小説 op.5-(intermezzo)《brown suger》①…君に、無限の幸福を。
震災があったようですね。
ベトナムに住んでいるので、実はよくわからないのですが。…
インターネット情報だと、一つ一つ記事が細かすぎて全体がよくわからないというか、どんな感じなのか、実感として良くつかめない、というのが実情です。
私の知り合いに関してはなんともなかったようですが。…
皆様のご安全をお祈りいたします。
今回からはじめる《brown suger》という小説は、《シュニトケ、その色彩》という中篇連作のインテルメッツォです。
行替えを多用したりもしているので、正確にはいえませんが、400字詰め原稿用紙で大体100枚くらい。4万字。
結構、インテルメッツォにしては長いね、という。…
舞台はベトナム、《上》と《その色彩》にでてきた Thanh タン という少年と、日本から来た、人種的にはフィリピン人で、国籍は日本の女の子が主人公にになっています。
要するに、簡単に言ってしまうと、犯罪小説、なのですが、個人的には気に入っています。
棄てられた、あるいは、棄て去ってしまった少年と少女が、町の中を疾走する、そんな物語です。
ブログ・ヴァージョンでは、過激な言葉のある部分は、字を伏せておきます。
後に、完全版を公開しますので、興味を持っていただけたなら、予備知識をつけた上で、そっちのほうでも読んでいただければありがたいです。
2018.06.19 Seno-Le Ma
brown suger
#0
笑い声に振り返る。Duy ユイ のその声を聞き、見ろよ、と、17歳の Duy は言っている。その笑い声が。
言葉もないままに。
見る
眼差し。
Thanh タン は
かすかに黒目を震わせて。
微笑を返しながら
少しだけ神経質な、それ。
Duy の
真横に夕暮れ時の濃い光を浴びた、その。… Duy。
自分を見返す、その
大柄な、丸太のような腕の。
眼差し
…彼の。
その眼差しが。Thanh タン はまだ12歳だった。彼が明らかな少年じみた顔立ちを曝していることなど誰もが知っていた。だからこそ、Thanh は使えた。Duy たち、ベトナム、中部の観光都市、ダナン市、この町を徘徊する窃盗団の彼らにとって。誰もが家の外から Thanh が呼びかけたとき、人々は無防備に顔をのぞかせた。
…どうしたの?
特に女たちは。何か、庇護してやらなければ、それはあなたが犯した犯罪に他ならないことを、あなたは知っていますか?と、そう静かに訴えるような Thanh の無言の気配と眼差しに、誰も抵抗などなしえなかった。
悲しく微笑んだ次の瞬間に、Thanh が彼女たちを羽交い絞めして、容赦のない殴打の中に、なにも理解できないまま生まれてきたことそれ自体を後悔する無数の瞬間の群れを刻み付けられるにもかかわらず。
…こいつ、壊れちゃったね。
そう言っているに違いない、Duy の眼差しに、不意に Thanh は声を立てて笑った。目の前には、70歳近くの女が、しわだらけの顔を曝す。その眼差しに焦点は欠落した。腕と足だけが痙攣していた。御影石風のタイルの床の上に失禁しながら。
穢いとは思わない
そこは彼女たちの家だった。
それは明示していた。そこに
40代らしい肥満した女。
壊れた存在がいるという、ただ
Thanh より少し年上に過ぎない中学校の制服の少女。
その事実だけを
うつぶせの死体を曝した彼女たちの。
あからさまに
手は出さなかった。
隠しようもなく
その《女性》には。なにも。
いま
それは、いま、求められてはおらず、いつ、男たちが帰って来るわからなかった。性欲などの出る幕ではない。それはむしろ禁欲的な行為に過ぎない。俊敏で、抜け目があってはならない、その。
町で何度か見かけたことのある陽に灼けた男は、日本製の車で出て行ったばかりだった。《Hyundai》のエンブレム。十分ほど前に。高校生になる男の子をつれて。
めがねを掛けた
この家でやろうといったのは
細身の
Duy だった。男の車が家の前から走り出した、その瞬間に、
いたいけないHot Boy
バイクを止めて、後ろに乗せた Thanh を振り向き、
…どう?
微笑む、企んだ、いたずらな眼差し。
…いいよ。…「オッケー」
やろうぜ
好きだった。
血に染めてやろう
オッケー、…と Thanh は言った。声に出して。
退屈な彼らの日常、
その、Duy の邪気のない眼差しが。Thanh は。
それそのものを
仕事は簡単だった。
最初に出てきた少女は、一瞬に、Thanh に見惚れさえしていたし、生々しいだけのその眼差し。うしろから彼女を、いつくしむように抱きしめたときの戸惑いを表情に浮かべたまま、へし折られた首をぶら下げて、腕の中に脱力した。
僕たちは壊した。まるで
筋肉に微妙な力を残したままで、声さえ立てずに。
月の上を歩くように
その瞬間に、
しなやかに
かすかな、失禁をしたに違いない温度があった。
Duy は奥に入っていって、あの40代の女の首を折って、入り口のほうの物音に振り返ったThanh は、小指を立てた。
…静かに。
…聴け
それが老婆だった。近所から
聴いて…
帰ってきたのか、市場から帰ってきたのか。入り口を入ったすぐの
耳を澄まして
リビング・ルームで、首の折れた孫を見つけて、
存在の息吹を
彼女はただ、茫然としていた。
何が起こったのか、それさえもわからないのか、単純に、元から頭の中の反応が鈍いのか。Duy が歩み寄っても、彼女は彼を見詰めるだけで何もしない。
…え?
誰?、と
何か、言おうとした。
唇が。その、しわだらけの、周囲にしみを点在させた、それ。
死のう。
彼女の、その。
Thanhはそう想う。
見詰める。…なに?
一人で、Thanhは。
なにを、今?
こんな無様な姿を曝す前に
言いたいの?
…と。
言葉が発される前に蹴り上げられた Thnah の右足が、布を投げ捨てるように、彼女の身体をくの字にまげて、床に倒れたとき、直撃した頭部が鈍い音を立てた。
嗜虐、…と。
たんなる嗜虐性を自分の行為に感じた Thanh は、無意味な、しかし執拗な悔恨を、一瞬だけ感じる。
Ánh Đà Nẵng ダナンの光、と、アン 勝手に Đạt ダット が ダー 名付けたその ナン マフィアに拾われたのは、Trang チャン と日本人の家を家出してから、二日目のことだった。
家出の初日は自由を3時間だけ謳歌し、その後は、発見後の拘束と折檻に怯えた。
クアン・ナム市の近くまで徒歩で逃げてきたとき、その時には日付さえもう変わっていたが、今後の生活への不安が顔をもたげた。
孤独すぎる僕は
可能性として、いかなる生存様式が可能なのか?
その無尽蔵の孤独にさえ
とりあえずThanhは、その大通沿いの家の前に止められていたバイクのエンジンを
気付かなかった
入れてみることにした。
自分では
家の中からは、話し声さえ聴こえない。テレビの音だけが、
マリアが、気付かせてくれるまでは
そして、その音楽番組が垂れ流した古い音楽。空間の下方に澱むような旋律。路面を、街頭の群れが淡く、澱んだオレンジ色に照らし出す。やり方くらいなら、Trang の家のはす向かいのバイク屋に教わった事があった。違法なエンジンの点火の仕方なら。
疾走したバイクに乗って、Thanh が初めて自分で運転してみたバイクは、あまりにも無骨だった。スピードも、ハンドルも、その反応の恐ろしいほどの鈍さと、時に訪れる極端な敏感さの中で、Thanh のバイクは、人通りのうせた道路に無様な疾走をさらす。ふらついたジグザグの。
数台のバイクがときにすれ違うが、誰もが大袈裟に彼をよけて通った。
もっともひ弱な、故に、もっとも容赦のない無法者。
Thanh はそのとき、なにも破壊などしないままに
それが、バイクの上の Thanh だった。
すべてを破壊している自分の暴力性に、
かすかな恐怖さえ感じて
何十キロ出していたのかはわからない。何台ものバイクが追い抜いて行ったから、チキン程度のスピードに過ぎなかったに違いない。
入った小道のカーブで、曲がり損ねた Thanh のバイクが、そのカフェの前に止めてあったバイクの群れに突っ込んで仕舞ったとき、飛び出してきた Cảnh カン も、Đạt も、その激怒を曝して Thanh を羽交い絞めにする。
砂利粒の
一台だけ、Đạt のバイクは倒されて、その下敷きに、Thanh の左足と彼のバイクは、なっていた。
味を、咬む
Canh が後から押さえつけた Thanh の頭は、その体重と、舌の上の砂利の味とを知覚する。
引きずり出されながら殴られて、生まれてはじめて
痛みさえ感じる余地も無く、Thanh が感じたのは、世界のすべてを破壊してしまいたくなるほどの、かすかな羞恥心だった。
殴られたかのように、その痛みを
誰の目にも、Thanh がまともな人間であるはずも無かった。
骨が感じた。
そして、それは、彼らにとって、この少年が自分たちの仲間であることを意味した。
Trang と Mỹ にさえ、こんな仕打ちはされなかった、と、起き上がらせられた Thanh は路面に唾を吐き、口の中の砂利を棄てる。
奥歯に、砂利の触感があった
ややあって、カフェでおごおってやりながら、事情を聴いても、なにも話し出そうとはしない Thanh に、しかし、そんなものかも知れない、と Duy は想った。
言うべきことなど何もなく、かつ、話しつくすには言葉のほうが絶対的に不足しているときには、結局は、言葉など知りもしないように、沈黙するしかなかった。
それなりに金くらいは持っていそうな子どもだった。こぎれいな身なりがそれを明示した。しかし、彼は、何も持っていなかった。つまり、何も持っていないのだった。Duy 自身と同じように、奪うしかない。だったら、奪うしかなく、Duy は受け入れてやればよかった。
警察が自分たちのことを、実弾入りの機関銃を持って、探し回っていることなど知っている。目撃情報も、少なからずあったかもしれない。
そうに違いない。僕たちの
だれかは、自分たちが、それらの家に入って行くのを、どこかで
仕事はでたらめだった。単にその行為が
目にしたことくらい、
しなやかであるだけであって
一度や二度くらいあってしかるべきなのだから。
にもかかわらず、まだ誰も拘束されないということは、いずれにしても、まだ、自分たちは拘束されはしないということだ。
ダナンの町で花火があったときも、街に点在した警官の群れさえ、Duy にも Thanh にも、見向きもしなかった。車道にまで、夥しい人々があふれた。観光の韓国人たちが、先進国の香水を匂わせた。
どうするだろう?と、Thanh は想った。つまらなそうな警官たちを
美しい?
いま、後から頭を引っぱたいて、
空に浮かんだ、この
そして、シン・チャオ、と、こんにちは微笑みながら言ってやったら。
単なる火薬の爆発が?空を穢した、
彼らに、すがるような子どもの眼差しを浮かべて。
惨めな、見苦しい
彼らはどうするだろう?
汚点にすぎないもの
なに?…振り向いた Duy がそう言ったのは、Thanh が一瞬、
一瞬だけ
鼻で笑ったからだった。
Thanh は、小さく鼻で
街中の空間に、花火の轟音が、
笑った。
響いた。遠く。花火が炸裂するたびに、暗い空は一瞬光に染まり、海風のやんでしまった夜、消えうせない上空のどうしようもなく停滞した煙の群れを、何かの残酷な惨状のように浮かび上がらせた。
まるでそこに
向うで、戦争でも起こっているようにさえ見える、と、
星雲でもあるかのように
Thanh は想い、…なんでもない、そうつぶやく。Duy に。独り語散るように、微笑み返し、何かあったの?しつこいほどに、途切れ途切れに聴く Duy に。
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