小説 op.5-02《シュニトケ、その色彩》中(二帖) ④…共犯者たち。









シュニトケ、その色彩

二帖









「未来の話をしようよ」

「なんの?」言った私に聞き返すが、加奈子は笑っているだけだった。「誰の?」加奈子の言葉を、そして私は微笑んでさえいたのだが、銭金のはなし?子どもの話?革命のはなし?イノベーション、あるいはレヴォリューション、改革、前進、変革、時代が変わるって?…なによ、「…ね?」何の話がしたい?ほら、と加奈子は言った。何もかも朽ちかけてる、と、窓の向こうの荒れたベランダの鉢植えの花の群れを差して、それらは日差しの下で小さい、白と、紫と、ピンク色と、白地に黄色をはべらせたグラデーションと、それら花々を咲かせて、風とさえ呼べないほどのダナン市の微風が揺らめかせるのだが、粗雑な言葉の群れがむき出しのままに飽和している。私のそれをも含めて。日本でも、ベトナムでも。立ち寄ったカフェの中でも、部屋の中でも、沈黙のときにも、交配の間さえも、窓の向こうにさえ、こっちの内側にさえ、カーテンでさえも、結局は昼間の日差しを防ぎ切れはしないように、おぼろげにではあっても飽和しきった言葉の群れに飽和させられる。***********************************************************************、いや。と、それだけ言った加奈子が、「未来の話なんかいや」









「なんで?」聞かないで。その、拒絶がすぐに笑みに紛れるのは、「老いぼれていく先の話でしょ?」老いさらばえた、と、加奈子は言いかけるのだが、言いよどんで、自分自身に対する劣等感を伴った愛撫の内に、その指先が自分の体を確認する。「きれいだよ」

「うそ」未来なんか、「うそじゃないよ」見なくていいから。だから、…さ、「綺麗だよ」目を閉じて、「…ね?」乳繰り合ってない?ずっと。「もっと言って。その、」何でもいいから。「むかつく嘘」もっと言って、と、ひざまづいて、ベッドの上で、********顔をうずめて嗅ぎ取られた匂いの中に、密着された空間の中で、自分の老いさらばえた体臭がした気がした。十二歳の頃にさえ、妹の幼い皮膚にむごたらしいほどに自分の老いさらばえていく現実を知覚して、彼女が広げた巨大なひらがなが羅列された宿題に、彼女の容赦ない知性の欠落に嫌悪する。こんな愚かな生命体でいることはいやだった。耐え難い嫌悪感が、過去の全てを塗りこめながら、未来の老いさらばえた醜悪さにおののく。いくつも眼にした死の穢らしさを思い出すたびに、その、例えば妹の。引き裂かれた肉体の。生きているものが持つどうしようもない醜悪さは、寧ろそこに潜在するものの先験的な倫理だったのだろうか?…死の?そんな矛盾した感性的な論理遊びをもてあそんでみる時間など許されてはいない。舌を触れて、加奈子のそれに触れ、触れた舌の先は、その誰のものも同じでしかない味覚を知覚したとき、加奈子はわざと、日本風の声を立てて、私の頭を手のひらに触れた。「知ってますよ」と、瑞希が言ったのは、強姦された皇紀が病院に収容された日の午後だった。「柿本さんでしょ?」

「なに?」とぼけないで、と笑った彼女に、なんで?「なんで、」

「知ってるのかって?」微笑みがやがて、耐えられなくなった笑い声になって仕舞うのを、最早瑞希は止めない。「加奈子ねぇ、言ってましたよ。」あいつが、と、私の声は彼女に確認さえされない。「知ってます?」なに?「あの二人、兄弟なの」兄弟?「ごめん、姉妹」なにがおかしいの?ね、「お母さんが一緒」なんで笑ってんの?「お父さんは別ですけど。ばかばかしいでしょ」…でも、ね?と、ひそめた声が、聞き取られやすいように接近させられた彼女の唇の、耳たぶへの息が触れる距離の中で、「気にしないで」いやではないがその口臭を嗅ぐ。その「全然、気にすることない」匂い以前の、いわば匂いのかげろうの存在「もう何回も」あの子たち、ね、もう何回も。桜子、何回も強姦されてるから。加奈子が捕まえた男に。「大丈夫、」と瑞希は言って、私の腕を組んでとり、「あの子、何にも言わないから。いっつもそう。」心配しないで。気にしなくていいから。有栖川公園で開かれた茶会の数日後に、私の建築事務所に来た汪はいつものように上機嫌だった。いつでも常に陽気さを装って、よそわれた陽気はすでに彼の本性にさえ化けていた気がしたが、「…ね。」声を立てて汪は笑い、「小手調べ、するよ」

「なんの、ですか?」

「何、言ってるの」不意に叫んで、不満をわざと曝した汪の表情は、「桜桃革命の、よ。」…殺すよ、言った。本当に。と、じゃあ、と、私は、今まであなたたちが殺してきた人間の死は一体なんだったんですか?「一人一殺。その、実践練習、…ね?」言わなかった私の言葉に、汪が答えるはずもなく、「誰を?」

「尾上たち」言った汪は、奇妙なほどに陽気な笑い声を立てた。加奈子は言ったものだった。汪になんか媚売ったって、どうしようもないよ。だって、「尾上さんを?」もう、あいつ、行き場所ないから。「…そ。…ね。」二十年前の中国だったらともかく、「事務所、襲撃させるよ」いまどき、「桜桃会」中華人民共和国に汪なんかの居場所あるわけないじゃん。「本気よ」しがみついてんのよ。「いつ?」日本に。海の中の孤島だから。「二日後」時代遅れの気違いでも「誰が、」生きていけるから。「誰のアイデア、…」必死なんだよ、「決断ですか?」あれで、と、「恭一さん」お茶会で恭一は尾上のコップに酒を注いでやっていた。僕たちはね、と、恭一は挨拶した私に、「兄弟みたいなもの。お互いに、本当に、命を張ってますから。いつでも、棄てる覚悟ありますから。武闘派って何?…ね?それね、その、覚悟のね、問題。」武闘派です、尾上は笑い乍ら同意して、酒をあおり、花見と変わりはしない。花ではなく、夏の大量の緑葉とその木漏れ日が散乱しているだけだ。計画は桜桃会が立てた。恭一はそれを修正し、指導した。北朝鮮から買った銃器を持たされた会員たちは、八月二十八日、それぞれの自宅で朝六時に目覚める。対象は、尾上組の五人の主要幹部と、住所のあてが着く限りの六人の末端の構成員だった。各自担当する人間を尾行し、夜九時、LINE上に於いて所在確認の上、最終的なオペレーションは恭一が決める。簡単なことだった。どこででも、彼らに連絡できればいいのだから。恭一はその日、自宅近くの飲食店で友人と飲み会をしている最中だった。それはアリバイ作りでもあった。事務所の襲撃には四人の会員が当たり、「なに?…女でもできた?」その他人物はそれぞれの機を見て襲撃する。夜十時の最初の「違いますよ」襲撃は事務所であって「妻子もちじゃないの?」なんの問題もなく襲撃が完了した後「堅物ですよ。私は」最後の吉祥駅近くの「嘘だろ?」自宅における久本裕也射殺に至る深夜一時までには全ては終了した。


十時五分、新宿北新宿尾上組襲撃

宮本大三、北浦泰隆、上原茂史、大津隆一郎、射殺。

担当、フン・サン、テイン・ウィン、李浩宇、ホセ・テルテ、タン・ヌ


十時三十五分、新宿歌舞伎町パブ・クラブ《グランデ》襲撃

白田直人、三浦庸一、日比谷高志、射殺

担当、張浩然、マニー・ペンペンコ、キン・タント


十一時二十分、新宿区大久保

槙井健一、射殺(自宅マンションを襲撃)

担当、エミリオ・リサール、陳劉翔、


一時十分、渋谷区初台

久本裕也、射殺(自宅マンションを襲撃)

担当、レ・ティ・ニア、ノイ・センダラフォン


尾上だけ、アポイントはすでに取ってあった。皇紀の携帯番号でかかってきた電話を、尾上は何かの間違いだと思った。皇紀が女言葉を使ったからだった。皇紀が尾上にそれを使うのは初めてのことだった。話しがあるから二人だけで話したいという皇紀が指定した場所は花園神社の前だった。指定された時間に遅れて着いた尾上は皇紀を探したが、ふと、ややあって、すぐに、目の前にいる女が皇紀であることに気付いた。「どうしたの?珍しいじゃない?」…ね?びっくりした?言った皇紀の声に戸惑いながらも、尾上はそのまま皇紀の先導に従う。入った歌舞伎町の寿司屋で尾上は皇紀の解かれた長い髪の毛と、完璧にメイクされ、香水さえまかれた皇紀と話す。た易い煽動に過ぎない。暗示するだけで、寧ろ尾上は皇紀を口説き始め、何度も言葉を重ね、最早懇願するように、そして、同意した皇紀たちは席を立つ。淡い色彩のキャミソールと、短パンから晒された皇紀の身体が、尾上を駆り立てて、歌舞伎町のホテルに入った皇紀は、すぐに、笑いかけながら服を脱いで言った。「わたし、決めたら、もう迷わないから。」言って、声を立てて笑い、「待って、」…ね?いやなの。「なにが?」臭いよ。わたし。臭いって思われるの、絶対いや。先にシャワーを浴びた皇紀はバスタオルを巻いて、書き上げられた髪の毛が匂いを立てた。「待ってて。」…ん?と、シャワーを浴び始めた尾上が出てこない内に、ポーチから、小さな、砥がれた果物ナイフは枕の下に隠された。バスルームから出てきたとき、皇紀は枕に背を預けて仰向けに、***************。「ほしい?」なめて、と、皇紀は言った。「好きなの?」









「好きなの。…ね?。ひざまづいて。…ね?。犬みたいに。…ね?。ぜいぜい息切らしながら、…ね?。*******。…ね?。***、…で、****、…で、*******してほしい。」白髪交じりの尾上の髪の毛をつかむ。…ね?。十二時四十分。大事な話だから、と暗示をこめて皇紀に命じられるままに、尾上の携帯電話は電源が切られていた。自分にしゃぶりついて、舌をつかう尾上の顔を股に挟み、ひっくり返して、あお向けられた尾上顔の上に載った皇紀の豊かな曲線を見る。「見ないで、やだ」恥ずかしいから。「関係ないよ」だめ。尾上の顔に******撫ぜつけて、目を閉じられた尾上の顔に、******こすりつけてみる。噴き出された唐突な皇紀の笑い声に、「なに?」すでに、枕から引き抜かれた果物ナイフが自分の喉を突き刺していたことを、尾上は理解できない突然の苦痛の中に自覚したのだろうか?突き刺したナイフをえぐり、噴出した血を全身に浴びながら、皇紀は自分の手のひらが押さえた尾上の目が左右に震え続けていることには気付いていた。どんな気がした?ふたたび、









他人の血にまみれてみることは。いまさら。生まれたときに十分浴びたはずだった。その時に、完全に他人となった母親の流した血を。いまさら、ふたたび。よくやった、と、翌日の打ち上げで言った恭一に、整列した皇紀たちは一礼した。桜桃会側の犠牲者はなかった。数人のかすり傷と軽度の打撲くらいのものだった。「…ねぇ」加奈子が耳打ちした。「他人のふり、してる?」なに?恭一は訓示をたれ、振り向いた眼差しの中で、加奈子は微笑みながら、「ずっと、他人の振りしてない?柾也?」

「他人って?」

「あんたも共犯だよ」だって、と、知ってたのに、何にもしなかったでしょ?あんたも。

あんただって、結構、仲良かったじゃない。ややあって、加奈子は言った。…尾上と、さ。「知ってるよ。わたし」…てか、さ。私は言った。どうせ、社会のクズだろ。と、そして加奈子は笑う。「じゃ、やくざはアウシュビッツに連れてってもいいのか…」その声は、わざと独り語散るように「人体実験してもいいのか…」実際、ある意味、人体実験でしょ。これは。練習だって言ってたんだから。「…じゃない?」学校で教わらなかった?加奈子は言って、耳元だけで小さく笑う。知ってるよ、私は言った。お前も、と、俺たちはみんな、共犯だろ?私は言った。「どうする?」なに?、と、一瞬遅れて聞き返した加奈子に、世界を、血に染めてみようか?笑った私のささやき声を加奈子は耳元に聞く。

御食向(みけむかふ)

南淵山之(みなみぶちやまの)

巌者(いはほには)

落波太列可(ふりしはだれか)

削遺有(きえのこりたる)(巻九)









2018.02.20-03.02.

Seno-Le Ma





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000