのものの色彩はいよいよ、その純度を増す。高山の光に当てられて、それらは本来の色彩そのものだけを、ただ、むき出しにする。
無造作を極め、霞むように鮮度を窮めて。
眼差しの向こう、どこまでも広がった空を、雲が埋めて、その切れ目から下界が…茶色い、或いは緑の、単なる色彩のグラデーションに過ぎないそれらがときに、姿を現す。
見上げられた空は、その上空にあった雲はあまりにも近い。
以前、フエと、その弟たちと行った、南部の高山の町、ダラットでもそうだった。
幻想的と言うよりは、むしろすべてが鮮明な風景が広がる。そしてその上には何もない。そんな事が実感される。その先には天国などありはしない。文字通りそこでは生きてはいけない、世界、と、そう呼ばれる生存環境にすぎない領野の、その真っ黒い果てが、広がるしかないのだった。
美しい、
...Đẹp
と、私がそう言ったとき、フエが声を立てて笑った。ゴンドラが辿り着いた先、その路面に立って周囲を見回し、私にじゃれ付いて、私の頬につま先だってキスをくれ、寒い。大気は容赦なく冷え切って、彼女を軽く抱きしめてやった。
高山の上野遊園地を、人々が埋め尽くす。会話の、物音の、イベントのBGMの、そしてあらゆる音響が混濁して、私はそれを聴く。
私もフエも地上にあわせた薄着にすぎなかったので、冴えた大気の冷たさがじかに皮膚にふれた。
どうせ、時間にはまだ余裕があるに違いなかった。まだ十時前だったし、いかなるイベントも一時間後れでしか始まらないお国柄であれば、フエは、二人で、この遊園地で遊んでみたかったに違いない。
私たちは手をつないで、遊園地の中を散歩して回り、どこかの東欧の国の団体が、ダンスと演奏のイベントをして、韓国人がポップコーンを食べる。
ベトナム人の観光客が写真を取り合って、ざわめき立ちながら、鳥の数羽が、路面に散乱した食べ物をついばみ、さらに散乱させては声を立て啼く。
ホテルの場所だけを確認するが、まだ、そんなそぶりなど何も見えなかった。飾られた招待看板も何もなく、本当にここで今日、ほんの一時間後に結婚式が行われるとも想えない。
閑散とした、単なるホテルのロビーに過ぎないそこに、集まった親族たちの姿もない。
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